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【感想】
「今や時事問題って、問題点を刺して検証する前に、気づいたら溶けて無くなっているのだ」
本書の言葉どおりのことが、まさに今起こっている。
例えば東京五輪。開催までの間に数々の問題が発覚し、そのたび関係者の辞任が繰り返された。国民の感情が麻痺し、「そんな細かいこと気にすんなよ」「もうどうでもいいよ」という声が何度も聞こえた。
しかし、政権は相変わらず、「東京五輪はやります。みなさんいい加減納得してください」と言う論調である。必要なのは「開催か中止か」の議論にも関わらず、国民の意見を議論の俎上にも上がらせずに、「どうせやるなら私たちにできることを精いっぱいやろう」という方向に誘導している。
こうして7月23日、東京五輪が開幕した。コロナの蔓延を抑えながら無事全競技終了できるかは、パラリンピックが閉会する9月5日まで分からない。
だが東京五輪は、確実に成功を約束されている。それは終了後、「ね、やってよかったでしょ?」という論調のもと、開催に至るまでの犠牲と今後の展望は検証されず、「コロナ禍で開催した」という実績だけが報道され、「無事成功」というカテゴリに丸め込まれるのが確定しているからだ。そして、誰のためだか分からない「レガシー」という言葉が強調されて、「東京五輪は成功した」という歴史が後世に受け継がれていくのだと思う。
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【メモ】
1 政権
国家を揺るがす問題であっても、また別の問題が浮上してくれば、その前の問題がそのまま放置されるようになった。どんな悪事にも、いつまでやってんの、という声が必ず向かう。向かう先が、悪事を働いた権力者ではなく、なぜか、追求する側なのだ。
何も政治的な決断をしていないのに10ポイント近く支持率が上がった経験を、これからのオリンピック、大阪万博、リニア新幹線開通などに活かそうとするはず。騒いで、興奮させて、何かを紐づけして、自由に動かしていく。
問題が発覚する→どういうことですかと問い詰められる→逃げる→国民がすごく怒る→そのうち忘れ始める→一部の国民が怒り続ける→大体の国民が忘れる→問い詰められていたほうが胸をなでおろす…。
今や時事問題って、問題点を刺して検証する前に、気づいたら溶けて無くなっているのだ。
今、ネットでは日替わりのように、いや、毎時間ごとに、誰かしらが集中的に叩かれている。このところ、自分のそばに「わかる人はわかってくれる」を用意して、元々の言動からの回避に使うケースが増えてきた。
突然批判を浴びた当事者やメディアのそばにいる人たちが、「いきなり騒いでる人たちったら、この界隈のルールや空気を知らないくせに、根こそぎ批判ってどうなのよ」と回避する流れである。おしなべてセコい。
この国に女性が活躍できる社会が到達しないかが端的に見えてくる。政治家がさほど重要な問題だと思っておらず、先延ばしにできると思っている。ひとまず言ってみて、あとで適当に取り繕うことができる。コロナ禍のもとで毎日のように思ってきたことではあるの��が、改めて、本当に無責任な人たちである。
2 五輪
なぜ彼らは、文化の輸出や拡散方法を練り上げようとする際、培ってきた文化の変遷を丁寧に見渡すのではなく、とにもかくにも日本人の心を問うて、ピンポイントで好みの周辺を引っ張り出し、「神」や「血」等々で塗りたくろうとするのだろう。
五輪を真っ向から反対する行為が咎められる、これぞまさしく世の中の多くが「どうせやるなら派」になった証左である。
東日本大震災から8年が経過するのに合わせてNHKがおこなった被災地に住む人たちへのアンケートでは、「復興五輪」との言い方が復興の後押しになるかどうかとの問いに、後押しになると考えている人はわずか14.3%しかいない。「『復興五輪』は誘致名目にすぎない」「経済効果に期待が持てない」「復興のための工事が遅れる」を、5割以上の人が理由として挙げた。
大きなプロジェクトである五輪をひとつひとつ動かしていくときに、「で、これ、何かしら復興と絡められないかな?」という後出しのこじつけが重ねられる。怪しい金儲けを隠蔽するコーティングとして「復興」が使われている。今回は「復興」という言葉で、2週間程度の宴が強引に「成功した!」との結論に持ち込まれるのだろう。
ほぼすべてのイベントが延期・中止となり、ライブハウスや映画館などの文化施設は存続そのものが危ぶまれている。こういう事態に陥ったとき、選手の声を特別視する必要はない。
スポーツ団体から、次なる五輪に向けた言葉は出てきても、「社会に寄り添う」という観点は出てこない。
3 劣化する言葉
