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投稿者:ta - この投稿者のレビュー一覧を見る
心理学に興味があって読みました。すごくわかりやすかったです。入門なので、素人の初心者でも読みやすかった。
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投稿者:タタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ユング研究所にとても興味を持ちました。実際に行ってみたいですが、難しそうです。とても勉強になる内容でした。
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無意識の力について新しい知見を得た。
人生に意味はなくても意味を見出す行為は、そうすることで耐えるに値するものになる。
世界は残酷でけれど美しい。私という世界(意識と無意識)もそうであればいいな。
自分がこの人生を少しでもいいものにするために私は何を持っているのだろう。夢から無意識の自分を考える知るというやり方で見つけれたらいいな。
ユング心理学について他にも本を読んでみたいと思った。
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表紙のイメージよりは結構しっかり内容が詰まっていました。とはいえ比較的やさしい話し口と具体例を交えてくれるため、テーマにしては読みやすい本だと感じました。
アイドルやゆるキャラなどと交えた見解は「なるほど…」と思い、視野も広がったかなと思います。
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2回目読了。ユング心理学は専門的な本を読んでいると難しくなってくるので、少し現代人に向きにアレンジされた本で勉強したいなと思って手にとった本。
わかりやすく書かれており、ユング心理学ってこんな感じねと初心者には良いかも。専門性を求めている方には物足りないかもしれない。
印象的だった箇所をいくつか抜粋。
親は選ぶことができない。けれども、生きるのが苦しいのが全部親のせいであるならば、
それはまた「まだ親に自分の人生を支配されている」ということに他ならない。
親から愛ではなく、苦しみを与えられたのは悲しいことであるが、それを自分のこととし引き受けていかなければ、自分の人生を真に生きることはできない。
そして、「自分のこととして引き受ける」というのは、「自分に原因がある」と思うこととは違う。
ユング心理学は目的論的な心理学と言われる。
たとえば、「自分がそのような親を持ち、不幸だと感じていることは何らかの意味があるはず」と考えるのが、目的論的な見方である。ユング心理学はこのような物事に意味を見出そうとする態度に基づいている。人生をトータルで見ようとする姿勢もプロセスを重視する姿勢もユング心理学ならでは。
レインメーカーの話は個人的に惹きつけられる。
ある地域では干ばつが続いていたので、雨を降らせるための儀式を行う雨乞い師を呼ぶことになった。
別の地域からやってきた雨乞い師の老人が3日間小屋にこもると、4日目に吹雪となり大雪が降った。雪が降るなど考えられない季節であったため、驚いて雨乞い師にどうやって雪を降らせたかを聞くと、雨乞い師は特に何もしていないとのこと。では、小屋にこもっていた3日間、いったい何をしていたのか聞いたところ、
「この土地の秩序が乱れている。天の定めに則っていない。この土地が道(タオ)から外れているので、わしも物事の自然な秩序から外れてしまった。3日待ってわしが道(タオ)の中に再び戻ると4日目に自然に雨が降ったのじゃ」
このエピソードで示しているのは、
「自分の内と外は連動していて、自分が整うと、待っていればおのずと外部の状況も整う」と考える東洋的な考え。
西洋のように、原因や結果を求めない。ユングの物事をトータルで見て理解しようとする態度の基礎である。
次の抜粋は私のことを言われているようで耳が痛い。
ユングが冷戦を通じて示唆しているのは、2つの物事が対立し、緊張状態に陥ったとき、それに耐えることが大事になってくるということ。
