スピノザを敬愛する脳科学者によるスピノザ入門書でもある
2006/03/01 00:18
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:仙道秀雄 - この投稿者のレビュー一覧を見る
神経科学者ダマシオが言う情動と感情は、「生命調節」という有機体のもっとも重要な、基本的なプロセスの中で因果的につながっているもので、情動は身体という劇場で、感情は心という劇場で演じられる。たとえば、「恐れ」る場合、身体が硬直する、心臓がドキドキするが、これが情動である。
一方、脳には、いま身体がどういう状態にあるかが刻一刻詳細に報告され、脳のしかるべき部分に、対応する身体マップが形成されている。その身体マップをもとに、ある限度を越えて身体的変化が生じたことを感じるとき、われわれは恐れの感情を経験する。その順番は、怖いものをみて特有の身体的変化が生じるから、そのあとに怖さを感じるというものである。進化的に見れば、生物が最初にみにつけたのは情動であって、感情ではない。
有機体にとってもっとも大事なことは命(生ける身体)の維持である。その命の維持のために進化が生み出したのがさまざまなホメオスタシス調節だが、ダマシオはそのうちもっとも高いレベルのものが感情であり、そのすぐ下にあるのが情動であると考えている。どちらも有機体の生存と深く関わっている。
情動と感情が具体的にどのように生存と関わっているのか。この答えがダマシオを有名にしたソマティック・マーカー仮説である。実生活において妥当な選択が比較的短時間でなされるのは、特定のオプションを頭に浮かべると、たとえかすかにではあっても身体が反応し、その結果、たとえば、不快な感情が生じ、その
ためそのオプションを選択するのをやめ、多数のオプションがあっという間に二つ、三つのオプションにまで絞り込まれる。合理的思考が働くのはそのあとである。
過去にわれわれがオプションXを選択して悪い結果Yがもたらされ、そのために不快な身体状態が引き起こされたとすると、この経験的な結びつきは前頭前皮質に記憶されているので、後日、われわれがオプションXに再度身をさらすとか結果Yについて考えると、その不快な身体状態が自動的に再現される。これがソマティック・マーカー仮説である。
本書ではこのようなスピノザの諸概念が、最近の脳科学についての知見をもとに検討される。情動、感情の他、コナトゥス、喜び、悲しみ、心身平行論、観念の観念、アフェクトゥス、永久等々について解説されている。非常にエキサイティングに。スピノザを敬愛する脳科学者によるスピノザ入門書でもある。
スピノザ哲学を現代脳科学から評価する
2007/02/02 15:32
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
感情というものが身体の感知したものを意識に伝える重要な機構であること、それを17世紀に既にスピノザは評価していたこと。この本は脳科学と哲学をつなごうとする本である。
現代の科学で感情の意味を説明することとスピノザを現代的に捉えなおすこと。この本は大きな課題を二つも入れているためか、正直、読みやすい本ではなかった。読みやすい本ではないのだが、科学が哲学にどう対処していくのか、を考える一助になると思う。
読みにくい原因は章の構成にもあるかもしれない。スピノザに関する著者の旅行記のような文章から始まったかと思うと、脳科学での研究のかなり専門的な章があり、一章全部を使ってスピノザの生涯を記す章がある。スピノザの話がしたいのか、感情を解き明かす脳科学の成果の紹介がしたいのか?英語の原題は”Looking for Spinoza”でFeeling Brainは副題に入っているが、邦題は”感じる脳”であり、スピノザは副題に回っている。どちらが主眼なのか、でとまどってしまうのだ。
読みにくいもう一つの理由はおそらく言葉の使い方である。あたらしい概念を導入するときには必ずこういうことがおきるのかもしれないが、感情、情動といった単語の、著者の定義をきちんと踏まえないと混乱してしまいそうになる。著者の優秀さの現われなのだろう、凡人にはついていくのが辛いほどの飛躍やスピードが文章にあるのでさらに大変。専門の話の文章の途中に突然スピノザが飛び込んできたりもする。第5章「心を形成するもの」をとりあえず読んでみるのがよいのかもしれない。この章が著者の意見を要約したような章になっている。
