子どもの教育問題は、シンガポールも日本と同様にあります。
2023/04/08 22:35
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投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
実際にご家族でシンガポールに居住し、お子さんを現地の学校に通わせていた経験を持つ著者が、シンガポールの子どもの教育問題の実態について著した1冊です。
シンガポールも日本と同様、受験勉強など様々な問題があることが、当書を読むと分かります。親御さんがお子さんの教育に四苦八苦するのは、どの国も存在することに気付かされる内容です。
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のびのびとした教育を受けさせるために、熾烈な受験を勝ち抜かなければいけないという皮肉。親としてじぶんの態度を決めきれないでいます。
#中野円佳
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シンガポールの教育というと、世界的競争力を持つ、先端のものをイメージしていたが、日本の受験と重なる部分があるのは意外だった。学歴でその後の人生が決まってしまう様子はアジア共通なのか。興味深い一冊だった。
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シンガポールは教育競争、とくに中学受験がすごい(その時に全国統一テストがある)乳幼児期というかむしろその児童期以降の受験期に母親が専業主婦になりたいと希望する人も多い。
シンガポールの方が国家形成の歴史としてより合理的に教育システムができあがっていて、できない子へ対する段階的な進路とかも用意されているけど、日本は挫折した子へ対する子へのケアが弱い。
少子化でミドル層の教育熱が加速していて、周りがやってるからと塾の低年齢化は日本でも見られる。
中学受験でただ“周りに打ち勝つ”ということを期待され、本来の勉強の楽しさではなく、偏差値や点数アップをゲーム感覚でやるようなことは、それが可能な環境である事への意識(感謝)が薄れ、
のちのち個人の能力主義的な思想に偏り、差別的思想に繋がるのではないか(勉強しなかったやつが悪いんだとか)という問いが頷けるところでした。
息子たちの中学受験を考えるにあたり勉強になりました
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特に幼児教育に関して、シンガポールに理想郷のようなイメージを描いていたが、日本と同じかそれ以上の苦労があるのだなと目から鱗が落ちる思いであった。
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子育てがしやすいと言われているシンガポールだが、本当にそうなのだろうかという疑問を常日頃感じていたが、本作を読みその問いに納得感を得られた。
子育てへの経済的支援は一時的なものであり、出生率は1.2程度と低水準。また教育に多額のお金がかかり、競争も激しい。日本の教育が悪いとは言えず、子育てのサポートも手厚いことを再認識した。教育について大事なことは機会を多く与え、自分の頭で考えることを学ばせ、好きな道に進む事をサポートしてあげることだと思う。
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シンガポールは教育大国であるとは聞いていたけれど、その弊害も大きいことがよくわかった。
資本主義の社会で、何でもかんでも競争や目的
持ちすぎるのもかえって不幸になることがあるのだと思った。
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本書でメインで取り扱っているのと同じ高学歴の母親として、仕事と教育の両立についてすごく考えさせられた。
教育とケア、ジェンダーの問題は常に問題意識をもって自分自身の行動を省みるようにしたいし、それが子どもに与える影響についても考え続けていきたい
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教育大国シンガポール
教育に思いっきり突っ込んでいったシンガポール。煽られ、疲弊する、競争社会。日本も同じく、サピックスに入るために塾に行く。これを、あまりにも悲しい、詰め込み教育の行く末と案じても、子供をもつ親なら子供の将来を憂い、準備してあげたい、そのためにベストな方法が今はサピックスなんだからしょうがないというふうに整理されてしまう。シンガポールも、小さな国だからこそ、その生き抜くためのエナジーとしての教育に力を入れてきた。アプリケーショだけで1000ドルもとる教育とは、選別とはなんだろうね、と思う。差別がかなり行きすぎていて、バングラデッシュの人はシンガポール人と何人友達できた?と聞かれて、言葉に詰まる。シンガポールはダイバーシティを意識しているにもかかわらず、区別しているのではないか。
両親が共働きを前提にしているから、子供が家にいるということがありえない。コロナ禍のシンガポール政府の学校は行かせようとしている動き方、受験前の年代を先に戻すというやり方には、独裁的な主導的な国家体系がそうさせている分強い。シンガポールは移民というか外国人労働者で4割を賄う。そのうちの上位は高度人材、日本人もそこに入っているという。しかし、働いている同僚を見て、高度人材なの?と思うことがよくある。
女性が子供の教育の責任をもつ、と答えたアンケートが多数にのぼる。これは、シンガポールがもつ建前と本音のような、自然と流れ来るもののようだ。口コミ、ママ友ネットワークが極めて強く大事なシンガポールでの、生き抜く術のようなものが数値化されているのかもしれない。本来はそうであるべきではない、男性がきちんと教育や社会への子供の関わり方に関心を持ってしっかり入っていくことは大切だ。一方で、マルチタスクを苦手とする集中型の男性がテキパキと多方面に気を配って動くというのもかなりハードルが高いように見える。現実、アドミン的な動きであればできるが、子供が今日何をやっていて、どこでどんなスケジュールで動いていくか、どこの子供と遊んでランチはどうするか、これを男性がうまくやっていけるのかというところも本当にある。これはやるべきとかではなくて、どちらがやった方がより適切に動けるか、というチョイスでもある。それを押し付けては行けないのは自明であり、やってみると言い出すことが大事なのなら男性もそうしようではないか。
シンガポールも数十年前、建国後はホーカーを押す、家族総出で家を守り、子供を育てた。しかし、今の世代は違う。祖母が預かり、母親は働きっぱなし、父親もいない、そんな環境は嫌だという意思を筆者はキャッチしている。メリトクラシーを軸に、経済発展と統治を主軸とした国家運営を行なってきた。水の受給率を上げて、560万人を養う。小さいからこそできるイノベーションもあろう。子供の世代のために親ができること、それを一生懸命考えていくことがそろそろ世代の役割になってきているんだろうか。