啓蒙の光が当たらない場所へ
2022/08/13 19:01
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Toshi - この投稿者のレビュー一覧を見る
近代以降の「個人主義・自由主義・資本主義」という物語がもたらす啓蒙の光が取りこぼしてきた大きな闇にスポットライトを当てた内容。 ウエルベックの著作や橘玲さんの著書が好みの方は特に面白く読めると思う。 この本を読んで、「時代錯誤で差別的だ」と感じるのであれば、その者はある意味おめでたい人間なのだろうなと思う。 近頃ネットワーク科学の進展によって、経済的な格差を始めとするあらゆる格差は実際のところ、より大きな「つながり格差」に端を発している事が明らかになっている。
さらに、グローバルかつ自由に誰とでもアクセスできるようになったが故に、全てを手に入れられる人間が現れる一方で、誰からも同僚・友人・配偶者・家族として迎えてもらえない人間が生まれ、その格差は大きくなっている。 そうした問題に対して「社会関係資本」が重要だと叫ぶ知識人やインフルエンサーは多いが、その資本を分配して、除け者にされた人達を暖かく身内として引き受けるという実際的な議論に入った瞬間、「個人の自由の侵害」や「不当で前時代的な搾取」という論理を利用して正当化を始める者が多い。
そうした主張に対して著者は、それがまかり通るなら、時折起きる暴動や事件も必要経費として払う覚悟がないといけないという指摘をしていて、ここまで核心に迫る事ができる姿勢に感銘を受けた。 また、終始著者の「私だけは何も見過ごしたりしないぞ」という強い決意と優しさを感じた。
押さえておきたい1冊
2022/05/23 18:43
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Torchwood - この投稿者のレビュー一覧を見る
在野の社会学論者である御田寺圭氏の著書第2弾。
ソーシャルワーカーとして働く著者の皮膚感覚が今作にも活かされている様に感じる。
目新しい知識を学べるというよりも、我々が目を逸らしている"社会の薄暗い側面"を突きつける内容。
全編において平易な言葉遣いが使われていて読みやすい。また、文章は短い節で区切られており日常のすき間時間に手軽に読むことができた。
わかりやすく、読みやすい。だが、突きつけられる事実はあまりにも重い。
それでも、多くの人に読んで欲しいと思える1冊だった。
リベラルな価値観の闇
2022/07/18 18:06
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コンドル街道 - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代の日本社会が「善し」としている価値観、それがもたらす闇に光を当てた書。
特に2章と3章は必読。高校生や大学生にこそ読んでほしい。因みに著者も高校生や大学生に読んでほしいもよう。
確かにそうかもと思うことばかり。
2022/12/15 19:52
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんけん - この投稿者のレビュー一覧を見る
小学校で当てはめても、優しい排除は横行しているように思います。鼻くそをほじる子に対して距離をとる、変な言動をする子には近寄らない。昔であれば、気にせず遊んだり、いじめの対象になっていたりしたのかも知れませんが、今は、自分のコントロールできる範囲ではいないものとして扱う姿が多く見られます。そうして見たくない物を見えない物として扱うことが当然になっていくとどんな社会が待ち構えているのか、恐怖を感じます。
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今の大局の見方をクリティカルに捉え、警鐘を鳴らしている。特に、資本主義(能力主義・社会的経済競争)で淘汰され排除されてしまった処をよく説明している。また、一見良く見えるものはそんなことは無いと提示するインパクトを持つ。
一方で、ファクトとオピニオンがごちゃごちゃなので読む人の学力を問いそうだ。そのため、それは本当はどのくらいの影響で、どのように検証されているのかというデータを出してほしかった。本当に因果関係は、先生の言っていることだけなのだろうか。
先生が仰られていたように、メディアは1つの部分を切り取り、扇状的に受け手を煽る。先生は違うのか??先生が受け取る情報は本当に偏りが無いのか?それは誰にも分からない。先生が起こっているとする事象は、本当に起こっているはずだが、先生は世の中で起こっている全てを知らないはずである。