著者に振り回された気分で読み終わったが、それでも脳神経科学者が哲学的な問題に今どう取り組んでいるのかについて、少しは理解が進んだ気がする。スピノザについても、スピノザが何を言いたかったのか現代的な捉え方を紹介してくれた。「エチカ」をいきなり読んだりすると、神の絶対性と数学的証明の堅さについ近寄りがたく感じるのだが、コナトゥスという言葉で表現されていたものを生命体の自己保存機能と解釈すれば大変現代の生物学に通ずるものが見えてくる。スピノザの言葉も引用してあるので対比しやすい。スピノザは、フロイトやアインシュタインなど多くの研究者が言及をしてきた哲学者である。今後もまたいろいろな評価が重ねられていきそうである。
著者はスピノザの着眼点には敬意を表しているが、倫理的な「生き方の行動指針」としては必ずしも同意見ではないようである。このあたり、各読者も自分の意見と照らし合わせて読んでみて欲しい。
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非常に著名な脳科学者,ダマシオが書いた本.この人も脳だけでなく,身体性の重要性を非常に重要視している.また,身体性からの情動の重要性も強調している.そこそこおもしろかった.(が,脳とか興味ない人には,長ったらしい本だと思う)
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只今読書中。
比較的厚めの本なので、そういうのが苦手な人にはお勧めできない。
※必要な部分を拾い集めて読むことはできる。そして、結構重要なことを述べている。内容はやや専門的。
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(20090509〜20090527読了)
・参考1994年「デカルトの誤り」、1995年「事象の感覚」を書いた。本書は過去の2冊を前提に書かれている。P3
・情動と感情。「・・・情動とは、怒り、恐れ、悲しみ、などのように急激に生起し、比較的厳しい、一過性の心的作用をさす。自律神経の興奮による発汗や循環系の変化、あるいは表情の変化などの身体的表出を伴う事が多い。」P4
・普通我々は、怖いと感じるから、その結果、身体が硬直したり心臓がドキドキしたりする、と考えている。しかしダマシオの考える順番は正反対で、怖いものを見て特有の身体的変化が生じるから、「その後に」怖さを感じるのだ。P4
・普通、最善の意思決定は、「合理的、理性的」になされていると考えられているが、ダマシオはそうは考えない。もし我々が多数のオプションを一つ一つ合理的に検討し、そうやって最善のひとつを選択しているのだとすると、あまりにも時間がかかり過ぎるからだ。P7
・感情が心と身体とに生じるとき、それは人間的喜びの、あるいは人間的苦悩の表出であるということ。感情は情動に付け加えられた単なる装飾ではない。P24
・我々はネガティブな情動に対しては、理性的で知的な努力がもたらす、それよりずっと強力でポジティブな情動を使って闘うべきだと、スピノザは勧めた。P31
・社会的、個人的行為を規律する規範は、人間についてのより深い知識−我々の<内なる>「神」または「自然」につながる知識−によって形成されるべきである。P33
・苦と快は多くの原因−例えば、ある身体機能の不調、代謝調節の最適作用、有機体に損傷を与えるような、あるいは有機体を保護するような外的事象−によって誘発される。P58
・情動が生じたあと感情ならびにその感情と関係する思考が生じるのだが、普通は、その速さゆえに、現象に固有の順序の正しく分析することが難しくなっている。まず、情動の原因になるような思考が心に生じると、それが情動を引き起こす。ついでその情動が感情を生み、今度はその感情が、主題的に関係していてその常道状態を増幅しそうな別の思考を呼び起こす。P102
・感情とは、特定の思考モードの知覚と、特定の主題を持つ思考の知覚とを伴う、特定の身体状態の知覚である。P121
・多くの場合、それも特に感情を吟味する時間がほとんどない(あるいは、全くない)場合、感情はひとえに特定の身体状態の知覚である。P125
・情動を感じることは身体状態のニューラル・マッピングの変化と関係しているという発見は実に満足に値するものだった。P140
・感情が可能になったのは、たぶん、身体状態を表現する上で利用できる脳マップがあったからだろう。P152
・脳は身体マップの変更を実に100ミリ秒以下という時間スケールで、非常に迅速に成し遂げる事ができる。P162
・我々が「体調がいい」とか「悪い」とか言うとき経験しているその感覚は、内部環境の科学的状態のマッピングに基づく合成的サンプリングから引き出されるのではないかと思う。P171
