紙の本
放流の回収
2022/07/22 21:44
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投稿者:大賀蓮 - この投稿者のレビュー一覧を見る
10年前にSNSに投稿したエッセイ集。10年経っても色褪せないのは選択テーマが普遍的な所為だからだろう。文章も読み易くスイスイ進めてゆけたが違和感も感じられた。それは少し過激な題名と内容が整合していないと感じたからだ。私が付けた題名は、放流した「ことば」の回収。10年前の日記を読み返したくなった。
紙の本
著者の本を初めて読みました
2021/07/26 11:24
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投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は著者の本をこれまで読んだことがなく、当書が初めて手に取った著書が、これです。
さすがの文章力に脱帽しました。後半は著者が自身のツイッターでつぶやいた文章の紹介でしたが、わずか140字以内にまとめた短文を続けて書くことで読み物にしている点に、著者の頭の良さを感じました。これくらいの文章を書いてみたいものです。
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もう10年も前にtweetされたものだけど、なるほど、ヘイト溢れる昨今のSNS界隈にこそ、その風潮に対する疑問として機能する。ならではの読書論もふんだんに盛り込まれていて、小説は苦手だったけど、エッセイについては、今回も変わらず堪能させて頂きました。
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「歩きながら考える」はどれも珠玉。何年かかってもよかったのでこれだけ集めて欲しかった。朝日新聞の検索で得られた写真付きのものの方が良い。なんなら開高健の「オーパ!」のような大型本でも。
全体の3/4はTwitter で発表されたものを集めたものだがそもそも最新のものが2012年と古く時事問題に言及しているものが多くそもそもリアルタイムでこそ浸透してくる力があったはずなのだ。
一つ一つの言説はさすがに深くて、Twitter とはいえ作者も述べているように文章や文脈の構成はそんじょそこらのエッセイやましてや他の例えば小説家であってすら雑になりがちな Twitter とは隔世の感がある。
繰り返すが古すぎるんだ。Twitter がまとめられたものが商品として売っているのなら購入することすらやぶさかではない。せめて Kindle で読めば良かったのだろうか。
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「戦後」という歴史的時間が終わることが、たとえば柄谷行人や加藤典洋によって語られていたのは1990年代の終わりだったでしょうか。
戦後が終わった後に来るのは、どうも「戦前」ではないかという嫌な予感がありましたが、今や文字通り戦前的な社会が現前しつつある空気感ですが、おそらく、そんな空気にを膨張させる「ことば」による全体主義化に警鐘を鳴らしているところが高橋源一郎の真骨頂というべきでしょうか。
いつものことともいえるのですが、最先端の『ことば』世界を指し示す高橋の手つきがぼくは好きです。
ブログにも書きました。覗いていただければ嬉しいです。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202108310000/
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Twitterの連続ツイートが本に。
Twitterでリアルタイムには読んでいないが、やはり本になったほうがなんだか重みがある(この考え方がそもそも古いのかも)
著者のゼミを受けた学生が羨ましい。
卒業に贈る言葉、愛を感じます。
いろいろな考え方があるなか、一方通行にならないそれぞれの主張が交わるとき、SNSのメリットが発揮できるのだけれど・・・
なかなか思いを文字に起こすことはもどかしく、言葉の力は大きいけれどそれを表現するのは難しいこともしかり。
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順番に読み進めて、なるほどと思っていた箇所がたくさんあったはずなのに、後半のA・Tさんへの私信を読んだら、これまで読んだ内容が一気に吹っ飛んでしまったほど、良いメッセージでした。読んでほしい人、理解してもらえるであろう人に作品を送りつけるのではなく、見つけてもらえるよう書き続けることが大事で、源一郎さんですら、作品を書き終えれば、ゼロに戻る、無名の新人と同じと書いてありました。誰かに読んでもらえるまで孤独な作業ではなく、書いている自分自身には報酬があると思えるか。こんな風に穂村弘さんが高橋源一郎さんに発見されたストーリーを読んだばかりだったので、ぐっとくる内容でした。
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振り返ってみると、自分がTwitter を始めたのが2010年1月。ブログやmixiやFacebookにウンザリしていた自分にとって、しがらみも無く、自分の興味の対象である作家やミュージシャンの生の(と当時は思ってた)言葉をキャッチできるTwitter に一番興奮していた。本書に収録されている「午前0時の小説ラジオ」が始まったのが、2010年5月。それから10年以上経ってSNSは大きく様変わりしたけど、Twitter で出会った最良のもの(の一部)がここに再録されている。当時リアルタイムで読んだ感覚が少しだけ蘇ってきた。本当に貴重なものだと思う。
この『メイキングオブ「悪」と戦う』以来、作家高橋源一郎にすごく傾倒している。子どもの頃は競馬解説者だとばかり思ってたんだけどな 笑
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「限りなく、弱々しいかもしれないが、わたしは「自分の考え」で判断したかったのだ。仮に、その判断が間違っていたとしても。」
「(批判は、愛の成就のような繊細さを持って、行うべし」
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「メメント・モリ」が良かった。ここ数年抱え続けていた罪悪感が緩和されたような気がした。児童ポルノについては首肯できず。被写体になった子どもにとっては闇でしかないから。午前0時の小説ラジオはいくつか『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』と被っていたのが残念。再録したものこそ大切な文章とも言えるのだけど。帯の「緊急出版」の文字にコロナ下で書かれた文章を期待してしまったというのが正直なところ。
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高橋源一郎先生の本は、いつも知性と節度で満ちている。
一人称代名詞を、「ぼく」から「おれ」に替えて書かれたものも、一見荒々しく想いをぶつけているように見せているけれど、それでも、そこには節度がある。その節度に、僕は大人の知性を、僕よりも長く生き長く考えてきた人の信頼を見る。
最もグッときたのは【メメント・モリ】。
幼い子供たちの、「ままのおなかにもどりたいな」「しにたくないから?」という衝撃的な会話から始まり、『生きている者には死にゆく者にかけることばなどなくていいのだ』、『ひとりで「死」に向かう者を、癒してくれるのは、彼の懐かしい「死者」たちなのだ』に至る、深い深い話。
身近な人を亡くしたことがあるとか、亡くそうとしている人には、必ず感じるものがあると思う。
【メイキングオブ『「悪」と戦う』第8夜】
・私たちは、自分のことしか知らない。
・なのに、小説は、作者自身ではない他の「ぼく」について書こうとする。
・それは、小説が、正しくあることよりも、他の「ぼく」と繋がることを最大の使命としているからだ。
【帯に記載のあった本文抜粋】
「かつて、ツイッターは、中世のアジール(聖域)のように、特別な場所、自由な雰囲気が感じられる場所であるように思えた。共同体の規則から離れて、人びとが自由に呼吸できる空間だと思えた。だが、いつの間にか、そこには、現実の社会がそのまま持ちこまれて、とりわけ、現実の社会が抱えている否定的な成分がたっぷりと注ぎこまれるような場所になっていた。(中略)「ことば」は人を殺すことができる。だが、そんな「ことば」と戦うことができるのは、やはり「ことば」だけなのだ。」(本文より抜粋)