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子育てに悩み、アンガーマネジメントに挑戦したけどイマイチうまくいかないので違うアプローチのこの本を読んでみた。
「叱ることは無意味、それどころか悪影響を及ぼす」ということを、理論立てて説明してくれているので、叱ることに頼らないようにしようと思える。
同じく子育てに悩んでいる人におすすめしたい。
以下メモ。
・叱ることは叱っている本人のための行為。叱ることで自分の気持ちを満足させる(叱る依存)。
・叱る行為は相手を成長させない。それどころか、脳の発達を妨げる可能性がある。
・叱ることに学習効果はない。叱られた側はそれを避けようとするので、抑止効果はある
・人は無力な状態=十分に理不尽な状態で生まれ、成長と共に苦痛を回避する/コントロールする方法を学ぶ(冒険モード)。我慢を学習させるため厳しくするのはこの冒険モードの発達を妨げる。
具体的にどうすればいいのか。
・自傷他害が起こりそうなときだけ叱る。危機が去ったらすぐ叱るのをやめる。(例:危ないところに登ったのなら、降りた瞬間に叱るのをやめる)
・叱るでは無く、「○○をすると叱るよ」と予告する。また同時にどうして欲しいのかを伝える
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叱る×依存という組合せでの視座が妙。脳科学、心理学周りを軸に様々な知見が整理されていて、家庭・会社・スポーツ分野・学校など様々な組織社会に議論を展開しているのも良かった。特に最後の「叱るを手放す」(≠叱る自分を叱る)という考え方と、前さばき・後さばきの整理が良く、各種教育・指導でも役立ちそうな知見だなと思った。
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なぜ叱るのか。
よく、叱ることができない教師は甘いと考える人の声を聞くが、叱ることにメリットはほとんどないな、と改めて思った。叱る方も疲れるし…。
行動を変えさせたい、ダメなことを分からせたい(これも大人の一方的な思いだが)ために叱るのであれば、それは逆効果。
もし自分がダメな行動をしたがために叱られたらどうだろうか。直すのは行動を反省するのではなく、叱られたくないから、になるのではないだろうか。
教育学的に面白い読み物だったし、何回も読み返したいと思った。
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知人がFacebookで紹介しているの見て、気になって読んでみました。
臨床心理士、公認心理師である著者が、神経科学の知見を踏まえて書いた本ですが、よく読むと、「叱る」に関する科学的な知見はあまりないとのことで、「叱る」によく似た「罰を与える」に関する科学的な知見から類推した内容になっている点には注意が必要だと思います。
とはいえ、内容的には納得できる部分が多い印象を持ちました。
「叱った」経験を振り返っても、「叱られた」経験を振り返っても、納得のなようでした。
この本で主に取り上げている「叱る」にしても、「褒める」にしても、手段に過ぎないことを、我々はもっと理解すべきなんでしょうね。
何事も、目的を踏まえて、上手く手段を用いることが大切ですし、とくに、「叱る」については、この本によると、効果が限られているので、これまで以上に慎重に使いたいと思います。
子育ての場面においては、ついつい「叱る」を多用しがちなので、他の場合以上に、慎重に「叱る」を利用したいと思います。
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教員として、今までの子どもたちとの関わり方を振り返りながら本書を読みました。
今までも「叱ってはいけない」というフレーズをよく耳にしていました。しかし、経験上「それは甘やかしなのでは?」や「子どものために叱る必要はある」と思っていました。
本書を読むと、その疑念が見事に晴らされました。「確かに、、、」「そういえば、、、」とハッとされることが何度もありました。
相手の行動を変容させることが目的であれば、叱る以外の方法を取ることがいかに賢明であるかを理解できました。
厳しさや相手に求める基準を高くすることは、成長をするために必要ですが、その手段として「叱る」という選択肢を出来るだけ選ばないようにしたいと思いました。
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〈叱る依存〉がとまらない
著者:村中直人
発行:2022年2月17日
紀伊国屋書店
教育関係者がよくテレビなどで解説している。子供に怒ってはいけない、叱りなさい、と。自分の感情をぶつけてはだめ、相手のためを思って叱るべき、と。僕は、そんなもん言葉遊びに過ぎない、同じだと思っていた。この本にも、似たようなことが書いてある。「怒りにまかせて」言ってしまうことと、「相手のためを思って」冷静な気持ちで言うことは、叱る側にとっては異なる体験だが、相手にネガティブ感情を与える点では大差ない。感情的に口汚く言われようが、冷静ににこやかに言われようが、苦痛は苦痛で、恐怖は恐怖。ネガティブ感情には「自分のためを思って言ってくれた」というタグはつかない、と。
