紙の本
ほんとヨーロッパの連中は・・・
2021/12/14 22:21
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公のロジャー・ケースメントは実在の人物だそうで、不勉強な私は初めて聞く名前だった。彼は最終的には英国政府により反逆者として絞首刑になってしまうのだが、減刑されることなく彼の死刑が実行されたのは日記の存在が大きかったようだ、その日記には彼が同性愛者であったことが赤裸々に綴られていた、でもリョサはその日記は決して真実ばかりでなく空想も含まれていたという立場をとっている(あの男の子とセックスできたらどんなにか幸せだったろうというような)、だから本当にセックスしたかどうかはわからないのだ。主人公は「帝国と植民地化はアフリカ人に近代化と進歩の道を拓く」という理念でコンゴに外交官として赴いたが、その実はアフリカ人を歯止めのない虐待と残虐行為を伴う強欲によって、搾取するためであることを確認する。アフリカで起こっていることは祖国アイルランドで行われていることだと感じ、祖国独立に向けて猛進することとなる、ほんと、イギリスって・・・
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コンゴとアマゾン先住民に対する植民地主義の罪を告発したアイルランド人にして大英帝国の外交官ロジャー・ケイスメント
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2010年のノーベル文学賞受賞作家の最新作。
とはいってもスペイン語版がでたのが2010年なので
もう11年も前です。
これまでのリョサの本とは異なり、いわゆる歴史小越です。
実在の人物アイルランド人のケイスメントの人生を振り返る話。ケイスメンとはコンゴでそしてペルーで原住民の人権が蹂躙されているのを見聞きし、その問題の解決に取り組む。
その過程でアイルランドの問題も未開の部族の問題から敷衍すれば理解できることに想到する。コスモポリタンであるケイスメントがナショナリストになっていくという皮肉。
そしてケイスメントは同性愛者である。
理想と現実の間に挟まれながら、ケイスメントは突き進む。真剣なのに滑稽、絶望的なのに理想主義者であり続ける常に前のめりの姿勢を崩さぬまま、ついに足元を救われて、泥沼に頭から突っ込んでいくようなケイスメントこのような人物こそ顕彰に足る人物だとリョサはいいたかったのではないだろうか?
多くの人に読んでもらいたい本。
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読み進めるのがしんどくなるくらいのヨーロッパ人によるアフリカと南米の原地の人びとに対する暴力と搾取があって、それに対する真っ当な怒り。その正義心は急進的なナショナリズムと結びついて、暴力的な革命によるアイルランド独立を目指すに至るのは順当なようでもあり皮肉なようでもあって、正しさ、てなんだろうなていう、毎度おなじみで答えの出ないもやもやと向き合わらせれる。
「白か黒かはっきりしたことなんて何もないのよ、ロジャー。
とんなに正しいことでさえもね。この話だって目に見えるのは曖昧な灰色で、それがすべてを曇らせてしまうの」
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感銘を受けたが喪失感が半端ない。
原著から10年以上経って翻訳本を読んで、世の中にこんな人道家がいたのかと驚かされる。
コンゴとアマゾンの原住民が受けた虐待、不条理な搾取を告発し、世界に発信した功績、そのままであれぼノーベル平和賞の有力な候補者になっていたのではないかと惜しまれる。
祖国アイルランドの独立を支援、活動したいという熱誠、それにはあまりにも純粋、稚拙過ぎた様に感じる。
ノーベル賞作家の丹念な取材に基づく表現、ストーリー、幾分の創作した部分があるかもしれないが、読んで良かったと言える本となった。
多くの人に読んで欲しいと思える。
