具体的なことからはじめましょう。
2024/10/13 07:25
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投稿者:Bakhitin - この投稿者のレビュー一覧を見る
内田樹著『勇気論』(光文社)をご恵投いただきました。具体的で、限定的で、断片的なものの方がある概念(ここでは「勇気」)をしっかりとかたちにしてくれるということに改めて気づく。その方が「腑に落ちる」。観念を弄んでもどこにもたどりつけない。それより具体的なものから始める方がいい。
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投稿者:6EQUJ5 - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本人にいま一番足りないのは勇気ではないかという内田樹さんのtwitter(現X)での発言が起点となった、内田樹さんと光文社の古谷俊勝さんの往復書簡。タイトルでもある勇気とは何か?思考の跳躍、ノイズに気を付けること、と気になった点を列挙しただけでは意味が通じない感じですが、スラスラ読め、感慨深い一冊でした。
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至言に溢れた一冊でした。
「勇気とは何か」を、論理的に体系的に説明するのではなく、編集者との往復書簡という形で考察をしながら導き出していく、という内田さんの思考の過程を辿ることができて、とても面白かった。
「勇気」についてだけでなく、その過程で考えたとりとめのないことの中にも、「なるほど」と膝を打つ言葉が出てきて、子育てをする中でも大事にしたいと思えることがたくさんあった。
特に心に留めておきたいと思ったのは、以下。
「自分がほんとうに思っていること、感じていることを自分の言葉で語る時、口ごもったり小さな声になってしまうのは当然のこと。『大きな声で、はっきりと自分の思っていることを言いなさい』と言ってはいけない。大きな声で言えるのは、他人からの受け売りの言葉であるからだ」
自分の子どもや、他人や、自分自身が口ごもってしまうとそわそわモゾモゾしてしまうが、口ごもることは悪いことではなく、むしろ推奨するべきもの、待つべきタイミングであるということを忘れずにいたい。
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騙されることもひとつの悪。
連帯を信じつつ孤独を恐れない。
この二つが特に好きな考え方です。
勇気は結論づけられないけど、沢山の思い出が実は大きな勇気に包まれていたんだと教えてくれる本でした。
最後に引用の引用をひとつ。
"本当に何かを望んだ時
宇宙のすべてが協力して
夢の実現を助けてくれる"
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勇気論という内田翁には珍しいタイトルだが、なんのことはない、いつもの話だった。
どの部分も良かったが、特にあとがきが良くまとまっており、勇気と内田翁のいつもの他者論/レヴィナス論とのつながりがわかる。
勇気とは、孤立に耐える力であると、最終的には提示される(定義ではない)。上位審級が存在しない状態、何をしてよいのかわからない状態の中で、何かを判断する能力にも勇気は関連する。孤立するということは、他者からの理解が得られないことであるが、いつもの話だが、コミュニケーションの要諦は、理解も共感も絶した他者と、ゼロベースでコミュニケーションを成り立たせることである。コミュニケーションとは、理解も共感も介さずに、まずは他者の他者性を認めることにある。孤立に耐えるということは、他者の他者性を認めることに他ならない。なぜならば、理解や共感も得られない状態で、自分の考えを伝え、なんとかコミュニケーションを成り立たせようとするまさにその期間が、孤立に耐える期間だからである。現代では、その期間が短くなっており、他者を一度『』に入れて、判断を保留し、とりあえず付き合ってみるという感覚が失われている。それは即ち、孤立に耐える能力、つまり勇気が失われつつあるということでもあろう。
その他、いつもの話。
• 論理の飛躍に耐えるのも勇気である。これまでの歴史上の発見は、マルクスもフロイトも含め、論理というよりは論理の飛躍によるものである。例外的な知性は、目の前に散乱している断片的な事実をすべて整合的に並べてみて、すべて説明できる理屈はこれしかないという推理に基づいて前代未聞のアイディアを提示してきた。例外的な知性の、その例外さというのは、こうした前代未聞のアイディアに対して、これまでの常識に妨害されずに、立ちすくまず、常識の限界を超えてジャンプし、突き進むところである。そして、その時に必要なものは、やはり勇気である。
