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プロフェッショナルの条件
どうすれば一流の仕事ができるのか? 自分の能力を見極め、伸ばすための簡単な方法がある。ドラッカーが自らの体験をもとに教える知的生産性向上の秘訣。
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プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか
2010/06/18 08:42
何によって憶えられたいか
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
経営学者ドラッカーの人気は根強い。
何度も繰り返し読んでいるファンも多いなかで、初めて読みましたというのはいささか恥ずかしい感じがしないでもない。だから、副題にあるように、こそっと「はじめて読むドラッカー」でしたと書いておく。
本書には「自己実現」のためのヒントがたくさんある。特に人生の半ばを過ぎたものにとっては、「自己実現への挑戦」の章はおさえておきたい。企業の寿命よりも働く人間の寿命の方が長くなった現代において、「第二の人生をどうするか」は重要な課題である。その方法もドラッカーは説明している。
ドラッカーが少年の頃に先生から問いかけられた質問はずしりと重い。
いわく、「何によって憶えられたいか」。
誰も答えられなかった生徒たちに先生はこう教えたという。「五〇歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ」。
五〇歳を過ぎて、果たして私は答えられるだろうか。心許(こころもと)ない。
◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でお読みいただけます。
プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか
2003/07/22 03:38
生産性革命は終わった——知識労働者が「いかに成果をあげるか」が今後の課題
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ゆうどう - この投稿者のレビュー一覧を見る
新刊時に興味を抱きながらそのままになっていた本を、やっと買って読んだ。
1934年、ロンドンの美術館で日本画に出会って衝撃を受けて以来、明治維新の偉業と戦後の日本の復興に驚異のまなざしを向け、常に日本に注目を注ぎ続けるドラッカーと、彼の「日本での分身たる」上田惇生との共同作業による、ドラッカー集大成3部作の一冊である。主な著作31点から、個人の「生き方・働き方」に関する部分を抽出し、ドラッカー読者のための道案内となるよう再構成、加筆・修正が加えられている。ちなみに他の2冊は、『イノベーターの条件』『チェンジ・リーダーの条件』である。
経済社会では、18世紀の産業革命、19世紀後半の生産性革命、第二次世界大戦後に訪れたマネジメント革命を経て、労働における知識の重要性がますます高まっている。
今までは、肉体労働者の生産性をあげることで、組織が発展してきた。しかし、「知識労働者」の生産性にはほとんど変化がなかった。現在、知識労働者の割合は、「労働人口の三分の一ないしは五分の二を占めるに至っ」ている。組織がこれからの新しい時代を生き抜いていくには、知識労働者の生産性をあげることが不可欠である。同時に、知識労働者がどのように組織と関わっていくか、ということが重要になってくる。本書では、知識労働者の生産性をあげる方法と、「自らの組織よりも長く生きる」知識労働者として望ましい生き方を説く。
本書を概観すると、パート1で産業革命以降の知識の変化を解説し、パート2で「知識労働者」の意味するところについて触れ、自らのマネジメントの方法(パート3)と、意思決定の秘訣(パート4)を説き、自己実現への挑戦を推奨する(パート5)。
まず、現代は、「知識を基盤とする組織が社会の中心である」ということを押さえておこう。組織は、「存在することが目的ではない。種の永続が成功ではない。…組織は社会の機関である」。
組織を動かすものは、知識である。知識社会で成功するためには、教育ある人間にならなくてはいけない。教育ある人間に必要なことは、言葉や思想に焦点を合わせた「知識人の文化」と、人間と仕事に焦点を合わせた「組織人の文化」とを両立させることである。それこそが、現代社会で働き、生きることの意味である。
「知識労働者」をキーワードに、これからの新しい社会で生き抜くための方法を教えてくれる。
プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか
2007/09/13 03:26
働くこととは何か?
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:はにわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
いかに働き、いかにして成果をあげるべきか。
何に集中し、自らを成長させるのか。
働くことの意味を考えさせてくれる。
早熟な仲間が具体的な将来を語るほどに、
自らの未熟に恥じいることもある。
しかし、氏ですら30歳をすぎてから
自らの為すべきところ知ったそうなのだから、
凡人たる我々は何を悩むことがあろうか。