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想像をはるかに絶する
衝撃的な残虐な行為が
静かな筆致で描かれていく
なんども 本を閉じて
ふうっ の ため息が出てしまう
「闇の奥」を書いたコンラッドは
この本の主人公ロジャー・ケイスメントを
「イギリスの(正しくはアイルランド)バルトロメ・デ・ラス・カサス」
と呼んでいたそうだが
ケイスメント本人ではなく、彼を主軸に置いて著者バルガス・リョサの筆致を通すゆえに、より鮮明に、より印象深く、「帝国主義」「被植民地」のおぞましい実態が浮かび上がってくる
むろん、これはイギリス国を始めとする当時の植民地政策をとっていた全ての国の犯罪行為の暴露でもあるが、戦争行為を歴史の汚点として抱えた国全て、むろん、この日本の歴史的行為も含めて考えさせられる一冊である
優れたジャーナリストであり、英雄であり、同性愛者であり、国家によって抹殺された、一人の特筆すべき歴史的な意味を持つ、ロジャー・ケイスメントをここまで魅力のある人物として描き出したバルガス・リョサが凄い
また、日本語訳をしてくださった野谷文昭さんに感謝である。
とんでもないものを読んでしまった
と同時に
21世紀を生きる我々が
読んでおくべき一冊である と思う
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リョサは読んだ後の充実感、読後感とも満足できる作家だとわかってはいるのだが、すらすら読めるというほど簡単でもないし、文章の密度が高い上に大作が多くて、いつも読むのを躊躇してしまう。この本も本編が始まる前の地図と登場人物紹介の人数にまずビビる。でもやっぱり、読んだら素晴らしい。読んでいる間中濃密な読書、これぞ読書、という時間を過ごすことができた。
基本は死刑判決を受け、刑務所で執行を待つロジャー・ケイスメントの人生をたどる形式。
親英のアイルランド人の父を持ち、表向きは英国国教会の信徒であるロジャーが、コンゴ、アマゾンで原住民の虐殺・虐待を告発するレポートを書き、イギリスで爵位を受けるほど評価されるが、アイルランド独立闘争に身を投じ、失敗し処刑されるというのは史実である。
しかしその人物をどう描くかというのは、作家の腕。
そこが、まあまことに上手いというか、心に刺さるというか。
ロジャー・ケイスメントという人は早すぎた人権活動家で、今生きていればこんなにつらい思いはしなかっただろう。金銭欲、出世欲とは無縁であり、真面目で高潔な人物だが、当時は犯罪であった同性愛者であったことが彼の人生に影を落とす。
リョサの彼に対する深い理解と愛も感じられ、それでいて彼の子どものように信じやすく愚かな一面も巧みに描き出す。(美貌のノルウェー人にころっと騙されるところなんか、切なくなる。)
『楽園への道』のゴーギャンもそうだったが、ケイスメントも「天使と悪魔がその人格のうちで密接に絡み合い、混じり合っている」(p505)。それを描くのはやはりこれだけの力量を要するのだなと思わされる。
植民地支配の実態がいかにおぞましいものであったか、何度も戦慄した。人件費タダ(原住民を奴隷にするので)、収穫にも一切の報酬を払わない。だからこそ、支配した国は莫大な利益を得たのだと。100年以上経った今も発展途上国の人々が低賃金で働いていて、そのおかげで私たちはいろいろなものを安く手に入れることができる、そのベースはまさにここにあったのだ、と。
しかし、ここまでのことは家畜にだってしない。人間はここまで残酷になれるのか。やってもいいならやるのか。自分の利益や快楽になり、咎められなければ進んでやるのか。本当に恐ろしい。こういうことがあったことを忘れてはいけない、ってその後も何度もあったし現在もある。…
読んでいてヘルツォークの『フィッツカラルド』を思い出した。あれはまさに19世紀末のペルー、イキトスからアマゾン川を遡上する話だった。おまけに主人公はアイルランド人だった。あの頃そこまでの虐殺が行われていたとは。(訳者あとがきには『アギーレ』が紹介されていたが、私はこっちを思い出した。)
