紙の本
大変勉強になりました
2021/06/03 11:03
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投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
普段しゃべっている様々な日本語に対し、著者が歴史などを用いて冷静に論じる1冊です。
これまで疑問にさえ感じなかった日本語に気付いたので、大変勉強になりました。
個人的には、ライトノベルに洋画の和訳、マンガのセリフなど、身近に感じるツールを引き合いに出して、著者が論じているのが良かったです。より理解できました。
電子書籍
ことばは奥深い
2022/09/29 13:31
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投稿者:ヒグラシカナ - この投稿者のレビュー一覧を見る
改めて、ことばはいろいろな事柄と結びついているものだと
実感する一冊でした。
正直、読んでいて難しく感じる部分もありましたが、
映画の場面や身近なタレントさんを例示して、
わかりやすく説明しようというやさしさのようなものを感じました。
たとえばですが、ことばに興味があるけれどどのようなことを
深めていけばいいかわからない・・・というような人に
参考になる一冊だと思いました。
紙の本
ことばって面白い。
2021/07/10 18:14
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投稿者:ら君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
敬語に特に興味を持ちました。日頃、苦労しているからでしょうか。
自分を表現する手段としてのことばの使い方を考えるうえで参考になりました。
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「女ことば」と「女らしさ」という、ジェンダーの側面からも興味があって本書を開きましたが、「ちくまプリマー新書」という中高生に向けた入門書というレーベルの特徴を活かした、非常に読みやすい書籍でした。
私たちが日ごろ、特別に意識せずに使っている様々な「ことば」が、自身のアイデンティティを表現する手段であったり、相互の人間関係を確認するための手段であったりする、という指摘は改めて明文化されるといろいろと気づかされる部分が多かったように思います。
「方言」や「オネエことば」という名前を付けて他と区別する、ということが、(明確には意識されていないが)「当たり前」から逸脱した「異常」なカテゴリであるということを暗に示すものであるということにも気づかされますし、いろいろなエピソードを通じて「言語学」「社会言語学」という学問の面白さに触れることができる本だと思います。
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社会言語学の入門書。
「女ことば」は「女らしさ」から生まれるのか? アイデンティティ(自分)を表現するうえで、ことばにできることもあるけど、できないこともある。呼称、敬語とタメ口、標準語と方言、そして女ことばがどう形成され、どういう意識下で運用されているのかいないのか、素朴な思い込みにさまざまな論拠からノーをつきつける一冊。「素朴な思い込み」そのものがそもそも、権威による言説やフィクションの会話などから直接間接に、意図的にときに無意識に、すり込まれてつくられるもので、ことばと社会とわたしたちの意識の関係はなかなか複雑だということがわかる。
「女ことば」の成り立ちや「男ことば」との非対称ぶりは、世界中のあらゆる分野で男を標準として女が阻害されている現状の追認と異議申し立てにもなっている。
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新学期、小学生のランドセルは男の子が黒、女の子は赤、というのは古い話で、今はどんな色を選んでもいい、という話を聞きました。少しづつ、ジェンダーの問題は普通の暮らしの意識改革を進めているのでしょう。ランドセルだけでなく、先生も「〜くん」「〜さん」の呼び分けはやめ、一律に「〜さん」統一しているらしいです。アイデンティティって、ランドセルを何色選ぶかという自分の選択と先生にどう呼ばれるかという社会からの圧力の狭間で揺れ動いていくのでしょう。この新書の帯にあった『なぜ小中学生女子は「わたし」ではなく「うち」と言うのか?」という惹句に惹かれて手にしました。この問題に関する著者の見解にも、なるほど!という説得力がありました。いま社会と個人の関係を「言葉」というテーマで整理し、自覚することはとても大切だと思いました。なるほど!を自覚することで自分の無意識のバイアスを避けることが出来る、という最低限のルールにも繋がるはず。さらに、仮想空間(メタバース)がもし進展したら、その場における「自分らしさ」の設定という行為は誰にとっても必要なものになるような気がします。平野啓一郎の分人という考え方、いよいよ前景に出てきたようです。それにしても社会言語学、面白いです。
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ことばの使い方によって、他者との関係が構築できるし、距離感もつかめるという。ホントだ。特に女性の言葉づかいに関する考察には、著者の意気込みを感じる。ここを言いたかったのだろうなぁ。確かに「女ことば」「オネエことば」はあるけど、「野郎ことば」ってないもんね。
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面白かった。
もう一度、じっくり読みたい。
言葉とアイデンティティの分析について、アニメや報道などの例をもとに解説されていて分かりやすかった。当たり前に使っていた言葉が実は、私達のアイデンティティに結びついている。
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第5章までは、多少論理的な概説だと感じていたが、第6章の「方言」と第7章の「女ことば」では興味ある論考が見られた.文化人類学者のエリック・ホブズボウムらの指摘を紹介している."伝統とは、その地域に長くあるから伝統なのではなく、歴史的につじつまの合う過去との連続性を築くことで、「創り出される」.(p203)" さらに、「女ことば」についてつぎのような論考を示している."「女ことば」とは、女性が使ってきた言葉づかいではなくて、その時々の日本の歴史や政治の中で、人々が「女性」に望むすがたを、ことばの側面から女性に押し付けてきた「概念(イデオロギー)」なのだ.(p205)" 某保守政党の輩が、"伝統的な..."と宣うことを聞くが、"作り出された"との認識を持ってほしいものだ.
