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51件
告白
著者 著者:湊かなえ
「愛美は死にました。しかし事故ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです」我が子を校内で亡くした中学校の女性教師によるホームルームでの告白から、この物語は始まる。語り手が「級友」「犯人」「犯人の家族」と次々と変わり、次第に事件の全体像が浮き彫りにされていく。衝撃的なラストを巡り物議を醸した、デビュー作にして、第6回本屋大賞受賞のベストセラー。
告白
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告白
2011/07/05 11:45
きれいごとでは済まされない
25人中、24人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くまくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
ベストセラーは基本的に寝かせてから読む主義なので、こんな時期になってしまった。すでに映画化もされているため、内容についてはよく知っている方が多いかもしれない。
「第一章 聖職者」「第二章 殉教者」「第三章 慈愛者」「第四章 求道者」「第五章 信奉者」「第六章 伝道者」という六章は、全て事件に関わった人々の独白で語られる。娘を殺された教師、犯人の級友、少年Bの母親、少年B、少年A、そしてまた教師と、独白する人は移り変わっていく。
物語は、事故でプールに転落ししたと思われていた幼児が、実は中学生によって殺されていたのであり、その母親である教師が終業式後の教室で犯人を指摘するシーンから始まる。第一章~第六章で一連の事件と、それに関わる人々の心境を語りながら、各章がひとつの短編として成立している。
娘を殺された怒りを聖職者という枠で押し殺したと見せながら、犯人の恐怖を喚起する復讐を成し遂げていく教師。教師の復讐後に発生するいじめから、悲劇のヒロインの様な役を演じ始める女子生徒。ひきこもりやニートなどと名付けて正当化する姿勢を嫌う公正な人間であると思いこみながら、子どもが殺人者という枠に納まった途端に自分の行動を正当化してしまう母親。自己を確立しようとして自分を見失っていく少年。自分を母親に認めて欲しいばかりに、自分が馬鹿にする様な人間になってしまう少年。
自分がなりたくない人間像を否定しながら、結局、自ら選んだかのように自分が否定するような人間に堕ちていく過程が描かれる。
終わり方に救いがないという人も多いだろう。しかし、自分の大切な人を失うという怒りと悲しみは、きれい事では済まされない。普段は物分かりの良い様な事を言っていても、実際に自分がその立場に落とされれば、自分が否定していた様な行動をとる。もしくは自分が信じたいように自分で信じ込む。
そういう人間の心理を描いている作品だと思う。もっとも、こんな文章もきれいごとなのかもしれないが。
告白
2010/05/16 17:53
断罪と懺悔
14人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タール - この投稿者のレビュー一覧を見る
――娘は事故で死んだのではありません。このクラスの生徒に殺されたのです――
この引用部分をこれまで何度目にしてきたことか。読みたくてたまらなかったこの作品の待ちに待った文庫化に狂喜乱舞して購入。噂にたがわぬ面白さ、期待に背かぬ、いやそれ以上の仰天の展開に一気読みを果たした私だった。
舞台は中学。終業式のホームルームの場で、担任の女性教師が自らの辞職を告げると同時に語り始めたのは、自分勝手な生徒や我が子しか見えない保護者の実情、携帯小説に安易に飛びつく若者への警告、そして10代が引き起こす現実味の乏しい理由による残忍な犯罪についてと、そうした理不尽な犯行をおこして英雄気取りでいる犯人に対する思い切った断罪の方法の提案など、それこそ教職の身ではストッパーがかかるであろう本心の吐露だ。それらを含めた長い話の果てに、いよいよ彼女の用意した恐るべき復讐開始の場面が生徒たちの前で披露され、いったん幕がおろされる。
この第一章のラストにすら言葉をなくすほどだったから、この部分のみが、もとは短編として発表されたと知った時はなるほどと深く頷かされた。引き続いてさらなる驚異の結末までつきつめ書き上げた力量にも感心するが、それにつけてもここでの多岐に渡る問題喚起ぶりと、容赦のない断罪ぶりには驚かされっぱなしだった。なにしろ新聞やテレビで見聞するたび、対処法を模索しようもなくこめかみを押さえる思いを抱いてきた事柄が一刀両断されていくのが爽快なのだ。クールな女性教師の口を借りた作家自身の憤りの声として聞こえて、共感することしきりだ。ところがその爽快感をも打ちのめす、教師が生徒に向けて行った手加減のない仕打ち。ここから最終章ラストに向けて読み進めながら必死に追い求めていたのは、この女性教師に対して共感と反感のどちらに自分の気持ちを振ればいいのか見極めることだったように思う。
