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6件
ポーツマスの旗
著者 吉村昭 (著)
日本の命運を賭けた日露戦争。旅順攻略、日本海海戦の勝利に沸く国民の期待を肩に、外相・小村寿太郎は全権として、ポーツマス講和会議に臨んだ。ロシア側との緊迫した駆け引きの末の劇的な講和成立。しかし、樺太北部と賠償金の放棄は国民の憤激を呼び、大暴動へと発展する――。近代日本の分水嶺・日露戦争に光をあて交渉妥結に生命を燃焼させた小村寿太郎の姿を浮き彫りにする力作。
ポーツマスの旗
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ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 改版
2019/11/22 11:38
日本のための政治と国民感情
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ジミーぺージ - この投稿者のレビュー一覧を見る
1905年9月4日、アメリカ・ニューハンプシャー州ポーツマスにて結ばれた
日露講和条約の成立にいたる話です。
日露戦争において優勢であった日本は、日本に有利な条件での講和を図るため
アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトに仲介を依頼し、
講和会議が始まった。
ロシア側は大国の威信を賭けて日本からの条約案を突っぱねる。
講和会議は、小村全権とウィッテ全権とのせめぎあいが長期間続いたが、
戦争を早く終結したかった日本側は、天皇の平和回復への考えもあって
譲歩し、条約を締結した。
この条約締結に対し、日本国民はロシアに屈したもの、
日本人の誇りが汚されて締結したものと思い、
小村全権、関係閣僚、元老に対し怒り心頭となり東京で大騒擾事件が勃発する。
とにかく国民は滅茶苦茶に怒ったのだ。
そのため、小村全権は命懸けでの日本帰国となった。
日本国民のために小村全権は命懸けで日露講和条約の成立に奔走したのに
日本国民には最後まで理解されないず生涯を終える。
小村の葬儀の会葬者は、勅使をはじめ約一千名であったが、市内に弔旗をかかげる家はなかったという。
なんとも切ない気持ちになってしまう。
ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 改版
2017/06/03 06:41
歴史に委ねられた外交の評価
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タヌ様 - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本はぎりぎりの戦争をして和平の仲介を米国に求めたんだな。日本の大衆に燃え盛った戦勝モードは国力の限界状況にある財政や兵站力を理解するものではない。リーダーたちの苦渋の選択を一人脊負った小村寿太郎は一身を逍遥として晒す。御一新以来、日本はなんとか列強に相並ぶまでに、かろじてここまでなんだと。
今わたしたちは自分の国の力を知っているだろうか。領土問題で武力の威嚇をする中国や韓国と争うことすらできないのに、それなりに国民感情は燃える。最後の手段がない外交をつかさどる人々の語れない悩みはより深いのではないだろうか。
2025/03/31 16:16
素晴らしいです
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:a - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公小村寿太郎の功績は言うにおよびませんが、彼を支えた上役、同僚、部下達の理解や高度な処理能力がなければ、日露条約は達せられなかったのだと、凄い小説です。