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10件
朗読者(新潮文庫)
著者 ベルンハルト・シュリンク , 松永美穂/訳
15歳のぼくは、母親といってもおかしくないほど年上の女性と恋に落ちた。「なにか朗読してよ、坊や!」――ハンナは、なぜかいつも本を朗読して聞かせて欲しいと求める。人知れず逢瀬を重ねる二人。だが、ハンナは突然失踪してしまう。彼女の隠していた秘密とは何か。二人の愛に、終わったはずの戦争が影を落していた。現代ドイツ文学の旗手による、世界中を感動させた大ベストセラー。
朗読者(新潮文庫)
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朗読者
2009/07/22 22:24
ドイツ語原題の『朗読する男』は、ハンナとミヒャエルの絶望と幸福を綴った物語。
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サムシングブルー - この投稿者のレビュー一覧を見る
『心と響き合う読書案内』のなかで小川洋子さんはベルンハント・シュリンク著『朗読者』を「本のすばらしさを描いた小説」と評しています。私は小説を読み終え、どう解釈してよいのかわからないまま、数日を過ごしました。
第一章。主人公ミヒャエルは15歳のとき、年上の女性・ハンナと恋におちます。彼はハンナに本を朗読し、二人はシャワーを浴び、愛し合い、寄り添って昼寝するという儀式が続きます。ミヒャエルは愛するハンナを知りたがります。しかし、ハンナは頑なに拒絶します。ある日、ハンナは彼の前から突然、姿を消します。
ミヒャエルは大学生になり、強制収容所をめぐる裁判でハンナと再会します。ハンナは被告人として法廷に立っていました。その場面は強烈でした。
「ぼくは彼女を見分けることができた。でも何も感じなかった。何も。」
でも、決してハンナから視線を逸らしはしなかったでしょう。その視線をハンナも感じていたはずです。第二章はホロコーストをテーマにしています。身が竦みます。ただ読み進むことしかできません。裁判長に対するハンナの頑なな態度はミヒャエルをも苦しめます。
第三章はミヒャエルの苦悩が描かれています。著者・ベルンハント・シュリンクは人間の尊厳を描いています。。
僕たちの物語を綴った『朗読者』は、ハンナとミヒャエルの絶望と幸福を綴った小説でした。
朗読者
2009/07/26 23:25
「ハンナの秘密」を知った上で、読み返して欲しい1冊
7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、決して軽やかな気持ちで読み進められる作品ではない。
ドイツが背負っている戦争の影を、
感情や感覚を麻痺させて日々を生きている人の姿を、
登場人物たちの生き方の中に、見ることになるからだ。
とにかく、重い、のである。
ぼく・ミヒャエル・ベルクは、
親が直接戦争に加担した世代の子どもである。
彼の親の姿に、彼自身の成長の過程に、
その世代のドイツ人がどういう風に戦争の傷と向き合ったのかが見える。
ハンナと出会った頃の、15歳のぼくの感覚は、開かれている。
五感のすべてで、周りの景色を、
そして、ハンナを味わう感性を持ち合わせていた。
視覚的に細やかに周囲を観察しただけではない。
嗅覚的な描写が多いところがそれを表現している。
(これは、全体を貫く特徴でもある。)
だが、ハンナが去った後は、感覚を麻痺させて生きている。
自分を少年から大人に、あらゆる面において目覚めさせた人を失ったら、
このようにならざるをえないのかもしれない。
感覚が鮮明に記憶しているのは、感覚が開いていた頃の、彼女の記憶。
五感のすべてで感じたハンナ。
だから、そのあと会った女性たちは、
ハンナと違うと思ってしまうばかりだった。
さわり方、感じ方、匂い、味、
すべてが間違っていると思わずにはいられなかった。
ぼくは、ハンナと別れてから学生時代に至るまで、
ある意味、今を生きていないままにきた。
すべてを15歳の頃においてきてしまったかのように見える。
ずっとハンナの影を背負って生きている。
選んだ道が法史学者というのも象徴的だ。
ぼくは、『オデュッセイヤ』を再読する。
それをギムナジウムの頃に感じたような「帰郷の物語」ではなく、
「出発するために戻ってくる運動の物語」と読むのだった。
再読はやがて、朗読になる。
かつて、ハンナのためにしていたように。
そして、それは、今のハンナのための行動になる。
ぼくは服役中のハンナのために10年間
(服役8年目から恩赦で許される18年目まで。)、
カセットテープを送り続けた。
ハンナのためにしていた朗読という行為は、
自然とぼくの中にも息づくことになった。
執筆した原稿を仕上げるときにも同じようにしたのだ。
これで完成という気持ちになれるときまで待って朗読してみると、
自分の気持ちが正しかったかどうかわかった。
「朗読」という行為は、ぼくにとっては、「法史学」と同じことだった。
「過去と現在のあいだに橋を架け、
