能力=功績万能主義が浸透してしまったアメリカへ喝を入れる
2021/08/15 11:01
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投稿者:もちお - この投稿者のレビュー一覧を見る
有力大学に子供を入れるためのコンサルタントというのがアメリカにはいる。彼らの仕事はその大学好みの功績(メリット)を作り上げる手助けをし、高額の対価を受け取るということで、すれだけでも眉を潜める話であるものの、SATのスコアもお金で買えるという点にまで迫ることで全米激怒という話からこの本は始まる。では、功績というのはアメリカ社会において、どれくらい重要か。アメリカ社会においてはほとんどすべてである。特にオバマ政権のときにこの傾向が強くなり、オバマやヒラリークリントンの発言の中でいかに賢さ(スマート)という単語が使用されているかを説明する。このメリトクラシーが浸透した結果、何が起きたかというと、金融機関の役員に対する処分の甘さに代表されるエリート層の傲慢とそれ以外の層の絶望という国民の分断であり、トランプ政権の誕生である。さらに興味深いのは、メリトクラシーの上位にいる有力大学の学生も常に競争せざるを得ないことから(これにはとんでもない授業料を奨学金で受け取るためにある程度の成績を残さないといけない面もあるかもしれないが)、自己肯定感が低く、とても幸福そうには見えないという点。これらに対する処方箋として、一定の学力以上の学生はくじ引きで入学させる、親からの寄付は入学に影響させない等が提案されており、この講義をハーバードでやることには意義があると思う。日本人から見ると、アメリカ社会を垣間見るくらいの影響かな。
どんな時も、感謝の気持ちを忘れずに
2021/08/18 15:50
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投稿者:ぱんださん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ここ数年のアメリカ政治の動き(トランプ政権の誕生)と社会問題(薬物依存による自死)を考える上で、ご自身が教えているアメリカトップの大学に通う「エリート学生」から感じたなどから論じた本かと思います。
閉ざされた家庭環境、経済的に限られた人しか通えない学校で、子供の時からあまりに過酷な受験戦争にさらされて育った人たちが、自分たちの成功は努力と勤勉の成果であり、そうではない他者に対して思いやりや感謝の気持ちを全くもてなくなっていることに原因があるのではないか?ということです。
「自己責任」「努力しないのは本人の責任」という言動は、日本でもここ20年ほどの間、嫌なくらい目に付きました。そして犯罪も増えました。
少し、考え直す時期がきているのではないか?
メリットクラシー
2021/10/24 08:52
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投稿者:怪人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この2,30年の米国大統領の演説を注意深く分析し、論点を展開させているので米国の大まかな歴史の意味も知る上で参考になる。
本田由紀氏の解説で本書のポイントがつかめるが、この解説の中で、meritocracyの訳語、「能力主義」について注を加えている。
英語の世界ではmeritocracyは実際には「功績主義」という意味で用いられている。日本語では「能力主義」と読み替えられて通用してしまっている。「功績主義」が顕在化し、照明された結果であるのに対し「能力」は人間の中にあって「功績」を生み出す原因とみなされている。この両者が混同され、「能力」という一つの言葉があらゆる場所で説明や表現に用いられているのが、日本社会なのである。その意味で日本は「メリット専制」というより「能力専制」と言える状況にある。
能力主義というと難関有名大学卒がそれを証明するのかもしれないが、非難関有名大学卒にはそれで勝負あった感がある。一方で、成果主義が企業に普及していった時期があったが、成績の評価基準があいまいで、周りは皆ライバルという殺伐とした職場が想像されるなど、これも印象は良くない。
メリットmeritを英和辞書で調べると、長所、功績、手柄はあるが能力という用語はみえず、meritocracyはエリート支配とか実力主義社会とかである。
いずれにしろ、今一度、教育の意義、労働の尊厳などについて深い考慮がなされるべきであろう。
アメリカで起こっていることはいつか日本でも…
2024/01/13 19:14
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投稿者:りら - この投稿者のレビュー一覧を見る
能力主義、功績主義。
頑張った人はそれに見合う報酬を得るのは当たり前という考え方がある。
ならば、有名な大学に入り、金融機関やシンクタンクなどで働き、高額の収入を得るのがいいということで、そうした大学に入るための手段をどうするか問題が、特に富裕層など自分の社会的地位を継がせたい人たちに発生する。
子供の進学のために莫大な金銭を投入して大学に入学させる。
