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14件
沖で待つ
著者 絲山秋子
第134回芥川賞受賞作。待望の電子化!
仕事のことだったら、そいつのために何だってしてやる。そう思っていた同期の太っちゃんが死んだ。約束を果たすため、私は太っちゃんの部屋にしのびこむ。仕事を通して結ばれた男女の信頼と友情を描く芥川賞受賞作。待望の電子化。「勤労感謝の日」「みなみのしまのぶんたろう」併録。
沖で待つ
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沖で待つ
2018/11/02 01:26
なんというか、完全に脱帽してしまったのである。
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たけぞう - この投稿者のレビュー一覧を見る
絲山さんの評判を書評で知ってから、ぽつぽつ読み始めた。
本作は私にとって三冊目の読了となる。
この書評は、冷静に冷静にと自分に言い聞かせながら書いている。
そうでもしないと暴走してしまいそうだ。
「勤労感謝の日」「沖で待つ」「みなみのしまのぶんたろう」の
三作が収められる。そして今回も解説は身内みたいな人。
「沖で待つ」で芥川賞を受賞されている。
そして「みなみのしまのぶんたろう」で暴走している。
芥川賞と直木賞は、作家さんにとって大変なお祭り騒ぎらしく、
なにか言いたくなるのは分かる。
しかしそれで「みなみのしまのぶんたろう」とはね。
もう審査員を引退された人だが、あんなのはほっとくのが
一番いいように思うのだが。
「勤労感謝の日」。冒頭を引用する。
「何が勤労感謝の日だ、無職者にとっては単なる名無しの一日だ。
それともこの私に、世間様に感謝しろ、とでも言うのか」
やさぐれているのは恭子さん。
会社を飛び出して、今は失業保険をもらう身だ。
暇そうにしていたところをご近所さんに声をかけられ、
半ば強引に見合いをセッティングされてしまう。
出てきた男は、鼻持ちならない商社の男。
あんパンの真ん中をグーで殴ったような顔らしい。
お見合いを抜け出して渋谷で飲み、帰る途中でまた飲む。
ドタバタの笑いをこらえ、散りばめられた珠玉の一文に酔う。
どっぷりはまりこんでしまった。
「沖で待つ」。牧原太こと太っちゃんと、及川さんの話だ。
絲山さんの会社員時代の経験がふんだんに盛り込まれている。
福岡に新入社員で配属された二人は、つかず離れず、
助け合いながら過ごしていく。
やがて結婚や転勤などの当たり前のレールに乗りながら、
絲山さんが書くとぜんぜん当たり前じゃなくなる。
二人だけに交わされる秘密の約束。
そしてその約束を果たす悲哀は、心をわしづかみにして離さない。
「沖で待つ」は、絲山さんの魅力の大事なところが詰まっている。
愛情と孤独。これまで読んだ中で考える限りでは、
それが絲山作品の本質だと思っている。
愛情は、親愛なる情の意味で、男女だけや友情だけでなく、
もっと幅の広い感情だ。
そして孤独。他者から自立することによる心の独り立ちである。
これまでに読んだ三作品に共通して感じられる。
「沖で待つ」を読んではっきりと自覚した。そして愛情と孤独は、
表裏一体のようにいつだって深く絡まりあっているのである。
愛情と孤独を、安っぽくなく、こんなに洗練して書く作家さんは
なかなか出会えない。
この人は文壇での成功なんかどうでもいいと思っているはずである。
恐ろしいくらい地位と名声に不遜で、現物である小説にこだわる。
解説も現場第一。
自分の作品を読者が分かってくれればいいという姿勢の現れである。
だから、例えば映画化を通した大爆発なんてものは
起きにくいのかもしれない。実際、デビュー作が映画化された際に、
大人げない問題を起こして訴訟に発展している。
自分の作品が都合よく切り取られるのが我慢ならなかったのだろう。
でも映画やテレビがおいしいところをお祭りにするのは当たり前。
作品の世界を守るためといえば聞こえはいいが、
そんなことばかりしていたら売れるものも売れないよう、
と言いたくなってしまう。
徹底的な現場第一主義。その下手くそな生きざまの絲山さんを、
私は圧倒的に支持してしまうのである。
沖で待つ
2011/09/08 12:51
新しい波
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第134回芥川賞受賞作。
選評のなかで河野多恵子委員がこの小説の新しさを絶賛しているが、男と女の関係を描きながら、恋愛でもなく友情でもない、仕事場での同僚としての関係を見事に描ききった作品として、その「新しさ」が目をひく。同時に、女性が粘質な体質を削ぎ落とすところまできていることに感嘆する。
どころか、河野委員が「この作品で本物の純文学のおいしさを知ってもらいたい」とまで書いているように、物語としても実に「おいしい」。
書き出しがしゃれている。
主人公の「私」と牧原太は住宅設備機器メーカーの同僚である。牧原のマンションに出向く「私」と会話する太は、すでに死んでいるのだという。この二人の関係はなんだ。太はどうして死んだのか。はたしてどんな物語が始まるのだろう。そんな期待が後押しをする。
「私」と太の間に恋愛感情はない。たまたま同期として福岡の支店で働きはじめたにすぎない。でも、よく考えてみれば、それは同じ日に誕生した双生児のようでもある。
やがて、太は結婚をし、私は埼玉営業所へと転勤する。それでも二人の関係はつづく。同期として。
そして、太は突然の事故で死んでしまう。二人はけっして交わることもない。ただ、同期としてある。
選考委員の一人黒井千次は「二人が女と男であるために、一見遠ざけられたかに思える性の谺(こだま)が微かにに響き返して来るところに味わいがある」と書いているが、題名の『沖で待つ』が潮の大きなうねりを喚起させ、それはまるで黒井のいう「遠ざけられた性の谺」のようである。
そして、同時に文学の新しい波を感じさせる佳品である。
2016/12/23 14:25
沖で待ったり、待たれたり。
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:szk - この投稿者のレビュー一覧を見る
『沖で待つ』、同期の話。性別を超え助け合う。わたしには同期がいないのでよく実感できなかったけど、苦しい時に慰め合ったり、泣き言が言えたり、そういう友を思い浮かべ読んだ。その子のためなら多少の犠牲は問題ない。同期ってこういう感じなのかな。「沖で待つ」、あくまでも奥さんへ向けた言葉だけれど、きっと太っちゃんなら及川さんのことも待っていそう。のんびりと。そういう懐の深さが太っちゃんにはある。いい人間だから早く沖へ行ってしまったんだよね。絲山さんのストレートな言葉遣いに打ち抜かれた。飾りがない分シンプルに響く。