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2022/05/16 14:45
投稿元:
人と人とをつなげる方法として、文書や資本などの技法が発展していない時代、
顔の見える範囲で言葉をかわすことは、今とは比べ物にならないほど大きな役割を果たしていた。
その言葉をうまく使って人々を説得し、自分が望むように人々を動かす力である弁論術が、
劇中のソクラテスたちの会話の素材として取り上げられる。
弁論術は説得によって何を目的として求めるのか。
その目的を選ばせる価値観はどのようなものか。
その価値観をいだくような人の生き方はどのようなものか。
弁論術から始まり政治や人の生き方にまで話が及ぶ本書は、プラトンの中編著作の中では手頃なものだと思う。
(ただし、劇中のソクラテスの議論や主張には同意しにくい方に入ると思うが)
訳文は、対話相手だけでなくソクラテスもどこか感情的になっている節を感じ、
先行する岩波や中公の翻訳に比べて、対話が少しいきいきとしているような印象を受けた。
2022/07/02 19:55
投稿元:
説得を真髄とする古代ギリシャの技術である弁論術について、それを実践し広めるゴルギアス一派とソクラテスによる論駁の一冊。
ある分野において専門家よりも大衆を信用させることのできる弁論術が何事にも優って善であるとされる点から、彼らの熾烈な討論が始まります。
相手を信じ込ませるその技術に対して、それが持つ善の力を信じているゴルギアス一派と使用する人間によって異なると疑っているソクラテスは最初から対立しています。
今まさに目の前で言い合っているような彼らの息遣いが感じられる訳と筆致によって、夢中になって読み進めることができました。
弁論術の心得があると私生活でも仕事でも間違いなく役に立ちますが、他者への扇動や洗脳に悪用できることも理解しました。
使い方を誤ると戦争も起こすことができる凄まじい力を持つ技術、ペンは剣よりも強しです。
2022/11/27 06:34
投稿元:
私はこの本をあまり冷静に読めないんです。自分のまわりにいるカリクレスみたいな奴を思い出して、頭カッカしながら読んじゃうもので。冷静に考えると、読者をそういうふうに思わせるくらい、キャラクターを見事に表現できているんでしょうね。プラトンはすごい。しかも、この本を研究して深堀していくと、いろんな解釈ができて、そこの奥行も計り知れなくて、単に人物を描いているだけというわけではない。この訳者が書いている『ソクラテスとフィロソフィア』でのゴルギアス論を読むと、その深さがわかります。というか、私はこの『ソクラテスとフィロソフィア』を読んで初めて、この本の深みがわかりました。【2022年10月14日読了】
2023/11/03 09:51
投稿元:
「プラトン怒りの対話篇」などと帯のあおりがついていたが、確かにきびしく論破していくという姿勢が目立つ対話篇。けど前に読んだプロタゴラスよりもはっきり潔く論破に振り切った今作のほうが、かえって読んでいて嫌味に感じなかった。
言論が非常に力を持った古代ギリシアで生まれた「弁論術」なるものはいったいなんなのか、そして人間の生において善と悪とはなんなのかを巡ってゴルギアスやその弟子たちと対峙するソクラテス。三人目の政治家カリクレスは特にホップズの言うような「自然状態」が善で、力を持つものがすべてを支配し欲望のままに生きるのが当然だと開き直って論破されまいとするのだが、快楽と善との違いを指摘することから始まるソクラテスの丁寧な議論の前に敗北してしまう。
刑罰の意義や快楽に良い・悪いを認めるかという点など「プロタゴラス」と矛盾する点もあるけど、プラトンの考え方の発展を意味するのか、ソクラテスが相手に合わせて持ちネタを変えている設定なのかはよく分からない。
魂の善と悪についての議論を補強するためなのか、最後に死後の審判の神話が長々と語られているあたり、当時は欲望のままに生きる価値観のほうがよほど説得力があったのだろうか。まあ、ギリシア悲劇もそんな感じの話が多いしな…。いい年して哲学なんかやってるんじゃない、と途中でソクラテスが説教されていたりもするし、「善い生き方」は思春期で卒業するべき幻想だったということか。その幻想を全力で擁護する話なのだとすると、思ったより熱い話なのかもしれない。
2023/12/28 20:16
投稿元:
著者・プラトンの師匠である哲学者ソクラテスが活躍を綴った、対話型の哲学書です。タイトルになっているゴルギアスは人名で、当時著名だった弁論家です。著作も残っているほどで、弁論術の大家として広く知られ、弟子も多かったようです。また、余談ですが、100歳を超えて天寿を全うしたという説もあるそうです。BC400年前後の古代ギリシャ世界時代って、どんなふうだったのかあまり想像できないのですが、ソクラテスが刑死したのが70歳ですし、プラトンが病死したのが80歳です。なかなか豊かな時代だったのでしょうか?
