ナショナリズムの類型
2018/08/31 18:26
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投稿者:病身の孤独な読者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
民族やエスニシティに焦点を当てたナショナリズム論であり、有名なナショナリズムの類型論を展開した作品である。類型論の軸としては、「権力」「教育」「文化的統一度」であるが、詳細は本書を読んだ方の特権である。ナショナリズムをすっきりまとめた一冊である。
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ナショナリズムに関する古典的著作の一つ。ナショナリズムについて、政治的な単位と民族的な単位が一致していなければならないとする政治原理と簡単に定義付け、ナショナリズムの第3世界におけるその野蛮性や暴力性、排他性が指摘される中で、むしろナショナリズムとは高度な文化、読み書き等の教育の普及と言語的統一、官僚制度や国家的枠組みの発展、そして共同体内部の同質性を持ってして初めて可能になる近代的な愛国主義であると述べる。
ゲルナーの議論は、文化本質主義者や民族等を所与のものと見なす論者への批判としては部分的に有用であるが、現代においてはその欠点をあげれば枚挙にいとまがない。第1に、ネーションと民族、あるいはエスニックなどの定義が不明瞭なままに、定義付けの際に用いられており、定義の破綻が生じている。第2に、ナショナリズムを国家と一体に捉える事で、国家なきナショナリズムを排除しているが、これでは冷戦後の民族紛争やナショナリズムを捉える事ができない。この点については、ゲルナーの定義ではこれらのナショナリズムといわれるものは部族主義であるとされるのかもしれないが、グローバル化と高度な技術の利用が新しい戦争においては見られるというカルドーの主張を鑑みれば、ゲルナーの主張するような前近代的な部族主義として冷戦後の地域/民族紛争を捉える事は適切ではない。第3に、ゲルナーの主張は、後に現れるハンティントンなど(土佐氏の主張を借りれば、恣意的で悪意のある)文化本質主義者に対しては確かに有効な批判になりうるが、同じ近代化論者でもセングハースのように外部との関係を重視し、選択肢は内部の人々自身にあり、進む方向も多様だという温和な近代化論と比して、排他的で一方通行な近代化論にすぎないと批判出来る。第4に、ナショナリズムは、内部に及ぼす作用と外部に及ぼす作用があるが、少なくともゲルナーは後者を軽視、もしくは無視しており、その点で物足りなさを感じる。
その他、あげれば切りはないが、国家と国民が一体である事がある意味で当然視される近代国家発祥の地としてのヨーロッパの研究者の古典的ナショナリズム論としては、まあ仕方がないのかなとも思う。ただ、民族と国家が一致していなければならないという考えは、ソ連内部の共和国形成の際の決定にも指摘出来る事である。まあ、これは民族自決の原則の焼き直しでしかないので、その例外やそれによって生じる後の時代の問題を反映していないので、あまり意味はないが。
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ナショナリズムの近代主義者三人のうちの一人、ゲルナーの本です。ゲルナーは、社会が前近代から近代に移行し、そこにおいて流動的な人々をまとめるために学校教育と識字率の向上を国家が主導的に行った事から民族(nation)が生じるとといています。
すなわち、ゲルナーはナショナリズムは、近代になって生じたものであるとみなしており、こうした見解を採用している研究者を近代主義者(modernist)といいます。
彼の本の展開は非常に説得的で、否定するのはなかなか難しいと思います。
訳も非常に読みやすいので、ぐんぐん引き込まれますし、気づいたら一日で読めてしまった、というぐらいです。
お勧めですよ。
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明確な定義を得ずに語られがちな2つの概念について、正面から向き合って分析、説明を試みている。ソ連現役の頃の著作なだけに現状の複雑さを説明しきれていない部分もあるが。手強いが良書。今後、この手の議論が盛んになるだろうが、その際に基礎的素養として押さえたい。あくまで定義や分析に徹しており、ほとんど善悪は問わず、評価、予測なども行っていない。
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佐藤優の紹介で読んでみたが、いまいちピンとこなかった。
近代国家がナショナリズムの枠組みを決める点、
文化には①野生文化と②園芸文化とがあり。
①は自然発生的、②は①を基にするが国家機関等の下支えにより強化される。
しかし、民族の捕らえ方として、一定の文化を共有していると書いている気がするが、民族とは人種・血縁と似た概念ではないのか?