パワハラしたり、虐待気味になったりする個人に向けた分析・批判本、アドバイス本かと思ったが、もう少し社会全体の「叱る傾向」を批判するリベラリストが書いた本だった。著者は臨床心理士・公認心理師で、一般社団法人子ども・青少年育成支援協会代表理事などを務める。
40数年前とはいえ、心理学を専攻していた身としては、脳内での報酬への反応とか知っていることもかなりあり、最初の解説はふむふむ、そうですよね、当然でしょ、みたいにしか読んでいて感じなかったが、依存症のメカニズムのあたりにくると未知のことが多く、興味が持てた。叱る(怒る)ことは、叱られた方の脳内にも影響が残るのはもちろん、叱った方にも依存症という影響が残る、両損の行為のようである。
「叱るより褒める」
この本にこういう表現は出てこない。昨今、巷間にてよく使われる言い方だが、褒めて伸ばすのはいいが、やっぱり叱るときは叱らなければ駄目だろ(甘やかしてはいけない)、とも言う。叱ることと褒めることは次元の違うことであり、比較対照するのは変だと思える。しかし、この本を読んでいると、なぜそういうか、また、なぜ両方が必要だという意見が出るか、その構造が少し見えてくる。この本の最大のポイントかもしれない。
近年の脳・神経科学研究による少し意外で重要な知見がある。それは、苦痛の回避が脳内での「報酬」となりうるという発見。叱ることは、ネガティブ感情を与える。与えられた側は、その苦痛から逃れたいと思う。実際、逃れるとそれが「報酬」となる。簡単に言えば「気分がいい」ということかもしれない。早くその「報酬」を得るために、相手に従順になる。それで、叱ること即効性があるように思えてしまう。
一方、「やりたい」「欲しい」と感じる目標を見つけるサポートをする、目標を目指す「冒険」を成功させるための武器を与え、道筋を示す。「褒める」はそれにあたり、ポジティブ感情を与える。ただし、ポジティブ感情の効果は、「報酬」を得てからしばらく後に行動頻度の変化として現れるため、その時その時で実感できない。だから、ネガティブ感情の「叱る」より役に立っていると感じづらい。
著者は、「叱る」がなくても、厳しい指導は可能だと断言する。「人は、苦しまなければ、変化・成長できない」というのは誤った、そしてとても根深い、苦痛神話にし���過ぎない。それは、「私達は平面の上に生きている」「小バエは何もないところから生まれる」という素朴な認識である「素朴理論」から脱却していない状態だと。
***
今、社会そのものが「叱る依存」になっているかもしれない。とくに「処罰感情の充足」という面。みんなで袋だたきにする傾向。例えば、少年法の改正について、著者は下記のように考えている。
少年法の厳罰化について考えると、法律を定める政治家が「叱る依存」においちいっている可能性が見えてくる。さらに言えば、それを支持する支持者に対し「私たちは、悪いやつらに厳罰を与える正義の味方です」というメッセージを発し、それが人々の処罰感情を充足して支持を得ているのではなか。
「叱る依存」になった人への解消法も書かれている。例えば、
「叱る」には、やめようと思えば思うほど止まらなくなる悪循環の傾向がある。自分自身に「叱る」ことを禁止するより、「徐々に手放していく」発想で叱る依存を克服すべき。
といった解説や、
相手が問題となる状況でなくなった時点ですぐに「叱る」を辞めなくてはいけない。例えば、危ないところに上がったのなら、下りた瞬間に叱るのをやめる。
というような具体的な方法なども示している。
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「叱る」という行為をするのは、「(我が子などに)変わって欲しい」と願うからだと思われる。他者を変えようとする手段。
「叱る」の定義
言葉を用いてネガティブな感情体験(恐怖、不安、苦痛、悲しみなど)を与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールしようとする行為。
扁桃体は「苦痛」そのものに反応するのではなく、苦痛が予想されるときに恐怖反応を引き起こす。
苦痛に対応する主役は「島皮質(とうひしつ)」で「ペインマトリックス(痛み関連脳領域)」と言う。
ネガティブ感情の基本:扁桃体を中心とした脳の回路による「防御システム」
人が何らかの「報酬を得たときやそれが予期されたとき、脳の奥深くに存在する神経細胞「ドーパミンニューロン」からドーパミンが放出される。
報酬を感じる
・ポジティブ感情によるもの
・ネガティブ感情(苦痛)からの回避によるもの
・「処罰感情の充足」→叱る依存へ
処罰感情の充足:
人に罰を与える時、人を叱るとき、「相手が悪い」と思っている限り、人は「もっと叱りたい」という欲求を感じるようになる。叱る側は「叱られる人」に何か問題がある、「叱られて当然の理由がある」と思い、処罰感情の充足というご褒美がついてくる。