また特にフェミニズムについてだが、先生は男女で話を進めたいのか、より細分化して話したいのか分からなかった。男性にも女性にも、それぞれで性差別を積極的に働き相手を傷つける人と、思いやりを持って接する人、その中間の人、そもそも性別にあまり拘っていない人と様々いる。
男性の中にはその区別が作られているようだが、女性には全ての女性を対象にしている。(弱い男性vs女性全て) ここだけ読み解くと、女性の人格を認めていない論者とも読めるので、残念に思う(きっとそこは意図していない方だろうと信じている)。ある時には限定された女性、ある時には全女性と、自分の主張に合わせて対立関係を変えるので、信憑性に欠けるように感じる。
加えて、フェミニズムは男性vs女性の対立構造では無い。健常な異性愛男性だけが標準とされる資本主義社会の搾取や社会構造の軋轢へのエンパワーメントがフェミニズムである。個人的に、男性vs女性の一元的な主張をする者に一石を投じて欲しかったが、そうではなかったことは非常に残念だ。
異性からの評価で人間不信になり猫と生きる知人という物語以外はなかったのか?残念ながら大多数の女性はとても恵まれた環境で育たない限りは、小学校低学年くらいから既に評価対象になっている。自分の人間性には興味を持たれずに評されたことはいくらでもある。(思うに、先生と先生の知人は、きっと優しい人なのだろう。しかしながら、お二人のような男性は特に日本では少ない側である。)女性になった途端にリスペクトが無くなる者が多いことは、嫌でも知らされてきた。
女性はリスペクトされた経験が無いから、男性たちもされないことが当たり前なんてことは絶対に言わない。寧ろ、その辛さや悲しさを知っているので、無理はしないで欲しい。目の前の相手を商品化する雰囲気にNOと表して欲しいし、他者をリスペクトできる人間が増えていってほしいと思う。
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筆者のnoteをしばらく購読していた。主張するところはその通りだと頷くことが多い。けれども、毎回お決まりの内容の呪詛を浴び続けると飽きてしまうし、胸焼けしてしまう。先鋭化した仮想敵を相手にしているのもあってか、どうしても自身の思考も極端になってしまっているようにも思う。
世の中は昔から光が当たる場所と影になる場所があって、皆それを知っている。声高に影の存在を認めない人がいるのは間違いないが、決してそれがマジョリティではない。時代によって影の形は少しずつ変わり、それに伴って社会がコストとして引き受けるリスクの種類も変わっていくけど大きな時代の流れの中ではそれは小さな変化に過ぎない。
人間は差別的で利己的で矛盾を抱えた生き物である。それは今も昔もなんら変わらない。
世の中は昔より良くなっても悪くなってもいない。世の中をつくるのが人間である以上、「変わらない」のだ。
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p054 2021/11 ベラルーシ ルカシェンコ大統領
難民そのものを、西欧各国が共有する道徳律である「人権」によってコーティングして他国に向けて打ち込む、いうなれば人間ミサイル兵器として活用する方法を考案し、実際にやってみせた
p66 力強く少子化対策にのりだし、そして成功を収めはじめている国がある ハンガリー 年間予算はGDPの4.7% 首相 オルバン フェミニストでなく国粋主義者 自国民以上に出生率が高く、ますますその勢力を拡大する移民を追い出し、純血のハンガリー人をひとりでも多く増やしたいという宿願がある
オルバンがこうした政治的意思決定を断行できるのは、彼が民主主義的な手続きを簡略化または省略し、国民の権利を制限することに対してためらうことがないからであり、また移民を追い出したいという、多様性や寛容性のかけらもない国家主義的な野望を持ち合わせているからだ。リベラリストやフェミニストたちの理想を、その陣営とは対極に立つ独裁者が実現する。それもリベラリストやフェミニスト立ちがもっとも嫌悪する動機によって。
p094 キャンセルカルチャー 先進社会における人権感覚に著しく反する言動・表現を行った人を、マスメディア、ソーシャルメディア上でつるしあげで糾弾し、社会的名誉を失墜させ、なおかつ仕事や地位を剥奪し、世間の表舞台から半永久的に追放することを目的とした一連の社会運動
p097 キャンセルカルチャーのメソッドは、発言や作品が半永久的に記録され・保存されうるネット社会においては整合的で、論理的にも道義的にも一貫性が担保されていたとしても、その調和が恒久的に保持されるとはかぎらないからだ。インターネットやソーシャルネットワーク上に、個人の言動や作品の記録が、すべてのコピーやアーカイブを含めて完全に消去されない限り、保存される社会において、ある個人が「いついかなる時代・場合においても一貫して正しい無謬の人物であり続けることはほとんど不可能である
