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家康、昌幸、信幸それぞれの思いが九度山をめぐる
2009/12/28 19:13
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:toku - この投稿者のレビュー一覧を見る
命を助けられた真田昌幸・幸村が、上田城を徳川へ引き渡して紀州九度山へ蟄居させられるところから、真田昌幸が十余年に及ぶ倦んだ日々によって身体を蝕まれ、やがて病の床につくようになるまでを描いている。
その十年ほどの期間の中に、
・父と弟を紀州へ護送する真田信幸の苦労と心痛
・九度山で再び世に出ることへの期待と絶望に揺れる昌幸と幸村
・関ヶ原の合戦後ちりぢりになっていたが再び集結し、九度山へ配流された真田本家のために態勢を整える真田の草の者
・昌幸とお徳の子・於菊を預かった滝川一益の孫・三九郎一積のその後
・徳川の難題にもまったく隙を見せず、徳川家のために働き、豊臣家への忠節を曲げない加藤清正
などが描かれている。
七巻・関ヶ原では関ヶ原の合戦という大きな歴史の流れを中心に、その中で動く諸大名、忍びたちを描いていた。
本八巻では逆に、個々の大名や忍びたちに焦点を当てたものとなっており、内容が濃く感じられた。
特に本田忠勝の決死の助命嘆願によって命は救われた昌幸が『初めは静かに過ごしていればそのうち赦免され、やがて世にで、その時は』と期待する様子、長年の蟄居生活による倦んだ日々と、赦免運動をしていた本田忠勝の死によって世に出る希望がなくなり衰弱していく様子が多く描かれており、世間で幸村の九度山からの脱出劇が多く語られているなか、九度山での蟄居生活の様子は興味深いものがあった。
本巻で描かれている十年ほどの歳月は、心身の衰弱が激しい甲賀忍び頭領山中俊房とその死、お江と草の者に執念を持つ猫田与助に冷たい目を向ける平和ぼけした甲賀忍びたち、病に伏せる真田昌幸、本田忠勝の死など、一つの世代や意識が変わりつつあるのが感じられる。
年老いてなお、お江に執念を燃やす猫田与助の姿も存分に描かれ、真田太平記の楽しみの一つとなっている。
関ヶ原の合戦後、真田忍びは絶えたと安心し危機感がなくなってしまった甲賀忍びに失望した猫田与助が、この後お江や真田の草の者がどのように対決していくのか、とても楽しみだ。
真田信之(信幸)の、名前を変えてまで父との決別や徳川の臣として生きることを内外に示し、そして父と弟・幸村の蟄居解除を願って、とにかく徳川の神経を苛立たせないための配慮、少しでも徳川の気持ちを和らげようとする思いはとても暖かい。
九度山だけは時代に取り残されていたかのように思われる時間経過が語られる
2017/05/31 23:25
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
関ヶ原の合戦で西軍についた真田昌幸・幸村親子が紀州九度山に蟄居させられるところからの10数余年が語られてゆきます。もっとも、真田親子よりもその周囲の者たちの動向が比較的細かく語られており、そのことでかえって真田親子が蟄居させられ悶々と過ごしただろう年月が想像されました。
これまで関ヶ原を境にして日本は豊臣から徳川に一気に支配者が替わったものと思っていたところがありましたが、これを読んでいると世の中はそんな単純なものではなく、豊臣家はそれなりに力を温存しているかのような状態が続いており、それを徳川家康が何とか排除しようと機をはかっていたのだということに改めて気づき、歴史の奥深さを感じたりします。
しかし、この小説の面白いところは、こうした歴史的事実というか歴史小説のようにみせて決してそれだけで終わっていないところでしょう。それは、真田の草の者たちの動向がずっと語られているところです。この巻でも、いつか真田昌幸・幸村親子が徳川家康を討つべく再び立ち上がるものと考え、草の者たちがその日のために潜み続けているところが詳しく語られているわけです。
それに加え、滝川一益の孫・三九郎が登場したり、加藤清正がどこまでも豊臣家に忠誠を尽くしつつも徳川と折り合ってゆこうとする姿が語られたりするなど、魅力的な人物がこれでもかこれでもかと登場するので途中で読みとどめることがむずかしいです。
この勢いで、最後まで読み切ってしまいたくなります。
意外にあっさりした内容
2016/02/19 07:20
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:earthbound - この投稿者のレビュー一覧を見る
九度山幽閉時代の昌幸・幸村の苦悶については意外にあっさりとしか記述が無く、その点については拍子抜けです。
ただ、本編が書かれた頃と現在では研究も進んでおり幸村が幽閉されていた自分を嘆いた手紙とかが発見されていなかったからかもしれません。
それにしてもあっさりし過ぎていると感じました。