冷戦では国際社会に45年間にわたる緊張状態をもたらした。その間、1962年のキューバ危機など、核戦争寸前まで至ったこともありつつも、何とか核ボタンには手をつけずに1989年の冷戦終結まで持ちこたえた。
緊張や葛藤は苦しいし、モヤモヤするので、早く解決してその状態から解放されたいと思うのが人情。
たけど、早く解放されたいと願うあまり、安易に答えに飛びつけば、それは破壊につながりかねない。
次の抜粋は私の面接態度における戒めになる。
「面接室は成果とつながっ��いるんだ。だからこそ、世界で起こっている物事に対して、ユング派はもっと当事者意識をもって、自分事として考えなければならない。」
ユング派の心理療法や個人分析は、夢やイメージを扱うことに夢中になり、現実の社会や世界から隔離された閉ざされた場になってしまうことが多い。
クライエントの語ることは、たとえ個人のことであっても、国際紛争や円安などの社会情勢が影響しているかもしれず、社会や世界と地続きでるはずである。
また、仮にクライエントが「最近の値上げで家計が大変だ」と話していたとしても、ストレートにそのまま意味の場合もあれば、「家計が大変だけど、やり繰りしてここに来ている」というメッセージかもしれない。
または、その人のこころの内容が投影されている可能性だってある。
次の抜粋は励まされる内容だった。
現実は「こころ」を映し出すスクリーンのようなもの。そもそも現実はこころが生み出したもので、こころの延長線上に現実があるとユングは考えていた。国家、社会、世界、はこころの内容が投影されていると。
技術や制度などもそう。
「こんなことができたらいいのにな、こうだったらいいのに」という願いや欲求から始まり、想像され、形が与えられ、多くの人に共有されるに至っている。
ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』では、国家とは、そこに住む人々によって、自分が共同体に属しているというイメージが共有されることで成立すると示した。
国家は最初からそこにあるのではなく、人々が「自分がそこに所属していると想像することで初めて現実となる」
SDGsの達成とか平和とか、今問題になっていることに関しての解決を願う人が多くなればなるほど、その集合体の心が投影された国家や社会が出来上がっていくのだと思った。
(最近読んだ、『最近、地球が暑くてクマってます』にも似たようなことが書かれていた)
最後の抜粋は私の面接態度におけるヒントになりそう。
現代では、科学や技術の発展により、総じて合理的思考が過多になっている。
感情や身体の感覚がおろそかになっているため、鍛えることが大切。淡々として感情が動かない人が推しを語ると感情が高まったり、ほぼ引きこもりの人が推し活のために、外出して人と交流したり。
感情や身体感覚が動き出しているのを感じると、支援者は安心する。エネルギー活性化が見てとれるのだ。
夢やイメージについて語れないクライエントも推しについては生き生きと語ることができる。
その場合、推しが夢やイメージに近い役割をすることもある。それは、
オリジナリティの面では夢やイメージに劣るが、支援者が追体験しやすいというメリットがある。
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ユング心理学の入門書だが、構成が独特であった。ユング理論の包括的な解説書ではなく、一人の分析家から見たユング心理学の「実践」に重きを置いた内容になっている。各理論の説明はあっさりしているのに対して、著者の人生経験や臨床についての実例は豊富で具体的である。よって、何を期待して読むかによって満足度が大きく変わると思う。エピローグにある『本書は、私という一人のユング派分析家が語るユング心理学の物語になっている』という文章が、本書の特徴をよく表している。
本書では、価値観の多様化、既存の価値の崩壊、それに伴う自己喪失を出発点に、早々に、自分自身を知り自分自身になること=『個性化』が登場する。それは『自分の傷を見つめ、自分のものとして引き受けていく作業でもある』。
多くのユング心理学の入門書では、各理論の説明が先にあり、それを踏まえての個性化、という書き方がオーソドックスである。本書の章立ての順序は、現代人の問題意識におけるユング心理学の「活用」が先にあり、そこから逆算して、それに役立てるための各理論がある、ということになる。
