この二人は水と油
2023/11/02 11:56
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
中田考氏は男性でイスラーム教徒で親イスラームの人、、飯山陽氏は女性で異教徒で反イスラームの人、同じ題を巡って二人の考えが交わることは決してない、そこが読みどころで面白い
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
立場こそ正反対だが非妥協的な姿勢までそっくりな2人の噛み合わない対話?もどき。よくも版元はこんな本を企画して通ったものだ。中田考の自己中心的な文面には信者さん以外は呆れてしまうのではないか。飯山陽はまだこの頃は読めるものを書いていた(語っていた)。もっともこの本を読んで読者にイスラームの理解が伝わるかどうかは分からないが。
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結構面白い本です。
本書の本質は最終書簡Aに収斂しています。
長くて面倒と思われる方、時間が経って古いと思われている方、そこだけでも読みましょう。
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話が通じないというのはどういうことか、というケーススタディ。
おそらく飯山さんの論の進め方の方が一般的な感覚では受け入れられやすいのであろうが、中田さんの論にも不思議な魅力と一貫性が感じられる(決して賛同しているわけではないが)。
わたしの読書経験から似たような感覚を引っ張り出すとするなら、G.K.チェスタトンの『正統とは何か』のような。
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活動家と研究者の往復書簡本です。
対立するそれぞれの意見が一つの本の中にあるというのは、中々面白いですね。
ただ一つを除き二人の意見が一致しないのが笑えます。
https://seisenudoku.seesaa.net/article/480806265.html
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お二人の往復書簡を拝読して、他者を理解し意思疎通するのは、大変難しいことなのだと、あらためて痛感しました。
それはまさに、個人のレベルも含め、イスラームそして異文化一般への相互理解にも通底するものだと思いに至りました。
そして、研究対象として資料による客観的研究のみでは誤謬を招きかねないこと、その一方で、対象にずっぷりと入ってしまうことにより理解促進を妨げる要因にもなり得ることを再認識しました。
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イスラーム研究者界隈有名人のお二人の往復書簡。何年もずっとフォローしているが、もともとTwitterでもお互い名前を出したり出さなかったりしつつバチバチやりあっていて、最近はアフガニスタンのタリバン政権の絡みで全く正反対の主張をツイート・リツイートしあっている。はたして往復書簡なんて成り立つのか?という感じだったけど、やっぱり早々に往復形式は放棄されて同じテーマで書く方式になっていた(笑)。その違いの大きさは鮮烈と言っていいレベルだ。
ハサン中田先生はカリフ制再興のためのポジショントーク的な面をスルーすれば…とはいってもイスラム国はテロをやってない!とかあまりにひどい詭弁も多いのだが、やはり中東の歴史・情勢の分析は素晴らしく勉強になる。飯山さんのわかりやすくデータに基づいた話も面白い。高度な話になって内容について行けなかったらどうしようと思ったがそんなこともなく、楽しく読めた。
これは完全に余談だけど飯山さんの言う通りイスラーム界隈はイスラム擁護派が圧倒的で(自らの研究の意義を証明する必要があるからそうなるのもしょうがないのだが)自分の極端なリベラル的主張を織り込む人も多すぎる。中田先生は今回の話でも主張をのぞかせていたけどコロナ以降しょっちゅう反ワクチンRTしているし、Twitterは苦痛に感じてフォローできる人が少なすぎる。
近年は反イスラム擁護派の池内先生や飯山さんもアンチとやりあって急激におかしくなってしまったし、Twitterは人を暗黒面に落とす何かがあるのだろうかと思わずにはいられない。
今回そういった雑音なしに書籍で落ち着いてお二人の話を読むことができてなんだかほっとしてしまった。また書いてほしい。
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面白え。
中田先生っちゅうのは、イスラム研究の第一人者としての地位にある方らしい。
こいつ、気持ち悪い。
この本は、同じテーマについて、飯山先生と中田先生がそれぞれ論ずる形を取っている。まあ、本の半分が飯山先生で、半分が中田先生なのだが、この中田部分が気色悪い。
全くの論点ずらし、訳のわからんグダグダな語りで何言ってるかわからん上に、我こそ絶対正義、立場の違う奴は愚民と言い切ってしまう。
飯山先生の論が、ことの正否はともかくスッキリ判りやすいのと全く色を分ける。にで、飯山先生の方が、真っ当だと考えるわけだ。
世に、イスラムこそが現代社会を越える、優しい、理論だと考える奴が多い(?)のだけど、これ読んでからの方が良いと思う。
ぶっちゃけ、飯山パートはしっかり読んだが、中田パートは、落書きだと思っていいわ。
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「エジプトの空の下」(飯山陽)を読んで、イスラムっていったいどうなっているんだろうと思い、読んでみる気になった。
著者は二人ともイスラムの研究者だが、中田考は男性でイスラム教徒、飯山陽は女性で非イスラム教徒。異なる立場から二人が紙上で議論を戦わせるのかと思ったらそうではなかった。テーマをいくつか選び(イスラム国とか、アフガンでの中村哲氏殺害事件とか)二人がそれぞれの考えを書くという構成で、しかも二人の主張?はかけ離れている。共著にした理由がいまいちわからない。あるいは前文で飯山陽がいうように、「異質な他者が共存するためには、適切な距離を保ち、できるだけ衝突を避けるべく行動すること」を本書の中で実践しているということなんだろうか?
