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121件
歴史文化ライブラリー
平安中期、「新皇」と称して坂東の地に王城建設を夢見た平将門。敗死後の評価は叛逆者と英雄を両極とし、また荒ぶる彼の魂を鎮めるべく大手町の首塚や神田神社が築かれた。佐倉惣五郎を題材とした歌舞伎や明治期の復権運動など、将門がさまざまな伝説となり今日まで語りつがれてきたのはなぜなのか。時代と地域に育まれた将門伝説の世界へと誘う。
琉球王国の南海貿易
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2025/06/03 04:39
公事方御定書で死罪を規定
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
凶悪事件に対する抑止力だけでなく、罪人の更生まで考えているところは吉宗の人格者たる所以でしょう。博奕の回転輪は10まででも、何度でもやり直せるのが人生ですから。
2025/05/28 15:20
古代の女官
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
古代の記録で解らないことは多い。その中の「采女」は果たして天皇のお手付き前提の後宮の女官だったのか?
大陸の記録や文例を引いて、日本の史書や万葉集の中にある「采女」の正体を探る。
結局のところ正確なことは解らない。しかし、地方や有力豪族から召し上げられた搾取されるだけの女性と断定するのは、儒教や武家社会を経た現代の錯覚になりかねない。今後とも研究が続く。
2025/04/01 10:33
足利義満と後小松天皇が険悪
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
日野康子が准母に収まったのが要因でしょう。出家後も勢力を保った、北条時宗の妻・覚山尼ほどあざとくなかったでしょうけど。