発言した後に世間の反応が芳しくないと察知した政治家が「真意とは異なる」「本意ではない」と、自分の発言を崩さぬまま、受け取るみなさんがちゃんと理解してくれないから困っちゃうよね、と渋々取り下げるのが、与野党を問わず永田町のブームとなっているのならばむなしい。
昨今、ポジティブな言動がまるごと礼賛され、ネガティブな言動がまるごと批判される。ボクが信じているモノを信じてくれない人を信じない、と区分けする人を信じることなんてできない。
坂上忍が「毒舌」と称される場面を未だに見かけるが、とっても乱雑な括りであって、これまで毒舌と語られてきた人たちまで軽視されかねないのでやめてほしいと切に願う。彼は目下の人間に厳しく、目上の人間に従う。坂上は目下の人間にものすごく厳しい。この「ものすごく」の部分を「毒舌」と変換されると、毒舌という状態がまるごと疑われてしまう。
4 メディアの無責任
乱雑な文句や皮肉や批判が溢れた結果、ただそれを向けることに対して、無駄に勇気が求められていやしないか。緩慢な悪口の連呼によって、文句や皮肉や批判を投じる行為のハードルが上がっていることについて、嘆かわしく思いたい。
出版界は身内に甘い。早稲田大学文学学術院の元大学院生の女性が、文芸評論家の渡部直己から繰り返しセクハラを受けた件に、厳しく指摘する声がどうにも弱い。
ハラスメントを放置し、過度な保身で、女性の訴えを繰り返し踏み潰そうとした組織の結託が明らかになった。
政界、文学界、スポーツ界は、どこか���特権意識が残っている。偉い人の悪事を追求するというのは、組織を健全に保つための最低条件ではないかと思うのだが、偉い人がやったことだからしょうがない、という悪しきテーゼが、衒いもなく黙認されている。
「今の世の中、黒か白か、○か✕かを決めて、一斉に叩きのめすようなことばかりです。誰かがバッシングされたと思ったら、マスコミは早速次のターゲットを探している。正義と悪というのは、そんなに簡単に区分けできるものでしょうか。一方の声だけを聞いて判断するのではなく、もう一方の声を聞く必要があります。みんなが悪いと思ったからといって、袋叩きにしていいのでしょうか」
あちこちでこの手の見解を見かける。おっしゃる通りだ。おっしゃる通りなのだけれど、これが抜け道に使われていると気づく必要もあるのではないか。批判の内容は問われることなく、批判が大きなうねりになっている様子についてのみ取り上げられ、取り急ぎ「正義の暴走」などと処理されてしまう。
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堀内勉:『偉い人ほどすぐ逃げる』責任を取らない「偉い人」 日本社会「劣化」の本質(HONZ 2021年07月24日) https://honz.jp/articles/-/46046
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タイトルが秀逸すぎる。
コロナ禍でのオリンピックを見ただけでも、逃げた「偉い人」、たくさんいたなぁ。
どうして、謝ることができないのだろう。完璧な人はいないし、ぬる~い人権感覚が晒された日本という社会で、私も含めて愚鈍(という言葉が適切かも心もとない)な部分がたくさんある。だからこそ、指摘されたこと、批評されたことは、真摯に向き合うことが大事なのではないかと感じる。そして、適切ではなかったり、間違っていたりしたことは、きちんと謝る。なんか、謝ることが負けみたいな変な空気(?)が蔓延しすぎているような気がする。
武田さんが取り上げていたことで、言われてはじめてそうか!それが問題の本質だ!と気づかされることがたくさんあった。
ホイホイも熟慮もどちらも大事に、とにかく「学ぶ」姿勢を怠らずにやっていきたい。
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2016年からの『文學界』で連載している「時事殺し」から選びカテゴリー分けをして掲載されている。
安倍菅政権で起こった、理不尽だったり理解不能だったり説明しないままになっている出来事を思い出すので、また怒りが湧いてくる。
しかし思い出して怒って声を上げることをしなければ権力者の思うツボだ。そのことを繰り返し思い出させてくれる。
各章の最初にその章立てをした理由となるような解説があるのだが、それがまた秀逸。
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2016年から2020年まで、「文學界」に連載されたコラムをカテゴリー分けして出版。改めて、5年間に色々なことがあり、ほとんどがうやむやのままであることが、よく分かる。
嘘と言い訳、答えない、はぐらかし、騒ぎが忘れられるまでやり過ごす、もしかすると新たな騒ぎを起こして、目先を変える手段に出たこともあるのでは?
