100分de名著の拡大版
2023/11/27 22:15
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投稿者:ぶんてつ - この投稿者のレビュー一覧を見る
NHKの「100分de名著」という番組では、伊集院光さんは「未読の人」という難しい役割を担っている。
この本は、その伊集院さんが番組で紹介した名著を、番組終了後に読んだ中から3冊厳選して、もう一度番組で解説してくれた先生とトークを繰り広げた対談集の第2弾。
取り上げられている3冊と対談相手は次のとおり。
1.松尾芭蕉『奥の細道』、長谷川櫂(俳人)
2.ダニエル・デフォー『ペストの記憶』、武田将明(東京大学教授)
3.コッローディ『ピノッキオの冒険』、和田忠彦(東京外国語大学名誉教授)
この本を拡大版だと思ったのは、武田将明さんの次のような「見えない」ということに関する「脱線めいた話」も載っているため。少し長くなるけれど、今の自分の興味に合致していたので、引用させていただく。
「アダム・スミスという経済学者がいます。彼が『国富論』の中で「見えざる手」という議論をしているんですね。この比喩を通じて、人間の経済活動には、何か見えない力が働いている、とスミスは指摘したのです。
すると後世の人たちは、これを「神の見えざる手」と少し言い換えて、資本主義経済のもとでは、みんなが自分なりに利益追求していても、神様みたいな存在がうまく調整してくれるものなんだと解釈しました。今でも自由主義(リベラリズム)を擁護する議論は、この楽観的な見方に基づいています。
でも、フランスのミシェル・フーコーという思想家は、そういう解釈が本当に正しいのか、と問い直すんです。むしろ「見えない手」という言葉で大事なのは、見えないことにあるんじゃないか。つまり、何か世の中を動かす原理はあるんだろうけれども、それが見えないことに人が気づいている。そこでどうするのか?というのが、近代の人たちが置かれている状況の根本なんだという話をしています。」
夏目漱石は文学とは認めていないが、近代小説の出発点に位置づけられることもある『ペストの記憶』から、経済学や現代思想にまで話が及ぶ楽しさ。
伊集院さんのラジオの経験や落語に関する話も名著の理解を助けてくれる。
「100分de名著」で伊集院さんの視点に馴染みがある人には、拡大版として楽しめる本になっています。
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「神様がいることを100%信じられていれば、ある意味で、『手』は見えるかのように思える。でもそうじゃなくなったときに、僕らの世の中には、生活を左右するいろいろな原因があるものの、それをすべて見通すことは人間にはできないことがわかってしまう。それが近代を生きる人間の根本的な不安としてあるということですね。」
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伊集院 『ピノッキオの冒険』を読んで、落語に近いなと感じたんです。
落語が描く江戸って、理屈の世の中じゃあない。現代に比べると、全然、デオドラント(脱臭)も整理整頓もされていない。憎み合っているのか仲がいいのかという境や、善人なのか悪人なのか境目がはっきりしない人たちが出てきます。たとえば、
「おい、くたばりぞこない、まだ生きてやがったか、しばらく鼻の頭見せねえから、ついにくたばったかと思ったよ、香典出すのが惜しいから、ボケたついでにしばらく死ぬのも忘れちまえ」
などと言う。こういう江戸っ子の温かみを含んだような口の悪さと、無知で間抜けな長屋の住人の与太郎が絡むと落語のリズムができあがるんですが、まさに、ピノッキオもかなり無知で間抜けで……。とにかく読んでいてとても心地いいんですよね。
ピノッキオ落語説、無理やり過ぎますかね?