・必要な情報を脳に伝達する神経センサーも、そして、その情報を脳の内側にマップ化する神経核と神経鞘も、<それ自体がいける細胞で、他の細胞���同様にいのちのリスクにさらされ、同様のホメオスタシス的調節を必要としている>ということ。P175
・身体状態の一時的なパターンは、感情という事象が展開している間、脳と身体の相互的、反響的作用のもとですばやく変化する。P179
・情動信号が明白なとき、それは、ネガティブな結果をもたらしそうな行動の選択肢に対して、自動化された警告信号を生み出す。P195
・人間活動から情動と感情を取り除くなら、それは必然的に、経験を体系化する能力の衰退を意味する。もし社会的な情動と感情が適切に展開されず、またもし社会的状況と喜びと悲しみとの関係が崩壊すると、人間は出来事の経験を、そうした経験につけられる「よい」、「悪い」という「情動−感情」マークにしたがって、自伝的記録に分類して記録する事ができなくなる。P209
・人間の命はまず、代謝バランス、欲求、情動など、ホメオスタシスという生得的で自動的な仕組みによって調節されている。このとびきり優れた仕組みで、極めて驚くべきことが保証さR手いる。<全ての>生物が、その複雑さに応じて、そして環境における生態的役割の複雑さに応じて、命の基本的な問題の自動的な解決策を等しく手に入れられるようになっている。P217
・参考「エチカ」の第四部の定理18。「・・・徳のまさに第一の基礎は個体的自己を・・・・」P222
・全ての人間は自身の命を保存するように作られており、人間の幸福はそうするための奮闘から生まれ、またとくの基礎はこうした事実のうえにある。P223
・厳密な意味では、意識とは、心が「自己」という明確な基礎を持ち、自己そのものの存在と自己の周囲の対象の存在とを認識するプロセス。P237
・身体、脳、心は単一の有機体の別の姿。我々は科学的な目的のために、それらを顕微鏡下で切り離す事はできるが、通常の作用状況下では基本的に分離しえない。P251
・もし包括的な意味での意識−脳の中の映画と自己の感覚とを含むプロセス−が存在しなければ、命を適切に管理できないことは確かである。P265
・人間の心を構成している観念の対象は身体である。P271
・人間の心は非常に多くの物事を知覚することができる。また、その身体が非常に多くの影響を受けることができるとき、それに比例して心が知覚するものも多くなる。P272
・情動、感情、そしてそれらの仕組みについて知ることは我々がどう生きるかと間違いなく閑静している。P367
・新しい知識が人間の活動の場を変えるのでないかと思う。まただから結局のところ、多くの悲しみと幾ばくかの喜びの中で我々は希望を持つことができるのではないかと思う。P369
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ダマシオ 情動は身体という劇場で、感情は心という劇場でそれぞれ演じられる ダマシオは怖いものをみて特有の身体的変化が生じるからそのあとに怖さを感じると考える 特定のオプションを頭に浮かべると、たとえかすかにではあっても身体が反応し、その結果たとえば不快な感情が生じ、そのためそのオプションを選択するのをやめ、こうしたことがつぎつぎと起きて、多数のオプションがあっという間に2つ三つにまで絞り込まれる。合理的思考が働くのはそのあとのこととダマシオは考えている
過去にわれわれがオプションXを選択して悪い結果Yがもたらされ、そのため不快な身体状態が引き起こされたとすると、この経験的な結ぶつきは前頭前皮質に記憶されているので、後日、われわれがオプションXに再度身をさらすとか結果Yについて考えると、その不快な身体状態が自動的に再現される。ソマティックマーカー仮説 情動とは動作または動きであり、多くは外に表れている 感情はすべて心的イメージが必然的にそうであるように、つねにうちに隠れており、その正当な所有者以外の人間には見えない。情動は身体という劇場で演じられ、感情はこころという劇場で演じられる 情動とその関連反応は感情より先に誕生したと思われる 感情の前に情動がある ホメオスタシス調節のレベル 単純から複雑へ 免疫反応/基本的反射/代謝調節 快と不快の行動 動因と動機 狭義の情動(嫌悪、恐れ、喜び、悲しみ、共感、恥) 狭義の情動とは 背景的情動、一次の情動(恐れ、怒り、嫌悪、驚き、悲しみ、喜び)、社会的情動(共感、当惑、恥、罪悪感、プライド、嫉妬、羨望、感謝、賞賛、憤り、軽蔑) まず情動状態ありき、感情はそのあと 脳はさまざまな手段により、われわれが身体状態をごまかすことができるようにしている
