生産性のない人生でもなんだか許されているような気がしてくる。
2024/02/07 22:34
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
大阪で猫とパートナーと生きてきた7年間のエッセイ。社会学の目線から畏まって書かれたものじゃなくて、ただの酒と猫好きなオッサンの日記だなと思ったら、急に温かくて滋味深い文章になったりして、やっぱり岸さんの文章は良かった。そして愛猫介護日記は泣ける。岸さんの文章を読んでると生産性のない人生でもなんだか許されているような気がしてくる。
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にがにが日記は、ハッと気付かされたり、気付かされたりすることもあったが、対で向かいあう(読み進める)ことがむずかしい。恐らく、連載のペースで読むのが本当にいい匙加減だったのだろうと思う。
おはぎ日記は、生々しい記憶が呼び起こされたけど、命の煌めきや心配する気持ち、生を強く感じられる話であった。読み進めて悲しいけど、読めて良かったと思う。
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著者のことを知ったのは2015年、『断片的なものの社会学』の頃。以来Twitterでもフォローしていたから本書の内容はほとんどリアルタイムで読んで、いろいろ知っているのに何度も大笑いしつつ、最後は嗚咽するほど泣きながら読んでしまった。『大阪の生活史』できましたね!まだまだ先になりそうだけど読むのを楽しみにしています。
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岸政彦「にがにが日記」https://www.shinchosha.co.jp/book/350724/ 感情表現なんて何もない短文を淡々と積み重ねているのに読んでいると胸に迫ってくる。出版記念のトークイベントでご本人も言っていたが、無常というか無力感というか残したい残せないことの寂しさに傷ついているのかなと思う。ただ死んでいくだけという言葉が何度か出てきて、それを目にするたび、どんな偉業を成し遂げた人でも死ねばみんな一緒みんなただ死んでいくんだよ岸さん、と思う。老猫の介護と看取り記録『おはぎ日記』はこれからペットを飼おうと思ってる人の課題図書に指定してほしい。大きな病気もなく老衰で死んだ猫はしあわせだったろうな
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岸政彦の本は結構読んでて、特に「断片的なものの社会学」に感銘を受けたのだ
社会は街の人ひとりひとりによって成り立っているんだなぁという実感というか。
で、この本は岸政彦の日記なのだが、面白い。日記本でこんなに面白かったのは初めてだ。植本一子でもここまではなかった。
それは、岸政彦の本が好きだったからだろう。
この人こんな風に考えて生きてんのか、と笑
尊敬する人の頭の中を覗いてる感覚
おはぎ日記は泣いた。
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愛してるって書かなくても言わなくても、愛してるって伝えられるんだなって。最後のページのおはちゃんの写真見て、岸さんに似ていてびっくりした。
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1か月くらいかけて、やっと読み終えました。
『にがにが』はα波が出るのか、読むと眠くなって進めなかった。
全体的に飲んでる記述が多くて、楽しそうでした。おさい先生のイラストがよい。
『おはぎ』は死んじゃうんだなとわかってて読むの、辛かったです。
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岸政彦先生のPodcastがとてもおもしろくて、ついに著作に手を出した
色々書かれていらっしゃるけど、直近でかつ読みやすい日基本
岸先生の文字での一人のりつっこみ(そもそも文章を書くときは基本一人だが)がおもしろくて、移動中とかに読むと笑いをごまかすのが大変だった。マスクしててよかった。咳き込むフリしても何とかセーフ
岸先生のお連れ合いの「おさいさん」とのユニークなエピソードや愛猫のきなこちゃんおはぎちゃんのところは瑞々しい書き方で、でもとある出来事やそれの経過が苦しくて最後のほうがボロボロ泣いて読んだ
これは持ち歩いて読めないわ…となったので持ち歩きの本を入れ替えたぐらいです
でも人が社会や生き物や生きることや場所について、こんなやさしいまなざしを持てるんだと思えた
図書館で借りて読んだけど、普通に家に置いておきたいな。買うか…
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こういうことはあまり多くはないんだけど、「いつもなら絶対に寝ている時間帯(AM3〜4時)になぜか寝れずに起きている」って時に、ひとりぼっちで岸先生の本を読みます。なんだろう、ふと自分の人生のことを考えてしまうからでしょうか。
