紙の本
男性社会と女性との感覚のずれガストレンジ
2023/08/23 08:15
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投稿者:天使のくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
松田青子の初の長編である。あいかわらず、ストレンジな話である。
『スタッキング可能』以降、男性社会との感覚のずれという形で、そのストレンジさを描いてきたといえる。そして、この作品では、おじさんと若い女性という対比で、そのことが示される。なんといっても、エピグラフからして、「少女革命ウテナ」である。
続いて、最初のシーンは、おじさんから少女たちが見えなくなるという現象が起きる。少女にとって有害でしかないおじさんから見えなくなるというのは、なかなか理想的なことなのだろう。
ところが、話はそう単純ではない。主人公の敬子が日本に戻ってきてはまるのは、欅坂46なのだから(いちおう作品の中では、固有名詞は示されていないけれど)。欅坂46は、秋元康がつくった女性アイドルグループの1つ。AKB48に代表されるこれらのグループは、まさにおじさんによってつくられた商品であり、実際のところ、持続可能どころか魂は消費されている、とでも言っておけばいいのだろうか。そうであるにもかかわらず、笑わないアイドル、とりわけセンターの平手友梨奈(という固有名詞ではなく、××となっているけれど)にひかれていき、コンサートにまで足を運んでしまう。そこには、おじさんによってつくられたものであるにもかかわらず、おじさんを裏切るような存在になっていく痛快さがあるのだろう。
ちょっと話はずれるように思われるかもしれないけれど、女性の生きにくさの事例の1つは満員電車での痴漢による被害だ。実害だけではなく、男性社会の痴漢被害に対する思いやりのなさというのも問題だ。という話は、ツイッターにはいっぱいアップされているのに、痴漢の被害にあいやすいような制服を強制しているということに対しては、あまり批判されていないような気がする。というか、あまりにもあたりまえ化しているものは批判されないのだろうか。学校は痴漢の共犯者なんじゃないか、と思うのだけれども。という点では、松田はこの作品の中で制服についてもしっかり批判している。欅坂46もまた、制服をしっかり着ているのに。AKB48と同じようでいて、しっかり逆転させている存在になっているということか。
結論はというと、おじさんは絶滅していく。まあ、どんなふうに絶滅するのか、女性の持続可能な魂の利用はどうなるのか、というのはまあふせておくけど。
紙の本
私も「おっさん地獄」の一員か
2023/07/03 13:26
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
男とは、女とは、会社とは、同調圧力とは、といろいろと考えさせられた「スタッキング可能」の作者の作品、ということで、、また、いろいろと考えさせられるんだろうなあ、そうだよなあ、彼女たちから見れば、私も「おっさん地獄」の一員でしかないんだろな
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会社に追いつめられ、無職になった三十女が、女性アイドルに恋して日本の絶望を粉砕!? 現実を生き抜くための最高エネルギーチャージ小説。〈解説〉松尾亜紀子
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世界最弱の国に誰がした!という気持ちになった。
これは現在進行形の話で私たちの国の話だった。
最後の連隊と革命は、読んでいてすごくエネルギーになった。なんとも言えない、幼少期から感じていたアニメ描写への違和感、気まずさを作り出し消費してきた存在、社会をつくりだしている存在に嫌気がさす。どうすればいいのだろうと思うけれど、デモに参加するということの意味が初めて腑に落ちた気がする。難しく考えず参加してみればいいんだと素直に思った。松田さんの他の著書も読んでみたい。
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書いてもらうことで自分の中のモヤモヤや、恥ずかしながらスルーしてしまっていた物事に気付かされる。
おんな、おとこ、おじさん、おばさん、という以前にみんながみんな、消費されずのびのびと生きていくためにはどうしたらいいのか。
みんなで考えて行動していくことの大切さ。
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わかりやすく強い言葉でこれでもかこれでもかと繰り返される「おじさん」への糾弾、拒絶、排除の物語。気づかせる、目を覚まさせる、奮起させる、連帯させるという意味ではとても良い作品なのだと思う。
