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8件
東電OL殺人事件
著者 佐野真一 (著)
彼女は私に会釈して、「セックスしませんか。一回五千円です」といってきました――。古ぼけたアパートの一室で絞殺された娼婦、その昼の顔はエリートOLだった。なぜ彼女は夜の街に立ったのか、逮捕されたネパール人は果たして真犯人なのか、そして事件が炙り出した人間存在の底無き闇とは……。衝撃の事件発生から劇的な無罪判決までを追った、事件ノンフィクションの金字塔。
東電OL殺人事件
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東電OL殺人事件
2008/05/06 01:44
社会の構造と人間の堕落を描く
15人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ナンダ - この投稿者のレビュー一覧を見る
東電のエリートOLが売春の末に殺された1997年の猟奇的事件を徹底的に取材し、亡くなったOLの生き様を祖父母の世代にわたって浮き彫りにしている。ときに想像力がふくらみすぎて思いこみ過多の文章もないではないが、その取材量の膨大さに圧倒される。
被害者の父は、東大を出て東電にはいったエリートであり、母も大金持ちの家の出身で東京女子大を卒業した。父親は順調に出世するが役員の直前で病死する。被害者が大学生の時だった。
溺愛してくれた父の死をきかっけけに拒食症になり、父と同じ東電にはいり、エリートをめざすが30歳代半ばで出世の壁にぶちあたる。それが売春をはじめるきっかけとなったと著者は想定する。
この仮説を論証するため、父母の家を3代前までさかのぼって調べ、生家や墓を訪れ、被害者が生まれてから死にいたるまで居住したすべての場所を歩き、東電の同僚や大学の同級生にもインタビューした。ネパール人容疑者の故郷まで足をはこんだ。
容疑者とされたネパール人が犯行当日にたどったとされる、幕張の勤務先のインド料理店から犯行現場までのルートをたどってみると、犯行時間までに到着するのはかなり無理があることがわかったという。
大きく堕落してしまった被害者の女性。その周囲には、世間的には「男女平等」を唱えながら昇進差別をやめようとしない東電があり、きびしい異国の生活のなかで性欲を満たすため小遣いをはたいて買春する容疑者がおり、人種的な偏見から無理な冤罪をひきおこす警察や検察の堕落があった。いわば、被害者女性の劇的と言えるほどの大堕落によって、日本社会の構造的堕落、周囲の人間の倫理的な小堕落などが浮き彫りにされることになったという。
東電OL殺人事件
2006/01/15 21:15
推定無罪=無実?
15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み物としては面白いが、これがノンフィクションとは認めがたい。あまりにも文学的表現や叙情的な表現が多く、偶然の一致と作者の心象を結びつけて表現することで、読者の心証を誘導しているからだ。
確かにこれだけの証拠では、「疑わしきは罰せず」の原則から、容疑者は無罪判決を受けるのが妥当だろう。警察側が、予断を持って、恥ずべき強引な捜査を行ったこと、容疑者を犯人だと論証し切れていないことは確かである。しかし、作者は作者で彼が犯人ではないという予断を持って行動しており、犯人でないことの論証もできているとは言いがたい。無罪であることと犯人でないことは違う。限りなく黒でも、灰色では有罪としないのが原則である。冤罪をなくすためである。冤罪かどうかは、この本を読む限りでは、私には分からなかった。
作者は、外国人に対する偏見やジャーナリズムの責任問題も取り上げているはずなのに、第2部『ネパール横断』では、「他人の迷惑をまったく顧みない」インド人と「おとなしい子羊のような」ネパール人というようなステレオタイプ的な描き方をしている。そして、この章ではやたらと「美人」という表現が目につく。これもまた偏見ではないのか。さらに、ネパールで行われた彼のインタビューは、みな誘導尋問的で、あまり警察のことを非難できない。偏らない取材で、淡々と事実を詳述したほうが、原稿の枚数は減っただろうが、迫力が出て読みごたえもあっただろう。
作者は、最大の目的であった被害者の内面の謎を解くことにも失敗している。この本で唯一眼を開かされた部分は、第7章『対話』で、斎藤学が言った「彼女のみならず、現代人はみな多重人格化しています。学校、家庭、会社など、その場その場での役割を演じきることに重点を置いています。コンパートメント・メンタリティ、つまり列車のコンパートメントのような、別々の部分自己を演じながら生きているわけです。従って、かつてE.H.エリクソンがいった『自己同一性』など必要とされず、いまの世の中ではむしろ、そんなものを獲得したら生きにくいとさえいえます。」であった。斎藤学の『家族依存症』(新潮社)を読もうと思った。
東電OL殺人事件
2004/12/30 14:06
大変興味深く、2日で一気に読み通してしまいました。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
1997年、渋谷区円山町のアパートで東京電力の女性社員が絞殺死体で発見されました。エリート社員でもあった被害者が実は一晩に4人もの客を相手に春をひさいでいたという尋常ではない事実と、容疑者とされたネパール人の逮捕には冤罪のにおいが芬々とすることが相俟って、この事件はスキャンダラスに報道されました。
著者は容疑者の出身国をも含めて各所を自らの足で精力的に歩き回り、関係者の証言に基づいて、この事件の裁判をめぐる検察側の論拠薄弱ぶりを衝いていきます。
警察と検察が最初から「ネパール人犯人説」に拘泥し、強引に関係者をその説へと導いていく様は民主国家にはあるまじき行為です。その牽強付会ぶりは目にあまるものがあります。容疑者の仲間のネパール人を経済的に追い込んだ末に怪しげで高給な就職先を紹介し、警察に有利な証人に仕立て上げていく道程には慄然とさせられました。こうした警察のやり口が常態化していることが本書からは透けて見えます。
一方、エリート社員と夜鷹という二重生活を送った被害女性の「理由」は解明されることはありません。本書に書かれていることにも多少の説得力はありますが、それでも推測の域を出るものではなく、著者自身もその点は謙虚に認めています。
どんなに捉えようとしても指の間からすり抜けてしまうような被害者の心の闇。そしていつ何時自分たちも絡めとられてしまうか判らぬという意味で恐怖の対象といえる警察と検察の闇。この二つの闇に切り込んでいった3年余に渡るルポルタージュに、心拍数の騰がる重厚な読書を味わいました。
難点をいえば、被害者をはじめ多くの関係者を本書は実名で記述していますが、実名報道の根拠について著者が説明している箇所は何度読んでも納得しかねました。本書に書かれた人々の心への配慮が十全になされているといえるかどうかは最後まで疑問が残りました。