本書の本質とは?
2025/04/06 21:51
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投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の著者が、私が通っていた高校の11年後輩でした。著者は特進コースでその高校へ入学し、私は普通コースでその高校へ入学しました。私の時代の同高校と著者の時代の同高校との違い、将又、変わっていない点など、思い起こして懐かしく甦ってきました。
本書はその高校の、所謂『進学校あるある』のネタを著者の同級生から引用して紹介しています。同調する内容もあれば、びっくりするような内容もありました。進学校といっても色々あり、本書の高校よりももっと上位の学校もあります。しかしそこで言える事は、本書の高校と、本書の高校よりも上位の高校とは、程度が違うだけで、実は内容にそれほど大差はありません。但し程度には歴然と隔たりがあります。
本書でスポットが当たりがちなのは、進学校あるあるのネタの奇抜性です。ですが、本質はそこではなく、そうした進学校の一種独特の環境社会や集まってくる生徒の層ではないかと思います。なんとも言えない人間の妙な闇、といった感じです。
そうした闇をも静かに描き出している点が何気に秀逸だと思います。『偏差値というのは、文字通り偏っている、という事を表しており、それは色々な意味で良くも悪くも、である』と兵庫県のある進学校の校長先生が講演でおっしゃられていた事を思い出しました。やはり歪なんだなぁ、と。ただ、その歪というのは、本当に優れた点もあり、闇な点もある・・。何とも筆舌尽くせない感慨です。
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学歴もの?で過去に読んだ「国語入試問題必勝法」同様、これからもたびたび手に取って、ワハハと笑ってしうまうのではないかと思う。朝買って昼には読んでしまった。
筆者は私より10歳下。受験戦争というより受験には努力と苦悩がつきもの、というのが当たり前の感覚になっている世代かと思う。私もそうだけど。
田舎から都会の名門進学校に進むという経験は、地方の大都会育ちの私からみるとまあなんとなくわかる・・・という程度でヒシヒシ実感していたわけではない。が、都会育ちと田舎・地方育ちじゃスタート地点からして違う、つまり認知レベルで違うんじゃないか。やっぱりそうなんだろうなとことあるごとに感じたりするのだが、この本を読んでもそう思った。
私には同い年で現役で京大法学部に合格したいとこがいて(この部分はいとことして自慢したい)、高校時代の彼女の頭の良さぶりとナチュラルな勉強大好きぶりに心底驚いた覚えがあり(しかも彼女は可愛かった)、これは私には無理だ・・・と16歳くらいで勝手に線引きをすることになった。頭のいい子っているんだよなーとしみじみ思ったのだった。うちも両親、とくに父は頭がいいのだが、それが全くいわゆる世間的な成功に結びついておらず、なんだかなあと思っていたのだが、80歳になっても衰えぬ知的探究心みたいなもの(しかし実務には役に立たない)を見ると、地頭はまああったほうがいいのかもしれないなあと思うのだ。
しかし、全国にたくさんいるであろう地頭がよい人々が、なぜこの「受験界隈」に入り込んで、後から笑い話になるような3年間(浪人したら4年、5年)をセックスなどに一切見向きもせずに(というかする余裕はない)突進する必要があるのか。いや、その理由はいい大学といい会社に入るためなんだが、いい会社を一年で辞めちゃう筆者!それ以前に京大に入学しながらぜんぜん勉強しない筆者(とその友達)!なんかもう壮大な無駄遣いという意味ではまさに青春ではないかと思う。筋トレに明け暮れた3年(それ以前の受験勉強があるから5年くらい?)と筋肉休ませるために大学4年間使う・・・みたいな青春である。
そういう意味では本当に青春物語で、ドラマになってもおかしくない。
が、実際には、ひねくれちゃって引き篭ったり脱落して一生劣等感に苦しむ人もけっこういるんじゃないかと思う。
15歳から18歳までの多感な3年間(とその前後)を学歴ピラミッドの価値観で生きてくることの弊害はなんなのか。が、正直、そういう人が社会で偉いポジションについたりしている現状では弊害なんてあるのかな??とも思う。なんというかそう言うシステムになっているというか・・・。
弊害があるとすれば、今の時代、学歴ピラミッドの上部に食い込むにはそれなりにお金のある家庭じゃないとだめなので、完全に平等ではないということか。つまり持たざるものにはさらに過酷な不平等社会が固定してしまっているのではないかと思うのだ。頭がよければ大学に入れた、なんて単純な時代はもうないんだろう(それはたぶん私の世代か、もっと前の世代で終わっている)。
ともかく、学歴や頭のよさについていろいろと考えを巡らせることができた一冊であった。そして、登���人物の筆者の友人たちの中で、彼氏にするならだれがいいかとか、考えるのも楽しかった。
補足:
これを書いた後に、よくよく考えるともう一冊、学歴社会の弊害、いやむしろ害悪に関する重要な小説があったことを思い出した。姫野カオルコの「彼女は頭が悪いから」。これを読むと、偏差値が高い学校に所属していれば社会の中で偉い立ち位置にいると思い込むこと、それに女性蔑視(女を見下している、女性嫌悪、などバリエーションはいろいろあるが)が加わって、人を傷つけたり攻撃したりする危ない人間を学歴社会が作り出していることがわかる。究極の非人間化システムとしてもいいかもしれない。
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学歴狂の詩。佐川 恭一先生の著書。学歴ほどわかりやすい能力と努力の証はないと思う。学歴がすべてではないけれど。有名大学を出た博士号を取得している人はやっぱりちゃんとした能力と努力の証だもの。学歴狂で学歴自慢をして傲岸不遜になるのは恥ずかしいことだけれど高学歴であることに誇りをも津子とは必要なこと。高学歴者が素直に尊敬される社会であってほしい。高学歴者になっても報われずに尊敬もされないのなら社会として悪くなっていくしかないもの。