だけど、残念ながらわたしにはあまり響かなかった。特に、作中に驚くほどたくさん登場する「おじさん」という言葉。いくら概念的に扱っているとはいえ、ある一定の年齢を超えた男性や、関係上の呼称としても使われている言葉を用いて語る内容としては攻撃的すぎて疲れてしまった。個人としてではなく女として弱い存在とみられること、制服を着ているだけで性的搾取の対象としてみられることにNo!といいながら、個人ではなく概念としての「おじさん」を叩きまくる。(個人としての「おじさん」も叩くが)性別年齢を問わず誰のなかにも存在しうる「おじさん」を自覚させるのが目的なのかもしれないけれど、そのあたりの違和感を最後までなくすことができなかった。このあたりは、シンプルに好みの問題だと思う。
ただし、繰り返しにはなるけれど、現状に甘んじるな!立ち上がれ!つながれ!という強いメッセージは伝わってくるし、両手を挙げて賛同する。
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p124
「魂は減る。(中略)
魂は永遠にチャージされるものじゃない。理不尽なことや、うまくいかないことがあるたびに、魂は減る。魂は生きていると減る。(中略)
三十年以上生きてきた敬子はもう自分の魂は、どれだけ満タンにチャージしても、残り「82%」ぐらいなんじゃないかと感じる。さっきの××たちのライブでだいぶ充電されたけれど、それだけももう「100%」には戻れない。一体人生のどの段階まで、敬子の充電は「100%」だったのか。」
p138
「望ましい」の枠外に出ることはもちろん自由だったが、その自由には名前があり、ただ大目に見られているだけだった。「まだ若いから奇抜なファッションを楽しんでいられる一過性の時期」だとか「女を捨てたもう終わりの時期」だとか。」
p184
「未熟さ」が熱狂的に受け入れられたということは、この頃の日本では、「未熟さ」を魅力として考える人が多かったからだろうと推察できます。つまり、女の子たちではなく、国そのものが「未熟」だったのです。
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すがすがしいディストピア小説。
「おじさん」による「おじさん」に都合のいい社会。
※この場合の「おじさん」は「家父長制・男尊女卑」を維持しようとする生物のことであり、年長の男性を指して言う言葉ではない
こんな日本に誰がした!という答えにいやいやそんな、と思いながらもそうでもなければこんな風なことがまかり通るのおかしいよねとも変に納得してしまう。
どんな革命が起こり、どんな畳まれ方をしたのか具体的には描かれていないが「きれいに畳まれた」のは確かでそれはほっとする。
家父長文化、ミソジニーが色々書かれ、その象徴としてアイドル文化が出てくる。
アイドル文化を批判しながらそのアイドルに救われるジレンマ。だってそもそも芸能界を牛耳ってるのは「おじさん」たちなわけで。
K-POPの女性アイドルとの比較もアイドルに詳しくないけどわかる。
「アイドルとは愛でるもの」に完全にシフトしたのはいつなのか「アイドルとは憧れるもの」であったはずなのに。ハロプロとK-POP贔屓の友人がいて彼女にとってアイドルは年下であっても「憧れるもの」だったことを思い出す。
男性アイドルも「愛でる」対象として見ている女性も多いがまだやはり「憧れ」成分も女性アイドルに比べれば多い。
作中元アイドルの女性にとどめを刺したのが「ファンとの夢小説(R18)」を送り付けられたことというのがオタクとしては冷や汗ものだが、その後彼女自身二次小説を趣味とするのが二次小説を全部アウトとしているのではなく、一方的な性ファンタジーを『子ども』に受け入れてもらえると思いこんでいるのがやばい。
相手を「愛でる」ために「無垢」「健気」「幼稚さ」を求めるのに「ケア」「許容」は大人としてのものを当然として要求する「おじさん」が作った女のあるべき姿。そりゃ畳むしかないこの世界。
彼女たちが起こす革命、スタンガン、デモ、タメ口は現実の私たちにも手が届きそうだがなかなか難しい。でもどこかで始まりかけているというのがこういう小説の出現がその証拠だと思う
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普段であれば自分の選択肢にはなかなか入らない、今の日本に対するアンチテーゼのような一冊。
自分もおじさんなので「おじさん」のようにならぬように気をつけないと。
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うんうん、そうそう、と頷き共感しながらあっという間に読んだ。
私たちの社会のゆがみに気付くこと。この毎日が当たり前じゃないと知ること。小さくても少しでもいいから行動していくこと。
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2024.2/22
フェミニズムの勉強をしていないで読むと「?」かもしれない。
これはガチガチのフェミニズム小説。きっと、「おじさん」が読んだら「はぁ?女は黙ってろ」と言いたくなる内容だ。
作中に出てくる××は、平手友梨奈のことだろう。
私も当時、彼女を初めてテレビで見たとき衝撃を受けたことを思い出した。
この子は、なんなんだ?
魂が震えた気がしたが、この小説を読んで、あぁそうか、だから私は平手友梨奈にこんなにも惹かれたのかと納得した。
彼女がこの世界をひっくり返す、という妄想の物語だが
私はその姿を、容易に想像することができた。