これは勧善懲悪のエンターテイメントとして親しまれてきた。また、古代ローマでは犯罪者が処刑されたり猛獣と闘ったりする姿を見ることが娯楽であった。そのためにコロッセオまで建設された。
強い刺激には「鋭敏化」という副反応がある。例えば、大きな地震が起きた直後は、今まで気づかなかったような本の小さな揺れにも敏感になる。叱ることにも共通する。叱られた弊害は長期化する。生物が生き残るためのメカニズムで、獰猛な肉食獣に襲われた小動物はその記憶を続けなければい��ないのと同じ。
薬物依存について「ダメ。ゼッタイ。」で語られることに著者は批判的。近年、依存症は強すぎる快楽のみによって起きるわけではないと考えられていて、危険薬物を1回経験しただけで依存症になる人はあまりいない。
今、有力だと考えられているのは「自己治療仮説」で、人は無意識のうちに自分自身の苦痛を和らげてくれるものに依存するようになる。例えば、強い気分の落ち込みや空しさを抱えている人が気分を高揚させてくれる覚醒剤を使う、というようなケース。
近年は「ハームリダクション」という考え方が世界で注目されている。ハーム(害)をリダクション(減少)させる。厳罰主義から脱却し、支援や治療によるケアで薬物依存症を減らそうと言う取り組み。
虐待は4種類
身体的虐待、性的虐待、ネグレクト(育児放棄)、心理的虐待
今、通告や相談が最も増えているのは心理的虐待。子供の心を傷つけることを繰り返し言う、自尊心を傷つける言動、など。
近年、マルトリートメント(不適切な養育)という言葉が使われる
①よくないけれど虐待とまでは言えない行為を対象にできる(虐待といわれると抵抗がある)
②その行為や環境が子供にとって有害かどうか子供の視点が強調できる
トラウマティックボンディング
トラウマによる強固な結びつき。過度な暴力などによって加害者と被害者の間に発生する奇妙な結びつき。「お前が悪いのだ」と言われてDVを与えられ続けると、そのメッセージが被害者にすり込まれてしまい、加害者への精神的な依存が発生して加害者の意向を常に気にするようになる。これはポジティブ感情があるとさらに深刻化する。加害者が時折見せる愛情表現や気遣いが被害者にとっての「報酬」となってしまう。
「私は厳しく叱られたから強くなれた。感謝している」というのは、「生存者バイアス」と呼ばれる認識の偏り。
日本で中絶は掻爬法という胎児を掻き出す方法が多く用いられる。先進国ではほとんど行われておらず、真空吸引法や薬剤投与が主流。WHOもそれに切り替えるべきと言っている。日本では薬剤は認可すらされていない。また、性交後72時間以内に飲む避妊薬、アフターピルも海外では薬局で安価に入手できるが、日本では医師の処方が必要。こうした中絶のあり方も、「叱る依存」が働いていると言わざるを得ない、と著者は考える。
中学・高校における柔道事故による死亡事故は、1983年度から現在までに少なくとも121人いる。日本よりも競技人口の多い海外の柔道強豪国においては死亡事故報告がゼロ。
学校には「他者を思い通りにコントロールする快感」に依存してしまいやすい構造がある。
学校では理不尽な規制を受けることがあるが、体験した苦痛が非随伴性だと「学習無力感」状態になる。非随伴性とは、自分の行動が環境に対して全く影響を与えることができない状況で、「何をしても無駄だ」という気持ちになってしまう。
部活を含め、学校教育における叱る依存を厳しく指摘している。
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タイトル以外何も言ってない。構成が酷い。冷静に分析しているような文体だが説教じみてる。とクソミソ言ってみたが、読む価値あるテーマです。
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折に触れて思い出して、「叱る」依存になっていないか、確認しなければ。
他の依存傾向がないかも、考えるひとつのきっかけになった。
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理不尽に耐えてきたトラウマのある人は読んでいてざわざわする部分があるかもしれない(わたしは少しした、思い当たる節がいろいろあって)。でも自分が子供たちと向き合うときに必要なことがたくさん書かれていた。「叱ってしまう自分」への対処やケアの仕方も。文章も平易で読みやすいし、著者の優しさがしみわたっている感じがして癒された。
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"「叱る」について悩む人は、すべて権力者です。多かれ少なかれ「叱られる人」に対する権力を持っているから、「叱る」のです。だから、「叱る」を手放していくための大事な第一歩は、自分が権力者であることを自覚することです。"(p.173)
"難しく考える必要はありません。その人が「考えて、決める」ことを待って尊重するだけです。逆に言えば、周囲の人ができることは意図や意欲を「邪魔しない」ことだけです。"(p.189)