確かに、その過程で子供自身は努力しているのだろうが、そうした金銭的余裕のない家庭では、子供の教育より日々の生活が大事になる。
大学進学に向けた様々な活動もできなければ、相当本人が努力しなければ進学は困難だ。
あるいは、大学進学を希望しないこともあろうが、その選択が収入面で言うとあまり上昇が望めない仕事に就くことになる。
もちろん、収入の額だけが仕事に就く意味や価値ではないが、生活をしていくうえで、収入は重要な要素ではある。
結局のところ、金銭に恵まれた人が多く大学に進学している現状は、裕福な人のみ裕福な次世代を継いでいくことが可能とも言える状況である。
これが果たして本当の意味での能力主義と言えるのかという問題を論じる本。
日本でも同じような状況はあると言える。
ちょうど今日、私立中学の入試だ。
とある塾の出身者がとある超有名校の半数以上を占めている。
6年後彼らのほとんどが東大、京大に進学していく。
そして数年から数十年後日本の未来を担っていくのだなと毎年この季節に感じている。
そういう塾に通学させることができて、中学の学費+塾代等を払うことができて…というのがもうすごいなと思う。
親の思いはともかくこどもたちがそういう自分を当たり前と思っているのであれば怖いなと思う。
そういうのはものすごく少数派なのに、自分の通る道が当たり前と思っていると、将来ほとんどの自分と違う道を通ってきた人たちのことが理解できないのではないか。
まさに、「あなたがそういう現状になってるのって努力が足りなかったからでしょ」と言いそう。
そうじゃない。
家庭環境や何を大事と思うかという考え方の違いなどで違う道を通っている人がいる。
望んでそうしている人もいれば、親などからの援助が受けられない人もいる。
そういう人たちに思いを馳せて、自分が通ってきた道は必ずしも自分だけの努力で得たものではなく、ただ幸運な環境に生まれてきて、与えられた資源を使わせてもらいながら自分もそこそこの努力をして得たものなのだと考えることができるだろうか。
そうしたら、自分の持つ知識を、そういう支援が得られない人たちのために役立てるという方向に向くのでは…と期待したい。
あと一つ。
日本とアメリカでは、私立大学と国公立大学のあり方が違うかもしれないことは分かりつつ、
私立の学校には「建学の精神」というものがあるので、出身者の子弟に一定の入学枠があることやスポーツ等の実績がある学生を優先的に入学させること自体は、私はアリだと考えている。
ただし、その精神を保つためにも、ひとたび入学したなら、その学校の卒業生として恥ずかしくないレベルの勉強はさせるべきだ。
曲がりなりにも最高学府の大学たるもの、OB枠やスポーツ推薦やから勉強はせんでもいいとか、そういうふざけたことは許さないという姿勢は保ってほしい。
真っ当なOBからしたら、ahoな後輩は恥ずかしいだけやからな。
サンデル教授の本はわりと読みやすいイメージがあったが、この本はやや読みづらく、10日ほどかかってしまった。
読むべき人はまさに「持ってる」人だ。
それも自分の努力で今の立ち位置を得たと思っている人。
泥池の蓮の葉に鎮座するだけではいけない?
2022/02/07 11:04
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投稿者:あごおやじ - この投稿者のレビュー一覧を見る
大ベストセラーとなった「これからの正義の話をしよう」の第6章を掘り下げたような内容でしょうか。「アメリカンドリーム」の名の下に能力主義が肯定的に捉えられることに警鐘を鳴らしますが、もちろん、能力主義の弊害はアメリカだけにはとどまりません。
第2章で、能力主義の淵源がプロテスタンティズムにあるとし、マックス・ヴェーバーの「プロ倫」的な考察がなされます。また、第5章では、ハイエクに代表される「自由主義リベラリズム」と、ロールズに代表される「平等主義リベラリズム」が、能力主義的な傾向を共有している、と指摘し、この問題の根深さを浮き彫りにします。
解決策として、大学入試制度の改善、労働に対する尊厳の回復などが挙げられ、コミュニタリアンのサンデルは、当然、共通善を目指し、貢献的正義や共同体意識の醸成を図る必要性を訴えます。
機会の自由が保障された下で勝ち取られた出世は享受するに値する、という「出世のレトリック」は、結局、利己的な側面が否めない、ということでしょうか。いわば、泥池の中から、たとえ自分の努力で蓮の葉の上に這い上がったとしても、それを誇るだけでは駄目で、「泥池そのもの」の浄化まで考えるべきである、という問題提起があると思います。
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アメリカでも(政治・人権・経済等で)深刻な社会の分断が起きていて、その始まりは、「実力主義的な成功」によるものだと本書では指摘しています。
私たちは、能力主義の原則により忠実に生きる事よりも、選別や競争を超えた共通善を追求するべきだとの主張に、僕も同感です。
日本でも、勝間和代のように「やればできる」とか、ホリエモンのように自分が頭の良い事を、環境や世の中がたまたま評価する才能を持って生まれたことに感謝せず、社会的な弱者をたたく人たちが大勢いますが、彼らは、社会的絆と総意の敬意が共通善を作り出すことを理解すべきだと思います。