和田 とても的確だと思います。『ピノッキオの冒険』は、物語を組み立てるうえで非常に大切なスピード感を一貫して保っている。
物語の速さやテンポを保つのって簡単じゃない。スピードを出しても読者がついてこられるようにしなければなれないし、物語の筋が脱線しないやり方で運んでいかなければいけない。それは相当技量がないとできません。
伊集院 そして落語的なのが、斜に構えたというかひねくれたというか、物語の書き出しです。これがとてもいい(笑)。
昔むかしあるところに……
「ひとりの王さまがいたんだ!」わたしたちの小さな読者たちはきっとすぐに言うに違いない。
「いいえ、みなさん、それはまちがいです。昔むかしあるところに、まるたんぼうが一本、あったのです」(和田忠彦訳、以下同)
「よくあるベタな童話なんて読みたくないでしょ」という作者のメッセージがいきなりきますよね。
ラジオの深夜放送も、こういうひねくれ方をリスナーと共有します。「テレビだったらこうくるけれども、そんな建前は飽き飽きでしょ」ってな感じで。
そういうことができるのは、自分に付き合ってくれる人がいると信じているからです。これに対して、普通の話に飽き飽きしている人たちが「わかってるねぇ、面白そうだな」って感じてくれると思うんです。
伊集院 和田先生は、主人公のピノッキオと作者のコッローディに重なるところがあるとおっしゃっていましたね。
それを聞いたうえで読んでいくと、コッローディは、物語を書くなかでピノッキオを育てながら、コッローディ自身も育っていったような感じがします。ピノッキオが改心しても改心しても、欲や好奇心を抑えられずにやらかしてしまう。破滅寸前のピノッキオを救済するときに、作者自身も救われたり、どうすればよいのか学んだり。
まるでピノッキオを書くことが作者のセルフカウンセリングになっているような印象を受けるんです。ピノッキオの物語が予測不可能で面白いのは、作者自身が不安定だからだと思います。
伊集院 児童書で書いてよいのはこれくらい、なんて思っている連中に「これでも喰らえ!」って爆弾を投げかけているようです。
僕が中学生くらいのとき、ビートたけ���さんがテレビやラジオに現れて、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」みたいなことを言い出したときも、やっぱり「これでも喰らえ!」と感じました。
世間が建前で埋めつくされるようになると、そういう人が現れて、人気をさらっていく。たけしさんもおそらく複雑な環境で生きてきているから、当たり前の建前がくそつまんないことがわかっているんですよね。
和田 実際われわれが生きている人生って、そんなわかりやすい道徳で割り切れるようなものでは到底ありませんよね。
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テレビ「100分de名著」では読んでいない人として話を聞く著者が、読んだ後に改めて対談する。
本についてとことん話すのは楽しい。しかも相手はその本の大家となると一層だろう。
本の内容を我が身に取り込み、咀嚼して自分の感覚とする流れが素敵。
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シリーズ前著もすごく面白かったので、今回もほくほくと読み始めた。『奥の細道』『ペストの記憶』『ピノッキオの冒険』が扱われている。まず選ばれた作品に対して、それが来るの?と思った。『ペストの記憶』はまあ、世相というものがあって、選ばれても納得。でも、後の二冊は?
『奥の細道』は、諄々と語りをつなぐようでいて、ここぞというところに短詩型で、ぐっとフォーカスして切り取った、心動いたものを提示する。それは、タレントとしての伊集院さんの達者な語りの中に、ここを聞かせたい!(あるいは効かせたい!)と思ったところを、ぐっとパッショネイトな『盛った』表現をするのと似ているのかもしれない。『あとがき』に、芭蕉の句碑の前で、故・円楽師匠のために号泣なさったとあるから、楽しい普段の語り口とは別に、伊集院さんの中にある、閑とした心境、深い静けさというか…情の熱さと賢明さの交差する部分にも響いたのだろう。
『ピノッキオの冒険』については、読まずにおとなになり、ディズニー映画も好きでなく来た私であるので、本当に何も知らず、この本で概要を知ったていたらくである。対照される『クオレ 愛の学校』も同様に読んでいない。こちらは、なんとなくタイトルが虫が好かなかった。子供時代から、ひねくれたガキンチョであったのだ。手元にあったのに、読まずにお友達にあげてしまった。
ただ、鮮明に覚えているのは、灰谷健次郎さんが、ご著書のエッセイ(『島へゆく』か『島で暮らす』のいずれかであったと思う。母の蔵書にあったものを読んだのだが、なんとも記憶が定かでない。)で、『クオレ』を、非常に差別的であり、貧しい悪行の少年とされる人物の、いかにも悪く性根の汚げな描写と、主人公の裕福で曇りない、方正な描写が対照的で、こどもに本当に心を寄せた文学ではない、という趣旨の批判をしていらしたこと。大変舌鋒鋭く、憤懣やるかたないという印象を、初読の時から強く持った。今回この『名著の話』でも、『クオレ』には、なかなか厳しい批評が加えられている。しかし、興味深いことに、指南役の和田忠彦氏は、『クオーレ』の岩波文庫版をも訳しておられるのだ。これは、すごく興味深い指摘ではないか。ふたつの作品の何が、どう違うのか。どこが評価されて両者読みつがれてきたのか。あなたは、知りたいとお思いには、ならないだろうか?