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叱るとは弱者に対して理想を押し付けてコントロール権を剥奪すること、的な取り扱い。
即効性があるけど考えることをやめる方向に向く。
成長を促す主体性とは真逆で、やめたい気持ちが高まる
具体的なテクニックはあんまりないから、これを読んでから別の本で補完する
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naonaonao16gさんのレビューで気になりずっと「読みたい」のカテゴリに入れていた本。
何となく感情的に叱るのはよくない、でもどうしたらいいんだろう、打たれ弱くなるんじゃないか、…漠然と今まで考えていたけど、それを科学的に説明してくれて具体的な方法の提案もしてくれた。
これは本当に色んな人に読んでほしい。
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叱ることには依存性がある。
なぜなら、叱ることで脳の報酬系回路が活性化するからだ。
人を叱ることは気持ちがいいことなのだ。
叱る人があなたを叱るのはあなたを思っての行為ではない。
叱る人が気持ちよくなりたいから叱るのだ。
それから、叱られて成長することはない。
むしろ叱られることで萎縮してしまい、成長しようとする意志が妨げられる。
もし、あなたがひとに叱られたことで成長できた、と思っているならそれは錯覚だ。
本書において、「叱る」とは言葉を用いてネガティブな感情体験(恐怖、不安、苦痛、悲しみなど)を与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールしようとする行為のことをいう。
よく「怒る」と「叱る」を分けろ、というが、相手にネガティブな感情を抱かせるという意味では変わらない。意識的に相手の変化を引き起こさせようとするか、しないかの違い。
でも、叱られた方は大抵その場だけ凌げばいい、と思っているわけですよ。つまり、ほとんどの場合、変化は引き起こされない。よって叱るのは無駄。
なお、「叱る」ことに効果があるのは危機介入と抑止(危険な行動や望ましくない行動の予防)だけだという。
そういうことだったのか!
納得。
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叱る側は叱ることに快楽を感じるとの一節に、やっぱりそうだったかと頷いた。権力をもつ=状況を支配する側に立っているときの自分を思い返し、反省の念に浸った。
そんな読み手の所感を見透かすように、罪悪感を抱えることは叱る依存からの脱却を妨げると先回りして言ってくれる。
叱る自分がいったいどうなっているかを俯瞰する、メタな認知能力を養いたい。
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「叱る」と「怒る」は違い、「叱る」のは良いことだと思っていたが、どうやら脳科学的には、どちらも負の効果があるようだ。
そしてこの本は、誰かを叱る可能性のある人に向けて書かれている。と言うことは、ほぼほぼどんな人にも当てはまると言うこと。
大切なのは、叱ろうとする相手の立場に立ち、どうすれば良いか自分で考えさせ、自分で進路を決めさせること。もちろん後で望むようにならなかったことも予測し、事前策を考えておくことも大切。
頭で理解したつもりでも、感情が神経を走るスピードの方が速いと思うし、対応するには相当トレーニングがいるかな。
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娘が習い事の先生から「パワハラ指導」を受けたことをきっかけに「叱る」について考えるようになった。
叱ったりキレたりして相手を思い通りにコントロールしようとする叱る側の背景から、叱られたことによって生じる叱られた側の心の動きが解説されていた。
そこまでであれば「叱る」ということを「個人的な体験」「誰にでも起こりうること」と認識して問題解決を図ろうとしていたかもしれないが、実はそれだけではなく、社会全体として叱ることが重要視されている「厳罰主義」について言及されていたのを読むと、そう単純な問題ではないのだなと気付かされた。
麻薬や覚せい剤中毒者に罰を与えることが、本当に麻薬や覚せい剤を撲滅させることにつながるのか?という議論が興味深かった。
叱る依存を手放すために
〇「苦しまなければ成長できない」という苦痛神話を手放す。人が成長するのは「やりたい、欲しい」という自発的な欲求があってこそで、「報酬」を得る回路を活発化させた方が叱るよりも効果は高い。
〇人間には誰かを罰したいという「処罰欲求」がもともとあることを認める。自分の中の処罰欲求を満たすために他人を利用しない。
〇「前さばき」を大事にする。叱らずに済ますために、物事の最初に注意事項を予測して与えておく。物事が起きてからあとで叱るよりも回避しやすい。