飯山陽のパートはわかりやすく、参考になったが、中田考のパートは何が言いたいのかいまいちわからない。それにこの人、「一般的な」イスラム教徒なんだろうか? 判断する材料を持たないけれど、相当過激派なのでは? いずれにしても、中田考が考えているらしい政治体制の下で暮らすのはゴメンだ。
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中田考と飯山陽による書簡での対談本。噛み合わず、スタンスも立脚点も異なるやり取りに、最終的に飯山女史が匙を投げるような寄稿をしているのが、本音ベースでとても良い。中田考も、煙に巻くような論説を意図していたかは分からないが、元来、こうした一見さんには扱い難いテーマであり、かつ、単純な人物ではないため、仕方ないとも思うが。飯山陽も、イスラム思想研究者であり、勿論、相手として不足しているわけではない。しかし、中田考はムスリムだし、飯山陽は女性だしで、やはり大きな隔たりがあるのだ。
飯山が言うように、中田の書簡は理解が難しいし、極端に感じたり、説明を放棄しているようにさえ見えるため、イスラム初級者向けではない。
イスラム国の指導者は、バグダーディーと言う人物で、彼は全ムスリムの指導者とあるカリフを名乗っている。イスラム国とある会社は、もともと同じサラフィージハード主義でイデオロギーの違いは少ないのだが、1番違うのは、イスラム国はいわゆる「近い敵理論」でムスリムを自称するシーア派、スーフィー、世俗主義者を主要な敵とみなす。一方で、アルカイダは遠い敵、シオニストや十字軍、つまり異教徒、中でも欧米をターゲットにしている。
サラフィージハード主義の本筋は、背教者は異教徒より悪質だというイスラム学の合意に基づき、異教徒と戦う前に、まずムスリム世界を正すこと。
ハラールとは許されたものという意味。アルコール消毒ですら、ハラールではないと考える人もいる。従い、ハラール認証に盲目的に従うのではなく、イスラム教徒は自分の判断が必要。
ソレイマーニーの爆殺は、イランの国民的英雄を不法に殺害した暴挙と言う意見と、何万人もの無子の民を殺した国際テロリストを処刑した快挙という両極端に評価が分かれているが、両方的外れ。中田の主張はこの「両方、的外れ」的指摘が多いのである。
ズィンミーは唯一の正しい宗教であるイスラム教信仰を拒絶する愚かで劣ったとし、差別され、屈辱的な扱いを受けるべきだと規定されている。
東アジアのムスリムを中東が蔑視。日本がムスリム国、インドネシア植民地支配したことを問題視していない。
最後の抜粋は、二つの意味で考えさせられた内容だ。つまり、日本人がムスリムに対して天皇崇拝という信仰の強制を行ったこと。これは、許される行為なのか。そしてもう一つは、中東のムスリムが、東アジアのこうした出来事に対し、無関心であるという意味での東アジアへの蔑視。中田が指摘する点である。
イスラムを完全に理解する事はできないが、興味は尽きない。
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イスラム関連書籍を調べていると目にするお二方が書かれているので、とりあえず読んでみようかなな感じで読み出したもの。
立場や肩書等が異なる二名が、あるお題についてそれぞれ論じる形(お題は交代で提供)。
読んでいるうちに「そもそものこの件についてが自分は分かってないな」と思ったり(興味を持つきっかけにはなる)、解釈の仕方に委ねられたりもするようにも思えたので、「お二人それぞれの見解ではこう」という感じで垣間見られるような印象。
こういう出来事もあったのかと知る一助にはなるかもしれない。
感情ダダ漏れみたいなところもあるが、食の認証問題については、「あれは利権だろ」で一致していたように思える。