エリザベスの成長と、強さ。おっとりとした恋愛模様かと思うと、それだけじゃないんですこれが。
2011/12/20 07:42
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投稿者:アヴォカド - この投稿者のレビュー一覧を見る
オースティンの面白さを、正確に表してみようとすると、なんだかう〜んと唸ってしまう。面白さ、と言っていいのかどうかもアヤしい気がする。
しかし惹かれる、読みたいと思うのは何故だろう。
激しさや、これと言って大きなアップダウンがあるわけではないんである。静かで、牧歌的とも言えるかもしれない。
恋愛沙汰にしても、キッタハッタや転落があるわけではない。
そもそもが生活に困らないお金持ちの人たちの話なので、気持ちが切羽詰まったりしないんである。
邸があって庭園があって馬車やパーティがあって。部類で言えば、コージーな。
TVの昔の”トレンディドラマ”の時も、「あんたたち、少しはマジメに仕事しなさいよ!!」と思っていたが、ここにいる人たちには女性はともかく男性たちにも、差し迫った仕事の様子は見えない。
おっとりと、恋愛や人の気持ちにかまけていられる。
そういう意味では、19世紀の”トレンディドラマ”、と見ることも出来る。。。
「ああ、リジー、愛情のない結婚だけはしないでちょうだい」なんてセリフも差し込まれはするが、愛情も何も、相手の方にお金あってのことである。
母親も、娘たちのお相手に関しての基準は「資産」のようで、リディア→ジェイン→エリザベスとヒートアップしていく様子が可笑しい。
一番好きなのは、もちろん、エリザベスの、レディ・キャサリンへの啖呵の場面である。そーだ、言ったれ言ったれ、と心の中で大応援、大喝采である。エリザベスという女性のバイタリティが頼もしく、眩しい。
このシーンがあるからこそ、おっとりとした恋愛模様だけでなく、しっかりメリハリがついているのだと思われる。
少女漫画のように楽しんで読めてしまった。
2017/03/12 21:02
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投稿者:M77 - この投稿者のレビュー一覧を見る
新訳のおかげか、少し前の少女漫画を読むような感じで楽しんで読めた。
当時の人達は、上流の人は財産を散逸させぬようにしているし中流では新たな権利を手に入れようと躍起になっている。だからこそ身分に捕われず好きにものを言うエリザベスが魅力的に見える。彼女は殆ど無敵で、まともな恋敵も居ない。真の敵は自身の偏見なので、それを破ってくれたダーシーに恋することになる。
悪役が傷つけるのも彼女自身ではなく、その家名だ。お金で問題が解決されると、少女漫画ならかえって気持ちが信じられなくなって連載が長引きそうだが、その辺は行き違いも無くアッサリ。
細かい感想。
母を恥ずかしく思う若い主人公に、いつの時代も人間は変わらないなあと思ったが、この本の時代が、価値観の変わり目というのもあるのかな。
エリザベスがダーシーの妹に好かれる描写は、間接的にエリザベスの魅力を照らし出すようで、読んでて気分が良かった。
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オースティンの面白さを、正確に表そうとすると、なんだかう〜んと唸ってしまう。面白さ、と言っていいのかどうかもアヤしい気がする。
しかし惹かれる、読みたいと思うのは何故だろう。
激しさや、これと言って大きなアップダウンがあるわけではないんだよね。静かで、牧歌的とも言えるかもしれない。
恋愛沙汰にしても、キッタハッタや転落があるわけではない。
そもそも生活に困らないお金持ちの人たちの話なので、気持ちが切羽詰まったりしないんである。
邸があって庭園があって馬車やパーティがあって。部類で言えば、コージーな。
TVの昔の”トレンディドラマ”の時も、「あんたたち、少しはマジメに仕事しなさいよ!!」と思っていたが、ここにいる人たちには女性はともかく男性たちにも、差し迫った仕事の様子は見えない。
おっとりと、恋愛や人の気持ちにかまけていられる。
そういう意味では、19世紀の”トレンディドラマ”、と見ることも出来る。。。
「ああ、リジー、愛情のない結婚だけはしないでちょうだい」なんてセリフも差し込まれはするが、愛情も何も、相手の方にお金あってのことである。
