紙の本
『小公子』を日本で最初に紹介した女性の生涯
2022/09/21 07:01
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私の本棚で一番古い本は
昭和39年(1964年)9月に刊行された
『少年少女世界の名作文学/第14巻/アメリカ編5』です。
出版元は小学館で、当時の値段で480円。
これは全50巻もので、この巻が最初の配本だったように思います。
この巻に収録されているのが
バーネット作の『小公子』『小公女』『秘密の花園』、
そしてホーソンの『ワンダーブック』。
訳者はそれぞれ違いますが、
責任編集として村岡花子さん(NHK朝ドラ「花子とアン」のモデル)が
「解説」を書いています。
その中の『小公子』の「解説」にこうあります。
日本でも明治の半ばごろには、若松賤子(しずこ)女史によって訳されています。
女史の訳筆には一種独特の口調があって、
それがまた当時の人びとには魅力があったのでしょう。
前段が長くなりました。
梶よう子さんの『空を駆ける』は、
日本で初めて『小公子』を紹介した若松賤子さんの生涯を描いた歴史小説です。
若松賤子は筆名で、本名は巌本カシ。
1964年生まれの会津藩の出身。幕末の頃の会津の娘ですから、波乱の幼少期を過ごします。
幼い彼女が身を寄せたのが、のちにフェリス女学院となる横浜の寄宿学校。
そこで彼女は明治期の女性としては珍しいアメリカの教育を学びます。
そして、女性の地位を高める意識に目覚め、
夫となる巌本善治とともに女子教育の道を進んでいきます。
その一方で、翻訳や創作活動にも勤しむようになります。
アメリカの作家バーネットの『小公子』はそうして彼女によって翻訳されます。
彼女が亡くなったのは、明治29年(1896年)2月。まだ31歳の若さでした。
梶よう子さんの作品を読んだのは、これが初めてですが、
主人公の女性のために生きる姿や創作者としての苦悩など決して難解にならず、
読み応えある長編小説に仕上がっていました。
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また一人、
偉大で素敵な方の一生を経験できたようでした。若松賤子さん、
なんて強い意志、志しを持ち、それを貫いた女性なんだろう。こんな風に生きれたら・・・そう思わせてくれる、本当に手本となるような方ですね。
この小説に出会ったおかげで、若松賤子=松川カシという女性が、日本が明治に変わった激動の時代に居たということを知ることができました。
そして改めて、女性の在り方について考えさせられました。
この時代とまではいきませんが、令和となった現代でも、女性の地位は低いです。こんなに頑張られた方がいらっしゃったのに、まだまだだな・・・と愕然とした気持ちにもなり、どうしたらもっと女性が社会において男性と同じように活躍できる日本になるのだろう、なんてマジマジと思い巡らされました。
様々な立場で、理解しあえる世の中になればいいなと思わされる作品でした。
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素晴らしい本に出会えた。流石梶文学だ。江戸末期から明治の波乱に満ちた時代を生き抜いた女性作家の生涯は感動感動の連続だった。当時は結核は不治の病いだ。業病に罹りながら健気に生き抜いた女性作家の生涯はもう一度言うが感動感動だった。
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道なき道を拓いていった凛とした女性の一代記。読後に爽やかさ、同じ女性としての共感と励ましを感じる良書。出合えてよかった。
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フェリス・セミナリー(現・フェリス女学院)初代卒業生にして、バーネット『小公子』の翻訳者、そして教育者である若松賤子の生涯を描いた作品。
恥ずかしながら若松賤子という方をこの作品で初めて知った。
物語の終盤、『小公子』の前編が出版された直後のカシ(賤子の本名)が夫である巌本善治に『怖くなった』と不安を漏らすシーンがある。
『雑誌に載った作品が評価を得たことはある。けれど、若松しづという著者名は、「女学雑誌」の読者にならば知られていても、世間ではほとんど無名だ』
