旧統一教会と政治の関係を解明すべきだが、他は
2022/11/03 10:06
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雑多な本読み - この投稿者のレビュー一覧を見る
旧統一教会は、1960年代後半に大学での原理研究会、国際勝共連合などの別組織を利用し、高額の花売りやハンカチ売りや霊感商法、国際合同結婚式等で社会を騒がせてきた。しかし、この団体だけでなく、他の団体もトラブルはよく聞く。新興宗教団体はその一つであろう。
本書は、「新宗教と政治と金」という題名で「はじめに」で期待を抱かせる。目次を見ると、
第1章 なぜ3人のA級戦犯は釈放されたのか
第2章 高度経済成長と新宗教の巨大化
第3章 創価学会の資金力と政治進出
第4章 たった一人の反乱―政教分離をめぐって
第5章 政治と宗教は分けられるべきなのか
第6章 「無宗教」であることの問題
旧統一協会にスポットが当たっているが、さらに旧統一教会を含む新宗教と政治との関係にも注目が集まっている。第2次大戦後、旧統一協会だけでなく、宗教右翼といわれる団体と自民党を中心とする保守勢力との関係が深まったことが明らかになっている。宗教学者であり、政治と宗教の関係を追ってきた島田裕巳さんがどう書くであろうか。A級戦犯の話から、高度経済成長の流れに乗って組織拡大、その資金力や数多い会員を活用してどう政治に影響させたかを描いていくのはさすがと思う。各宗教団体の問題も挟みながら実態を明らかにする。また、最後の無宗教の解説も読みごたえがある。各国の政治と宗教の関係の解説もいろいろと参考になる。しかし、旧統一教会がこれほど問題を引き起こしているにもかかわらず、いささか在り来たりの結論と感じてしまう。それとも、旧統一教会以上に問題のある団体があるのだろうか。とにかく、一読されたい。
投稿元:
レビューを見る
ホットトピックとして、金の問題を書いたようだが、本丸に踏み込んでない気がする。政教分離を完全に実現するのは不可能だが、ズブズブなのも国民感情として納得いかないし、ズブズブっぷりを暴露するのも大切。と思って読んだが、根本には「政治と金」があって、選挙には金が掛かる、という原理から仕方ない気がしてきてしまう。民主主義の限界か。
投稿元:
レビューを見る
統一教会がなぜ「反共」として自民政治家と結びついたのかの経緯が理解できた。昨今の事件をきっかけに日本のいわゆる新宗教の成立から今日までの経緯をわかりやすく紹介してある。
そもそも日本の「政教分離」に至った経緯、政教分離が全国普遍のものではなく、イスラムなどでは政教一致があたりまえとなっている。
日本人が慣習として神社に参り、願をかける一方で、それが宗教活動とは少しも思わず、宗教施設の維持にも思いを馳せず自らを「無宗教」と語る矛盾を突きつけられる。
自称「無宗教」は政治への無関心とも結びついているので自戒したい。
★日本における共産主義=破壊活動防止法の対象
★A級戦犯の開放=冷戦深化=日本の反共活動
★日本近代の新宗教=生長の家(右)→「日本会議」へ(共通の思想)
★統一教会=キリスト教にて堕落を引き起こした「サタン」との対峙=サタン=共産主義=韓国からみた北朝鮮→朝鮮を植民地支配した日本への恨み
★岸氏と勝共連合のつながり
★戦前の国家神道体制=神道(内務省神社局)と他の宗教(内務省宗教局)の法律の区分け=宗教団体法による認可制→GHQ神道指令
★戦後の「信教の自由」にて1945宗教法人令制定=神社も宗教法人に→届出制 自由に立ち上げ可に
★天理教など、政界に出る流れ→信教の自由の確率で収まる
★新宗教→戦後高度経済成長期に、田舎から都会にでてきた人を取り込んで急成長→社会下層への広がり
★1990年代前半バブル時代に信者数ピークに 献金も高額に
★創価学会の特徴→排他性 日蓮の弟子、日興を宗祖とした日蓮正宗(途中で離れる)1955年に会員が初出馬。当選。1960年池田 会長就任 64年公明党 宗教政党として出発 戸田からの方針転換 69年選挙まで
拡大→73年オイルショック→都市部へ出る人の減少→『言論出版妨害事件』70年池田 謝罪、政教分離約束
★政教分離『たった一人の反乱』より
市立体育館の神式の起工式は違憲?政教分離に反する?
→「行為の目的が宗教的意義を持つか否か」判断基準に
→靖国神社「国家護持」問題 右翼と左翼の対立の象徴
→公式参拝をめぐる問題に
A級戦犯合祀されてる靖国神社に国家として公式参拝することへの批判
→天皇は頑なに参拝拒否
★日本人は無宗教?→【神道、仏教】神社や寺院に行き礼拝し祈りを捧げる=宗教行為⇔【キリスト教】日本人がクリスマスを祝う、キリスト教式の結婚式=宗教行為は伴わない
→無宗教?→一般の人は維持のための献金しない
★七五三の参拝を子供に促す、仏教式の葬儀に参列→信仰の強制にならない?社会的慣習にすぎない?「統一教会の信者でない私達も意識しないまま子供に信仰を強制している」
★ミッションスクールに通わす親の多くはキリスト教ではない。環境は生徒に影響を与えないはずがない。「改宗をさせないことで許容」
★日本人の無宗教は「特定の宗教に属しないまま日常的に宗教行為を行うこと」を意味する。神道、仏教、カトリックなどオーソドックスな教団なら許容するが新宗教は別物として否定的に捉える
→戦後の創価学会体験から。新宗教アレルギー→新宗教と自分は無関係という意思表示=自分は無宗教→だったらなぜ神社や、寺院に行くのか、信仰のあり方について考え自覚することに結びつく
投稿元:
レビューを見る
創価学会は主に低学歴の独身者相手に「悪いのは自分ではない」と信じさせることで信者を増やしてきた。他方、立正佼成会は嫁姑問題に悩む既婚者相手に先祖供養を展開することで信者を増やしてきたという対比が面白い。
結論としては「政教分離は人類全体に当てはまる絶対的な原則ではなく、それぞれの国固有の状況が生み出してきた本質的に政治的なもの」とのこと。全体的には宗教(団体)を肯定否定するわけでもなく、政治との関係でその存在意義等が述べられる形で冷静で落ち着いた内容となっており、一読の価値はあると思う。