紙の本
初めて知ることばかり
2023/09/17 20:36
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投稿者:しゅんじ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『日本一鑑』は前から知っていたけど、書いてあることはともかく、作者がどんな人かまではよく知らず、漠然と「明の役人」なんだろうなあ、くらいに思っていた。盲点。色々そこにもドラマがあるんだな。国をまたいで移動した人の話は例外なく面白い。でも惜しいなあ、もう15年遅く日本に来ていたら、信長や秀吉のエピソードも書き残していたろうに。
紙の本
読み応えあり。
2024/01/04 21:37
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投稿者:qima - この投稿者のレビュー一覧を見る
中国史成分より日本中世史成分がかなり多くて楽しめました。特に四国や九州の地理に詳しい人、大阪和歌山の歴史好きにはたまらないかも。
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いわゆる後期倭寇の時代。中国周辺での海賊行為を止めさせ、明朝の元での華夷秩序を回復すべく、無位無官の侠士・鄭舜功は広州を発ち、日本に向かう。暴風の影響もあり、彼はに行くことはできず、豊後大友氏の元にとどまる。しかし、同じく日本に来ていたライバルの動向もあり、彼は部下を京都に向かわせつつ、自らは中国に戻る。しかし本国の権力争いもあり、彼の功績は全く報われなかった。そんな彼の書いたものが『日本一鑑』。
確かに著者が紹介するように、鄭は尊大な偏見を持つことなく、日本の在りようをそのままに観察したように思われる。
ただ、彼の行程を見ると、
・1556年6月 広州出発
・同年7月 豊後着
・1557年1月 帰国の途に
ということで、その日本滞在は7か月ほどであり、会った人間も限られていただろうし、どの程度の見聞ができたのかやや疑問ではある。
本書を読んで勉強になった点。
〇後期倭寇の実態が良く分かった。
〇当時の大陸からの海上ルートの状況。その中でも、屋久島は標高2000メートル近い山がそびえ、島にぶつかった海風が上昇気流となり、島の上空には年間を通じて白雲が浮かぶ。そのため外洋の水平線上に、島の位置を遠方から見通すことができる。中国の船乗りたちは、屋久島を白雲峯と呼び、航海の目標としたとのこと。
〇日本周辺の海上ルートの状況。特に沿岸の地形に頼ることなく、羅針盤での外洋航海が可能であった中国船、ポルトガル船では、四国の遠洋を航行する太平洋ルートが開かれたのではないかということ。
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中国から見た戦国時代、という内容を期待したが、中国社会史の教授の本ということで、あくまで戦国時代の日本を訪れた中国人と明朝の話だった。
野蛮な日本人のイメージの原因となった倭寇と、朝貢貿易のみが認められた時代の密貿易が絡みあう。鉄砲伝来も硝石や鉛の商売のためだった。
読み物として面白い訳ではないが、歴史を紐解く好奇心をくすぐる。