p102 NIMBY no in my backyard
p107 私は被害者という概念は、実に画期的な発明品だ
私は基本的に、すべての人の権利を尊重するが、しかし相手が私に対して被害をもたらしうるときは、その限りではない(なぜならそれは私の権利が尊重されないことになるからだ)」という留保をつけておくことで、自分の隣人になろうとするハイリスクな他人が現れたら、かれを寛大に迎え入れる道義的責任を否定することができる
p148 ある人の顔立ちやスタイルなどの外見的魅力によって、その人の価値や他者との優劣を決する概念ルッキズムが社会的に浸透して久しくなった
p193 この社会で暮らす誰もが、自分が本当に困っているときだけ、「望ましい関わり」「本当に有益な援助」を提供してくれる人が現れてくれたらいいのにと願う。だが、「面倒くさい他者」「煩わしい他者」「腹立たしい他者」との関わり合いが時折発生する状態を受け入れなければ「窮状に駆けつけてくれる親切な他者」は現れない。都合のよい他者のみを選択的に温存しておくような方法はない。自分にとって害や不快感のある人々を排除して、快適な暮らしを選ぶ��であれば、自分にとって益や助けとなる人々の登場をも同時に諦めなければならない
p230 差別がいかに人間性に反する悪徳であり、受ける人の人生をことごとく破壊するのかを理解し深刻に語ることができる見識豊かな人は、差別のない世界で最後まで残される砦が能力による差別であることに気づいている
p252 ノルウェーでは、現地に滞在して清掃や保育などの仕事をしながら言語や文化を学ぶ文化交流事業の名目で設けられたオペア au pairという制度がある、だが実情としてはすでに文化交流ではなく裕福なノルウェー人の家庭における低賃金労働者の供給源として利用されてしまっている
p256 その基本理念が示すとおり、人権は本来平等であることが原則とされる。しかし今すべて人に最高品質のh人権をひとしく配布することは、そのコストがあまりに高まりすぎてしまったため、現実的に不可能である。人権思想の持続可能性を守るため、人権を傾斜配分することを正当化する論理として、能力主義はますます重用される。先進国のエリート女性が最高品質の人権を享受するためには、自国あるいは途上国に生きる自分よりの能力の低い女性たちに低品質な人権で我慢してもらわなければならない
p277 かれらが「こどおじ」になったのは、かれらを支えるつながりがなかったからではない。だれもかれらを支えるつながりになりたくなかったからだ
p289 人間は完全に孤立して生きていくことはできない。どうしたって、つながりや絆と無縁ではいられない。そこで人々は、他者との結びつきをより厳選するようになった。いうなれば、よりきれいなつながり、よりきれいな絆を求めるようになった。だれもかれもと、むやみにつながることをやめた
p291 これまでの世界であれば、なんでもないごく普通の隣人として、ゆるやかにつながりあえたかもしれない人々が、これからの世界では、物理的にも心理的にもずっと距離の遠い他人ままになる
他者から「きれいである」「有益である」「快適である」と認められる人でなければ、「つながり」や「絆」を結んでもらえなくなっていく
人間社会におてい「つながり」や「絆」は希少財になっていく
p322でも万が一、ヤクザが世の中からなくなったとしても、お前がいうようなスッキリした感じにはならんと思うぞ。さっきもいったけど、ヤクザはどうしようもないやつが最後の最後にそうなっただけのことやからな。最後の最後のその部分だけなくしたからって、どうしようもない奴が消えてなくなるわけじゃない。ヤクザでなくなったら、別のことをやる奴になるだけやろ。「ヤクザにならないだけのヤクザ者」は街にはたくさんおるんと違うか
現代社会に生きる私たちは、自分たちの快適な暮らしを守るために、なにやら厄介ごとを抱えていそうな人やその子供をほとんど無意識に不可視化・透明化して遠ざける
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文章上手いなーと思うし見方も面白い。排除アートなど、組み込んでいる構成も唸るものがある。日々書き続けているのも敬服もの。ただ、全編読んで楽しめたかというと難しい、トレンドすぎたものが多かったからか、独創的な視点からの論評に食傷気味だったのかはわからないが、最後の方はちょっと駆け足だった。