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脳科学者であるアントニオ・ダマシオの著作。以前読んだ『無意識の脳 自己意識の脳』が、神経生理学や脳科学の最新研究を豊富な症例を含めて紹介していて、人間の「意識」についてかなり突っ込んだ議論をしていた刺激のある本だったので、少し高めの期待を持って読んでみました。ただ、少し期待をしたものとは違っていたというのが印象です。そもそも、タイトルの日本語の副題には引っ掛かっていたのですが、そこが違っていたのかもしれません。
原題は "Looking For Spinoza"なので、スピノザが副題といういよりも主題でそのタイトル通りなのですが、スピノザの業績やら当時の歴史や文化背景などもそれなりの紙幅を割いて記載されています。結局は、スピノザの思想を紹介したいのか、著者自身の心身-情動-感情の理論を紹介したいのか、読後の感想としては中途半端な印象を否めませんでした。哲学的にスピノザを消化して読者に伝えるには、その点での力量が著者ととそれを受け止める自分に不足しているのかもしれません。実際に著者がスピノザの暮らした部屋を訪ねて行った場面をそれなりに詳しく記載しているところからも、脳科学最前線というよりも少しばかり力を抜いた感じのエッセイにも近い本なのかなという感じです。脳科学に関する書籍としては前著の『無意識の脳 自己意識の脳』の方が個人的には好きです。
ただ前半はそれなりに面白い仮説展開もあります。情動(Emotion)と感情(Feeling)を区別し、ヒトの進化上で有利に働いた身体的反応(ホメオスタシス・プロセス)としての情動に対して、脳の身体マップを通したフィードバック機構として感情を副産物として発展させてきたという仮説を展開しています。スピノザについて、個の自己保存の本能であるコナトゥスの存在やデカルトの心身二元論に対する心身合一論などを、現在の最新研究の理論にも合致する先進的な知見であると紹介しているので、まあ無理な組み合わせではないかと思います。
期待が大きかったのを考慮して星4つ。
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スピノザと言えば、大学時代に読んだ柄谷行人さんの『探求II』で大きく取り上げられ、その思想が積極的に評価されていました。その流れで岩波文庫から出ていた『エチカ』も当時購入したのですが、その難解さもあって、とても理解しがたかったのを思い出します。ちょうど本棚にあったので手に取ってみると、今見ても読む気を減退させる構成ですが、もしかしたらあれからの年月を考えると別の読み方が可能なのかなと思います。
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この本をちょうど読み終わった日に深夜で放送されたCBSドキュメントで、PET(陽電子断層撮影)で撮影した脳の活動状況のパターンから何を考えたか当ててみるというのをやっていました。本書の中でも何度も出てきますが、PET恐るべし。こういうのを見たり、読んだりすると、心というものがとても身体的な現象なんだと実感します。
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堀井教授が勧めていたからとりあえず手に取ってみた。
原題はLooking for Spinoza
デカルトの物心二元論ではなく、スピノザの一元論を支持する内容。体と心はつながってるよ、という話。まぁ、そうでしょ。高校のころからデカルト信者のおやじと戦ってきた自分にとっては味方が増えた気分。
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<本の紹介>
米国の著名な脳科学者である著者が、多くの脳障害・損傷患者の研究から導き出したのが、身体反応(=情動)を脳が受け取り感情を生みだすという考えです。これとほぼ同じ考えを持っていたのが、哲学者・スピノザでした。本書は最新の脳研究とスピノザの哲学的思考がどのようにリンクし、同一の考え方に至ったのかを説いた一冊です。
すーっげぇ難しい本でした。まるで論文。
途中で頭痛くなりながら読んでたんだけど、ただ最新の脳科学については興味あったんで一気に読みきりました。前半は脳科学の実験症例を絡めた脳の仕組みと感情について。後半はスピノザの経歴と時代背景、近代に至るまでに受けた評価の紹介。