さて、本書は弁論術を批判する本です。それも、ソクラテスが屁理屈に近いような論駁を激しく繰り返されながら、しつこくそれに相対していく姿が描かれています。その様は、本書の帯に「怒りの対話篇」とあるほどです。では、引用を中心にしながら内容にふれていきます。
ソクラテスは、弁論家とは何か、との議論で「知らない者が、知っている者より、知らないひとたちのまえで、大きな説得力を持つ(p62)」とまとめています。対して弁論家ゴルギアスは言います、「ほかの技術などなにも学ばずとも、ただこの技術だけを学んでおけば、専門家にまったくひけをとらない(p62)」
この箇所はわかりやすいですが、もっと微妙なところを細心の注意で仕分けするように分析する議論が前後にあります。二千年以上前に考えられ書き残された考察が、まだまだ現代の問題を取り扱っていると、ここの箇所だけでも思いませんか。このあとさらに思考の範囲を広げながら、弁論術とはどういうものかをあぶり出していきます。
弁論術は、他人を支配するもの、言いくるめるもの、聴く者におもねり道筋をつけ誘導していくもの、とされます。ソクラテスが好むのはそういった「弁論術」ではなく、「議論」のほう。「お互いに学んだり教えたりしながら、うまく議論を終わらせるのは、容易にできることではありません(p56)」「このひとは議論に勝ちたいだけで、議論で問題になっていることを探求する気などないのだと思ってしまうのです。(p56)」としながら、そういった議論というものの理想形を目指しているふうなのが読み取れます。
最終の第三幕。ソクラテスがカリクレスにさんざん言われているシーンがあります(第三幕「カリクレス編」は序盤から丁々発止な応酬で、読んでると「うひひひ」というような笑みがこぼれてくるほど刺さってきてすごいです)。哲学なんて若者のすることでいい歳してまだ哲学しているなんて大人を見たら、あまりに大人げなくて殴りつけたくなる、と。
哲学にいい歳してまでふけっていると、自分で自分のことも守れない人間になっているし、社交場でのふるまいも知らなくて恥ずかしい。財産や名声を持つように励め、実生活を生きる技能を磨け、たくさんのよきものを持つものを見習うのだ、と、カリクレスはソクラテスに迫っていました。
カリクレスは、強い者が奪って何が悪いのだ、という考え方。また、不正をするほうよりも不正をされるほうが悪い、とする立場。この本の舞台、古代ギリシャでは不正はされるほうが悪い、というのが一般的ぽいし、今日でも、盗まれるのは本人が悪い、と特に外国ではそうなるなんて言いますね。日本でもそういう傾向はあるのではないでしょうか。
ソクラテスはカリクレスに、きみには知識、好意、率直さがある、と返します。たいていの人は、そうやって真実を話してなんかくれない、ぼくのことを心配してくれないからだ、と。つまり、ここではとてもシンプルに、「心配」は、「知識と好意と率直さ」由来の行いだと考えられるようにでてくる。
ちょっと横道にそれてしまいますが、「心配」ってなんだろうか、と考えていると、ソクラテスの返答って的を射ているなあと思いました。心配していることが興味や好奇心に見えるときは、その心配はおそらくこじれているし、憐みにまで感じられるときは、もっとこじれた心配なのではないでしょうか。興味や好奇心、憐みの情で見られたいとはなかなか思いませんからね。たぶん心配って、好意の段階でストップするべきなんです。
閑話休題。
引用していきます。
__________
カリクレス:(前略)ソクラテスさん。あなたは真実を追求するという。ですがね、これが真実なのですよ。つまり、贅沢をして、放埓に(欲望のままに)ふるまい、そして何ものにも束縛されないこと。[それを実現するための]しっかりとした後ろ盾を持つなら、それこそが徳であり、しあわせなのです。それ以外のあの飾りもの、つまり人間たちが自然に反して取りきめたことなんて、無意味で、なんの価値もないのです。(p188)
ソクラテス:(前略)さて、そんな愚か者たちにあっては、欲望で満ちた魂の部分は、放埓でしまりがない。それを見てとった彼(機知にとんだとあるイタリア人)は、その部分を穴のあいた大甕になぞらえた。いついなっても満たされることがないからね。(中略)そのような<秘儀を受けぬ者(=愚か者)>たちが、最もあわれなのだとね。だって、彼らは、穴のあいた大甕に、せっせと水を運び続けているのだから。しかも、同じように穴だらけの容器、すなわち、ざるを使ってね。(p190-191)