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社会とことばの関係を考える「社会言語学」という論点で、音を調べる音韻学、文法調べる統語論、意味を調べる意味論という主に三つの言語学から、社会が変わることでことばがどのように変わるのか、ことばが変わることで社会がどのように変わるのかという2つの方向から考えるという。
アイデンティティや選択と制限、抵抗などを含め社会の人間関係の変化に気づかされる。敬語、女ことば、方言、ドラマや翻訳での表現など目から鱗の話ばかり。
目上の人は名前で呼ぶのは避ける実名敬避、名前はその人そのものであるという名実一体観ということの実例がまたわかりやすい。
明治5年(1872)改名が頻繁に行われていたのが改名禁止令と複名禁止令、明治政府の国民把握と徴兵徴税のために戸籍編成し機制するため、戸籍は家制度で姓は家の名称であり、妻の所属を示すための夫婦別姓を法律強制しているのは日本のみらしい。
演じ分ける「わたし」、現代の人はSNS等でハンドルネームをいくつも使い分けて複数のアイデンティティを表現。私もそうですね。
男女で異なる自称詞は明治時代、国語は「教育ある東京男子のことば」を基準にしていたという(!)翻訳では女性が女言葉を使うことが多い。「女性は女ことばを話すはず」という言語イデオロギーが翻訳やフィクションの制作過程に影響を与えているとのこと。確かに普段そんな言葉を使っている人はいない。オニイことばはないのかという問題定義も、「男らしさ」が人間の標準からきているという考察に唸ってしまった。
「ことば」で自分を表現することはどういうことか、自分の中で縛られていた無意識のアイデンティティに揺らぎが生じるくらい興味深い内容であった。
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p4
「ことば」には、内容を表現するだけではなく、話している人同士の関係を作り上げて、各々の話し手のアイデンティティを表現する働きもあるのだ。
コミュニティによって話し口調が変わってくるのはこれが大きいのだと思った。日本語という枠組みの中で言語化し、話し相手によって伝え方や表現方法、助詞の使い方まで細かく変化する。振り返ってみると、自分も相手によって無意識に(意識的な部分もあるが)話し方を変えている。何気なく使っていることばも、自身のアイデンティティ形成やコミュニティにおける位置付けに大きく影響するから、広義の意味でことば遣いには気をつけていきたい。
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なぜ女子が「ぼく・うち」といった自称詞を使うのか。正しい敬語とは何か。方言や女ことばが内包する差別的問題など、具体例を示しながら社会言語学を紹介する入門書。新書という限られた紙幅の中にこれだけの内容を詰め込んでわかりやすく読者を社会言語学へ導くのは見事。役割語の研究と一部重なり合う部分もあるのだが、博物学的な役割語研究に対して、こちらはその先の社会や構造に注目する感じか。
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「なぜ小中学生女子は「わたし」ではなく「うち」と言うのか? ことばと社会とわたしたちの一筋縄ではいかない関係をひもとく。
ことばには内容を表現するだけではなく、“その人らしさ”を表現し、話している人同士の関係を作り上げる働きがある。ことばの背後にある社会の規範や価値観を解きあかす社会言語学の知見から、「名前」「呼称」「敬語」「方言」「女ことば」といった観点を通して、ことばで「自分」を表現するとはどういうことかを考える。」
目次
第1章 アイデンティティ表現の材料としての「ことば」
第2章 名前―「わたし」を示すことばの代表
第3章 呼称―呼び方で変わる関係
第4章 「ことば」とアイデンティティの結び付き
第5章 敬語―「正しい敬語」から「親しさを調整する敬語」へ
第6章 方言―「恥ずかしいことば」から「かっこいいことば」へ
第7章 「女ことば」―伝統的な“女らしさ”から辛口の材料へ
著者等紹介
中村桃子[ナカムラモモコ]
関東学院大学教授。専攻は言語学。1955年東京都生まれ。上智大学大学院修了。博士。著書に『「女ことば」はつくられる』
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◯◯らしいことばって何?
社会言語学の入門書であり、ことばがアイデンティティを表す、そしてそれは場面によって変わるものであるという話。
女ことばに関する考察が面白かった。「最近の女性のことばは〜」と言われるのは100年も前からであり、「女ことば」とされていることばは誰がしゃべっていたのかあやふやで、むしろ都合よく設定されたものだというのだ。
方言ももはや誰も現地ではしゃべっていないなんちゃって方言がキャラクターとして定着してきている感じがする。本書ではあまり直接は触れられていなかったが、SNSで文字として発信されていくことで何かことばに変化はあるのだろうか。言語学をどんどん深堀りしたくなってくる。