興味深いコラムが多いが、さすがに一冊、ずっと続くと、グッタリしてくる。それでは、当事者の思うツボなのか。2/3くらいで完読は断念。
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所々の強烈な皮肉に吹き出しながら読んだ。内容は概ね賛成。政治や強者の放つ言動に対して怒る人や感情を出す人を冷笑し、自分は一段階上にいて俯瞰していますよという態度がスマートだとされる世の中の風潮も良くないと思う。日本人の国民性もあり世の中全体が変わることは難しい。このような活字の力を通して、自分の頭で考えて発言、行動できる人が老若男女問わず増えていく社会であってほしいと思う。
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怒ってらっしゃるなあ。
自分の思いを表現しない自分は、もう怒ることにも疲れてきてしまったのに。まだきちんと怒ることができるのは素晴らしいな。
疲れてしまっても、怒ることを止めてはいけないのは理解しているけれども。
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小池百合子の「満員電車ゼロ」や「安倍のマスク」、「素手でトイレを磨く」、センター入試のオリンピック賞賛文章。プレミアムフライデーを促した人が、「もっと働け」と言っていたなどに対し、皮肉を混じえて、書かれており、面白かった。
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日本人は忘れっぽいのか、優しいのか、時間が
経ったり新しい問題が発生すると、それまでの
議論されていた問題は無かったかのように忘れ
てしまいます。
メディアがそれに拍車をかけて、新しいことへ
と誘導するのも一因にあります。
だからこそ、無かったことにはさせない、いつ
までも未解決の諸問題を追求するぞ、という姿
勢のこの著者には敬意を払って応援しなければ
いけません。
内容は2016年〜2020年あたりに起きた時事問
題に対する追求です。
政治やセクハラ問題、五輪実施までの道のりな
ど「あれ、そういえばあの問題って結局うやむ
やじゃん」と思い返すことが多いと思います。
忘れてはいけないのです。逃してはいけないの
です。
「明日の日本」を考え直すきっかけとなる一冊
です。
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日本社会に跋扈する「偉い人」ら。
具体的には、自民党や政府やJOCや、その周りの取り巻きたち。
彼らの無知蒙昧で卑怯で誤魔化しばかりの言動に、丁寧にNoを突きつける本。
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偉い人ほどすぐ逃げる
著者:武田砂鉄
発行:2021年5月25日
文藝春秋
初出:文学界2016年3月号~2020年10月号
武田砂鉄という人はとても興味をそそる書評を書く人だ。彼の書評を読むと、必ずといっていいほどその本が読みたくなる。この本に書かれていたが、彼は河出書房の編集者をしていたとのこと。本を読んで評価するのがうまいはず。この本は辛口コラムだが、彼はコラムニストでもなければ文芸評論かでもなく、ライターと名乗っている。なお、タモリ倶楽部などのテレビでも見かけたことがあるが、なかなかに面白いキャラでもある。
僕とは政治的な考え方でも一致することが多い側の人だと言える。ところが、この本にしろ、同じく人気本「紋切型社会」にしろ、書いていることには同感だが、あまり面白くない。何故だろうと思う。たぶん、あまりにまともに向かっていきすぎているからだと思う。当代一のコラムニストのひとり、小田嶋隆のような捻くれた挑み方をしていない。ある人の発言を取り上げ、それをキーワードにして何度もいろんな角度から批判していく手法。読んでいるとちょっと疲れてくるし、なかなか進まない。ただ、繰り返すが、書かれている内容には納得できることが多い。