まず前提となる無意識、および普遍的無意識について説明される。そして、夢は『無意識の言語』であり、無意識から意識(自我)へのメッセージだとして、それを読み解くための『夢分析』が紹介される。
その後、本書の前半で各元型(影、アニマ、アニムス、ペルソナ、老賢者、自己)の説明がなされるが、かなりあっさりした書き方であった。ユング心理学に興味がある人は、このあたりに惹かれていることが多いので、ここはもっと分量を割り振って欲しかった。影は、抑圧されたものが無意識に留まっているものであるので、フロイト理論で主に扱われる無意識に相当する。著者は、日本人の分析には、影・アニマ・アニムスという紋切り型の分析はあまり当てはまらないと書く。このあたりは西洋人との違いだろうか。老賢者は自己が人格化された姿であると言われるが、これはピンとこなかった。私が日本人だからかもしれない。著者も『日本人の場合、自己を一神教の神のような存在としてよりも、私たちを包み込む森羅万象としてイメージしたほうがしっくりくるかもしれない』と注釈している。
親についても1章が設けられているが、これもユング心理学の解説書としては珍しい。ユング心理学の解説書といえば、集合的無意識(本書では普遍的無意識)と元型に比重が置かれがちであり、個人的な親子問題等はあまり重視されないからだ。これは著者が現役の分析家であり、かつ、著者本人の個人的な関心も大きいと思う。それだけに、説明は具体的で説得力がある。母親コンプレックス、父親コンプレックスは、元型を核に、個人的なイメージを基に形成されるという。著者は「親ガチャ」という言葉にも、全ての親が正しく子どもを愛して導くとは限らない、という現実を表すものとして評価している。しかしながら『それを自分のこととして引き受けていかなければ、自分の人生を真に生きることはできないのではないだろうか』とも書く。これはそのとおりだろう。著者自身、父親との関係に困難さを抱えていたようだ。父親の葬儀で、父親か���の心理的課題に思い至り、理解し、満足感と開放感を得る描写は感動的である。著者がユング心理学について『自分の生きなければならない運命に自分なりの意味を見出し、その運命を引き受けることを目指す心理学』だと書いているのは、著者自身の実感からだろう。
また、『ユングは、一つの心理的課題の解消には三世代はかかるのではないかと述べている』というのは、私自身のこととして、非常に実感に合う言葉であった。
こころの補償作用について『意識と無意識の間で起こり、意識の態度が一面的だったり偏っていたりするとき、それを補ってバランスを取ろうとする無意識の作用』と説明される。フロイトであれば、意識と無意識は葛藤し、衝突していると捉えるだろう。対称的な点である。
タイプ論にあまり興味を持てなかった著者の、それは『「四つの意識の機能をすべて使うために、自分が使いがちな機能(優越機能)と、使いこなせていない機能(劣等機能)』を知るための概念である、という気付きは示唆的である。ここでも個性化が目的なのだ。
シンクロニシティについては、『原因や結果にこだわる気持ちから離れて、起きたことを全体として』見てみたら『自分が思いつく原因や結果だけで説明できるわけではない』、と説明される。因果律の外に自分固有の意味を見出す原理、ということだろうか。私にはよく分からない。
ユング心理学では、こころの中の対立を安易な回答で解消するのではなく、『それは誰かの答えではなく「私の答え」なのか、十分に時間をかけて自分の中から出てきた答えなのか問う』ことが重要なのだと書かれる。それは、『夢などの無意識からのメッセージを聞きながら、十分な時間をかけて悩み、苦しんだ末の、対立する二つの物事のどちらか「じゃない」選択である』ということだ。ただ私には、著者の『「じゃない」選択をしやすいのは、今の社会で権力や既得権益を持たない人たち──、特に女性や若者、そして今ある社会の枠組みに疑問を持つ人たちではないか』という書き方に、どこか微量のルサンチマンを感じてしまうのだが、どうだろうか?それは別として、『社会も世界も所与のものではなく、元々は私たちのこころから出てきたイメージによって作り出された』というのは、そのとおりだと思う。
推しや推しの作品が夢やイメージに近い役割を果たすというのは、確かにそうだと思う。それ著者によれば『心理学的には、一般に「推し」は「ファン」よりも「同一化」の度合いが強いと考えられる』からである。私が思う夢分析の根本問題は、そもそも夢の細部まで覚えている人が多いとも思えない、ということだ。
