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[ 内容 ]
世界には「歴史のある文明」と「歴史のない文明」がある。
日本文明は「反中国」をアイデンティティとして生まれた。
世界は一定の方向に発展しているのではない。
筋道のない世界に筋道のある物語を与えるのが歴史だ。
「国家」「国民」「国語」といった概念は、わずかこの一、二世紀の間に生まれたものにすぎない…などなど、一見突飛なようでいて、実は本質を鋭くついた歴史の見方・捉え方。
目からウロコの落ちるような、雄大かつ刺激的な論考である。
[ 目次 ]
第1部 歴史のある文明、歴史のない文明(歴史の定義 歴史のない文明の例 中国文明とはなにか 地中海文明とはなにか 日本文明の成立事情)
第2部 日本史はどう作られたか(神話をどう扱うべきか 「魏志倭人伝」の古代と現代 隣国と歴史を共有するむずかしさ)
第3部 現代史のとらえかた(時代区分は二つ 古代史のなかの区切り 国民国家とはなにか)
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[ おすすめ度 ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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「歴史」というものについて考えさせらる一冊。
牽強付会的な部分も感じられるが、新しい歴史認識を与えてくれる。
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納得します。全てを突き放した感じで論が進められているのに すがすがしさと気持ちよさを感じた。歴史というものを第三者的に見るなら やっぱりこうあってほしいな なんて。私はまるめこまれているだけなのかもしれないがww 一読に値します、お勧めします。同情じゃない意味でアジア(日本含む)が哀れで仕方なくて、涙出そうでした。
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結局、学問とは原理を指し示し、そこへ導く営みであることがよくわかった。つまり学問の最終形態は数学と宗教に辿り着く。ザ・原理。岡田英弘の主張には鉈(なた)のような力が働いている。まさしく一刀両断という言葉が相応(ふさわ)しい。
http://sessendo.blogspot.com/2011/10/blog-post.html
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facebookでの知り合いの方からの推薦で読んでみた本です。
はるか昔に読んだE.H.カーを思い出すタイトルですね。とても抽象的なだけに、かえってどんな内容だろうかと興味がわきます。著者の岡田英弘氏は、東京外国語大学名誉教授、中国・日本古代史の専門家です。
本書での著者の主張はかなり刺激的です。マルクスの唯物史観からの発展論的思考の否定は他にもみられる論ですが、それ以外にも日本の天皇制の起源・歴史の時代区分・「国民」「民族」の発生過程等々、種々のテーマに関する興味深い論考が目白押しです。
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歴史を読む・書く姿勢について、言及した本。
最近、歴史解釈が政治問題に発展するニュースを見るにつけ、非常に不快な思いをすることがある。
歴史が、イデオロギーや政治的解決、合理的とらえかたなど、歴史に対する冒涜があたりまえのように行われているからだ。
この本では、歴史に対峙するときの心得を、様々な歴史記述例を基に、説明している。
日本の歴史書(古事記・日本書紀)にも非常に辛辣なのは、残念。
もっと勉強しろってことだな、たぶん。
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歴史を叙述すること、歴史家が他人の経験にどれぐらい自分を投入できるか・・・
簡単なようでとても難しいことを考えさせられた。
歴史は普遍的な一個人の紡ぐ言葉である。
書いているものから、人格まで透けて見えてしまいそうで、私などは不安になる。
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それぞれの文明での「歴史」の捉え方が紹介されており、
興味深く読みました。
「歴史」は科学ではなく、文化であり、
記述者の目を通して書かれたものであるので、
その人の持つ背景を全く拭い去ることは難しいです。
そのような「歴史」を受け取っていることを認識しました。
「国民国家」や「民族」という概念は、近代成り立ったものなので、
受け取る側も、そういった枠組みのなかで過去を捉えようとすると、
見えなくなるものがある気がします。
