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日本で言われている反知性主義とは異なり,ここで取り扱われている反知性主義とは「つまり反知性主義は,知性と権力の固定的な結びつきに対する反感である。知的な特権階級が存在することに対する反感である。微妙な違いではあるが,ハーバード・イェール・プリンストンへの反感では無く,『ハーバード主義・イェール主義・プリンストン主義』への反感である」(p.262)である.その起源を紐解いて行くのが本書の内容であり,反知性主義の形成にはアメリカという国家の起源,そしてキリスト教が大きく寄与していることが詳らかに解説されていく.
しかし,だとすると,アメリカの行なっている戦争や軍事介入は全てある種の宗教戦争(聖戦と言っても良いかもしれない)だし,トランプ旋風が起こるのは必然であるし,何ということだ.
政教分離が教会の収入源を絶ち,宗教を経済的自立,すなわち金儲けに走らせるというのは,確かにその通りだなあ.
あとがきに突如「小田嶋隆」の名前が呼び捨てで出てきたので,一体何のことかと思いきや,何と本書の著者とは小中高と同級生とのこと.
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アメリカ史研究者による「反知性主義」という用語は、知性そのものに対する反感ではなく、知性が世襲的な特権階級の独占物になることへの反感。原点には、誰もが平等にスタートできると言う徹底した平等主義がある。
アメリカではなぜ反インテリの風潮が強いのか、キリスト教が異様に盛んでビジネスマンが自己啓発に熱心なのか、という問いへの歴史を辿りながらの答え。
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1600年代ハーバード・イェール・プリンストン大学は牧師養成学校としてスタートしているとのこと。教会の牧師は大学出。それに対し、辻説法をする神の行商人が登場し、演説のうまさから人々を魅了する。反知性主義とは、大学や研究所の知の権威が、その組織の外に出て、越権行為を働くことに対し、牽制する姿勢のことと理解しました。圏外編集者の都築さんの姿勢(権威ある誰かお墨付きのない絵・音楽・ポエム・住まいの中から素晴らしいものを選びとれるか)、町田康リフォームの爆発における餅は餅屋に任せ切れないリフォーム中の家主の苦悶も、反知性主義のスタイルと言って良いかと思いました。
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本書の内容紹介にはこうある。「アメリカでは、なぜ反インテリの風潮が強いのか。なぜキリスト教が異様に盛んなのか。なぜビジネスマンが自己啓発に熱心なのか。なぜ政治が極端な道徳主義に走るのか。そのすべての謎を解く鍵は、米国のキリスト教が育んだ「反知性主義」にある。」
だいぶ風呂敷を広げたなと思われるだろうが、本書を読み進めるうちに、うんうんと頷き、へーと納得し、どれも説明する見事な語りに、最後にはまじかよーと末恐ろしさすらも感じてしまった。
アメリカを語るのに、「反知性主義」のこの万能感はなんなのだろう。かつて丸山真男が日本を語るのに「原型・古層・執拗低音」を説いていたけれど、「反知性主義」の補助線の切れ味は比べようもないほどに鋭い。
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反知性主義を理解するとき、アメリカのキリスト教史の大前提を理解することが必須。この本は最高。時代を騒がせた教会の主役たち、心に語りかけるような筆者の言葉。深くて楽しい講義を聞いてるような素晴らしい本。
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別の座標軸に立って新しい視点を示す。異次元の立脚点。知性と知能の違い。知能的な動物はいるが知性的な動物はいない。知能犯はいるが知性犯はいない。
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反知性主義とは何か。知性主義に対する反発である。反"知性"主義ではなく、反"知性主義"である。
この誤解が解けるだけでも、目からウロコ。
それでは知性主義とはなにか。反知性主義の背景は?
