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西洋のヌードに対して日本の裸体表現はいかなるものであったかを論じた書。
有名なケネス・クラークの『ザ・ヌード』によれば、ヌードとは、人体を理想化して芸術に昇華させたものであると定義される。これに対し、日本は?
山田美妙の小説『蝴蝶』に付された渡辺省亭の挿絵、黒田清輝の『朝妝』や腰巻事件については世の中を騒がせたトピックとして有名なで出来事であるが、著者はより広いスコープで日本の裸体画を取り上げ、考察を進める。幕末から明治初頭にかけての菊池容斎や河鍋暁斎、生人形作家、石版や写真での裸体表現など、正統的な芸術とは評価されてこなかったようなものまで。
見るー見られるの関係が西洋と日本では非常に異なっていたこと、「ヌード」がその身体の持ち主の精神や人格と切り離したところに成立しているのに対し、日本的な心身一体の「身」との対称など、シャープな切り口が随所に展開される。
また本書において特筆すべきものは、“刺青” を日本の裸体芸術として取り上げたところ。刺青は「単なる裸体を一転して美的鑑賞の対象に変貌させる見事な仕掛けであった。…刺青は表面上の装飾であるだけでなく、それを入れた人間自体を美術作品に変容させてしまうものである。」正直、刺青についてあまり良い印象を持っていなかったのだが、著者の刺青に対する熱い思いにやられてしまった。