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6件
白洲次郎 占領を背負った男
著者 北康利 (著)
日本でいちばん格好いいといわれている男・白洲次郎。明治35年に兵庫県で生まれ、英国へ留学。戦後、吉田茂の側近として日本国憲法制定の現場に立会い大きく関与した。しかし、彼は表舞台には立たずに、在野精神というダンディズムを貫き通すのであった。初めて知る方にもお勧めの白洲次郎評伝決定版。(講談社文庫)
白洲次郎 占領を背負った男(下)
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白洲次郎占領を背負った男 上
2012/07/08 20:49
とっぷりと白洲次郎
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る
白洲次郎に関する情報がほぼ網羅されている点で、現在(2006年)発行されている他の白洲本に勝る。歴史的背景も丁寧に説明されているので、誰がなぜそのような行動をしたのか分かりやすい。ただ、白洲が裏で手を回して兵役を逃れたという噂については、事実か虚偽かどころか、そのこと自体に触れてないのが気になった。また、文章がやや平板で、読んでドキドキ感がある点では、『風の男 白洲次郎』に軍配が上がる。
さて、現在手に入る白洲関係の本を何冊か読んできたが、「恒産なきものは恒心なし」の慣用句がしばしば引用されるように、白洲家や正子の実家の樺山家がいかに裕福であったかが、強調される傾向がある。しかし、白洲商店が破産し、敗戦により樺山家も以前の威勢を失ってからは、普通の金持ちである。さらに、同じかそれ以上に裕福であった家庭もあり、そこで育った人は他にもいるのだから、裕福だったことを理由として強調し過ぎるのは、彼らに失礼だと思う。
「衣食足りて礼節を知る」とも言われるが、衣食足りることと超弩級の金持ちであることは違うし、衣食足りても恒心も礼節も持ち合わせない人は多い。逆に占領期においては「武士は食わねど高楊枝」こそ、次郎が持ち合わせていた精神ではないかと思う。だからこそGHQに敢然と立ち向かうことができたのだ。国家対国家で対峙していた当時の日本と米国の関係においては、決して次郎は恒産側に立っていたのではない。彼は恒産による恒心で対抗したのではない。彼自身の肝で戦ったのだ。そして、それに共鳴した人が助けたのだ。
思うに、次郎の裕福な境遇を強調する人は、自らは恵まれていないのでと言い訳したいのではないか。次郎は恵まれない境遇の人にも優しいであろうが、言い訳するような人物は認めないだろう。見た目のかっこよさで次郎をかっこいいというのも同じである。この本を読んで、環境など言い訳にせず、次郎のように純粋に信じるところを自分のプリンシプルを守って生きていく若者が増えてほしいと思う。虚心坦懐に自分のまわりを見渡せば、次郎ほど目立つ立場になくとも言うべきことを言い、筋を通して真摯に生きている人がいるはずである。そして、たとえ次郎にはなれなくとも彼らのよきフォロアーになれればと思う。
白洲次郎占領を背負った男 上
2019/10/17 20:32
白洲次郎はかっこいいね
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
白洲次郎はかっこいいね。
風貌だけでなく。
お金があるからだけでなく。
彼の住んでいた武相荘に行ったことがある。
豪邸ではない。
でも、自然に溶け込んで、凡人には得がたい生活があった。
伴侶も、白洲正子という一流人。
そのあたりもかっこいい。
そして、敗戦後の弱体化した日本にあっても
臆せず振る舞い、沖縄にも目配りを忘れなかったあたりも、かっこいい。
白洲次郎占領を背負った男 下
2019/05/26 10:20
筋が通って爽やか
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
『白洲次郎 占領を背負った男』上・下を読みました。
夏休みに武相荘(ぶあいそう)という、この人の旧宅を訪れ、興味を持ったからです。
痛快な人物の痛快な一生、といえば単純すぎるかもしれませんが、政治的な思惑が交錯する中で、白洲次郎の振る舞いは、筋が通って爽やかです。
憲法や沖縄への思いも共感できるものがあります。
「押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと率直に受け入れるべきではないだろうか」という言葉は、現場にいた人の言葉として貴重なものです。
せっかく気持ち良く読み終えたのに、櫻井某の解説が最悪。
自分の偏った持論ばかり書かないで、白洲本人、あるいは作品そのものについて書くのが解説でしょ。