母親も、娘たちのお相手に関しての基準は「資産」のようで、リディア→ジェイン→エリザベスとヒートアップしていく様子が可笑しい。
一番好きなのは、エリザベスの、レディ・キャサリンへの啖呵の場面である。そーだ、言ったれ言ったれ、と心の中で大応援である。エリザベスという女性のバイタリティが頼もしい。
このシーンがあるから、おっとりとした恋愛模様だけでなく、メリハリがついているのかも。
解説で《カントリーハウス小説》というくくり方をしているが、なるほどね、フォースター、ヴァージニア・ウルフ、イーヴリン・ウォー、そしてカズオ・イシグロ「日の名残り」と、イギリス小説の大きな魅力の一つであることは間違いない。
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やはり読み出したら一気に上下巻読んでしまった。新潮文庫版で昔読んでいるけど、何度読んでも面白いの一言に尽きる、ラブコメの元祖のような小説。
登場人物ひとりひとりに対する辛辣かつ繊細な性格描写、何と言ってもダーシーとエリザベスという主人公達の魅力的なこと。ドタバタ喜劇の中にさりげなく人生や人間に対する苦さや恋の甘さ切なさが織り込まれている。
ただ、翻訳としては新潮文庫版の方が良いかもしれない。
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やばい、現代でも十分に楽しめる傑作。特に2011年出版版は解説が非常に親切なのでイギリスの階級について分からない人は絶対いい!
今年のイギリス文学ブームの中で群を抜いて面白かった。
映画も観たいと思う。
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夜更かししてまで一気に読んでしまった。後半のわくわく感はすごい。
それぞれこれまでの自分の自意識や浅はかさを恥じるエリザベスとダーシーが、向き直って惹かれあい、結びついていく過程の面白さ!
そうよね、こうでなくちゃ!という気持ちにさせる大団円のラストもよい。
こうなることはわかっているけれども、ハッピーエンドであるべきだ。
たしかに上流階級の話で、そこには労働のつらさや生活への心配はないからこその浮世離れした感じはあるけれど、フィクション、ロマンスとして楽しむにはこれでいい。当時の社会では階級は大事なことだったのだろうけれど。
登場人物の美点や欠点、気持ちの移り変わり、そして恋愛感情はどの時代にも普遍的なことだし、オースティンは現代にも通じる「人」「感情」を素晴らしく表現していると思う。
ユーガットメールの中で、主人公が「高慢と偏見」を繰り返し読んでいると言っていたけれど、確かに何回繰り返し読んでも楽しめる、最高の小説のひとつだ。
そして、数々の小説や映画(ユーガットメール含む)で繰り返される「高慢と偏見」のテーマはやはり人間に共通した普遍的なテーマなんだろう。
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後半の展開が面白い。
なんか、すごく少女マンガなようで、皮肉さとかのユーモラスさは青年マンガ。
といえばいいのか、きれいめな話といえば、実際のところすんなりとエンディングを迎えると思えば、そうでない。
なんかとてつもなく紆余曲折があって、いろんなプロセスがぐぁんぐぁんって感じ。
登場人物が少ないけど、その世界がすごく惹きこまれる。
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2012.2.18読了。
見事ハッピーエンド。当時のイギリス社会という前提はあるものの、こういう女にはなりたくねーなという教えに溢れている。
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この物語、恐らく KiKi は今回の読書が4回目だと思います。 最初に読んだのが高校生の頃。 当時の KiKi にはどこが面白いんだかさっぱりわかりませんでした。 そもそもあの有名な出だし
独身の男性で莫大な財産があるといえば、これはもうぜひとも妻が必要だと言うのが、おしなべて世間の認める真実である。
It is a truth universally acknowledged, that a single man in possession of a good fortune must be in want of a wife.