教師、生徒、犯人、親族ら、次々に語り部を変えながら常に一人称で語られるこの作品では、主観によるストーリー展開が、個人の思惑を照らしだし、それぞれの考える原因とそれぞれだけが知る結末を見せつける。他人の脳内を経由して映り込む世界を見せられていると、愛する・嘆く・取り乱すといった母性も、情感・熱情・安らぎといった本来求められるべき人の象徴であるはずの感情も、それらすべての結晶のような存在である4歳の幼女の死によって封印されてしまったことがわかる。自分を取り巻く狭い環境にのみ感覚を研ぎ澄ませる対人関係が一人歩きを始めた無機質な殺人ロボットを思わせて、この上なく不気味だ。そしてこの不気味な無機質感に似た感情を、別世界のことだと切り捨てたいと願う自分の中にも見つけてしまう。読了後あらためて感じる奇妙な爽快感は、残忍さに動揺しながらもどこかで当然の断罪であると静観している感情を自分の心に見つけてしまった息苦しさを積極的に認めてしまおうとする懺悔の気持ちなのかもしれない。
ところでこれは文庫で読んでこそだと思うが、この作品の映画化によせて文庫に掲載された映画監督の言葉から、合いすぎる辻褄の裏には嘘が隠れているということに気づかされたことはまたひとつの大きな衝撃だった。「告白」という形態を取っているこの作品で、作家は「決定的なことをまったく書いてない」のだ。
人の本心に触れた時、そのあまりの思いがけなさに愕然とすることがある。自分が信じてきた道程が全否定されるその瞬間、しょせん人とは己の思惑で作り上げた都合のよい妄想の中で生きているに過ぎないのだと思い知らされる。そうした思いに立ち返ってこの作品に対峙する時、そこには共感も反感ももはやなく、ひたすら孤独に己と向き合わされる懺悔の部屋にいる心地がするのだった。
告白
2010/05/13 10:42
「不平等な平等」にどう対峙すべきかを考えさせられる、著者渾身のデビュー作。(2009年度本屋大賞受賞)
12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:惠。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者デビュー作にして2009年度本屋大賞受賞作である。
まず、本屋大賞とは書店員が「面白かった」、「売りたい」、「読んでもらいたい」と思った作品に投票して決定する賞だと聞いて驚いた。(わたしは文学賞をついての知識は持ち合わせていない。)
だって本作、後味はあまりよろしくないのだもの。
「面白い」か否かの判断は個々人の価値観によるものだからいいとして、「読んでもらいたい」作品として本書が挙げられたことが純粋に面白いな(興味深いな)、と思ったのだ。
物語の舞台は中学校。女性教師は終業式のホームルームで生徒たちに辞職を告げる。その数ヶ月前、シングルマザーである彼女は学校のプールで愛娘の愛美を亡くしていた。自身の監督不行届を認めた上で彼女は、生徒たちに対してこう言う―――
―――「(略)わたしが辞職を決意したのは愛美の死が原因です。しかし、もしも愛美の死が本当に事故であれば、悲しみを紛らわすためにも、そして自分の犯した罪を悔い改めるためにも、教員を続けていたと思います。ではなぜ辞職するのか?
愛美は事故で死んだのではなく、このクラスの生徒に殺されたからです。」
全6章から成る物語は全て、独白形式で進行する。章ごとに独白者はひとり。各人物の独白に耳を傾けることで、愛美という少女の死の真相が少しずつ浮彫になってくる。
第一章は先にも引用した女性教師の独白だ。ホームルームで彼女は、娘を殺した犯人を暗にほのめかし、彼女なりの罰を与えたことを生徒たちに「告白」する。そしてその「告白」が原因で、クラスは不穏な空気に包まれることとなる。
事故として処理された愛娘に対する殺人。女性教師は裁きを法に委ねず、自ら下すことにした。それは決して許されることではない。それでも彼女はそれを決行した。その最たる理由は、犯人の年齢にある。
この世の中、ことあることごとに「平等」がうたわれるが、不思議なことに「完全なる平等」は時と場合によって疎まれる。平等が素晴らしいことであるならば、全て「完全に」平等にしてしまえばいいはずだ。しかしわたしたちの実社会に「完全なる平等」は馴染まない。
例えば所得税。完全なる平等を求めれば定額制にすべきだろう。しかしそれでは人によっては生存権を脅かされかねない。ならば定額制の税金額を極小にすればよいかというと、それでは国が潰れてしまう。
このように、わたしたちの世界は「不平等な平等」の上に成り立っている。そしてその「不平等な平等」は刑法においても用いられる。例えば心神喪失者は犯罪不成立となるし、心神耗弱者は刑が必ずに軽減される。そしてもうひとつ、刑法上の責任能力なしと定められる身分がある。それは14歳未満者だ。
辞職した女性教師が担任したクラスは中学一年生。スキップ(飛び級)が認められない日本では、中学一年生のクラスに14歳以上の者はいない。それは、愛娘を殺した生徒を警察に突き出しても科刑されないことを意味する。だからこそ彼女は自ら裁きを加えることを選んだ。しかも間接的な方法で。
なんて平等なひとなのだろう。彼女は刑事不可罰犯罪者に対して、完全なる平等を追究し続けた。しかし彼女がとった行動は許されることではない。とは言いながら、もしもわたし自身が彼女の立場に立たされたと仮定したら、その怒りを、その哀しみを、鎮める方法がわからない。
ネタばれになるから詳しくは書けないが、愛美の死亡事件も女性教師の復讐も、何かひとつ、たったひとつだけ違うことが起こっていたら、避けられたのではないだろうか。全てのことは紙一重―――そんなことを感じた作品だった。
注意:後味ははっきりいって良いものではありません。
ハッピーエンドが好きな方は読まれないほうがよいかもしれません。