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村上春樹初期作品に対する手堅い評論
2001/05/01 19:29
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:谷池真太 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第一章では『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』の初期三部作では「鼠」を通して60年代をその残務処理としての70年代に拠って書いていることを明らかにしている。「僕」はその後も生き続ける存在である。
第二章では『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を通して枠で囲まれた「世界の終わり」を限定された幸福感として、自分の頭の中にある自分にも了解できない『世界』を述べている。
第三章では『ノルウェイの森』を通じて他者の言葉がわからない・他者に言葉が伝わらない・自分の言葉がわからない、という「コミュニケーションがない」状況を書いている。
第四章では『ダンス・ダンス・ダンス』を通じてニヒリズムについて書いている。コピーライターたる「僕」の仕事は「無駄な仕事」でそれが高度資本主義の中では必要なシステムなのだと言う。それは決して「僕」の仕事だけが「無駄」なのではなく、また、高度資本主義を肯定しているわけでもない。ただ、そのことに「宙づり」になっているだけなのだ。
また、最後に「宙づり」の「浮遊状態」を続けてきた村上春樹がだんだんとどこかに着陸しようとしていることに危惧を呈して終わっている。その後『ねじまき鳥クロニクル』でノモンハンに着陸をみせたことを考えるとこの評論の妥当性は高いのではなかろうか。
柄谷行人や加藤典洋の村上春樹論とちがって、妙な自己主張がなく、手堅く堅実な評論といえる。
(※この書評は謝恩価格本として販売されていた際につけられた書評です。)
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