『わたしがどんなに翻訳に苦心したか。読みやすくする努力をしたか。外国の風俗、社会の雰囲気を損なわず日本人にもわかりやすいような言葉選びをしたか。幾度推敲を重ねたか』
この辺りの心情は、作家である梶さん自身の思いも込められているのかも知れない。
確かに私は若松しづという名前も知らなかったが『小公子』の物語は知っている。彼女の成し遂げたことは現代にも確かに残っている。
若松賤子、本名・巌本カシ(名前の由来は生まれ年の甲子から)は会津出身。他の会津出身者同様、辛い幼少期を送ってきた。幼い頃に母が亡くなり養子に出された。そこでは裕福な生活を送れたようだが家族関係はギスギスしていて、養父の商売が傾いたことで再び実父により別の養子先へ。それがフェリス・セミナリーを創設したメアリー・エディー・ギターだった。
この時代に外国人に自分の子を預けるとはどのような覚悟だったのだろうと思う。
だがそのことがカシの人生を切り開いた。
英語を始め数々の学問を受けることが出来た。そして何よりもギター夫妻の対等な夫婦関係を見つめることで、その後の彼女の価値観や考え方が定まったようだ。
途中、平塚らいてうや伊藤野枝のような活動家になるのかと思ったほど女性の地位向上や教育などに熱心になるが、彼女が目を付けたのは外国文学だった。それも未来を背負う子供達に向けた物語を分かりやすく紹介すること。
カシの物語を読んでいると、傍から見れば成功者で信じた道を突き進むパワフルウーマン。
だが幼い頃に養子先を転々とし、実父から見捨てられたと感じたカシにはフェリス・セミナリーだけが自分の『ホーム』だった。
なのに自分の母鳥、父鳥と呼んだキダー夫妻もフェリス・セミナリーから旅立っていく。どれほど辛かっただろうと想像する。
そして理想の伴侶に出会えたと結婚した巌本善治もまたカシの思いとは裏腹に家には居つかず、自分の信じる活動へと突き進んでいく。
表面の輝かしい実績の裏で、カシには葛藤や劣等感、淋しさを抱えていた。
個人的には名前が出る主人公よりもその影でバックアップしている妹・みやや、『小公子』推敲を手伝う桜井彦一郎(鴎村:後に津田梅子の学校創設に協力)の方を注目してしまう。カシの仕事や功績は彼らのような縁の下の力持ちあってこそだったのだとも思う。
梶さんらしくとても読みやすく主人公の思いにも入っていけた。この時代の女性らしく自分が信じた道を悩み時に転びながらも突き進む姿が清々しい。
欲を言えば、カシたちがどのように英語の習得をしたのかを知りたかった。今のように英語学習アプリがあるわけでもないし、繰り返し英語を聞けるテープやCDなど無い。ましてカシは給費生として学費が払えない代わりに教師の手伝いや雑用などもこなさなければならない。どのように時間を捻出し優秀な成績を修めることが出来たのか。
読後津田梅子氏を調べていて知ったが、作中カシが婚約破棄した世良田亮は津田梅子にも縁談話を断られている。後に別の女性と結婚しているが、二度も断られるとは同情する。フォローするが作中での人柄は穏やかで誠実だ。
ちなみにヴァイオリニストの巌本真理氏は善治・カシ夫妻の孫にあたるらしい。
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会津の雛鳥だった大川カシが、横浜のフェリスで育ち翼を得て若松しずとして飛びたったお話し。
NHKの朝ドラ「花子とアン」の村岡花子や
「らんたん」の河井道を思い出しました。
-------おかし様と書かれたその筆に懐かしさと嬉しさを覚えた。-----
この気持ちを味わいたいなぁ~。
地続きの東京・令和で明治の未来を想ってくれた人々に感謝します。
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「小公子」を初めて翻訳した若松賤子の生涯、ということでしたが、何よりこの時代に女性の地位についてこのように考えていた方がいたということに驚きと感動を覚えました。
生きていらしたら、その後の戦争の時代、そして「良妻賢母」たれと説く教育や政治に対して、どう思われたでしょう。
自分を振り返ると、結婚するまでは保守的な考えだったので、もっと早い時期にこの本に出会っておきたかったような、それでも遅すぎることはない、と背中を押されたような気持ちです。
