池の水抜いてみた。
2021/08/09 19:36
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投稿者:咲耶子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『JAGAE』って何語で意味なんだろ?って思ったら「蛇替え」だった。大蛇が見たくて、池の水抜いてみた。て話(笑)
見たことないモノは見てみたいという探求心というか、現実主義というか、それでいて宗論が好きとか、一見すると支離滅裂な感じだけど、信長の中では整合性が取れてるんですね。
少年時代から本能寺まで、短めの話で時間は進んでいきますので、ごっつい本だけどサクサク読めます。
職場の昼休憩に読んでましたけど、ちょうど良い。
蛇替(じゃがえ)
2021/06/29 08:13
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投稿者:6EQUJ5 - この投稿者のレビュー一覧を見る
紹介文から何となくうすい本を想像したのですが、実物は五百ページを超える大著でした。
信長と「あやかしの者」飛び加藤の物語。少年期から本能寺まで信長の生涯をつづってはいますが、桶狭間の戦いの主要部分を省略したり、どうも中途半端でした。河童や大蛇などのUMAや、妖刀など諸々の不思議を探求するのも一部のみ。展開を歴史書からの転載で済ましてしまっている箇所も多い。
タイトルの「蛇替」は、池を汲み出して大蛇を捕らえようとした話。「信長公記」にもあるエピソードですが、これも拍子抜け。
もっと夢枕獏さんの世界を広げ深めてもらいたかった。残念です。
ジャガジャンガ~
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途中で思わず「ノブナガ、池の水抜いたってよ」と自分で言って自分で笑ってしまった。
去年の大河ドラマ『麒麟が来る』で描かれた信長があまりにも鮮烈だったのでどうしても彼の顔が頭に浮かんでしまったけれど、ドラマよりもはるかに大きく、はるかに苛烈で、はるかにすさまじく、はるかにもろい信長がここにいた。
魔王、と呼ばれるような男、「信長」が、どうやって出来上がっていったのか。
信玄や謙信の前で妖術を見せ、たぶらかしてはその都度殺されていたといわれるとび加藤こと加藤段蔵。
そのあやかしの人、とび加藤と信長の出会い。そして30年に及び続けられてきた「あそび」。
信長が引き起こした理解不能なあれこれ。よれてねじれて絡まり続けた最後のあの日。
その理由がストンストンと腑に落ちてしまう。もうこれが真実だとしか思えない。
いやぁ、これは超弩級のエンターテインメントですね。面白すぎて目が乾いてしまった。
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織田信長の幼少の頃に出会った妖怪の飛び加藤そして信長の人生のそれぞれのイベントの事件のときに関わって最後の本能寺までをこんな物語で語られるなんてビックリ‼️
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織田信長の物語。面白かった。垣根涼介さんの『信長の原理』同様に信長の心理を描いた物語。一気に読めた。
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夢枕獏が織田信長を描く、ということで期待しかねぇ!と意気込んで読んだものの、拍子抜けしてしまった。
織田信長を合理主義者として定義し、対極の存在として飛び加藤を配置。
合理主義者であろうとする信長を、飛び加藤がその術によって、妖の境へと誘い込むという予想だったのですが。
それが見えたのは最終盤。確かに、あの場面での得体のしれない虚実の感覚は、これが読みたかった、と唸るものではあったのだけども。
そこに至るまで焦らされすぎて、こう、いくにいけないもどかしさがありました。
とはいえ、虚実のあわいに存在する伝奇の魔王信長であるのなら、他の作品でも登場してることとは思います。漫画だけどBABELの信長とか。
夢枕獏の描く、魔王信長を読みたかったなぁ。
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2021(令和3)年発行、祥伝社の単行本。文体は既読の「大帝の剣」や「幻獣変化」と変わらないし、なかなかに面白いんだが、何か違う。ぶっ飛んで奇想天外な(場合によってはエログロな)部分が魅力なのに、史実にとらわれ過ぎているという感じである。それとも夢枕さん最近はこんな感じなのだろうか? ちなみに夢枕さんの本は1年以上間隔があいたようだ。