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培われた能力は本人の努力だけでなく、その人の出自、家庭環境などの環境に依るところもあるのに、そのことに無自覚な一部のエリートは能力のない者を「努力不足」と一蹴し、社会で分断を生んでいる…という話。
イギリス、オランダ、ベルギーで行われた調査(その後アメリカで似た調査を行っても結果は同じ)で分かった、大学教育を受けた回答者は教育水準の低い人々に対するマイナス感情が、その他の不利な立場にある人々(宗教や人種、貧困、身体的不利など)よりも大きい、という結果が印象に残った。人種差別やジェンダー差別などは許されないという真っ当な価値観が共有され始めている中で、最後まで許される差別が学歴である。なぜならそれは個人の努力次第だからである、という考えが透けて見える結果であった。
世の中には「努力すれば願いは叶う」なんてとてもじゃないが考えられないという人がたくさんいる。そのことに思い当たらない傲慢さは社会に軋轢を生む、ということは当たり前といえば当たり前だと思う。
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トランプが顕在化させた社会の分断、新自由主義による社会的弱者の切り捨てはどうして起きたのか、というのがここ数年の疑問だったのだが、それに能力主義という観点で真っ向から考えを提示してくれた。
個人の能力は環境に依る部分があり機会の平等になっていない、というのが趣旨なのかと思って読み始めたが、本書が真に伝えたいことは、機会の平等を完全に実現したとしても、能力主義では社会を分断してしまう、何故なら能力主義が行き過ぎると弊害として稼ぎの少ない人を努力不足で道徳的にも劣っていると蔑むようになり、共感性を失わせ社会を分断させるからだ、という点だった。新自由主義がここまで暴走し社会の歪みを生むようになったのも、能力主義という反対しにくい主張を背景にしているからでもあったのだろう。
教育の学歴偏重主義も労働の尊厳もまさにその通りだと思うのだが、個人的に本書で一番新鮮だったのは理論的な掘り下げをしてくれたこと。個人の責任で上がることもできるし下がった場合も自己責任、という点が個人主義に根ざしているのという点は改めて個人主義の功罪を問い直させる。またハイエクの頃から道徳的価値と市場価値を切り分けるべきと主張されていたというのも今日の過剰に市場社会での成功者を持ち上げる傾向を予想していたようにも見える。
福祉国家リベラリズムの祖であるジョン・ロールズは個人の能力はコミュニティに負っているのだからコミュニティに還元する必要があるとして、福祉国家を主張する。本書を読む限りではこれこそが著者が主張する共同体意識を育む必要性なのだと理解した。
新古典派経済学のフランク・ナイトは市場価値が社会への貢献の価値を示すという前提にさえ疑問を呈し、市場の需要によって決まるものでありそれ自体に価値は無く、真の価値はそれによって得られる道徳的価値にある、としているのは、経済が発展しても人々の心が豊かになっていないことが証明しているように思える。「消費者の需要は、それ自体に価値があるわけではない。その価値は、一つ一つの事例ごとに、需要を満たすことで叶えられる目的の道徳的地位によって決まるのである」(p207)。経済が社会発展の動力になっている側面も民間企業社員としては信じたいが、新自由主義への反駁としてこうした前提への疑義は忘れてはならないだろう。
経済的に成功した者を道徳的価値が高いと評価することを正当化する主張に対して、「名誉や評価の配分は最も重要な政治問題であり、古くからそうみなされてきた」という反駁は本書の主題にとっても示唆的だ。社会で低い地位に甘んじている人に対して、それは経済の問題であり補償と機会の平等の徹底を進めるだけでは解決されず、7章で提示される労働の尊厳を取り戻すことが必要だという点につながっていると思う。
こうして見ると己を謙虚にする神という存在は偉大だと思わされる。神無き現代においては、個人ではコントロールできないものがある、社会に負っていることを共通認識として持たせることが共通善と呼ばれるものなのかと思うが、それは現代では民主的な議論を経て合意形成していくもの、ということになるのだろう。
このように何に価値を置くべき��、社会はどこに向かうべきかについては多くの示唆がされているが、共通善(common good)や条件の平等といった概念については著者の前著で掘り下げられているようで、本書では触りしか書かれていない。是非本書を起点にして前著も読み、社会の有り様について考えたい。学生時代に出会っていたら進路も変わっていただろうな、いや社会の構成員である間は何かできるはず、と思わせてくれた。これから数年の思想的な礎になりそうということで、約10年振りの星5です。
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能力主義の考え方が進む中で、
勝者は努力したから当然なのか?・敗者は努力が足りなかったのか?
