紙の本
ビーガンを知るための一冊
2023/11/27 13:38
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
ビーガンの食事を経験したことがあるが、ずっとビーガン生活を送るのは、いろいろな意味で難しいだろうなと思ってきた。それは、ビーガン=禁欲者 のイメージが強いからかも知れない。と本書を読んで思った。
ビーガンとは何か。そもそもの考え方、倫理観などを知り、制約のある中で工夫する楽しみなども伝わってくる。
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『可能な限り』努めるのはいいこと。
動物園やペットショップを支持しないのはわかるが
(てかビーガンでなくともこれは普通)
食品、ましてや医薬品にも懸念を示すのは謎。
自分が具合が悪ければ
悲惨な動物実験によりうまれた医薬品を使う。
都合良すぎでしょと思う。
私たちは可能な限り。。っていうけど
貴方が死を選べばいいのではと思う。
人間が生きてる限り搾取されるものはうまれるわけで笑
人類撲滅しかないのでは
それで肉を食べる人を否定はする。見過ごせない。は、自己中というか視野が狭いというか。迷惑すぎる笑
読んでてモヤモヤした
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私自身はマクロビオティックを実践していて、普段は肉・魚・卵・乳製品・砂糖をとらない食生活をしている。
よくビーガンと混同されるのだが、マクロビは自分や家族の健康や心が穏やかであったりなど、生活を中心とした考え方のように私は思う。
それに対してビーガンは動物(生き物)を尊重する態度だ。
大切なのは「思い」ではないだろうか。
他人を気遣うように動物にも思いを馳せるなんて、素晴らしいことだと思う。
ビーガンになる・ならないではなく、この「思い」の発端や苦労したこと、どうすればよいかのノウハウなど、読んでいて興味を持ったし、知らなかったことも多く、とても勉強になった。
昔からあるベジタリアンと非ベジタリアンの口論が示すように、ビーガンに反対する意見もつきないことは容易に想像できるが、そういったことに着目する必要はないと感じる。
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今日からはじめるビーガン生活
ビーガンとは動物を利用する営みから距離を置く人、 といえます。ビーガンはそうした営みから距離を置くので、自分がそれに参加しないのはもちろん、それにお金を投じることもしません。したがって第一に、 ビーガンは肉や卵や乳製品を避けます。ゼラチン、かつおだし、蜂蜜のような動物成分が入った食品も同様です。加えて.毛皮やレザーやウールの服も買いません。動物園や水族館にも行きません。化粧品や日用品は買いますが、動物実験をしていないもの、 動物成分が入っていないものを選びます。
なぜビーガンは動物製品や動物娯楽を避けるのでしょうか。それは、動物たちの生を尊重したいからです。ビーガンは、動物たちが人間の食べものや衣服、 実験材料、あるいは娯楽の道具にされてはならないと考えます。
ビーガンという言葉は一九四四年につくられ、その立場はビーガニズムと名づけられました。この概念をつくったイギリスのビ—ガン協会は、ビーガニズムをこう定義します。
「ビーガニズムとは衣食その他、 あらゆる目的による動物の搾取と虐待を、現実的で可能なかぎり暮らしから一掃しようと努め、ひいては人間, 動物・環境のために、 動物を使わない代替選択肢の開発と利用を促す哲学と生き方である」
ビーガニズムは「完全菜食主義」と呼ばれることもありますが、菜食はビーガンがおこなう基本的な実践ではあっても、それ自体が目的ではありません。搾取からの脱却が本来の目的なので、正しくは「脱搾取」と理解するのが適切でしょう
知らない人には驚きかもしれませんが、肉食は動物を殺すばかりでなく、人々の土地を奪い、飢餓を生み、森林を損ない、水や空気や土壌の汚染を引き起こし、地球温暖化を進めるなど、果てしない暴力と結びついています。したがってビーガンは動物利用だけでなく、このような人権侵害や環境破壊の暴力にも反対します。
人間中心主義を乗り越えた倫理観— つまり、人間への配慮が大切なのは当然として、人間以外への配慮もそれに劣らず大切であるという考え方が、ビーガンの行動を貫いています。
みずからの思考と選択と創意工夫によって、暴力的な暮らしを非暴力的な暮らしへ改めていくことは、自分に制限をかけるというより、新しい視点に立って生活する、といったほうが正しいように思います。
1章 私がビーガンになるまで