感情、情動、反応、反射、、、これは全て違うことを指していて、感情は人類だけにあるもの。でもない。笑
脳だけの生物はいないけど、脳のない、身体だけの生物はたくさんいて、これはつまり生物学的には脳よりも身体の方が先に生まれ、重要な器官となっていることを指している。そして、感情は脳の中で作られた「身体が受けた情動」のマッピング図から、自分の感情を認識する。
そして、そういった脳の作りを模倣したような構造はこの世の中の様々な場所で起こっている。家族の中で、社会の中で、組織の中で。まだまだプロセスとしては改善の途中って感じだけど。個より集団を重んじるのは、個ではできないメリットが集団にはあるからであり、集団にマッチしないものがあまり好まれないのは、集団で動くメリットを自分たちが享受できない可能性があるからであり、それは自分たちそれぞれの「個」を危険にさらすことと同義になる。納得。
で、集団を統率する為には、全体をマッピングする機能が必要になる。これは、集団を管理する部分が即座に反応できることが必要とされる為。そして、そういったマッピングの精度は先天的に生まれ持った人間としての判断基準や生きていく為の最低限感じられなきゃいけないレベルの他に、潜在的に遺伝子にプログラミングされているものもある。それは、一度そのような環境、シチュエーション、経験をすることで目覚める。だから、成長することでその精度は上がっていくし、経験したシチュエーションの数でその人の脳内の引き出しの数は増減するから個人差になる。同じ生き方をする人が2人といない世の中だから。
そういう意味じゃ、「生まれ持った才能」も大事だと思うけど、後天的な「どう育ってきたのか、何を経験してきたのか」ってとこもやっぱり人が育つ上で大事な要素になるんだなと改めて思いました。あと、そのシチュエーションを仮に自分で経験していなくても、似たシチュエーションからの類推によって能力を呼び起こすことも可能になるんだそうだ。ってことは、想像力豊かな人の方が人間の幅が広がるってことなのかな。俳優なんかがああいった実際にその職業に就いたこともないような演技もできちゃったりするのは、これがめちゃくちゃ得意だからこそって話なんだって。
同じように、すごいへこんでる時に楽しい思考パターンに無理やり持っていくと急に楽しくなったり、気分が急に変わったり体調がよくなったり��るのも、そういう情動による電気信号を脳が受けて、マッピング図が変わるから、脳が感情を変えるんだそうな。そしてそれは、自分の意識と別に作用する場合もあるんだって。実際の検証結果からそういった結論が出てるってんだから、近代科学ってすごいなと。
なんとなく、自分の認識とずれてるとこもあったけど勉強になりました。
そしてそれを実験的なことをまるでせずにかつて同じ結論にたどり着いた哲学者、スピノザ。
こいつもすごい。だけど、宗教的な要素の強い時代にこんなこと言ったもんだからすっごい迫害を受けてしまったって話。彼が書いた本も、出版禁止になってほとんど見つからず、歴史に埋もれそうなところを細々と「これは後世に残すべきだから」って受け継いできた先達の方々。
俺らが後世に残すべきはなんだろう。
そんなことも考えながら、脳にとっての「快」の状態を維持しながら前に進んでいきたいと思いました。
めちゃめちゃ勉強にはなるけど、多分これ読める人ってあんまいないと思うんで読まない方がいいと思います。苦笑
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. 読了メモ。A.R.ダマシオ『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』。情動・身体・意思決定・感情。人間の営みはどう働いているのか?スピノザの思想をひきながら、脳の活動を科学することで読みといていく。メンガーの経済学と竜樹を思い出す。
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ダマシオの「一般向け」脳科学書、とばして『自己が心にやってくる』を読んでしまったのだが、『無意識の脳』の次の本はこちらである。前著でやや中途半端に解説が終わっていた「情動・感情」が本作で中心的・徹底的に掘り下げられる。
原題はなんと「Looking for Spinoza」、「スピノザを探して」である。唐突なスピノザ。
そして、本書を読み始めると途中から、突然スピノザの伝記のような記述がはじまって面食らう。ダマシオをこれまで読んできた者には何か異様なものが感じられるだろう。そして本書の最後の方にも、スピノザの評伝のようなものが延々と続く箇所がある。
