紙の本
「ことば」をめぐる緊張感
2021/12/28 01:58
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投稿者:あられ - この投稿者のレビュー一覧を見る
きみは、この作品の紹介文で「『きみ』という二人称を用いた独特の文章」と書かれているのを見て、それはどういうものだろうかと「試し読み」をクリックしてみる。そこに連ねられていたことばに、きみは即座に引き込まれ、作者/筆者の書く「きみ」と同化する。それでいて、きみは「きみ」ではない。きみはアメリカ人ではないし、アシスタントランゲージティーチャーとして学校で勤務した経験もない。きみではない「きみ」の語る物語を、きみは、目で文字を追う、という形でたどる。そこに「存在」はあるのだろうか、ときみは思う。すべて、想像された概念にすぎないのではないか――。
ストーリー/描写されていること・出来事とは別に、筆者/作者/「きみ」と、彼が使っているこの言語との間の緊張感そのものが、とてもインパクトがある作品です。こんな記述を、私は読んだことがありませんでしたし、また、おおいに共感できました。母語である日本語でもしょっちゅうこういう/これと類似する感覚に襲われています。そう感じたことはない、と言う人が圧倒的多数だろうとは思います。しかし、私は感じたことがあるのです。私の周りにも何人か、この「感じ」を共有している人がいます。ケズナジャットさんも、きっと、母語であるアメリカ英語を使い、アメリカに暮らしているときはさほど自覚していなかったにせよ、自分が使っている「ことば」との間に、常に緊張関係をもってきた人だろうと思います。
「きみ」という人称代名詞も、時制の使い方も、きわめて英語的だと思いました。しかしそれを見事に表現しているのは日本語である、という二重性。そして、それでもところどころに垣間見えるちょっとしたずれ……例えば、今私たちが日常生活で使っている「雑な」という形容動詞は、本書の「きみ」が「ネイティブ先生」をしていたころは、あまり使われていなかったのではないか(京都では使われていたのかもしれませんが)。少なくとも、私はそのころは「粗雑な」「大雑把な」といった言葉を使っていた。そんなことを考えながら、ストーリーよりもむしろ、ことばそのものを読んでいました。
電子書籍よりも、形のある紙の本で読みたい一冊です。するり、するりと逃げていくことばを、少しでも手元に引き寄せておきたい……そのこと自体が幻想ですが。
紙の本
戸惑いを鮮やかに描く越境文学
2022/12/18 10:58
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
グレゴリー・ケズナジャット「鴨川ランナー」読了。
表題作と「異言」の中編2作とも、外国人が日本に馴染む上での戸惑いを描きつつも、ありがちな「日本のココガオカシイ」的なテンションではなく、新しい文化圏に相対する感情の推移が誠実に表現されていて面白かった。すべてを言語化するのではなく言葉にできない違和感だったり、色褪せていく自身の興味だったり、「言葉にされなくても伝わってくるなにか」が易しい文章の行間から伝わってくる感覚がすごく良い。特に表題作の中で、「御伽噺の中のよう」だった京都の街並みに対して主人公が抱く感情の推移は個人的にわかりポイントがあった。
紙の本
ネイティブスピーカーの役割。
2022/03/04 16:43
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本に来た外国人、それもアメリカ合衆国からの出身者ならだいたい英語のネイティブスピーカーだろう。
たまたま授業での外国語選択で日本語を選び、それが縁で来日し、「きみ」は日本で暮らすようになった『鴨川ランナー』。
福井で英会話教室の教師をしていたが会社の倒産で無職となった「ぼく」ことマイケル、『異言』。
さして英語ができないのに日本人は英語で話し掛けてこようとし、流暢よりもたどたどしい日本語の喋りを期待される、長く暮らしていても溶け込みきれない違和感を描き出す。
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第2回京都文学賞受賞作。海外部門応募作である『鴨川ランナー』が、部門を超えて一般部門最優秀賞に輝く。
本書は、アメリカ人の作者によって日本語で書かれた作品。二人称視点で書かれており、独特の文体が静謐な世界観を醸し出していて面白いと感じた。自分自身の創作活動においてもこういった視点を取り入れていきたいと思ったサンプル作品として活用できそう。
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噂通り、面白かった。
言ってみれば、『不思議の国のアリス』っぷりであり、『千と千尋』っぷりの面白さなのかもしれない。どうです日本て変な国でしょう、ってことじゃなくて、異文化に入っていく時の、入りたさ入れなさ、みたいなものが、あわあわ・いじいじ・じわじわと漂っているのが面白かった。
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狭い。暑い。人が多い。
挨拶しても返ってこない。
そのような場所に外国人の主人公が
なぜ惹かれ
何年も住むことになったのだろう。
町の美しさは感じても
人間関係が希薄で
表面的なことしかわからなかった。
表現や言葉が丁寧でやさしく
日本語に対して
愛情をもっているのは伝わってきた。
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自分のありのままを出すより、外国人を演じる方が評価されるって話だった。外国人じゃなくても自分の役割というか「違う自分」を演じる方が評価されることってあると思った。少し切ない気持ちになった。
p165
そこまで言葉にこだわらなくていい。俺はもう一二十年以上この国に住んできて、日本人のように日本語を喋ろうとするガイジンも多く見た。いずれはみんな諦める。だって日本語がよくできたところで別にいいことがあるわけでもないさ。無理しなくても、俺たちには俺たちなりの役割がある。
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中篇二作の収録。
一つ目の『鴨川ランナー』がすごく好き。久しぶりに引き込まれる小説だったかも。
京都に向かってる電車の中で読んで何度も鳥肌が立った。京都に住んでたり、住んでた過去がある人に是非読んで欲しい。
ストーリー的にはよくありそうな話だけど、文体がめちゃくちゃ良い。「きみは〜した。」のように第三者の目線から書かれてる文章を初めて見て、独特でどんどん引き込まれた。外国人が、日本に住んでいる時の心情が丁寧に書かれていて、この独自の心情は私が感じたことがないものなのに、まるで感じたことのように想像ができて、新鮮でよかった。
鴨川が外国人にとって御伽噺のようだって表現されてるのがとても好き。外国の景色は、そういう風に目に映るのかもしれないと思うと、海外に行ってみたいなと思った。
影響されやすいから、海外で働いて住むの面白そうと思ったけど、日本に夢を抱いていた主人公が現実に気づき始めたところを読んで、結局は日本に住んでも海外に住んでも一緒なんだなと思った。理想を書くだけじゃない現実的なところもすごく好きです。
二つ目の『異言』は、日本に滞在する外国人が外国人としての役割を求められてるということに気づけてよかった。私もインドカレーのお店に行った時にネパール人の店員さんに、パフォーマンスというか、カレー屋さんに来たぞ感を求めていたんだなぁと気づいた。百合子との関係は、海外への憧れを満たす役割を求められていたっていう理解であってるかな。
二つを読んで、私は短くてリズムの良い文章が好きなんだと気づいた。鴨川ランナーは一文一文が短くて、テンポよく読めたけど、異言は鴨川ランナーよりは読むスピードが遅くなった。どちらにも良さはあると思うけどテンポよく読める文章に引き込まれがち。
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「ガイジン」の孤独感を綴った2編の中編.
