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様々な古文書から掘り起こされる隕石の実態。面白かった〜。こういう知的ミステリみたいなのは本当に面白い。
また様々な古文書が翻刻されていないと当たりをつけることすらできないだろうから、その苦労がしのばれる。
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数年前に関東地方を西から東へ火球が飛び、隕石が落下したことは記憶に新しい。そんな隕石がうちの近くのエリアに昔落ちたという。今から約200年前の江戸時代の出来事である。八王子と付近の村々に隕石が落ちたことは地元の八王子でもすっかり忘れされているという現状。過去に残された古文書から隕石が落ちた事実を筆者が呼び覚ましており、重大な知られざる過去を浮き彫りにした。隕石の落下は過去の話ではなく、家が密集する現在の八王子に同規模の隕石が落下した場合には、家屋は相当な被害を受けるであろう。
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隕石が落下したというニュースをたまに聞くことがある。
江戸時代の人は隕石をどのようにとらえていたのか。
古文書を丹念に調べることで「忘れられた隕石」に光が当たった。
江戸時代の1817年12月29日に八王子と付近の村々に隕石が落下した。
しかし、長い間忘れ去られていた。
よく考えたら不思議なのは「隕」の字。この「隕」は「落ちる」「死ぬ」という意味。
通常使用されている熟語は「隕石」「隕鉄」など隕石に関係するものしかないそうだ。
江戸での目撃記録があった。それは越後屋(三井)江戸本店の業務日誌「永聴記」に記載があった。
場所は三井本館のある東京都中央区日本橋室町。
1814年11月に、「22日、晴天、未(ひつじ)の下刻、震動がして、空中を怪しいものが通った」という記述があった。
あの寛政の改革を行なった老中の松平定信が隠居してから書いた「花月日記」という日記がある。
1814年11月に、「青い色の長い玉のようなものが三つくらい、東から西へ飛んで行った。その後で響き渡ったという。不思議なことだと言い合った」
天文学に関する知識が発達していない時代なので不思議に思っただろう。
八王子に落ちた隕石が不思議な所から見つかった。
昭和になってから、京都の土御門家の古文書の中から八王子隕石の破片が見つかった。
土御門家は平安時代に活躍した安倍晴明の子孫で、陰陽道、天文道、暦道で朝廷に仕えた公家。
いろいろなことが積み重なって隕石の行方をたどることができた。