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内容が細かくなって行くと難しくて理解できなかった。しかし、歴史に関する私達の概念や思い込みの間違いを指摘し新しい歴史観を提示してくれ、総じて納得がいった。国民国家を論じるところは結構おもしろかった。
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世界には「歴史のある文明」と「歴史のない文明」がある。日本文明は「反中国」をアイデンティティとして生まれた。
「歴史とは、人間の住む政界、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解約し、理解し、説明し、叙述する営みのことである。インド文明は「歴史のない文明」。輪廻・転生という思想だから。イスラム文明も、基本的に「歴史のない文明」。神の意志が第一義。「歴史のない文明」アメリカは、現在と未来にしか関心がない。
「日本文明」の成立事情。国民国家とはなにか。
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アメリカには歴史がない。子供は親の遺産を使わず頑張る。
君主制は"人格"の踏襲。
中国は日本型の国民国家を目指し、それが少数民族の弾圧に繋がり、漢族だけにしようとしている。
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次のような史観が新鮮かつ納得。一度読むべき良書。
中国で作られた歴史・地中海で作られた歴史の2つがあるという。(それ以外に近代まで歴史はなかった)しかも違う性質の歴史。
そして、国民国家の時代に「誰が所有するか」をめぐって大量の概念が作られた。国の歴史もその1つ。新しく作られたものでしかない。
だから歴史は各国の都合に応じたものになっている。新に普遍的な歴史は批判を受けるはずのもの。そして、そんな普遍性を作れる歴史家は個性を追求した人になるはず。
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東アジア史の泰斗による「誤った歴史の捉え方」を切る一冊。
その根底には、多くの歴史学者すら陥っている様々な誤りに対する、著者のやるかたない憤懣があるようだ。
例えば、中国文明の歴史は「現王朝の正統性」を証立てるために書かれたものであるという大前提を見落としているがゆえに、説明不能の事態をこじつけで解釈するような羽目になっている。
その対抗文明である日本文明も、歴史書は天皇家の「正統性」を証立てるために書かれたものだった。古事記もそのように多分に政治色の強い「神話」だった。これを見落として歴史の事実と捉えてしまう愚を指摘する。
あるいは唯物史観にどっぷり浸ってしまったものの見方だったり、「国民国家」の概念は19世紀以降に出てきたものなのにその「国民」「国家」という枠組みをそれよりも過去にも当てはめてしまっていたり、といった過ちを次々と(半ば怒気を含んで)指摘していく。
著者は徹頭徹尾、よい歴史とは個人の主観や価値判断を排して、あらゆる資料を一貫した論理で説明できることだと主張する。
その著者の観念にそぐわない歴史家や歴史解釈が世の中にどれだけ多く、それゆえに「よい歴史」を書くのがいかに難しいか、歴史研究はいかに慎重に行わなければならないか、私のような素人にも伝わってくる力作である。
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2015/04/17:読了
繰り返し、読むべき本。
図書館で借りた本だけど、買っておこうかな
歴史学の本ではなく、歴史とはなにかという本。
時間は、人間の認識によって成立するように、
歴史は、文字によって成立する。
歴史の記述フォーマットは、長らく、ヘロドトスと司馬遷だった。
よって、歴史は、地中海を中心とする歴史記述と、中国を中心とする歴史記述があり、それ以外の地域には記述された歴史はない。
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東アジアで誕生日の観念が発生したのは記録にある限りでは唐の玄宗皇帝が729年、自分誕生日祝って千秋節と呼んだのが初めて。748年には天長節とかいしょうした。それ以前には誕生日を意識することは全くなかったらしい。
ムハンマドは最初はカーバではなくエルサレムの神殿 い向かって礼拝していた
アメリカ本屋で、歴史コーナーにあるのは西洋やローマギリシャ。アジアやアフリカは地域研究コーナー。
アメリカに歴史はないので、交渉とかではアメリカは過去を済んだこととみなしがち。でも日本とかが過去の歴史でhsといってもらちがあかない。
劉備は蜀の皇帝と称したのではなき、漢の皇帝と称したが、漢は魏が継いだのでそこは無視された。