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エルサレムのアイヒマン 新版――悪の陳腐さについての報告
著者 ハンナ・アーレント(著) , 大久保和郎(訳)
〈彼は愚かではなかった。まったく思考していないこと――これは愚かさとは決して同じではない――、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ。このことが「陳腐」であり、それのみか滑稽であるとしても、またいかに努力してみてもアイヒマンから悪魔的なまたは鬼神に憑かれたような底の知れなさを引き出すことは不可能だとしても、やはりこれは決してありふれたことではない。死に直面した人間が、しかも絞首台の下で、これまでいつも葬式のさいに聞いてきた言葉のほか何も考えられず、しかもその「高貴な言葉」に心を奪われて自分の死という現実をすっかり忘れてしまうなどというようなことは、何としてもそうざらにあることではない。このような現実離れや思考していないことは、人間のうちにおそらくは潜んでいる悪の本能のすべてを挙げてかかったよりも猛威を逞(たくま)しくすることがあるということ――これが事実エルサレムにおいて学び得た教訓であった。しかしこれは一つの教訓であって、この現象の解明でもそれに関する理論でもなかったのである〉
組織と個人、ホロコーストと法、正義、人類への罪… アイヒマン裁判から著者が見、考え、判断したことは。最新の研究成果にしたがい、より正確かつ読みやすくし、新たな解説も付した新版を刊行する。
エルサレムのアイヒマン 新版――悪の陳腐さについての報告
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エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告 新版
2017/08/31 09:59
現代に生きる過去の話
10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ニッキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
アイヒマン裁判は、世界の注目を浴びました。ホロコーストに加担した、それも重要な役割を果たしたアイヒマンは、ユダヤ人からすれば悪魔に等しいです。それをアーレントは平凡な人間だと言い、ユダヤ人仲間から批判を浴びます。しかし、彼女は、ホロコーストを肯定したのではないのです。平凡な人間が悪に走ることが問題なのだというのです。アイヒマンを悪魔だと言えば、そこで思考が停止します。しかし、平凡な人間であれば、なぜ彼が悪に走ったのか、もっと考えねばならないのです。平凡な人間が大悪に走ることは、現在でも繰り返されています。それのメカニズムを解明することこそ、それを防ぐ第一歩なのです。それをアーレントは、知らしめてくれます。
エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告 新版
2021/05/22 21:22
誰もが持つ陳腐さ
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:第一楽章 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ナチ政権下のドイツで、強制収容所に集められたユダヤ人をアウシュヴィッツをはじめとする絶滅収容所に移送する実務の責任者だった、そして第二次世界大戦後は身分を隠しアルゼンチンで潜伏生活をしていたアイヒマンの裁判報告です。ただ単なる報告に収まるものではなく、多くの突き刺さるメッセージが散りばめられているので、諦めずに読んで良かったです。巻末の訳者解説から読むと、“読みどころ”が見えていいかもしれません。
副題の”陳腐さ”というのは奇妙に響きます。本書は英語版を基本にしていますが、英語版タイトルで「陳腐さ」に相当する単語は banality です。オックスフォード英英辞典によれば、それは the fact or condition of being banal; unoriginality と説明されています。banal は so lacking in originality as to be obvious and boring とのこと。特別なものではなく、むしろ退屈なものを指す語です。
ホロコーストという歴史に悪い意味で残る(そして忘れてはいけない)所業の実務者であったアイヒマンの何が「陳腐」なのか。アーレントは次のように断じます。
「彼は自分のしていることがどういうことか全然わかっていなかった。(中略)彼は愚かではなかった。まったく思考していないことーこれは愚かさとは決して同じではないー、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ。」(P.395)
アーレントはアイヒマンを、何かとんでもない「モンスター」でもナチの大立者でもなく、その犯した罪に比べれば極めて小物の公務員として見ており、考えることなしに無批判にシステムに最適化しようとしたその姿勢を「陳腐」だと断じています。こうした見方に加え、国際法廷ではなくイスラエルの地方裁判所で開かれた裁判自体の正当性、アイヒマンの移送実務に協力したユダヤ人団体の存在など、アーレントは極めて冷静で公正な視点で裁判を見つめています。
例えば、旧軍人や叙勲されたユダヤ人などは、他のユダヤ人とは異なる特恵的な扱いを受けたことに対しアーレントは、
「以前からナチが認めていたはっきりしたカテゴリーに応じて苦しみを免除することのほうだったということである。これらのカテゴリーをドイツのユダヤ人は最初から抗議もせずに受け容れていた。(中略)これらの特恵的カテゴリーの容認において最も有害なことは、自分を<例外>とすることを要求する者はすべて、暗黙のうちに原則を認めてしまっていたことである。しかしこのことは、優遇的な処置を要求し得る<特例>のことで頭がいっぱいになっているこれらの<善良な人々>ーユダヤ人たると非ユダヤ人たるとを問わずーにはどうも全然理解されなかったらしい。」(P.184~185)
と、皮肉を込めて難じています。わたし自身だったらこうした<特例>を求めずにいられるだろうか…と胸に手を当てたくなるくらいですが、身に覚えのある当事者であれば同胞から自身に矛が向けられていると感じても致し方ないでしょう。
こうした眼差しゆえに、また上述のように誰もが心穏やかでいられなくなる鋭い思索ゆえにという点もあると思うのですが、この本の出版前から一大スキャンダルとなり、ユダヤ人の友人たちを失うという代償を払わされることになります(矢野久美子『ハンナ・アーレント』、中公新書)。
エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告 新版
2020/11/22 14:37
過ちを繰り返さないために
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
善悪二元化を許さない、アーレントの深い洞察力に脱帽します。歴史の流れによって、第2第3のアイヒマンが生まれてくる危険性を感じました。