月刊『小説NON』2013年4月号から2021年5月号まで掲載されたのを加筆訂正したもの。
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物語でありながらも、織田信長やそのわまりの人物について興味深く読み進めることが出来て、信長を取り巻く歴史について「あぁそういうことか」と熱を持って感じられた。信長にとっての帰蝶が、よく出来た理想の女で、そのじつはとても悲しいものだった。
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これまでどれだけの作品に登場したか、日本歴史上の人物最多登場でも驚かない。織田信長である。もちろん変換候補一発変換である。そして、ここまできて夢枕獏が織田信長を書いたのである。ところで、「であるか」っていう信長語は、いったいいつから定着したんだろう。とりあえず、本書内でも言ってる。「であるか」
主人公は言わずと知れた超リアリスト信長。
登場する信長は特に目新しい人物設定はない。他、武将たちも従来のイメージだ。
しかし、夢枕獏の描く歴史物にある雅な雰囲気があり、苛烈でありながらも美しくある。
対するもう1人の主人公飛び加藤。こちらは想像上の人物で講談などに登場する不思議超人。忍者だったり、果心居士やら役小角のような存在だったりする。
余談だが、アメコミに登場する超人的アジア人の名前が加藤なのは飛び加藤から来てるんだと面白いと思う。
神も仏もあるものか、絶対いない、いたら俺とっくに死んでるはずだしという思想の信長が、若かりし頃に出会った不思議な人物であり、まるで人生を示唆していくかのようにたびたび現れる飛び加藤。信長の周囲に配置する人物を勝手にスカウトしてくる始末。
リアリスト信長は、けれど加藤の存在を受け入れ面白がっている。
信長は、神仏を否定しているわけではないのではないか。だからこそ、神を仏を信じるという者を呼びつけては議論させた。納得のいく証明を得たかったから。
否定するためにではなく、この世のあらゆる不思議、自分の知らないことを知りたいと思っていたのではないだろうか。
あえていえば、不思議を求めていたからこそ、池の水を抜いてまで大蛇を探した。
飛び加藤がどんなに不可思議なことを行おうと、確かにそこに存在していた。だから受け入れた。
人間なんてほっといても絶対いつかは死ぬんだから、死ぬことなんて祟りとはいえないだろうというのはもっともだと思うのである。
物語の中で重要な小道具になっている敦盛の一節は、若き日に飛び加藤から伝授されたことになっている。
人生五十年というならば、成る程、信長公、長生きではないか。
道半ばで死んだと思えば祟りかもと思えなくもないが、あんな無茶苦茶やって平均寿命ってむしろ御加護とも言える。
要は受け取り方の問題でしかない。
最高にしつこい敵だった一向一揆の皆さんが、本気で念仏唱えたら阿弥陀様が救ってくれて極楽行けると信じてるのか。見えないものをなぜ信じられるのかと思う作中の信長は、実は、彼らと同じことを体験している。
帰蝶は信長自身が手にかけて死んでいるにもかかわらず、信長にはずっとそこに見えていた。存在していた。家臣たちは、信長がそう振舞っているから合わせていたと、死の直前に蘭丸から聞いてようやく記憶を戻す。
あるものはる。あると思えばある。
しかし、自身がそれを体験したとて、闇雲に極楽を信じる民衆を理解したのかはわからない。
ところで、歴史上の人物で悲劇的だったり生死のはっきりしない人は転身伝説があるが、例えば義経がジンギスカンになったなどだ。
討った側の明智光秀は、処刑されたにもかかわらず天海僧正になったなんて伝��があるのに、遺体すらない信長にはそういうの聞かないのである。
生きてたら逆襲してきそうだし、なんで別人にならないといけないんだって怒りそうだし、想像しにくいからだろうか。ファンタジーの中ではいろんなことになってるけど。
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信長と飛び加藤、二人の命がけを楽しむ生き様そして至愛を語り合うかのようなその死に様。人間五十年、信長のように華麗に、飛び加藤のように優雅に生きられたら・・・。
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長編なのに、短編を読んでるかのように章ごとに場面が切り替わる。しかも皆が知っている内容と信長を知っている人にも楽しめるように随所見解と飛びの加藤を登場させて信長の死についても書いている。
合理主義の信長が唯一認めた妖怪、そして人の心に巣喰う飛びの加藤が秀吉や光秀を操る。
2日で読めてしまうほど面白く分かりやすい内容だった。