文化・人種・国籍いろいろな点かせ更に思考が必要だと思った。
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アンダーソン、スミス と並び、ナショナリズム三大古典と言われる、ゲルナーの「民族とナショナリズム」
自分が専門でもなく、読み飛ばしたのもあるが用語が自分にとって難解な面があり、全てを理解したとは言い難い。でも、定義や結論(要約)があるので、比較的わかりやすい。佐藤優氏によると否定神学をもちいているのだとか?
私の理解では、時代が、農耕社会から産業社会に移るときに分業が必然となり、そのために必要とされることがある。それは、文化が国家を必要とするように、民族が高次元のコミュニケーションをすることが必然となるからである。そのためには、教育等の手段を共有財産としなければならない。
すなわち、ナショナリズムとはきわめて特異な場面で識別される愛国主義であり、文化的に同質的で、読み書き能力に基礎を置く文化を存続する教育システムをもつほど大きな単位で、その中に下位集団を持たないこと。単位の住民は、匿名的、流動的であること。
①同質性 ②読み書き能力 ③匿名性 が鍵となると書いてある。
時間が経ったら読み直したい。
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ナショナリズム研究の御大、アーネスト・ゲルナーの名著。
文章が力強くて大好き。
ナショナリズムとは何か?
本書では「政治的単位と民族的単位の一致をもとめる政治的原理である」と説かれている。
簡単に言うと一民族、一国家をもとめる感情及び運動の事。
もちろんゲルナーは本書で、ナショナリズムを肯定しているわけではないが、ナショナリズムとはそういうものであると断言している。
世界には多文化共生に成功しているカナダのような事例もあるが、
実際には失敗して悲惨な結果に終わった事例の方がはるかに多い。cf.ユーゴスラビア、ルワンダ等。
ナショナリズムが火種となる争いは絶えないわけだが、民族自決を訴えたウィルソンはちゃんその事について考えてたのかな?
別に排他的になるつもりは無いが、そこを履き違えてお花畑思考には陥りたくない。
理論武装したいネトウヨと呼ばれる方々には特にオススメ。
移民政策についてソフト面で考える上ですごい重要。
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「ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する政治的原理である。(P1)」と定義し、ナショナリズムは極めて特殊な愛国主義の一形態であり、その特性は(1)同質性、(2)読み書き能力、(3)匿名性である、と説く。
ナショナリズムは国家のない社会には発生せず、また民族はナショナリズムから生み出される、という展開やナショナリズムは恣意的な選択によって文化を根本的に変造してしまうし、文化的多様性を説きながら同質性を強要するという説明に納得した。
「ナショナリズム」と「文化を愛し国を大事にする」ということを同一視しないようにすることは今の時代に重要だと思った。
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【由来】
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【期待したもの】
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※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
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【ノート】
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【目次】
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民族とナショナリズム
(和書)2011年02月13日 22:44
2000 岩波書店 アーネスト ゲルナー, Ernest Gellner, 加藤 節
佐藤優さんの選書であったので読んでみました。
僕にとっは難解な部分もあり分かり易いと思えた部分を引用させて貰います。
『・・・もしカントとナショナリズムとの間に何らかの関係があるとすれば、それは、ナショナリズムが彼に対する反動であって、彼から派生したものではないという関係なのである。・・・』
カントと柄谷さん、そして佐藤優さんの選書であるアーネスト・ゲルナー。ベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」も良かった。
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ナショナリズム論の古典の1つ。
ナショナリズムという難題にかなり大きな視点で、歴史学や人類学、政治学などなどの視点を踏まえつつ、哲学的にアプローチしている。
ざっくりいうと、農業社会から産業社会への変化と支配的な文化とサブの文化との関係から、ナショナリズムをかなり明確に定義することに成功している気がする。
が、情報の圧縮度がかなり高くて、難しいので、また後日読み直す必要ありかな?