ほとんどの人は超人でも禁欲主義者でもなく、普通の感覚の持ち主で、 時間をかけつつ雑食者からビ—ガンへと変わっていきます。
2章 動物利用の問題を考える
食用部門の動物利用は、最小のコストで、最短の時間に、最大の産出を達成することに目標を置きます。これが直接的に意味するのは、動物に与えるものを最小限まで切り詰め、できるだけ早く、できるだけたくさんの肉・乳・ 卵をつくらせる、 ということになります。
卵用の雌鶏はバタリ—ケージと呼ばれる金網の檻に数羽ずつ閉じ込められます。雌鶏たちは、はばたくことも歩くこともできず、ただ餌をついばみ卵を産まされるだけの生活を送ります。
効率性を高めるためのもつとも悪魔的な工夫は、 一般に。品種改良といわれるものです。「改良」という言葉は、この措置が「良い」ものであるというバイアスを含むので、ここでは品種改変と言い換えましょう。
肉用の牛なら一歳から一-歳、人の年齢にすれば20歳に満たない年で死を迎えます。乳用の牛なら四、五歳から長くて10歳、人間でいうところの三、四〇代で「廃用」となり、屠殺場に送られます。豚は肉用なら生後数カ月、繁殖用ならやはり四、五歳が、この世にいることを許される
期間となります。
鶏は卵を産む雌鶏が生後十数カ月、ブロイラーが生後2カ月未満で殺されます。生後2カ月といえば人間に換算しても幼い子どもであり、 現に屠殺場にたどり着いた鳥たちは、大きな体をしてはいても、 声はまだひよこのままなのです。畜産業はまさに、 動物たちの生そのもの、 存在そのものを切り詰めてきたといえます。
世界で一年間に屠殺される動物の数は、少なく見積もっても800億匹にのぼります。これに加え、屠殺される以前に病気や虐待で命を落とす膨大な動物たちがいることを忘れてはなりません。
底引き網は地形を変えるほどの破壊力を持ち、 每年、 世界で失われる森林面積の150倍にもなる海域を損ないます。世界でおこなわれる漁獲の半分以上はこれによるもので、破壊の爪痕は人工衛星からも観測できるほどです。
世界の海で捕らえられる魚介類の数は、少なく見積もって年間ーから三兆匹にのぼります。屠殺される養殖魚の数は、少なく見積もって年間八〇〇億匹とされます。殺されたあげく売り物にならないとして捨てられる魚や、屠殺前に養殖場で死んでいく魚を含めれば、数はこの何倍にも、何十倍にもなります。
畜産業は世界の人々をやしなうどころか、世界の人々から土地と食料と生活を奪う営みなのです。世界中の土地が食用の動物をやしなうことに費やされ、その動物たちの大部分は日本のような富裕国の人々によって消費されます。
1キログラムの肉を得るには、どれだけの餌を動物に与える必要があるのでしょうか。おおよその試算によれば、ブロイラ—の場合、 その量は二キログラム超、 つまり倍以上となります。豚は五から六キログラム、牛は-10から20キログラムです。つまり肉を生産するということは、もともとあった食料を二分の一、 ー〇分のー、さらにはー一〇分のーにまで減らすようなものだと考えればよいでしょう。
世界の農地の八割は畜産と飼料栽培に使われています。アマゾンの森林伐採は九割が畜産関連の開発事業によるものです。農民、先住民、森の恵みに頼って生きる人々が犠牲になります。肉食が人権侵害であるゆえんはここにあります。
畜産場のそばを流れる河川は往々にして排泄物の栄養分に汚染され、富栄養化という過程を経て酸欠状態になります。魚介類や水を頼る生きものたちは生きていけません。大型の畜産場に近い河口では、宇宙からも観測できる酸欠水域が生じます。
特に牛が放出するメタンは、二酸化炭素の二〇倍を超える温室効果があります。世界には約ー〇億頭の牛がいるので、 メタンの排出量も大変なものになります。
動物業者は、動物が嫌いだから、あるいは動物虐待が楽しいから��動物たちを閉じ込めたり殺したりしているのではありません。業者が動物たちを苦しめるのは、私たちがそれにお金を投じるからです。経済学の用語でいえば、消費が生産を後押しする、あるいは、需要が供給を後押しする、ということです。
3章 ビーガン生活ことはじめ
ビーガンは少なくとも直接的な動物搾取の応援から手を引くことを第一目標とします。グレーゾーンはあるにせよ、動物の拘束や殺害を大前提とし、それなしには存在しえない商品を避けることはできます。これが動物性食品や動物娯楽を避ける理由です。
ビーガンになろうと決めた人はまず、植物性のものはOK、動物性のものはNGという点だけを押さえておき、慣れてきたら自分の生活状況を顧みながら、 よりいろいろな問題に配慮した選択肢を模索していくのがよいと思います。