彼は辛辣に権威者や有名人を批判する。安倍晋三や小池百合子をはじめとした政治家や権力、そして、右の文化人、有名人、芸能人はもちろん、どちらかというとリベラルな左派的な人も斬っていく。例えば、鳥越俊太郎、糸井重里・・・
分かりやすい内容のものもあった。例えば、日本では人気ミュージシャンたちがこんな風に歌っているとの内容。
RADWIMPSが「さぁいざゆかん 日出づる国の 御名の下に」
ゆずが「TVじゃ深刻そうに右だの左だのって だけど 君とみた靖国の桜はキレイでした」
そして、僕も下記の事件の当時からまったく同じことを思い、秋元康に大変な憤りを感じていたことがある。
NGT48の山口真帆がファン男性2人に暴行を受けた事件が発覚した際、なぜか山口自身が舞台上で「お世話になった方にも迷惑をかける形になったこと、本当に申し訳なく思っています」と謝罪させられた。AKSの運営責任者・松村匠が「(秋元氏は)やはり憂慮されておられます」と記者会見で言った。運営は自分たちがし、秋元さんはクリエイティブを担当している、というのが理屈だった。
クリエイティブもなにも、秋元康は総責任者であり、トップに立つ経営者ではないか!それをその一部門のせいにして自らも迷惑していると言わんばかり。安倍政治そのものだと感じた。
************
ナンシー関は梅宮アンナのことを「恋愛を公開することが、ほぼ唯一の『活動』であった」と書いている。2019年の参院選で某民放局が開票速報で小泉進次郎の選挙期間中の密着映像を流した。彼の演説は上手いとの噂だったが、これまでのキャリアで成果がないのだから、ナンシー関風に言えば、「選挙応援演説を公開することが、ほぼ唯一の『活動』であった」といえる。
赤木さんの妻に財務省職員が「麻生大臣が墓参したいと言っているがどうか?」と問うたところ、妻は「来て欲しい��。しかし、同じ職員はなぜか赤木さんの兄に連絡をして「マスコミ対応が大変だから断りますよ」と一方的に告げた。その後、麻生太郎は「遺族が来て欲しくないとうことだから伺ってない」と発言。
最終的に、アベノマスクは「安倍のマスク」、もっぱら安倍晋三が使うマスクになった。
つのだ☆ひろは、FBにアベノマスクが来た喜びを書き、使用すらせずに「仏壇に供えておく」とした。
2016年伊勢志摩サミットで愛知県警が作成したポスターでは、下記に遭遇したら通報をとしていた。
□見知らぬ人がウロウロ・・・
□変な荷物を持っている・・・
□上着が異様に膨らんでいる・・・
□身を寄せてヒソヒソ話・・・
□不審な車・船が出没・・・
*(iadutika注)こんな人たち、どこにでもいるから通報しまくらなければいけない。そういえば、以前、新幹線の車内アナウンスで「持ち主の分からない荷物を見たら乗務員にお知らせください」というのがあり、網棚の荷物なんてみんな持ち主分からないだろ、との批判があったのでさすがにやめたという歴史がある。
2016年、刑事司法関連改革法が可決・成立。「通信傍受の対象拡大」が盛り込まれ、それまでの4種類(薬物、銃器、組織的殺人、集団密航)から、新たに9種類が追加された。「窃盗、詐欺、殺人、傷害、放火、誘拐、逮捕監禁、爆発物使用、児童ポルノ」。
傷害、窃盗、詐欺は犯罪の中で最も多いので、何でもやれることになった。
北里大学の2018年医学部一般入試で、繰り上げ合格を成績順でなく現役男子を優先していた。「手術に立ち会う際の体力面などを考慮」と大学側は言い訳したが、それなら老医はおしなべて現場を去らなければいけなくなる。
有識者会議「『日本の美』総合プロジェクト懇談会」が2015年10月に発足。座長に安倍総理の長らくのお友達である津川雅彦が就任。
2020年東京五輪の「大会ブランド保護基準」には、大会名称等の各種用語も保護対象になるため自由に使用することができないと書かれており、事例として「2020へカウントダウン」「2020年のオリンピック・パラリンピックの選手村の建設が予定される豊洲エリアに○○店が新規オープン」もだめだとしている。
つまり東京2020に便乗するなとのことだが、「便乗するな」に便乗する必要はない。あっけらかんと「2020円飲み放題!」なんて宣言する店が出て来たら、日頃は飲まないが、いそいそと出かけたい。