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「民族」「国家」そして「ナショナリズム」がいつの時代からどういった由来で出現したのかを、社会システムの観点から説明されている。
ナショナリズムとは、社会の構成員全体が、読み書き/四則演算を基礎とする高文化に参加し、文化文化レベルで同一化されている状態。その状態において、政治的/文化的境界が一致する範囲が国家であり、その領域内で生活する人々が民族である。
農耕社会(=封建制≠国家モデル)においては、「政治権力の集権化」と「文化/認知の集権化」の作用が独立的であるため、「支配/知識層」と「被支配農奴」はそれぞれの層において、再生産を繰り返す力学が働き、高文化の普遍化が進まない。(文化/階層の流動性が低い)
しかし、産業社会(=国家モデル)の時代に突入すると、「理性の発見」「(経済)合理性の発見」に伴い、人間の一元体系への統一化による階層間(文化間)の流動性が高まり、そこに永続的な成長概念(資本主義)が重なることで、高文化の普遍化に向かう力が働くようになる。高文化への統一に伴い、職業などの階層の流動化も高まり、生産性向上のための同一の訓練を実行するための役割として「国家」が求められるようになる。ここにおいて、「国家」と「文化」が結びつき、「民族」が生まれ「ナショナリズム」が発現する。
「国家」「民族」「ナショナリズム」とは、産業社会が生み出す1つの帰結であり、産業化=ナショナリズムではない。
政治と文化の範囲が一致したのは、産業社会のみではなく、農耕社会でもそれらの一致が見られることはあった。しかし、ナショナリズムの時代においては、上記の一致が必須条件となっている。
ナショナリズムの将来に関する予測としては、「縮小」と「拡大/強化」に二極化しているが、それぞれの揺り戻しや中間点に答えがあると著者は考えている。
<メモ>
・農耕社会においては、文化権力は水平的に、政治権力は垂直的に分割する力が働く
・高文化の普及に伴い、宗教においても(読み書き能力獲得により)聖書と向き合う「個人」に着目される
・政治的/軍事的弱者として存在する代わりに、強い権力を伴う専門職(金融など)の独占を与えられた集団(ユダヤ人など)は、ナショナリズムの時代においては「国家」「民族」において浮遊した存在であるにもかかわらず経済的優位を持つため迫害などの悲惨な状況に陥った
・ナショナリズムの強化における「メディア」の役割は「何を伝えたのか」ではなく、メッセージを受け取れる(文化/言語的に)同一性を持つ人とそうでない人を分別することにある
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民族とナショナリズムについての古典的名著。どのようにして民族・ナショナリズムという概念が人類に生まれたか、またなぜ不可逆的かが綴られてます。
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ナショナリズムとは、「政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理」だと筆者は冒頭で述べる。歴史を大きく農業社会と産業社会に分けた上で、社会が産業化したときに何が起こるかを理解することが、ナショナリズムの理解にとって重要だと筆者は主張する。
産業社会の構成員は流動的であり、見知らぬ者との間での持続的かつ頻繁なコミュニケーションが求められる。そのためには標準的な言語媒体と筆記文字が必要となる。結果として、農業社会では一部の特権階級に独占されていた「高文化」が社会に遍く広まることになる。こうした社会では、もはや教育を族内で行うことはできず、専門家による訓練が必要である。つまり、教育制度である。これを維持するコストは大規模なもので、国家が担うほかない。
産業化の初期段階では、低文化民族には二つの道が開かれている。すなわち、高文化民族と同化するか、自らの低文化を高文化に置き換えることによって独立国を建設するかの二つである。だが、筆者はどちらの道にも進めない可能性として、「耐エントロピー」を取り上げる。産業社会はたしかに流動的で、いかなる階層の集団も社会の上層に昇るチャンスが開かれている。だが遺伝的な体質と同様、「ある種の深く染みついた宗教的・文化的習慣」をもつ集団が社会全体の中に均等に分散しないとき、それは産業社会に亀裂をもたらす恐れがあると言う。
筆者はナショナリズムの類型について、権力を持つグループと持たないグループが、それぞれ教育を受ける機会を持っているかどうか、そしてお互いの文化が同質かどうかに分けることで、8種類挙げている。
このうち、権力を持つグループと持たないグループの文化が同質ならば、そもそもナショナリズムは発生しない。また、両グループが教育を受ける機会を持たないケースでも発生しない。
文化が異なるが権力を持つグループだけが教育を受ける機会を持っているケースを東欧のナショナリズム、文化が異なるが権力を持つグループも持たないクループも教育を受ける機会を持っているケースを西欧のナショナリズムに位置づけている。