肉をなくすには、まず、きのこ・豆・厚揚げ、 油揚げを使ってみるという手があります。油揚げは味がよく染み込むので、肉の代替品として優れものといえます。きのこや豆は種類によって特色がちがうので、いろいろなものを試してみるのがよいでしょう。
栄養についてはきめ細かな議論もできますが、 詳しくはパメラ・ファ—ガソンの『ビーガン食の栄養ガイド』に任せたいと思います。とりあえず常識的なこととして、
①なるべく加工されていないものを多く食べる
②多様な旬の食材をまんべんなく食べる
この2点を踏まえておけば健康なビーガン生活を送れるでしょう。
4章 ビ—ガンの世渡り術
ビーガンにとって悩みの種になりやすいのはむしろ、 人間関係です。ビ—ガンになったことでまわりの人々と距離ができてしまったという悩みはよく聞かれます。
日常的に顔を合わせる人々からのもらい物については、動物成分が入っている場合、 明るくお礼を言って断るのが後々のためになります。「この人は動物成分が入ったものを絶対に受け取らない」と周囲に理解してもらうことが肝心です。
質問に答える際のポイントとしては、自分語りを中心とすることが挙げられます。自分が経験したことや考えたことを伝えるという方針です。ビーガンの話を聞いていた人がときおり反論などをまくし立てるのは、主として罪悪感からの反発.だといわれます。つまり、動物を食べる自分が責められているように感じ、自己弁護を図りたい一心からビーガンの誤りを証明しようとする、という心理です。けれどもこちらがあくまで自分の経験を話す方針で一貫していれば、相手のほうも反発心を抱きにくく、むしろ多くの場合、冷静に(かつ興味を持って)その経験談を聞くことができます。
動物利用に関係するいくつかの数字も覚えておけば説得力がグツと上がりますが、情報の与えすぎは相手のほうが付いてこられなくなるので要注意です。自分では少し言い足りないくらいがちょうどよい、と覚えておきましょう。
ビーガンと非ビ—ガンのカップルが結婚を考える場合は、本当にやっていけるかどうかを厳しい目で検討し、衝突しそうな事柄について事前によく話し合う必要があります。他方、現時点で伴侶や身内と暮らしている人がビーガンになろうとしたときは、家族の理解を得て、 必要な落とし��ころを探らなくてはなりません。
怒りよりもその根底にある悲しみを伝えるように心がけましょう。怒りは往々にして反発を生みますが、悲しみは共感を生みます。加えて、弱さを打ち明けることは相手への信頼を表します。
5章 ビ—ガニズムの輪を広げるために
活動においても、コミュニケ—ションの基本通り、相手を信頼して敬意ある対話を試みることが大切な心がけとなります。聞く側の立場になって考えればわかりますが、人は自分を見下す者や自分に敵意を向ける者の言うことに耳を貸そうとはしません。
人を責めるのではなく行為を問うという視点を大事にしましょう。人には変化を迎えるまでの段階があるので、今は変わりそうにない人物も、いずれは変わりうる可能性があります。
フェイスブックやツイツタ—では、相手の気持ちに配慮しつつ言葉を選んだり、書かれた言葉の背景にある相手の意図を注意深く確かめたりといった作業がおろそかになりがちなので、ほとんどの場合、健全な相互理解へ至ることが期待できません。
さまざまな人々が争いに加わって互いの琴線を刺激し合う結果、怒りの感情が果てしなく膨れあがっていくのも問題です。
街頭アクションの一種にテーブリングといわれるものもあり、海外ではさかんにおこなわれています。これは文字どおり、人の集まる場所にテ—ブルを据え、テ—マに沿った資料や関連グッズを展示するという手法です。
私たちは普段、苦しむとわかっている相手に故意の苦しみを与えようとはしません。多くのビ—ガンはこの考え方にのっとり、明らかに苦しみを感じる動物たちと、おそらく苦しみを感じないと思われる植物のあっかいを区別します。
最後にひとつ、大事な心がまえを述べておきますと、ビーガンとしての生活を貫くうえでは、「できる範囲でやる」ではなく「どうすればできるかを考える」という姿勢が键になります。
求められているのはむしろ、あらゆる搾取・不正、 暴力に反対するという意志のもと、どうすれば今よりもその目標に近づけるかを、 絶えず模索しつづける積極性なのではないかと私は考えます。ビーガニズムの旅路に終わりはありません。それは非暴力の生き方を追求する、一生にわたるプロセスなのです。
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考え方は人それぞれ。読み終わってから、そう思って今までの行動を継続するも良し、著者に感銘を受けたり思想に共感された方は実践するも良し。ビーガンに対しての知識を得るには読みやすく非常に勉強になる本でした。理解が深まりました。