なぜスピノザか? 著者ダマシオは、あるとき不意にスピノザの本を読み返し、自分の思想とスピノザのそれとの共通点を発見したのだという。
スピノザ『エチカ』に見られる一文「人間の心は人間の身体の観念である」というのが、ダマシオの語る情動・感情の脳科学思想の帰結と重なるのである。ダマシオは「感情とは、ある特定の形で存在する身体の観念である」(P120)と書く。
また、スピノザが「自身を保存しようとする執拗な努力」としてコナトゥスに言及する部分は、ちょうどダマシオの強調するホメオスタシスの原理と符合する。
しかしスピノザについては、私はこれまで読んでもよく掌握しきれなかったように思うし、とりあえず置いておこう。
ダマシオは本書で、前著に続いて情動について詳しく書いている。そしてそれよりずっと難解な独特の概念「感情」について、これまでになく詳細に記述する。
情動とちがって「意識」を必須として成立する「感情」は、ダマシオによると、「特定の思考モードの知覚と、特定の主題をもつ思考の知覚とを伴う、特定の身体状態の知覚である。」(P121)
また、「感情は本質的に一つの観念(身体の観念)」である。(P125)
そして感情の内容とは、「マッピングされた特定の身体状態である。」(P124)
感情を知覚の一種であるとするこの定義は、なじみのものではなく、最初違和感が強かったものの、読み進めていく内になんとなく理解できたと思う。
前意識的に、あるいは反射的に発生する情動は、さらに別の情動を喚起し、また、同時に発生した別の情動などとも並行して作用し、それらの全体が、身体という域で結び合い、場合によっては相殺し合ってのちに、身体全体が「自己の状態」として示すイメージ、それの認識が「感情」となるのである。
そうした「感情」は、進化論上、比較的高度な、後からあらわれてきた機能であり、ダマシオによるとそれは有機体(人間)の生存と幸福の獲得・維持に役立つはずなのだ。
けれども、私たちの実感として、激情的なものはむしろ生存や「幸福な生活」を破壊する場合が多いし、「欝状態」は、たしかに自らが病的状態にあることを示す標識とはなるものの、そこから抜け出せずに陰々滅々としているならば、その感情は、果たして「生存」の役に立っているのだろうか? という疑問は残るように思った。
ダマシオの本は全部そうだが、本書も、結尾部分はあっけないほどオプティミスティックな、明るい、ちょっとステレオタイプな肯定的人生論で終わ��。
本書ではスピノザを引きながら、負の感情を正のの感情へと置き換える処世術が述べられる箇所があるが、これは実際のところ、なかなか難しい。
ダマシオは情動・感情が専門分野なので、いわゆる「理性」的な頭脳の活動に関してはあまり書いていない。たとえば純粋に論理的な思考だとか、コンピュータのような演算処理だとかについては触れていないし、そういったものと「感情」との対比に関しては何も語っていない。
しかしダマシオが語っている「感情」とは、「自己感」にたちもどっているときの「知覚」「思考」なのであり、純粋論理だの数学的演算だのについては、「自己感」からまったく離れた思考機能として、区別されているのだろう。
数学ならともかく、とりわけ日常言語を用いた言説空間においては、人の思考にはいつも「感情」が伴っている。その感情とはつまり自己の身体の自意識なのだということを、本書は述べているということになるだろう。
スピノザについては、ダマシオの指摘を経由して再度読み返してみたくなった。
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決して読みやすい本ではないが、情動や感情がなぜ人間を含む生命体にあるのかを、腑に落ちる考え方で論述されていて、納得度が高かった。
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再読になるのだけれど、相変わらずヴィヴィッドな筆致に惹かれる。感情や情動というとらえどころのないものこそが自分たちの思考を左右するという説をスピノザを絡めて説き明かしていくあたり、実にスリリング(その根っこをたどっていくと、それこそ本書に代表される脳科学や哲学が探究してきた心身問題や心と脳の関係にぶつかるのだろう)。そしてダマシオの視線はそうした脳科学の発見とスピノザ哲学を表層的に・野心を秘めてつなぐのみならずさらに新たな人類の可能性に向けても向けていると受け取る。この本からぼく自身、もっと多くを学びたい