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社会思想・エッセイ・哲学の中間地点のような印象。
筆者論に賛同するかはさておき、新たな視点の提示として読んで抜群に面白い。ディスカッションのベースとして読んでも大いに役立ちそう。
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この手の本は、基本と原則、例外に当てはめつつ、批判の気持ちをもって読まないとミスリーディングになりそう。参考文献の数が少ないことが気になった。
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いやー。この人の存在を寡聞にして知らず、知れて良かった。学者でも作家でもメディア関係者でもなく、市井の人というのがまたすごい。シニカルでも青臭い理想というわけでもなく、こういう主張を発信して問題提起できるのは相当の知性が必要なはず。DEIとかに取り組んでる人全員に読んでほしい。あらゆる差別の定義のところは、がーんてショックだった
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社会の色んな問題は、平等や個人の自由を求めてきた結果生じた歪みなのだと痛感した
凄く鋭い指摘のオンパレードで納得することも多いが、全体を通して基本的にはその問題指摘に留まっている
多分解決策なんてない
不平等ばかりだけど人間ってそんなものよねっていう諦めが「粋」につながってた江戸時代に、もしかしたら最適解があるのかも。
身も蓋もないけど。
またこの本では、多様性や個人主義を志向しすぎた結果の歪みや軋みが胸焼けするほど述べられているが、多様性によってもたらされるメリットについては何ひとつ触れられていない。それが少し胸焼け感じさせる読後感につながっている気がする。
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先生のnoteは読んだことなかったが、この本を買った。
一つの現象に対して多種多様なレトリックを駆使して深掘りしていくのは圧巻だった。このような著者の豊穣な語彙のアプローチはSNS上での note購読者とのコミュニケーションによって洗練されたのだろう。しかし序盤と終盤が特にそうなのだが、あまりにも詩的で陶酔的な文章だと、「慈愛に満ちた人たちが作った影のある社会に対する挑戦」という本著のスタンスが崩れる気がする。
一番面白かったのさ「排除アート」の章です。存在そのものは知っていました。排除アートはまさに著者が問題意識を抱える現象の象徴のようなものである。「加害性の無自覚、無意識」を指摘する姿勢は本著の基盤であり、まさに一事例として最適。
この本を読まなければ一生考えることがなかった問題を知れてよかったと思う反面、このような社会問題とガチンコで向き合っていけるほど私には余裕がないし、根気もない。私は本著が求めるハードルの高さを超えられるのか?
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人権の落とし穴、差別をよりマイルドにして差別と思わせない方法、国民が自主的に行う言論統制、結果責任の分散化、複雑に絡み合って今の閉塞感を感じる世界が出来上がっていく。夢も希望も理想もないな。なんて思いながら読み進めて、すっかり鬱な気分になった。
この本に書かれた問題から、きっと私は目を逸らし続けるのだろうな。
ネットやニュースを見ていて、心に降り積もり続けたモヤモヤを言語化してくれた本だった。「ただしさ」とは何なのだろう?万人が一致する答えが出ない限り、解決方法なんて無いのだろうな。
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差別などしない善人だと思ってる自分が読んでて不愉快な気持ちになった。それぐらい無意識に正しさで他者をジャッジし排除してる。能力主義だったり、ルッキズムだったり。もちろんジャッジも常にされている。小さな潔癖が集合体となり社会全体の大きな潔癖となり、それにより行き場をなくした人々がやがて無敵の人になる。じゃ、どうすればいいのか。一生かけて考えて行動しても答えの出ないことかもしれない。ただ、前から思ってたのがネットニュースには「これは間違っている!」と正しいことをコメントすること(しなくても思うこと)で、日々のストレスを発散させてるふしがあり、またいいね!がつけば称賛にも似た快感が得られて、無料の娯楽になってるような気がする。記事も閲覧回数稼ぎのため、正しさを刺激するものを狙ってわざと書いてるのではないかと。ただしさに殺されないためにはどうすればいいのか。人の善意に優しさにかけるしかないかな。わからない。難しい。