• 問を立てるのは、答えを得るためではない。そうではなくて、問いを立てるのは、問題の所在を示すこと、問題を前景化すること、「ここに難問在り」とアンダーラインを引くことである。適切な問題を立てることは、その問題に正解することと同じくらいに、いや、それ以上に価値のあることである。(仮説思考の要諦)
• 人類は誕生してからずっと、「どうしたら知性の活動は最も活性化するか」ということを生存戦略上の最優先課題にしてきた。どうしていいかわからないときのどうしていいかわかる。答えを知らない問いに対して、大体のあたりを付けられることが人類が最優先に開発すべき能力である。
神も、仁も、道も、人間が何か一義的に定義できないものであり、しかし、その定義できないものについて、暫定的な解を求めて考え続けることが、人間の知性にとって爆発的な活性化の効果を与えてきた。問いと解くのではなく、問いについて考えている間に、また一つ話を思い出して、もう一つの謎について語りだす。それが人間の知性の正しい形なのではないか。まさに先生の話で一番大事なのは、雑談であるという私の学生時代の確信は正しかったのだろう。
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心と直観に従う勇気
理論=命がけの飛躍
論理国語・文学国語
凡庸な姿勢・非論理的
コロラリー=論理が要求する結論
勇気≒孤立を恐れない
自分に道理がない時には退く
だまされることもひとつの悪
集合的無意識に根差す知恵に従う
問いを立てる=知性にキックを入れる
どうやったら知性の活動は最も活性化するか:哲学の人類的意義
正直←知性的・感情的な成熟
正直=じたばたを継続する力
富永仲基・誠の道・ふつうに暮らす
惻隠の心
呼ぶ声
有閑階級=非生産者
外部からの入力↓→呼ぶ声↓
機を見る・座を見る
ざわざわする身体感受性
心耳を澄ませて無声の声を聴く
目立たないこと
人はどのように行動しうるのか
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『いまの日本人に足りないものは勇気だ』
そんなツイートをきっかけに始まった著者と編集者による往復書簡
ヨシタケシンスケによる装丁イラストが非常に良く内容を表している
いろんなことに矛盾を感じてるひとは勇気を貰えるはず
往復書簡モノはハズレがない、ほんとに。
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往復書簡。
イラストがとてもかわいかったです。
いろいろなエピソードを通して、「勇気」についての語りや考えが面白かったです。
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久々に内田樹。
勇気とは何かというより、その精神論にかかる哲学を日常生活のお悩み相談風な往復書簡で応えるのだが、これが良い塩梅で小気味良い。我田引水にこじ付けるでもなく、悩みに対し、ちょうどパズルがはまるように内田樹が例示をしていく。
その中でも私が書き留めておきたかったのは下記のような文書。
ー 素晴らしい知的達成は論理の飛躍にあり、凡庸な知性がそれを妨害する。
ー 勇気を持つというのは、「恐れない」という感情的な自己抑制が利いていることであると同時に、「私は論理的に正しい」という知性的な足場をしっかり踏まえているということです。そういう意味では「勇気を持つ」というのは感情的な自己統御と、論理的な思考力を二つながらに要求する事業だということになります。
ー でも、その「身体実感としてはたしかなのだけれど、うまく言葉にできないこと」をなんとか言葉にしようと四苦八苦していると、人間の頭はよくなる。そのことに古代ギリシャの哲学者たちは気がついた。理屈をいじくりまわしているうちに、人間の脳の容量は拡大する。そして、容量が拡大した脳を持っている個体は、そうでない個体よりも、生き延びる確率が高い。そのことを太古のある時点で、人類は発見したのだと思います。
自民党総裁選の候補者討論会にて、石破茂が竹下登から指導されたという、正論は人を傷つけるとの話を聞いた。勇気を持った正論は、本人にはロマンチシズムの甘い酩酊を齎すが、食らった相手は斬られるような痛みだろう。勇気は攻撃性をもつ。だから自己防衛志向では勇気が沸かないのだ。そんな気がした。
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早くも2025No. 1かも。そう思わざるを得ないほど訓えに満ちていた。樹先生の本はいつも知的興奮をびりびりくれるのですが今回はたぶん仕事(教育)での悩みというか個人的な課題に深く関わる話が多くて。あとがき286ページなんか思わず声に出して読み上げてしまった。勇気は「孤立に耐える」ための資質。孤立に耐える人は他者の他者性に耐えることができる。ただしそれは単なる我慢ではなく、連帯の希望があってこそのもの。勇気をもって生きてください。はー、痺れる……。