いずれの話でも,主人公は日本を学び,日本に溶け込もうとするのだが,なぜか日本の人々は頑なにガイジン扱いを止めてくれない.それどころか,恋人すらも主人公がガイジンであることにこそ価値を見いだしているようだ.そんな主人公の葛藤が静かに静かに綴られてゆく.
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自分が学生時代にすごした出町柳の情景や今住んでいる烏丸御池の情景が上手く描かれていてそれだけでワクワクする。外国人から見た日本をありのまま感じられて、なるほどと学ぶ事が沢山あった。外国人だと思って頑張って英語を話そうとすることが必ずしも嬉しいことではないというのが新しい発見だった。
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ガイジンはガイジンであると意識させられ、また、ガイジンとして演じることを求められて、日本文化の甘い蜜と幻想に引き寄せられるガイジンを絡めとり、冗談のような市場を生み出す。辛辣だ。
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留学した時に英語圏の人は英語が話せないということが分からないのだと思ったけど、日本に来てステレオタイプの役割を期待されるのも大変なのだと分かった
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英語講師の赴任先が南丹市八木町(隣市)とあってちょっと嬉しかった。そういえばこち亀の秋元氏が描いた「ファインダー」も主人公の住む町が亀岡市で架空の物語に地元地名が載るとなんだかうれしい。
さて、いつもは自分が日本人だから日本人が海外に勉強に行って苦労する話はよく聞くが、英語圏の人が日本語を学んで日本に来るというその立場を書いた小説は初めてで、読んでああ、なるほどなぁと主人公の気持ちがちょっとわかった気になった。せっかく日本語を覚えてその日本語を話したいのに外観が異国人なので日本人は一生懸命英語で対応しようとする。そして一線を引かれてしまう寂しさを思うと、自分も異国人に対してとる行動が一緒過ぎて申し訳なく思う。
結婚式場で働いていたので「エセ」牧師の事もよくわかる。彼らは異国人を演じている。「アナタタチ フタリは...」片言の日本語で誓いの言葉をつづるあの牧師たちがこの登場人物と重ねるとなかなかに切ない。
筆者は立命館大学で学んだということもあり、京都を学びの地として選んで、そして生活し、そしてこの物語の登場人物に重ねたんだろう、今度異国人を観たら日本語で話しかけてみようと思う。
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1984年アメリカ合衆国生まれ。
2007年、クレムソン大学卒業ののち、同志社大学に留学。
2017年、同志社大学大学院文学研究科国文学専攻博士後期終了。
現在は法政大学のグローバル教養学部にて准教授。
2021年表題作「鴨川ランナー」にて第2回京都文学賞を満場一致で受賞。
主人公の「きみ」は第2外国語を選ぶときに他のそれとは何もかもが違う日本語に出会う。
16歳で高校の日本語講座主催の京都旅行へ。
そこから、頭の中に深く大きく存在し続けた再び日本へ。
はじめは日本各地で急激に需要が増えた学校の英語教師として。
アメリカの郷里で懸命に学んだ日本語の範疇を軽く超える『現場の日本語』。
しばしば疎外感を感じながらも、もっと深く学ぼうと仕事を変えつつ滞在する。
駅前の全国展開の英語教室が倒産し、元生徒で付き合いのある百合子のマンションへ転がり込む。
百合子は英語で会話したがるが、いつしか「きみ」は違和感を感じ始める。
いつしか日本語で会話したくなる自分を発見。
それまでは「君」が、と二人称で描かれる物語が、『自分=僕』を意識した時から一人称へ。
主人公の日本語はついに日本語で考えるところまで行きつき、この本も文章が実に綺麗だ。
日本語で本をたくさん読んだ人の言葉の選び方。これは1冊目の本だが、次が読みたい!
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外国語を学ぶときに感じる、足元がぐらつくような寄る辺なさと、新たなアイデンティティを「鎧」のように身に着ける快感がよく伝わってくる。
日本語がノンネイティブによって別世界に開かれてくるような不思議な読了感。