読書案内の本というのは、とにもかくにも、紹介した本を読む気にさせてなんぼである。高尚である必要もないし、小難しい必要もない。出会ったその本に寄って行って、ためつすがめつ、その率直な結果を、面白く伝えてくれることが一番の使命である。その意味でこのシリーズ、楽しくて楽しくてたまらない。そして出てきた本はことごとく、読みたくなるのだ。自分がえらそうにここで色々書いてるけど、名著を死ぬまでに何冊友だちにできるか。解っていない本がたんとあるのが、こんなに嬉しくなるなんて。いいのかしら。いや、いいのだ。最高のお楽しみが、まだまだ私を待っている。早く次のシリーズが出ないかなあ?
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伊集院光さんの質問内容や分析力に唸ること頻り。読者にわかりやすいよう自らの体験談を語ってくれるのも楽しい。喩えが精細。『ピノッキオの冒険』は原作を読んでみたい。
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ピノッキオの冒険、これは必ず原作を読もうと思いました。比較されてる「クオーレ」も。
ピノッキオの原作者があんなトンデモ人間だったとは初めて知りました。忠実に再現されてるほうの(笑)ピノッキオの映画も観たいと思います。
伊集院さんのあとがき、泣きそうになりました。こんなことってあるんですね。
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松島や〜の俳句は松尾芭蕉の歌だと思い込んでいたので、実は書いていないとか、編集を入れまくっているとか、驚くことばかりだった。伊集院さんの本の読み方自分にぐっと引き寄せる本の読み方は面白い。良い本をありがとうございます。
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100分de名著の番組が好きで、本書を手に取りました。軽妙な中にも伊集院さんのコメントにハッと気付かされることが多く、私も松尾芭蕉の「おくのほそ道」はリアルな話かと思っていましたが、時空を超えて旅していて、俳句としては革命的だったこと、「ピノッキオ」はディズニー映画と全く異なる、複雑なキャラクターばかりが出てくることなど、目から鱗な話が面白かったです。また、関連書籍が出たら読みたいです。
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松尾芭蕉の『おくのほそ道』、デフォーの『ペストの記憶』、コッローディ『ピノッキオの冒険』の三作品について語る。「おくのほそ道」って、実は話をもっているところあるんだぁ、とか、ピノッキオ、人間になったあと、木の時の自分の体は動かなくなって転がっていたんだとか、しらなかった話に妙に感心した。
ただ、一番印象に残ったのは、伊集院光氏が師匠である三遊亭円楽の死後について語った話。おりあいをつけたつもりで、執筆活動ができず、なんかもやもやしたまま思いつきで石川県を訪れる。そこでみた松尾芭蕉の石碑の俳句に号泣し、その勢いで本書の原稿を書いたとか。喪のプロセスというのは、人それぞれたどらないと次へ進めないということなのかもしれないな。
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とても読みやすく、そして面白くて2日で読んじゃいました。「100分de」での伊集院さんが全く読んでないのにあんなに的確な質問できることにビックリ。むしろまっさらだからできる純粋な疑問なのかもしれないけど。私にはできない。
今回はちゃんと読んでから改めて名著対談ということでしたが、もちろん的確だし、目の付け所がさすがです。
松尾芭蕉の
むざんやな 兜の下の きりぎりす
は印象に残った。
ピノッキオで和田先生が
「意思を持ったあやつり人形であるピノッキオは、わたしたち人間を体現しているように思えてならない」という言葉が印象的でした。
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100de名著で取り上げられた本を、伊集院光と紹介者とが対話形式で読み解いていく本。
本の紹介というよりも、本のこの部分を語り合うと言った方が正しい気がする。
ラジオでのトークを聞いて読む。
一番気になっていたキノッピオがやはり好き。
童話作家としてのしっかりとした下地と風刺作家として見方、突き付け方が、道徳的ではないけれどちょっと立ち止まらせる内容になっている。
借金を返すために鬱憤を反映させた前半、請われて自分が反映しだした後半。
善人も悪人もおらず、勧善懲悪でもなく、言い訳も語らせない。そこが好き。
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ちょうど芭蕉を授業中。でも教科書に載るぶんしか読んでなかったことに気づきました。
ピノッキオの冒険、ペストの記憶、読んでみたいです。
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名著の話第二弾。
番組のファンなのでつい購入してしまう。
伊集院さんがおくのほそ道をこんなにお好きとは知らなかった。
最後のあとがきが素晴らしかった。
こんな偶然がと思ったけど、
おくのほそ道同様盛ってるかも。
その現実とフィクションのあいまいさが面白い。
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毎回のように、テレビで見ている"100分で名著"の裏話。伊集院さんの素直な謙虚な感想が、すごくわかりやすく読み解いてくれている。
ぶっちゃけの感想もなかなか。読んでいて楽しかった。