「にがにが」ではありつつも、おでんのおだしのような本でした。後半は読んでいて堪らない気持ちになり、家を飛び出して開店前のコメダ珈琲に並んだりして。
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「自分のエクストリームな体験や当事者性やアイデアで書けるのは一冊だけ。あとは『型』と『練習』。音楽でも文章でも学問でも同じ」(p.49)
すきな作家はいつも、同じことを違う言葉で書く。それが彼らの「型」なのだ。
電車が停まったとき、誰か亡くなったのかなと思える感性をうしなわずいたい、と綴る筆致はやわらか。一方で、「生きづらさをなくそう」「居場所をつくろう」といったふよんふよんした言説には一つ線を引く。わたしが引かれた哲学も確か、じゃなくて、殴ったら殺されそう(殺せそう)な煉瓦みたいな硬質な思想であった。
白眉は書き下ろしの「おはぎ日記」。実家の犬の最期も不思議だった。家族がそろえる日を選ぶかのように旅立った。雨の日だった。身体の自由がきかなくても、トイレに向かおうとした。ちいさくひとつ鳴いた。さよなら、というみたいに。あちこちに、いまもあの子の思い出が宿る。でもあの子はいない。筆者の愛犬の写真を見て、あの子の写真を見て、笑顔になって、すこし泣く。
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よかった。すごくよかった。
やっぱり日記本は好きだなぁ…と思うし、それに類する当事者研究や生活史の本も好きだ。
かなりの乱読派として数年読書を続けてきたけど、ここ最近自分の好きな軸が見えてきたような気がして、すこし嬉しい。
岸政彦さんは社会学者。先日読んだ『早稲田古本劇場』の向井さんは古本屋。定期購読している『ウロマガ』のダ・ヴィンチ恐山さんはWEBライター。他にもいろんな職業の人の日記を読みたいなと思う。下北沢に日記の専門店があった記憶なので、またこんどそこを訪ねようと思う。
「おはぎ日記」は泣いた。本を読んで声を上げて泣くのは初めてだと思う。映画を見て音や映像の迫力に泣かされるようなことは結構多いほうなんだけど、それとはまた違って、しみいるように悲しくなった。
喪失感を誠実にことばで表す姿勢を尊敬する。
最近自分もとても大切な人を亡くした。
もう1ヶ月以上経つけど、いまだにSNSや写真を遡ったりすることがちょっとできない。本当に突然いなくなってしまったので、SNSの投稿も直近まで更新されていて、まだどこかにいるような気がする。でもいない。その落差が辛くて、思い出すことすらはばかられる。
思い出にフタをしていてもゆっくり記憶が薄れていくだけで、それはいやだと思う。
著者は日記でおはぎが弱っていく過程を詳細に記録していて、死に瀕している家族の写真を撮ったりしている。おはぎのことを忘れたくなくて、文字での記録を残そうとしている。死に向き合う姿勢がすごいと思う。
それとは別に、喪失の悲しみを分かち合える人がいてすごく羨ましいなと思った。
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全体的に軽妙な語り口で書かれていて、読みやすく面白かった。挿絵もかわいい。途中、脳みそ死んでんじゃないかってくらい適当な時もあるが、、
生活史を研究している人だけあって、「ディテール」が詳述されていて、印象に残る。特に、おはぎ日記でおはぎを看取るところが、詳述すぎて辛くなる。ウィルキンソンの箱に亡骸を入れたり、それを霊園に持っていくために地下鉄に乗っているときにこっそり中を見たり、火葬の時に般若心経のCDを流すか聞かれたり、そのいちいちがありありと浮かんできて、おはぎが亡くなった岸さんの生活に出会わされてしまった感がある。もう、こんな辛い別れが待ってるなら、猫飼えませんよ。
あと、学問の世界でやりくりしてて本まで出してんのに、「何やっても中途半端やからな」なんて思うんですね、と感じてしまった。自分のことを中学40年生、なんて書いているが、やっぱり大人に見える人でも、成功してそうな人でも、メンタリティは変わってないし、満足感は得られないんだろうか。
子供ができないことへの折り合いも印象的だった。子供がいると、「暦」が生活にできる、という言い回しが印象的だった。「いまこんな、学生や院生みたいな自由な暮らしをしているからといって、子どもができなかったということの折り合いがつくわけではない」という記述も印象的だった。
ほか、印象に残った言葉
「果てしなく不寛容に、完璧主義に、一切のミスを許さない社会になるほかないのだろうか。〜
「ほかの人に対して不公平になるから」という言葉は呪いの言葉だ。もう一つ、「何かあったときにどうやって責任をとるのですか」も、きわめて大きな効力を持つ呪いだ。」
「20人に聞いた生活史をそのまま載せているだけの報告書だけど、わりと本気で、これは「世界文学」だと思う。」
「ほかの領域と「学問」を分けるのは、対象ではなく方法だ。」
「カップラーメンの3分も人生も同じで、もし生きるのがつらかったら、わざと関係ないことをして、人生から気を逸らしたらいいよ。」
「ランボー、怒りのランボー」