両岸に目を配り、双方の問題に関わること」だった。
朗読は、ハンナは、
「ぼくにとって、すべての力、創作力、批判的想像力を束ねる存在」
になった。
そして、ハンナは、ようやく「秘密」を
克服する努力を始めるのだが・・・。
ぼくとハンナをつないだものは、あのときも今も「朗読」なのだ。
***
読むのが重く、軽やかに進まなくても、
それでも、「ハンナの秘密」を知った上で、
読み返して欲しいと、私は思う。
そうすれば、一見不可解だった彼女の行動の意味がわかるのだ。
なぜ、彼女が、そうしなければならなかったのか。
彼女の秘密が、彼女の人生全体にどんな影を落としたのか。
そして、彼女が、だからこそ、何を渇望したのか。
朗読がどれほどの意味を持っていたのか。
彼女は、秘密を抱えたまま、ひとりでずっと、
「まっすぐ前を向き」、「何もかも突き抜けるような目をして」、
「高慢な、傷ついた、敗北し、限りなく疲れたまなざし」で、
「誰も何も見ようとしない目」で、生きてきたのだ。
ぼくにも、完全に心を開かないまま。
今の時代、周りの人がそうではない環境で、
彼女と同じ秘密、あるいは、それに類する秘密を
抱えた人がいたとしたら、どうだろうか。
彼らが秘密を告げる苦悩と引き換えとなるような、
勇気を出して言ってよかったと思えるような支援が
できているだろうか。
本書を読みながら、さまざまな作品を思い出した。
スペイン内戦や第二次世界大戦の影響が
街の人々の生活に影を落としている、『風の影』。
懸命に生きているのに、自らを追い込んでしまう女の姿は、
『嫌われ松子の一生』。
ずっと本でつながっていた人たちとして、『チャリング・クロス街84番地』。
そして、戦争の傷とどう向き合っていくのかと考えるための作品達。
でも、他の作品では代弁できないこの苦悩を、
ひとりで抱えたハンナを忘れないため、私は、
本書を何度でも読み返すのだ。
朗読者
2009/03/20 20:23
ヘッセの『車輪の下で』に比肩する心にズシリと響く作品。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トラキチ - この投稿者のレビュー一覧を見る
確かヘッセの『車輪の下で』以来のドイツ文学。
まさに懐の深い読書が楽しめる一冊。
本作は1995年に刊行されて以来、数多くの国でベストセラーとなっている。
日本においては新潮クレスト・ブックスにて2000年に刊行、そして2003年に文庫化、翌2004年からは日本の文庫本におけるステータスシンボルと言っても過言ではない“新潮文庫の100冊”にラインアップされている。
読み終えて、新潮文庫の100冊の威厳を保ってる作品であることを確認できて胸をなでおろした次第である。
尚、本作は本年6月『愛を読むひと』というタイトルで映画化される予定。
物語は三部構成になっていて、終始主人公であるミヒャエル・ベルクのモノローグ的なもので語られる。
まず第一部、主人公のミヒャエルは15歳。ひょんなことから21歳年上で車掌をしているハンナと恋に落ち逢瀬を重ねる。
ハンナはミヒャエルに頻繁に本を朗読して聞かせて欲しいと求めるのであるが、ある日突然失踪する。
第二部ではなんと法廷で二人は再開する。
ここではナチ問題が取り上げられ、ハンナが戦犯者として取り上げられる。
いろんな秘密が露わになってくる過程でミヒャエルが取った行動に感動せずにはいられないのである。
そして第三部、これはもう衝撃的な展開としかいいようがないですね。
戦争の影ってこんなに深く作者に根付いていたのかと思わずにはいられない展開ですわ。
この作品は私的には“反戦小説”と“恋愛小説”の融合作品であると思っている。
そしてどちらに重きを置くかは読者に委ねられているのであろうと解釈するのである。
とりわけ、少なくとも同じ“同盟国”として第二次世界大戦を戦った日本の国民として生まれた読者にとって、忘れつつある過去を思い起こさせる一冊であると言える。
読書にとって心の痛みを強く感じることを余儀なくされる機会を与えられる。
翻訳小説の醍醐味だと思っているその心地よさに酔いしれつつ、自分自身の道徳心にも自問自答したい作品である。
いかに人間って潔白に生きれるかどうか。
愛を貫くことも心を打たれるのであるが、潔白に生き抜くということは本当に尊くて難しい。
読書ってこんなに奥深いものであったのであろうか。
この余韻の心地よさっていったいなんなんでであろう。
海を越えて作者シュリンクに感謝したいなと強く思った次第である。
2人の年齢差は21歳。恋愛に年齢差がないように読書に国境はないということを痛感した。
なぜなら読み終えて2人の気持ちが本当に切なすぎるほどよくわかるからである。
おそらく再読すればもっともっとわかるであろう、離れていてもお互い心を開いていたことを・・・
何度も読み返したい名作に出会った喜び、それは読書人にとって究極の喜びにほかならないのである。
少し余談ですが、光文社古典新訳文庫にて本作の訳者である松永美穂氏がヘッセの『車輪の下で」を訳してます。機会があれば手に取りたいですね。名作です、何年振りだろうか(笑)