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24件
対岸の彼女
著者 角田光代 (著)
いじめで群馬に転校してきた女子高生のアオちんは、ナナコと親友になった。専業主婦の小夜子はベンチャー企業の女社長・葵にスカウトされ、ハウスクリーニングの仕事を始める。立場が違ってもわかりあえる、どこかにいける、と思っていたのに……結婚する女、しない女、子供を持つ女、持たない女、たったそれだけのことで、なぜ女どうし、わかりあえなくなるんだろう。女性の友情と亀裂、そしてその先を、切なくリアルに描く傑作長編。第132回直木賞受賞作。
対岸の彼女
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対岸の彼女
2010/07/12 18:14
岸を渡る女たちの物語、角田光代「対岸の彼女」
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オクー - この投稿者のレビュー一覧を見る
05年の第132回直木賞受賞作品。専業主婦の小夜子の物語と高校生の
葵の物語が交互に描かれる。このスタイルがとても効果的だ。小夜子の
物語は現代、葵の物語は過去。そして、小夜子の物語には35歳になった
葵が登場する。
「対岸の彼女」とはなんともうまいタイトルだ。現代の2人はまさに
「対岸」にある。小夜子は子育てと姑のいやみに疲れ、周りともうまく
やっていけない主婦。一方の葵は旅行事務所を切り回す明るくパワフル
なビジネスウーマン。小夜子が再就職を決意し面接に行ったのが葵の会
社だったのだ。しかし、タイトルの意味はそれだけではない。対岸にい
るような葵は、実は高校時代は小夜子と同じ岸にいたのだ。その葵がど
うして今の葵になったのか。そのプロセスを一方で描きながら、もう一
方では現代の2人の友情と亀裂を描いていく。現代と過去が交互に語ら
れるスタイルだからこそ、物語はよりリアルでスリリングになった。過
去の葵の物語が確実に現代の物語を支えているのだ。
物語の後半で小夜子は何度も自分に問いかける。「なんのために私た
ちは歳を重ねるんだろう」と。その答えがこの小説のラストにある。向
こう岸へと、力強くオールを漕いで渡る勇気をこの物語は与えてくれる。
ブログ「声が聞こえたら、きっと探しに行くから」より
対岸の彼女
2019/08/17 22:51
そうなんだよなと何度も頷いてしまった
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
中学時代、高校時代、いろんなことを語り合ってきた「こいつとは一生の友になるんだろうな」と思っていた友達も生活環境が変わって、大学生になり社会人になってしまうと疎遠になって日ごろ思いだすこともなくってしまう。それって寂しいことだけど仕方がないことかもしれない。いつも私が思っていることを小説にしてくれたのがこの作品のような気がする。同じ方向を向いていると思っていた友達が実は全然違う方向を向いていたということは今では当たり前に思えることをあの頃は全く考えもしなかった。この作品を読んでそんな友人の何人かに連絡を取ってみようかと一瞬思ったが、すぐにやめた。私たちは全然違う世界に生きているのだから。今は。
対岸の彼女
2016/10/11 07:04
角田さんの光
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第132回直木賞受賞作。(2004年)
今や女性作家としての人気もその重厚な作品造りも抜きん出ている感のある角田光代がこの作品で直木賞を受賞した際、「角田さんの嗅覚」と題して選評を書いた林真理子選考委員は「少女の頃からどこかに属していないと、女たちは非常に生きにくいという現実を踏まえながらもこの小説には救いがある」と絶賛した。
同様の評価もほかにもあって、積極的な評価ではなかったものの田辺聖子委員の「読者も生きる力を与えられ、読後感は爽やかだった」というのは、なるほど、確かに長い作品の最後の最後で前に進もうとする勇気を与えられた作品だと思う。
物語は35歳で専業主婦の小夜子が育児や家事だけでなく生きる糧のようなものを求めて働き始めようとして出会う、同年の葵とのシンクロしていく感情を、小夜子を中心とした「現在」と高校生の葵を中心とした「過去」を、相互に描くことで、女性たちの心理に踏み込んでいく。
男性の目からすれば十分に理解できていないかもしれないが、女性の側からすればこの小説はどれほど琴線に触れたことだろうと思える。
小夜子は子供を育てながら、何故自分たちは年齢を重ねるのかと自問するが、最後一旦葵から離れながらもまた葵と向かい合うことを決めた小夜子は、その問いにこう答えを出す。
「出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ」。
まさに角田光代の光がここにはある。
その光はこのあともすっと伸びて、今に続いている。