という疑問を問いかけてくる本だった。
努力したから上手くいったのだと考えることは、心地が良く、誰にとっても平等であるように見える。
しかしそういった考えが周りを見下すことを正当化し、敗者を追い詰めていく。それらがポピュリズムなどの考えが力を持つ要因となったのだと考えさせられた。
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米国で広がる経済格差について道徳的観点、特に能力主義(功績主義)を切り口に論じている。
能力主義(功績主義)とは、過去の成功した行為(功績)に応じて分配を決定するというものである。本書の解説にも書いている通り、能力主義で扱われる能力とは、人々に潜在する能力のことではなく、過去に行った行動による功績のことであることは注意しなければならない。能力主義では、歴史的背景より、功績はその人の必然的な結果であり、功績によって得られた報酬は独占できると考えられている。
能力主義は功利主義及び学歴社会と混ざり合い、人々の学歴に応じて所得が分配され、所得の高さによって、その人の価値が決定するというイデオロギーが形成されていく。
このイデオロギーが、能力主義の勝者である高学歴高賃金のエリートには奢りを、低学歴低賃金の労働者には辱めを与える原因となっている。
米国では、アメリカン・ドリームをはじめとする能力主義が歴史的に支持されており、「機会の平等化」が推し進められている。そして、その起点となっているのが大学である。人種や貧富の差に関わらず、能力のあるものが入学することで社会的流動性の高い社会の実現を目指していた。
しかし、現在のアメリカでは高学歴の大学に行くのは高収入の家庭の子供が大半で、低所得の家庭の子供はレベルの高い大学はおろか、大学入学もままならないのが現状である。
この事実が、労働者の能力主義に対する不支持を加速させ、能力主義を熱烈に支持する民主党ではなく、エリートを批判するドナルド・トランプが大統領選挙で勝利した一因になった。
能力主義による副作用に対して、筆者は二つの案を示している。
一つ目は、学歴信仰の抑制だ。具体的には、一定の入学適正を認められた者の中からランダムに入学者を決定することで、学歴に誰が見ても分かる偶然性を挿入することだ。この学歴の偶然性は学歴を功績と分離することを狙いとしている。
二つ目は、能力主義を功利主義と切り離すことだ。具体的には、労働者には政府から追加所得を与え、金融資産には多くの課税を与えることだ。これによって、所得と社会的価値には関係性がないことを、政治的に表明することが目的である。
筆者は能力主義それ自体を否定している訳ではない。現在の大学入試制度による社会流動性の低下と功利主義に基づく功績を批判している。筆者の目指す能力主義社会では、「尊厳の平等化」を目標とする。その社会では、功績は共通善に道徳的な行動によって規定される。現在と違い、功績が所得の数値によって優劣が決定するものではない。道徳的という曖昧な基準になるため、エリートや労働者を問わず市民が等しく、自身の功績を誇れる社会になるだろうというものである。
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能力主義による弊害が不平等をを生み出す。
完全に自分は能力主義な考えで、貧困の人は
努力してないから仕方ないと思っていた。
努力しても報われない社会になってきているからこそ
私たちはお金による富以外の幸せをもっと
考えていくべきだと思った。
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相変わらず明快な語り口のサンデル先生。ただし、エリート大学の競争的なアドミッションへの処方箋は納得できない。この辺は、科挙の伝統のある東アジア諸国の経験に学ぶべき点があるのでは。都立高の学校群制度の結末とかも。
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新自由主義と能力主義が手に手を取って、グローバル化という船に乗りました。辿り着いたのは暗黒郷。そこでは誰かのために汗を流すのは愚か者、指先ひとつで自分のためだけのことをするのが賢い者とされ、愚か者は満足な暮らしどころか人としての誇りさえ持つことは許されませんでした。自由に能力を発揮しさえすれば人種や性別は関係ないことになりましたが、それはもっと深刻な差別と分断を生み出しました。しかも、それを解消することは金融経済という金脈をあきらめることを意味しました。賢い者の欺瞞に気づいた愚か者たちは、憎しみによって自分たちのリーダーを選びさえするようになりました。それが、アメリカという国でした。
という話。
根が深い。
日本にはまた違った文脈があるようにも思える。
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どちらかというと能力主義の立場だったが、個人主義が強く、著しい格差社会が現状であるアメリカを見ると、その弊害も小さくない。
個人的に興味深かったのは、大統領選2016の文脈。能力主義が進んだことで、それに対抗するトランプが勢いづいたこと。本書のテーマとも言える。
このあたりはロールズの著書なども読みながら理解を深めていきたいところ。
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アメリカの大学はかなりの高額の学費で、もはや裕福な家庭の子供しか通えないと、アメリカに住む親戚から聞いていた。
そして根強い差別意識が蔓延っているのも事実。
ハンク・アーロンがメジャーリーグで実力で本塁打王をとり能力主義を体現したのではなく、本塁打を打つ事でしか乗り越えられない差別主義があったという指摘は深い考察だ。