日本では、外部からの侵入、侵略のない地理的条件がもたらす歴史もあり、子ども元型が強くコンステレートされている結果として、可愛さを尊ぶ文化が形成されたという指摘は示唆的であった。だが、この後に続く、漫画や日本とK-POPのアイドル文化についての記述は蛇足であると思った。一般的な文化論に、フレーバーとしてユング心理学を加えた程度にしか思えず、あまり興味が持てなかった。
ユング自身のクライエントには外国人、女性、社会的マイノリティが多かったらしい。著者はユング心理学を、『どこかメインストリームから外れていて、それゆえに生きにくさを感じている人に刺さりやすい』として、『メインストリームからこぼれ落ちる人たちとどこかしら共鳴するところがある心理学』であるとする。まあこれは当然で、そもそも順風満帆な人が心理療法のクライエントになるわけがない。
終盤では『より自分らしく生きることを求めて変わりたい人の個性化の道を妨げる権利は誰にもない』と主張される。ここはユング心理学というより、著者の主張という面が強いだろう。また、デジタル技術、AIについて『人が効率性や合理性を追求する中で、切り離されていく非効率的で非合理的なものの中にこそ、得られるものがある』と書いているが、これは私もそう思う。いつもいつも効率のことばかり考えるなんで、寂しい人生だと思う。無駄なことこそ楽しいんじゃないか、とも思う。こういう本を読むことだって、おそらく仕事の役には立たない。あれこれ考えてしまう分、役に立たないどころかマイナスまであり得る。しかし、それでも楽しいものは楽しいのである。
本書のはっきりとしたマイナス点として、フロイト批判についての書き方がある。
『同時代の心理学であるフロイトの精神分析学が、性的虐待にあった女性たちの声を封殺することで成り立っていたことを鑑みると、ユングの心理学は、少なくとも女性の声に耳を傾けようとする態度があった。』
これはつまり、フロイトは「あまりに性的な体験を語る患者が多いが、本当に現実だったのだろうか。これは無意識のもたらした心的現実、幻想なのではないか」という発想から精神分析の理論を組み立てたことを指していると思われる。このこと自体の正否は別として、フロイトに『女性たちの声を封殺する』というような意図があったとは思えない。何より、精神分析に知識のない者が著者の文章だけを読めば、フロイトに対して大きな誤解を持つだろう。著者の主張も分からないでもないが、あまりに端折って書いているせいか、間違いではないにしても説明不足の誹謗中傷のようになっている。著者はユングの、今日的視点からは批判の的になりそうなアニマ・アニムスという概念や、ユダヤ人差別や人種差別とも取られかねない発言について、『彼の生きた時代の文脈の中で受け取られなければならない面もある』と書いている。これは正しいと思う。現代の物差しでジャッジしても意味がない。そして、同じことがフロイトにも当てはまるのである。
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ユング心理学がわかりやすく、面白く読めた。
タイプ論についてもっと詳しく知りたいと思った。
母親との関係が良好な場合、ここにいてよいという感覚が自分のベースにある。基本的に自己肯定感が高いので、心理的に安定している場合が、多い。飛んださきに自分を受け止めてくれる地面があると信じているので、見る前に飛ぶことができる。
内なる父親がポジティブだと社会生活で悩むことがあっても大丈夫と後押ししてくれるので、そんなもんでしょとあまり悩まずに集団生活に乗れる。
父親コンプレックスがネガティブな人は集団生活があまり好きではない、馴染めず苦手に感じる人が、多い。こういう人の内なる父親はネガティブなので、ダメ出ししたり批判したり、抑圧的な態度を取る。
ユングの自伝の最後に
「この世界は無慈悲で残酷である。しかし、同時に美しい。生きることには意味があり、そして意味がない。私は意味が優勢となり戦いに勝つことを切望している。」
運命はときに残酷だが、そこに自分なりの意味を見出していくことができれば、自分の生に価値や方向性が与えられ、自分の運命を引き受けていくことができるのではないか。
の部分が印象に残った。
また読み返したい。