__________
→ソクラテスは、人間は節度を持ち、自分で自分に打ち勝って、自分のなかの快楽や欲望を支配することが大切だと説きます。それに対してカリクレスが上記引用のように、欲望のまま、思うままにふるまい、生きることこそがしあわせなのだ、とその考え方をストレートに表現したのですが、これは現代の経済偏重な考え方に鋭く通じていると思います(「神の見えざる手」を仮定して、人は自由にふるまえ、欲望のままに行動するんだ、と現代資本主義社会は経済学によってそう肯定されました。これによって、カリクレスのような考え方が再浮上した、みたいな現代だったりするかもしれません)。そしてソクラテスは、そんな考え方は、穴のあいた大甕と同じで、いくら注ぎ続けても満たされることはないのだと、たとえ話で論駁しています。
次にいきます。
__________
どうしようもなくろくでなしの人間は、権力者たちのなかから生まれてくるものなのだよ。もちろん、そのような権力者たちのなかに、すぐれた人物があらわれたとしても、なんらおかしくはないし、もしあらわれたら賞賛に値する。だって、とても難しいこと��はないか、カリクレスくん。だから賞賛に値するのだよ。なにしろ、不正をおこなえるだけの強大な力を持ちながら、生涯を通じて正しく生きるというのだから。(p316)
__________
→政治家は、その政治家的生において、だれかかから不正をされることや、自分が不正をしたときに罰せられてしまうことを最大の悪と考え、弁論術の力で、そうした悪から逃れようとするのです。自分の身を守ることが第一とするのが政治家的生なのでした(p390-391「解説」より抽出)。だから、上記の引用のように、政治家的生≒権力者からどうしようもないろくでなしの人間が生まれてくる、と言っているのです。
__________
それでは、政治家は何をなすべきなのでしょうか。ソクラテスの考えでは、政治家の使命とは、国と市民たちの世話をして、できるだけよいものにすることです。ですが、政治家はこの理念を実現できているのでしょうか。(p392-393「解説」より)
__________
→政治家が、自信の欲望を満たし、国を肥え太らせる、そのように奉仕するような政治家をソクラテスは非難します。また、見るべきところとしては、「国と市民たちの世話をして」だけではなく、そのあとに続く「できるだけよいものにする」が大切なのでした。前者だけならば、それも追従的な奉仕です。後者の、国も市民もよいものにしていく、というところが、それが良い政治なのかそうじゃないのかを見極めるポイントになります。
最後は、気になった部分をいくつか箇条書き的に記します。
p255前後。
「不正をする側が悪いのか、不正をされる側が悪いのか」と「哲学にいい歳してまでふけっていると、自分で自分のことも守れない人になっている」の別々の話題がひとつになる。自分で自分を守れないっていうのは、不正をされてしまうということにあたるのだ、となります。そして「自分のことも守れない」のところでは不正をされる側のほうが悪いのだという論調になっている。これは、僕のような人からすると、あまりにあんまりだなあという感想を持つ箇所です。
ソクラテスの言う「本当に悪いこと」は、不正をして、さらに罰せられないほうでした。つまりは、差別をしたり馬鹿にしたり殴りつけたりするほうがまず不正にあたるのだし、それが罰せられないでいる人こそがもっとも悪い。悪い、というのはもっとも不幸せな状態である、という意味でした。
あと、意外だったのが、ソクラテスは、音楽や創作を程度の低いものとみなしている感じですね。これは古代ギリシャ時代の価値観として強かったのかなあとも思いました。音楽なんかは「快」に関わるものだから価値が低いとされてしまいます(そう考えると、現代でもそういうところはありますね)。彼は節度の人ですから。自分自身の秩序が保たれていると節度が生まれ、節度があると他人にも適切にふるまうことができ、それゆえに、正しく、敬虔で、勇気があることになる、とソクラテスは考えます。そして、そういった人は、あらゆることをよくなすことができるので、しあわせな人間だとなるのでした。
というところです。
二千年以上前の古代アテネの状況を踏まえたプラトンが、本書『ゴルギアス』という布石を打ってくれたわけで、現在でもこういった弁論の問題ってあるなかで、二千年以上前のアテネの状況との違いはその布石があるかないかだと思うんです。だったら、大いに『ゴルギアス』は活かされるとよい本ではないでしょうか。