ある大学でのシンポジウムに参加するための事務手続きで、大学側から登録のためにマイナンバーの提出が必須と言われた。マイナンバーには懐疑的なので関係書類は全て破棄し、カードもなく番号も知らないと答えると、身分証明書のコピーを複数要求された。その日のテーマが、大枠でいうと、個人が個人として自由に生きるために、というテーマだったので笑うに笑えなかった。
有森裕子「今競技ができないのは仕方がない。嘆くだけじゃなく、組織も選手を社会に寄り添わせる発言をしてほしい」(東京新聞2020年4月20日)。この発言を評価。
齋藤孝「だれでも書ける最高の読書感想文」には、最高の読書感想文を書く基本姿勢として三つがあげられている。
①「やらされている感」を捨てる。
②「これは自分のミッションだ!」と思ってしまう。
③やる気をダウンさせるネガティブな言葉は使わない。
これって、居酒屋チェーン店の従業員マニュアルに書かれているスローガンとほとんど同じ。
糸井重里がツイッターで「冷笑的な人たちは、たのしそうな人や、元気な人、希望を持っている人を見ると、じぶんの低さのところまで引きずり降ろそうとする。じぶんは、そこまでのぼる方法を持っていないからね」(2017.11.16)と書いた。著者は驚いた。自分は「冷笑すること」が6番目ぐらいに出てくるような物書き仕事をしているから。
坂上忍の存在が分かりやすいが、毒舌が業界内で済まされると、その毒素は権限の強いものには向けられなくなる。安っぽい例ではあるが、落語家が不倫をしても芸の肥やしで済まされるのは、業界内の力関係の典型例だろう。
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初めに白状してしまうと、自分は政治家の不祥事(特に与党)が発覚して批判が起きた時にはどちらかというとまたメディアや野党がなんか言ってら、と批判される側に同情的になってしまいがちである。従って筆者が考える「呆れることが多すぎて批判が追いつかない」と真剣に批判する立場はとっていなかったし、「冷笑系を下に見て、愚かな同調圧力をかけてくる」側の人間であると思う。
というわけで自分とは立場が違う人の書いた本であったが、諸問題に対する筆者の意見・批判は適切、明瞭、且つ文章としても読みやすいもので確かにと感じる部分が多かった。
民主党下野後からではないかと思うが、権力側の不祥事に寛容な意見を出すことの方が心地良い風潮(同調圧力)が少しずつ高まる中で正しく批判する姿勢を持ち続けることは重要であると改めて思わされた。
そういった役割をメディア、言論人が放棄していないか、同調圧力を助長していないかという筆者の意見には首肯する一方で、批判する人の物言いのレベルが低すぎることも批判側の意見が支持されない根本原因であると思うので、もう少ししっかりして欲しいと感じる。
その意味では筆者のように権力側の曖昧、杜撰な物言いに対して火の玉ストレートで返す姿勢には非常に好感が持て、(偉そうな表現だが)今後も期待したいと思う。
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少し読みにくい文章だが、内容が面白くてどんどん読み進められる。100分de名著で著者を知りタイトルで手に取ったが、日頃感じているモヤモヤがきちんと言語化されていたので、私はこう思っていたんだな、と気持ちを確認できた。斜に構えて冷笑したり、ポジティブに評価しよう、も悪いとは言わないが、怒るべき時には怒らなくてはいけない。アベノマスクや素手でトイレ掃除の回が面白かった。
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怒ってるの、疲れる。でも、怒るのが当たり前ってことがずーっと続くもんだから、それをやり続けるのは大変。
それを引き受けてくれてる感じ。
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文學界の連載コラム。引用もしっかり、一本書くのにそれなりに資料を読んでいるということだ。keeo going.という感じ。