それからケン・ローチの『麦の穂を揺らす風』。あれは1920年の話で、ケイスメントが関わったイースター蜂起のたった4年後である。アイルランド独立運動どんなものであったかは、この映画のおかげでなんとなくイメージできた。
それから当然ラス・カサスの『インディアスの破壊についても簡潔な報告』も思い出したのだが、これもあとがきで触れられていた。コンラッドはケイ���メントのことを「イギリスのバルトロメ・デ・ラス・カサス」と呼んでいたという。
『闇の奥』は本文中に出てきた。(コンラッド自身も出てくる。)
こういう人物が何人もいたことが救いでもあり、何人も出るということは一向に人種差別がやまないということでもある。(この時代起こったことは差別なんて言葉が優しく感じられるくらいひどいが)
リョサだからこそ書けた作品。本当に素晴らしい。
いつも寝転んで読書することが多いのだが(だらしないね)、これは本当に重くて、顔に落とすと大変なので座って読んだ。紙の本派だけど、辛くなる重さだった。上下巻にしても良かったのかも。
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リョサは南米文学のそびえたつアンデス山脈のような存在。かつて「緑の家」上下巻を読み 深い感銘を受けたすばらしい文学界の至宝。
この本を知ってはいたが「時間、精神的にゆとりのある時」を選んで、今回挑戦。
内容に先入観は持たず 題名から受ける印象と大きく異なった大河だった。
執筆に際し リョサが辿った道筋~コンゴ・アマゾン・アイルランド・米国・ベルギー・ペルー・アイルランド・スペイン・・リョサならずしては出来ないとてつもないパワーの炸裂の結晶の大作。
作品の骨格としては「アイルランドに生まれ、愛国主義、ナショナリストたるべくコンゴ・アマゾン等を渡り歩き、植民地への搾取の悍ましさをまざまざと見せつけられた半生をへて 故郷へ戻り折からの第一次世界大戦時、独逸の協力を得つつ 英国よりのアイルランド独立を目する。が、失敗、反逆罪の罪で処刑となるケイスメント」の生涯 史実にフィクションを絡めた歴史小説。
史的うねりの狭間毎に 独房での彼の夢想~1人称だったり3人称だったり・・変幻自在に。
ケイスメントの出生時、複雑なものがありカソリックの洗礼を受けている事もあり、作品中、幾度も「自身の孤独と神の孤独」を内省し、懊悩している。して作中でもアイルランドにおける神父と軍人の在り様への言及もしており作中深い影を落とす重要なモチーフにもなっている。
リョサ自身、ケイスメントに興味を持った要素に同性愛がある。2番目のモチーフであるこれは 幾度も繰り返し、苦悩し鬱の重要な原因ともなって苦しんでいる事が分かる。些かショックだったのは、当時、同性愛が処罰の一つの要因でもあったせいか 刑執行後に肛門を調べた箇所がある事。
ノーベル賞受賞者であるリョサの面目躍如たる3番目のモチーフは「今後を植民地化したベルギーのレオポルド2世、ペルーのゴム園のとてつもない支配者 アラナとの対峙。この時代の人種差別は「差別」などどいう生易しいものでなく、今でいえば明らかな殺人・国際法もの。原住民殺戮は日常茶飯事、無知で叩きのめす身体の蚯蚓腫れ然り。このシーンの描写は読み続けるのが苦しく、ケイスメントのメンタルが壊れて行く様と同調してしまいそうになった。
今年前半読んだ中に在った「コンラッド~闇の奥」が繋がってくる。モレル~人権指導者との関わりも重ね、ケイスメントの「ケルト人の夢」がこの2人とはいつからか道筋がずれ、独立運動へと激しく舵を切って行く悲劇を膨らませる結果にもなった気がする。
1914年7日間の「ケルト人の夢」は確かにあったが、「狂気ともなりうる愛国主義」の様相を帯びて行ったことが処刑へと繋がって行ったのか。
一時はかけがえのなかったはずの親友 ハーバートから見るとケイスメントの生きざまはドンキ・ホーテにも似て・・か。
コンゴへ、リヴィングストンにあこがれて二度もマラリアに罹患して・・それでも「何に」向かって行ったのか・・魑魅魍魎と片付けるには哀しい姿に思えてならない。