光文社古典新訳文庫版は文章が読みやすいし、注釈をその都度参照できて、わざわざ巻末まで辿らないといけないタイプではなく、親切なつくりなので、気軽な感覚で古典に親しみやすいです。おすすめです。
2024/06/16 17:53
投稿元:
名著。
古典で哲学書というと,複雑で難解なイメージばかりが先行しがちだが,プラトンの対話篇は物語のように読めるので非常に読みやすいのだなということを知れた。
また本書は新訳ということで,21世紀の現代に生きる私たち読者のために,なるべく平易で分かりやすい文章になるよう努められていることが感じられた。
脚注や解説などで,この書を書くに至った背景や当時の歴史的な事情などに対する理解を補助してくれているので,内容を掴み取るのに苦労することは殆ど無かったと言って良いと思う。
もちろん,一般教養としてある程度の世界史(古代ギリシア史)に対する理解や,哲学に対する予備知識はあった方が,理解が容易くなるのだろうとは思うが。
(※私自身,大学で哲学について学んでいたことと,最近世界史の勉強をやりなおしたりしていたので,この点はある程度楽にクリアできたのだと思う。)
さて,本作『ゴルギアス』は,弁論術(修辞学)に対する批判を主として展開したものと解されることが多いらしいが,訳者の中澤氏が解説で指摘している通りに,実のところ本質的な主題はまた別にあるのではないかと思う。
それは最も紙幅を割いている第三幕「カリクレス」において明らかだが,中澤氏が指摘するところの「政治的な生 対 哲学的な生」,もっと分かりやすく言えば,現実主義 対 理想主義であり,より言葉の正確性を期すならば,現実 対 真理,事実 対 真実という構図なのではないだろうか。
この世界の"現実""事実"として現れていることは,誤解を恐れずに言ってしまえば,いいかげんであり,時代や場所など前提となる条件が形成している価値観によって,いかようにでもその意義(意味や価値)は揺らいだものになってしまう。
しかし真実,真理というものは,時代や場所などの条件によって,意味が変化したり価値が損なわれたりすることがない,絶対的,永遠不変的なものだ。
そして政治とは,現実の諸問題について対処する現象や行為のことであり,一方,哲学は,万物の究極的な根本原理(=真実,真理)を追求する営みのことだ。
作中でソクラテスはこのこと(現実の相対性と真理の絶対性)を,自分が恋をしているふたりという喩えを用いて,こう述べている。
「クレイニアスの息子(のアルキビアデス)のほうは、その時々で言うことがころころ変わるのだが、哲学のほうは、つねに同じことを言うのだよ。」
さて,本作は解説でも述べられている通りに,単に古代ギリシアの歴史的な背景における,当時の社会的・政治的な問題を取り上げて批判したり,抽象的に事実と真理を対立させているだけにはとどまっていない。
何故ならば,作中でポロスやカリクレスが示すような信念・価値観は,21世紀の現代を生きる我々にとっては,まるで「当然」とでも言わんばかりに,通底してしまっているものだからだ。
たとえばだが,仮に,不正をする側とされる側のどちらか一方にしかなれないとして,どちら側になりたいかと問われたとするならば,現代を生きる我々の大多数は,不正をする側を選ぶのでは��いだろうか。
さらに言うならば,カリクレスが主張するように,その不正を様々な権力(腕力・賢さ・金銭力など)を用いることによって,罪に問われることがない,あるいは罰を受けることがないと規定されていたとするならば,より一層,天秤の傾きは不正をする側へと傾くのではないだろうか。
だが我々のこのような浅ましい思惑を,ソクラテス(と著者プラトン)は,清々しいほどの一刀両断の内に断ち切ってみせるのである。
それは本書の内容の大部分に該当するため,分量の関係上,ここでは詳しく述べることは不可能なのだが,簡易にまとめてしまえば,「正しい」とか「誤り」という信念や価値観は可変的なもので,揺らぎを含んでいるが,「善」とか「悪」という真理の方は,永遠不変のものであるということに尽きるのではないかと思う。
そしてこのような,カリクレスらも含めた我々が「正しい」と,「"絶対"だと思い込んでいた」物事が,実は「絶対では無かったのだ」ということに気づかされる,ソクラテスの対話・問答を通した論駁こそが,無知の知(不知の自覚)への喚起であるのだと,思い知らされるのである。
現代に通ずる問題は,不正をめぐる件だけにはとどまらない。