とても読みやすいが、知らなかったことばかり。
話題となりながら、明らかに誤解されているワードを正しく理解し、さて、日本ではどうか、自分はどうか考えるきっかけとなる。読む価値あり、と思う。
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イギリスのEU離脱、アメリカのトランプ大統領当選、日本の民主党政権擁立…、マスコミ報道や雰囲気に呑まれて、あまり深く考えもせずなんとなく「感触がいい」からという判断で政治や経済を委ねてしまう、あるいはそういう市民層を意識してあえて分かりやすい行動をとる支配者層…
俺は、この本のタイトルとなっている言葉の意味を、なんとなく漠然とそういう風にとらえていたのだが、その解釈は間違っていた。
少なくともこの言葉が生まれたアメリカでは「反知性主義」とは「知性」と対立するものではなく、「知性主義」と対立するものだということ。そして、そこにはアメリカ合衆国誕生から深く根ざすキリスト教が大きく影響していたのだということ。なるほどなぁと目から鱗。
反知性主義とは知性と権力の固定的な結びつきに対する反感。これが結論なんだが、その反知性主義が成立していく過程をアメリカ宗教(キリスト教)史を通じて分かりやすく書かれていて良い。勿論、宗教史以外から反知性主義を読み解く方法もあるんだろうが、今のところ、俺の中ではこの本の影響大である。
ただ、日本の「反知性」は困ったもので、「分かりにくい真実より理解しやすい風評」みたいなもっと安易なとこがあるよなぁ。「あの人とは血液型が合わないから付き合わんとき」とか「水素水呑んだら肌ツヤが良くなるで」とか、自分で信じるのは勝手やけど、そういう安易な風評を人に圧しつける風潮、なんとかならんかなぁ。
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反知性主義とは、知性と権力が結びつくということを批判することで、知性そのものを非難することではなく、アメリカという国故に生まれたということが分かりました。
本書では、アメリカのキリスト教布教の歴史に於ける、「信仰復興」(リバイバル)を通じてどのように反知性主義と言う考え方が敷衍されてきたかが分かるようになっています。
個人的に、特に勉強になったトピックとしては、「政教分離」で、日本では創価学会などがやり玉に挙げられますが、アメリカのそれは、政治から宗教を追い出すことではなく、各人が自由に思うままの宗教を実践することができるようにすることであるということです。
言葉も平易で読みやすく、納得の一冊でした。
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前半のハーバード、イェール、プリンストン設立の由来は理解できたが、リバイバリズムは、あれで本当に良いのだろうかと、最後まで理解できなかった。
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【由来】
・MediaMarkerで。札幌市の図書館では1冊に対して16人。
【期待したもの】
・
※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
・
【ノート】
・
【目次】
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ホフスタッターのAnti-Intellectualismを説き起こした本。キリスト教と反知性主義の関係、そしてアメリカ人のものの考え方、感じ方について、説得力ある議論を展開する。
反知性主義とは知性を否定するのではなく、知性に結びつく何かを否定する。たとえば知性と権力が結びつくこと。知性と権威が結びつくこと。大卒じゃなければ牧師になれないとか。科学と権力が結びつくこととか。
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【知の引っぺがし】トランプ大統領の誕生等の流れを受け,日本でも幅広く使われるようになった「反知性主義」という言葉。その発祥の地とも言えるアメリカにおける反知性主義の流れをたどりながら,その考え方の本来意味するところを探求した作品です。著者は,国際基督教大学で教授を務める森本あんり。
決して難解な表現に頼ることなく,それでいて明晰に反知性主義とは何たるかを示した名著だと思います。現在の反知性主義という言葉がなんとなく内包するマイナスのイメージとはかけ離れた実像が浮かび上がってきたところも非常に興味深かったです。
〜反知性主義は単なる知性への軽蔑と同義ではない。それは,知性が権威と結びつくことに対する反発であり,何事も自分自身で判断し直すことを求める態度である。〜
話題の本でしたが☆5つ
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☆アメリカの現世での利益を求めるキリスト教。反インテリの風潮らしい。
キリスト教原理主義もこれなのかな?
p.259 知性(intellect)は人間だけ、知能(intelligence)は動物もある。知性とは単に何かを理解したり分析したりする能力だけでなくて、それを自分に適用する「ふりかえり」の作業を含む、ということだろう。
p.260 知性の「ふりかえり」が欠如していないか、知性が知らぬ間に謁見行為を働いていないか、自分の権威を不当に拡大使用していないか。そのことを敏感にチェックしようとするのが反知性主義である。
p.262 反知性主義は、知性と権力の固定的な結びつきに対する反感。知的な特権階級が存在することへの反感。「ハーバード主義」への反感。ハーバード大学の出身者が固定的に国家などの権力構造を左右する立場にあり続けることに対する反感。
アメリカは民主的で平等な社会を求めるから、キリスト教が反知性主義として力をもつ。
(参考)ホーフスタッター アメリカの反知性主義 県立 大学302.53H81
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反知性主義という言葉自体はここ最近、トランプ政権の誕生や各国家での保守派の台頭を指したものとして聞かれるものだった。そうした風潮に「反知性主義」という批判を浴びせるという文脈で使われていた言葉。
しかし、この本を読むと「反知性主義」という言葉はむしろ褒め言葉のようにも思えて来る。
反知性主義は、知性の越権行為を監視するもの。知性が学問以外の領域に進出し、影響力を持つことに対する反感。また、単純な反感だけではなく、知性が特定の人々のものになり、世襲化し固定化することに対する反感であること。
アメリカの場合、その根底には社会の階層に囚われない平等という概念があること・・(また、さらに平等の根底にはアメリカで土着化したキリスト教が深く関わっていること)・・・などを学べた。
個人的には、本書の説明から何故歴史の流れの中で、本流と異端が入れ替わり続けるのかという疑問の解消の一助となった気がする。(ユダヤ教とキリスト教の入れ替わり、カトリックとプロテスタントの入れ替わりなど)。
異端が発展して、本流となっていく中で知性と結び付く。知性と結び付いたことで、活動が難解なものになる。それに反感を持つ人たちが、本流を積極的に否定する活動を形成する。
この本は近代アメリカのキリスト教という観点から、反知性主義を話していたが、現在の政治でも同じようなことが起きているのかも。反知性主義という言葉がマスメディアや知識人を通じて出てくるということは、自分たちは知性を持つ層であることを自認している。その時点で、本流とそれに反感を持つ層の対立が起きる土壌が出来ている。リベラリズムという価値観が強い影響力を持って、現実の社会に対して大きな影響力を持っている。そこにある程度の強制力が生じるが、そこに反感を持つ人がリベラリズムという本流に対しての異端を作る。こうしたことが繰り返されていくために、本流は安定しない・・・みたいなことかなー。