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内田樹さんは
ほんとうに 読ませてくれます
ほんとうに ふむふむ と 考えさせてもらえます
ほんとうに なぁるほどなぁ と うなづかせてもらえます
ほんとうに あぁ いい時間だった と 思わせてもらえる
その ほんとうに いいなぁ
を 引き出された 編集の古谷俊勝さんが すてきです
それになにより
挿画にヨシタケシンスケさんを起用された
その手腕が 素晴らしい
片手をあげている 老若男女の中の一人に 私がいる
そんな気分に させてもらいました
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選挙前に3〜4日かけて読んだというのもあり、毎日が凄い勢いで過ぎて行き、私や家族もちろん、タクシーの運転手までもが「最近日付がわからなくなり…」という有様だ。
その中で数日に分けて読み、その瞬間は理解しても、まあ読み終わる頃には忘れていた。
個人的にその方が良いくらいだと思う。
次に似たシチュエーションに遭った時に「思い出すように」動ければそれで良い。
ただ終盤に行けば行くほど「ああ他人の他人性、これが分かり合えないということだな」と感じる事が多かったですが、後書きにある通り、他者とは他者である、然し両者の間に橋をかけることは可能である。
それくらいで良いのだと思います。
私はある時誰かが冗談で言った『神は死んだ!』という言葉がいまだに頭から抜けない。
別段神という概念に深く傾倒しているわけではないが、そういうことではないのだ。
気軽にそんなことを冗談にすべきではないと、ふと思い出し…いや、ずっと思い出し続けているのだ。
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勇気とは孤立を恐れないことである。
それは自らに理がない時には敗けを認めることである。
まごまごしながらもテンプレに頼らずに自分の思考と言葉で表現し、平場の会話をしながらもそれをどう解釈すべきかの本音を見せることである。
そして、勇気を持つために、つまり、孤立に耐えて事を進める土台となるべき自分の本性や天職を見つけるために、自分を呼ぶ僅かな声を聞き取る感性を磨かなければならない。それは全身で、五感をひとつなぎの情報とみなして受け入れることで磨かれる。それが磨かれれば、自分がいるべきでない時と場所を感じ、そこを避けることができるようになり、天下無敵の存在となれる。その結果、自分のいるべき時と場所を見つけられれば、そこでなら孤立に耐えることができるだろう。それが勇気である。
と、ここまで強く共感。
ただ、所々で説教臭く決めつけが強すぎる。
与党に国民が制裁を加えないのは勇気がないからではなく野党がだらしなさ過ぎることを感じ取っているからでは?
論理国語を反知性主義のたまものだとボロクソに批判しているが、これまでの「文学」(著者が必要とする)を用いた教育が規約もルールも解読できない若者を作ってしまったことが論理国語を必要とすることの前提に存在しているものであって、批判すべきはこれまでの文学教育の情けなさでは?
とか。
あと、最後に、勇気は永遠の孤独に耐えることを前提とするものではなく、他者から手を差しのべられるまでの当面の間を耐えるためのものですよ、って、結局最後は承認欲求が満たされないとダメであると結論付けているあたりは脱力❗
まあ、途中の話が面白かったから星4つ。
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つまりは、勇気は孤立に耐えること、正直であることっていうのを1冊に渡って、内田氏自身の経験や対談を交えてつづっている…
私は議論や考えの整理の過程を楽しいってまだ思えないから、そっかぁなるほど…で終わってしまった。議論や経験を通した整理の過程が楽しいって考えが前提にあるのかなって感じたが、結構私的な見解だよなっていうことを断言したりしてたので、議論しつつも自分なりの答えはもうあって柔軟に展開させるというわけでは無さそうだった。その断言も「天職というのは『呼ばれること』なのです」など抽象的…なものも。
あとがきに内田氏の言いたいことがギュッと詰まっていて、確かにそうだななるほどなとは思った。加えて、孤立に耐える力を日々の努力で身につけていきたいと勇気をもらえた。しかし、数ページ分の1冊の本にまで膨らませ、飛躍させるその過程を楽しめる程私は成熟していなかった。
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https://www.cku.ac.jp/CARIN/CARINOPACLINK.HTM?AL=10281814