作中でカリクレスが露わにする,弱肉強食の自然原理,際限無く肥大化し続ける欲望を叶えることを信奉する快楽主義は,資本主義を掲げて自由経済による競争社会をひた走ってきた,現代の我々の魂を奥深くまで蝕み,巣食ってしまった巨大な病魔と全く同じだからだ。
そしてこのことは,インターネットで繋がる新たな形式の社会においても,なお一層苛烈さを極めて進行していっているように思われる。
たとえば,SNSにおける人々の承認欲求の発露などは,非常に分かりやすくこのことを示しているのではないだろうか。
ソクラテスは果てのない欲望について,作中で穴の空いた大甕に液体を充たそうとするくらいに,困難をともなう(無意味な)行ないだという喩えを用いて批判している。
(心を満たそうとするだけの欲望や喜びが)たくさん流れ込むとするならば,同じだけたくさん流れ出ていく(一旦は満たされたはずのところから失われるので,失うことによる苦しみが押し寄せてくる)はずだと。
以上のようなことからソクラテスは,人がしあわせに生きるためには,永久に満ちることがない欲望を充足させようとし続ける,快楽主義の生き方ではなく,節度をもった生き方,つまり「徳」を習得し,実践していくことを目指した生き方をしなければならないと提言している。
徳をもつことができれば,必然的に正しく善い振る舞いができるし,節度をもって自らの欲望を抑えることで,人に対しても適切な関係を築くことができるので,その間には友愛が生まれると。
反対に,承認欲求などの欲望を満たそうとする快楽主義な生き方は,他者を自分の欲望を充足させるための道具としてしか見ていないので,その間には競争と対立による支配関係しか生まれないのである。
さて,とは言うものの,徳をもつための根拠となる思想については,現代の日本で生きる私としても,なかなか馴染めないというか,100%理解しきれるかと��うと,難しいところはあるのが実情だ。
何故かというと,その根拠が神による魂の救済と粛清にあるため,宗教から縁遠くなってしまっている身としては,実感を得にくいからであろう。
だが,一方でこう考えることはできると思う。
科学技術がどれだけ発達しても,宇宙について理解できていることは,ほんの僅かにしかすぎないように,究極的に言ってしまえば,我々は何故宇宙や地球が存在し,何故生命としてのヒトが生まれて,今なお現存しているのかを,100%完璧には知ることも理解することもできない。
そうであるならば,逆説的に言って,(言葉としては悪魔の証明になってしまうのだが,笑)当然,「神が存在"しない"」とも言い切れない。
そしてそのことこそが,やはり無知の知(不知の自覚)を促し,真理へとつながっていくのである,と。
だからこそ,「神の存在を信じ切ることはできないが,信じていた方が"よりよい"」なと感じるし,私は徳を目指して,よりよく生きていきたいのだ。
おそらくだが私は,(ただのビビりの勇気無し,根性無しということもあるだろうが,それ以上に人の"善性"を信じたいという意志が強いからこそ),たとえ仮に「絶対に誰にも見つからないし,もちろん罪に問われることも,罰せられることも起こり得ない」という特殊状況下に置かれたとしても,悪いことをするのは,躊躇ってしまうのではないかなと思う。
そしてそのような人間だからこそ,ありとあらゆる欲望が渦巻き,露悪さが支配権を握っている世界の現実(事実)には,心が傷付き,絶望に伏して倒れそうになることが多いけれども,常に理想(真実,真理)を目指して歩んでいく,ソクラテスやプラトンのような人々の姿に励まされて,何度でも立ち上がって,前を見据えて向かっていくことができる,勇気や希望をもらいながら,生きているのだと思う。
2024/07/30 21:17
投稿元:
プラトン著『ゴルギアス』。舞台は古代ギリシャ。哲人ソクラテスと雄弁家たちとの対話。賢人の論理が、弁士たちの誤った説得至上主義を打ち砕く。
ソクラテスによれば、最高の人生とは、純粋さと誠実さを備えた人生だ。雄弁な人間は一見偉そうに見えるが、実際のところその言説は悪人を改心させたりすることはない。説教とは人々の社会に変革をもたらし、民衆の命を救って初めて私たちに大きく資するものだ。
すべての人間は死ぬ運命にある。彼自身自らの人生を以て、理想の人生とは何かを示した。21世紀に生きる私たちは一度きりの人生をどのように生きていくのか。彼は、読者の心にそう問いかけている。
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