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タイトルから予想していたものとは違い、看板1つ1つについて深く語られている。何でもない看板でもタイトルをつけたり見る角度を変えるとアートに見えてくるフシギ。気に入ったのは『穴埋め大喜利』と『穴埋め』看板。時々見かけるけど、こちらに委ねられたこの感じ。無言板からの過言板も良かった。やりすぎは禁物。
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「おや?トマソンの新作があるぞ?赤瀬川先生はお亡くなりになったはずだけど…」と思って手に取った一冊。
もちろん著者は別の方。冒頭を読むと純粋?なトマソン出身でない、別口のようだ。
切り口もやや異なる。これも冒頭で言及されているが、美術評論家の著者は無言板を、パブリックアートのように「鑑賞する」。一方の元祖本家のトマソンでは町にあるそれらを「発見」し「採集」、「観察」して「作る」。路上観察学の名前通り、発見採集観察が主で、鑑賞という言葉はあまり使われていない。(鑑賞に近いのは「正体不明」シリーズかも)
著者の職業のためか、美術作品を例に取ることが多い。
トマソンに美術の知識を動員するとこんな感じ?
ただ「現代美術って難しい」と思う側だと、ちょっとわけがわからなくなってしまうフシも。
(画像検索すると一応作品が出てくるのが幸い)
気軽さ手軽さ面白さの面では本家トマソンにやや軍配!
ただ、美術的な見方、有用無用のありかた、といった視点は深く追及している分面白い。
無用・生産性のないもの、といわれてしまう諸々に対する著者の視線も優しい。
この本を読んで久々にトマソン関連を引っ張り出してきた。
まだ木製の電柱が立ち、うちっぱなしのコンクリや危うい角度のブロック塀が並び、無数の手書き看板が色褪せていた時代の写真が続く。
それに比べて、万事映えるように整って、少しのミスもとがめられ、もしくはSNSであっという間にネタとして拡散されそこでの評判が無二の価値となる…最近の街角は少し寂しい。
令和になってまとめられた無言板が、乱雑だったトマソン時代の息吹きがなおもあることを示してくれていて、なんだかほっとした。
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<目次>
第1章 定義:無言板とは何か
第2章 鑑賞術:気がつけば街角は美術展
第3章 考察:無と消費をめぐる文化史
<内容>
街角に数々ある掲示板や看板。そこの文字が消えていたり、消えかかったいたり。これを著者は「無言板」と名付け、いろいろと考察したもの。写真とタイトルの付け方がいい。ただ第3章の考察は頭が良すぎる。写真を見て、ただ笑っていたほうがいいな。
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看板の特定の色の文字が大切な文字であるからこそ、その色にしたにもかかわらず、あちこちで、どの色よりもその色の文字が薄くなり、いずれ消えていくということを、子どもの頃から気になって、残念に思っていた。そういった痕跡すら残らなかった看板類も含め、たくさんの無言板を集めた本。たくさんの同類からもっと絞って、その由来を深掘りしても面白いかもしれない。