紙の本
斎藤環氏にはいろいろと思うこともあるのだが、この本だけは教えられることが多かった
2011/10/10 21:43
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ひきこもり」の問題に少なからず関わっている身でありながら、常に引っかかっていることがあった。それは「ひきこもり」が精神医学の問題なのかどうかということだ。
もちろん、「ひきこもり」の中に少なからず精神障害を背景としているものもあるし、「ひきこもり」が続くことで二次的精神障害を生じるものもあり、その点に関しては精神医学が資するところは大いにあると思う。ものの報告によれば、「ひきこもり」の大半に何らかの精神障害の診断がつくとも言う。だが、その一方で、現在の精神医学的診断がどうしてもつかない「ひきこもり」もあるという。
そこで考えてしまうのだ。「ひきこもり」は精神医学的問題なのか?
一般的には「ひきこもり」の第一人者とみなされている斎藤環のこの本は、私のこの疑問に答えてくれる内容だった。
著者自身が、
「今までの私の著書や講演は、もっぱら具体的な方法論を中心としたものばかりでした。もちろん、それはそれでわかりやすく実践的であるとの評価をいただいたこともあります。しかし本来なら、まず理論があって、その応用としての実践があるというのが、物事の順番であるはずです」(はじめに)
と述べているように、「ひきこもりの支援や治療のあり方について、主に理論的な面から解説」することをもっぱらとしている。そして、著者がその理論の基盤としているのが精神分析学だ。その中でもラカン、コフート、クライン、ビオンに準拠しながら「ひきこもり」を解説している。いずれも(細かい理論の内容は異なるところも多いが)自己が成長するには他者を必要とするという立場をとっているかと思うが、こここそが「ひきこもり」の問題なのだろう。それは本書のいろいろなところでも述べられている。
「ひきこもりに対しては、人間関係そのものが治療的な意味をもちます」(p.17)
「ひきこもりを脱するためには、どこかで必ず「第三者の介入」が必須であると考えています」(p.53)
「くつろげる関係性を他者ともてるかどうかということが、回復のうえで大変大きなカギを握っているのです」(p.69)
「コフートによれば、最も望ましい発達は、青年期や成人期を通じて支持的な対象が持続することです」(p.102)
もちろん「ひきこもり」は単に精神分析だけで解決できるわけではない。それでも「ひきこもり」に対してどんなところを目指して、「ひきこもり」者に対してどこに介入していくのか、そのために周囲が何をすればいいのかの指針にはなるのではないか。少なくとも私にとっては、これまでモヤモヤしていたものが晴れていき、もう少し「ひきこもり」に付き合い続けようと思わせてくれる本だった。
投稿元:
レビューを見る
斎藤環のひきこもりの定義はどれくらい普遍性があるのかわからない。
「社会参加をしない状態で精神障害が第一の原因ではない」というのは異論があるだろうし、「家族以外の対人関係が無ければどんなに毎日外出していてもひきこもり」というのは一般的なイメージと違うように思う。
ひきこもりが自信を欠いているのは業績がないからではなくて、子供の頃から親に誉められた経験が少ないからではないのか。
言葉は意味の代理物であり、意味の方が言葉より豊かであるように思う。
言葉を語らなくても人間は人間であるように思う。
「人間は言葉を語る存在である」という所から人間存在に他の生物と違う特権的地位を与えようとする意図があるように思う。
依存症は言葉と関係なく脳内の化学的反応により生じているように思う。
欲望は他者の志向性と関係なく生じるものもあるように思う。
プライドと自信を区別するのは宮台の考えから来ているのだろうか。
妄想と理想化した親のイマーゴの関係などについて書いて欲しかった。
「自己愛の病理」「人格障害」という言葉を医師による悪口としてしまうのはどうなんだろう。
投稿元:
レビューを見る
「ひきこもり」は統合失調症とは違い、人間関係そのものが治療的意味を持つとの考えから、精神分析家についても書かれていて、心理学に興味のある方は引き込まれると思われ。
「ひきこもり」についてだけを語っているのではなく、
日本的なダブル・バインド〜言葉で否定しながら抱きしめている二重メッセージが引き起こす危険な状態についてジャック・ラカン、ハインツ・コート、アウグスト・アイヒホルン、メラニー・クライン、ウィルフレッド・ビオンや等のフロイトに近しい分析家の学説を引用しているのだけれど、とても読みやすかったです。
投稿元:
レビューを見る
ラカン、コフート、クライン、ビオンなどの概念からひきこもりを説明。家族に求められる姿勢具体的に書かれている。
そのひきこもりの捉え方が正しいのかどうかはわからないが、斉藤環の治療実績から得られた実践的な考え方であり、参考に値するのではないだろうか。
投稿元:
レビューを見る
治療者、家族として実践的な事も書かれており、ラカン、ビヨンといった難解な理論も取り入れていてなかなかおもしろいし、参考になる。
投稿元:
レビューを見る
ひきこもりになるメカニズムやプロセス、ひきこもりに対してどう接するべきかが書かれたもの。
ひきこもりというのは自己の弱さだと思っていたがどうやら違うらしい。
自己愛が足りないからなるらしい。
そのためには自己愛つまりそれにつながる欲望(≠食欲や性欲といった本能)を引き出してあげる人や訓練が必要。
カウンセリングをはじめ心理学ではこういった手法がとられるが(実際経験)、こういった事情があったんだなと気づかされた。
投稿元:
レビューを見る
理論の裏付けがありながら、温かい心を持って治療に当たっている方なのだなぁと感じた。
一般の方向けの本、ということだけあって、とっても読みやすく、面白い。
ひきこもりのゴールは、心が自由になること。
自発性を大切にする。自分でやりたいと思うことは、なんでもやってみてもらう。
悩むぐらいなら現状維持を勧める。
などなど、共感できる言葉がたくさん見つかった。
治療にあたる者は、心を複雑にしておくこと、そうすることで、一種の慎重さが生まれ、アイディアが生まれる土壌となる、とも。形がなく、外からは見えない「心」を決め付けないために、必要なことなんだね。
投稿元:
レビューを見る
家族の対応方針の章は、分かりやすく参考になった。基本的に叱咤激励や諭すような対応は良くなく、自主性を大事にし、あいさつ、誘いかけ、お願い、相談だという。家族にとっても大変だが、まずは安心して過ごせる空間を作るということだろう。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
100万人以上いるといわれる「ひきこもり」。
彼らはなぜひきこもり、家族はどのように対応していけばよいのか。
「ひきこもり」に関する研究の第一人者である著者が、ラカン、コフート、クライン、ビオンの精神分析理論をわかりやすく紹介し、ひきこもる人の精神病理を読み解くとともに、家族の具体的な対応法について解説する。
ひきこもりとニートの違い、不登校との関連など、「ひきこもり」の現在が解き明かされる。
[ 目次 ]
第1章 「ひきこもり」の考え方―対人関係があればニート、なければひきこもり
第2章 ラカンとひきこもり―なぜ他者とのかかわりが必要なのか
第3章 コフート理論とひきこもり―人間は一生をかけて成熟する
第4章 クライン、ビオンとひきこもり―攻撃すると攻撃が、良い対応をすると良い反応が返ってくる
第5章 家族の対応方針―安心してひきこもれる環境を作ることから
第6章 ひきこもりの個人精神療法―「治る」ということは、「自由」になるということ
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
投稿元:
レビューを見る
前半は、精神分析の理論を活用して、ひきこもりの心理を巧みに説明していた。
後半は、精神科医である筆者がどのような心構えで治療にあたっているのかが書かれている。