途中からカシ(賤子)と自分が重なり、「小公子」が出版された後の書評は、自分のことのように嬉しく、最後は自然に涙が。
結婚相手に渡した
「わたしは、束縛されないし、誰の所有物でもない。わたしはわたしであり続ける。もしも人としてあなたの成長が止まったなら、愛情が冷めることは望まないけれど、あなたの元から飛び立っていく翼はある」
という内容の英文の詩。
「未だ、文学の世界では大人と子どもの境がなかった。むしろ大人向けの物語で畢竟、子が進んで書物に目を通すこともない。」
時代に、子どもにわかりやすい言葉で、母親が子どもに語れるように、という気持ちで「翻案」された文章を、可能ならぜひ読んでみたいと思います。
そして、決して治らない病をかかえながらの日々。
「死は悲しみではない。生がなければ、死も訪れない。むしろ、死はこの世にわたしが生きていた証。神によって与えられた生をまっとうした証。」
「神はどこまで、ひとりひとりの人間の生を見つめ、導いているのだろう。ただ一本の道を進むのであればこれほど楽なことはないが、いくつもの選択肢が用意されている。
それは、人間を生かすものばかりとは限らない。苦悩や苦難に見舞われ、絶望の淵に沈むこともある。」
私はキリスト教信者ではありませんが、これからの生き方を改めて考えたいと思います。
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会津藩士の娘として生まれ,戦禍を逃れ商家の養女となり女学校の寄宿生となって,その後大きく羽ばたいた若松賤子こと松川甲子の一生.フェリス女学院の設立の事情背景や生き生きとした学生生活など読んでいて楽しく,女性の自由や権利に目覚めるところもわくわくした.が,巌本善治との結婚は果たして幸せだったのだろうかと(小説の中では納得し幸せなようにも感じるが),巌本氏のせいで命を縮めたのではないかと思ってしまった.
32歳という若さで幼い子どもたちを残して死ぬことの悲しみ,そしてその若さでたくさんのことを成し遂げた気概に感動した.
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会津の子としての誇りを忘れずにと父の教えを胸に商家の番頭の養女に出され、横浜の女学校に学び…カシという一人の女性が力強い生き方が とても丁寧に描かれていると思う。『花嫁のベール』の詩がとても良かった。この作者の作品は初めてだったけれど、とても読みやすい。そして装画がとても素敵。
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会津に生まれた大川カシ(若松賤子)の一代記。
幼くして会津で母を失い、祖母とも別れ、父に連れられて横浜の大川商店へ養女に出される。店の経営が傾き、フェリスセミナリー(のちのフェリス女学院)へ給費生として入学したカシは、そこをホームと決め、英語を学びキリスト教に帰依する。
職業婦人という概念のなかった時代に明治女学校の教育者として、また「女学雑誌」の編集者でもあった巌本善治と結婚。「女性と男性は対等であり、共に尊敬し、お互い成長できる」という考えを持った男性は稀であっただろう。巌本との間には、病弱でありながらも3人の子供をもうける。。カシは、若松賤子という名で、作家として、バーネット「小公子」などの翻訳家として活躍するが・・・。
カシの人生は平坦ではなかった。
巌本は容姿がよく女性に人気があった。カシも自分以外の女性関係があったことを認めているので、その辺りのカシの苦悩も盛り込めばよかったのに。カシが自分の境遇を受け入れるだけのような描写が、あまりに切なかった。
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海外文学『小公子』を日本で初めて翻訳した、明治時代の文学者・若松賤子(筆名、本名は島田カシ)の半生記。両親の実家が会津若松にあり、戊辰戦争の影響で横浜の商家に養女に出される。幼少期は波乱に富んだ時期を過ごすが、12歳のとき横浜山手にある「フェリス・セミナリー」に入学して、文学者としての第一歩を踏み出す。明治時代初期の女性たちが、いかに苦労して職を得られるようになったかが、カシの成長とともに描かれた壮大な物語だった。