からして当時の KiKi には気に入りませんでした。 これはもう KiKi のような現代女性には夢物語としか言いようのないシンデレラ・ストーリーに違いないと冒頭から確信させられちゃうなんて・・・・・と言う感じで、ある種の思い込みからダーシーを毛嫌いしていたエリザベス同様、KiKi もどこか斜に構えたまなざしで読了したことを覚えています。
2回目の読書は大学時代。 一応「英文学」を専攻していた KiKi はこの作品を「英文学を学ぶ学生の必読書」という感覚で再読してみました。 相変わらず冒頭の一文は気に入らなかったし、高校時代には単なる道化にしか見えていなかったミセス・ベネットやウィリアム・コリンズ、さらには上流階級のプロトタイプみたいなレディ・キャサリン・ド・バーグなんかにいちいちイライラさせられ、やっぱりどうにもこうにも気に入らない物語でした。
そして3回目の読書はハリウッド・映画「ユー・ガッタ・メール」を観たことに端を発していました。 あの映画の中でメグ・ライアン演ずる主人公の愛読書が「高慢と偏見」であること、彼女がかなり質の良いタイプの小さな本屋さんを経営している女性であることに触発され、「長年毛嫌いしてきたこの物語にも KiKi がまだ気が付いていない良さが何かあるのかもしれない。 そもそも英文学の中の1つの名作とされているんだから・・・・・」とばかりに再読してみました。 当時読んだのはちくま文庫に収録されている「高慢と偏見」だったと思います。
因みに高校時代の読書は恐らく「岩波文庫」(あの時代、KiKi が暮らしていた田舎でこのテの本を読もうと思ったら選択肢は岩波文庫しかなかった)、大学時代は恐らく「新潮文庫」(学生時代の KiKi のお気に入りはとにかく「新潮文庫」で、たいていの本は新潮文庫で読んでいた)だったと思います。 それぞれがどんな訳だったかな~んていうことは全く覚えていないけれど、そういう意味では KiKi のこの作品の読書は 岩波 → 新潮 → ちくま → 光文社 という変遷を辿ってきたと思われます。
ま、それはさておき、映画に触発されてちくま文庫で読んだ「高慢と偏見」(つまり第3回目の読書)で初めて KiKi はこの物語の本当の面白さに気が付いたような気がします。 この物語は確かにアッパーミドルクラスの恋愛物語ではあるんだけど、本質はそこにはなくて、人間観察・人間描写の粋を極めた物語だったんだなぁ・・・・と。
そして今回の4度目の読書は「光文社古典新訳文庫」だったわけだけど、今回の読書でその想いは確信に至りました。 この物語は人間と言うしょ~もない生き物のいくつかのパターンを時に��フォルメしつつも普遍的な形で描きだし、その愛すべき愚かしさを抉りだし、それを苦笑したり失笑したりしつつも己や己の周りにある「似たもの」に思いを馳せることを余儀なくさせ、同時にそれらに対して自分が下してきたそれまでの評価を再分析してみる気にさせる、そんな物語だなぁ・・・・・と。
高校時代の KiKi にはこの物語は単なるシンデレラ・ストーリー、富豪で見かけは高飛車っぽいけど実は非の打ちどころのない青年に愛された才気煥発な女性の物語という以上でも以下でもありませんでした。 そしてそのわざとらしい人物背景に反感をさえ覚えました。 そう、まるでダーシーを「嫌な奴」と決めつけたエリザベスと同じように・・・・・・。
そして大学時代の KiKi もそれとは大差ない感覚でこの物語を読了し、「こういう物語を喜んで読むような人がシンデレラ・コンプレックスっていう人種なんだろうな」と思っていました。 この時代までの KiKi は生活の全てを親におんぶにだっこ状態。 ベネット家が抱える経済的事情を頭では理解していたものの実感覚としてはちゃんと理解できていませんでした。 そうであるだけにミセス・ベネットやウィリアム・コリンズの浅ましさ(当時は浅ましさとしか感じられなかった)に嫌悪感を覚えておしまいでした。
でも3回目の読書は社会人になり、経済的な苦労等々も我が身のこととして体感したせいもあって、ミセス・ベネットやウィリアム・コリンズの「そうならなければならなかった背景」みたいなものも斟酌できるようになり、逆にエリザベスの中に「秘められた高慢さ」があったことも見えてきたような気がしました。
この物語の原題は "Pride and Prejudice"。 これまでの日本語訳では「高慢と偏見」とか「自負と偏見」というように訳されていることが多いわけだけど、Pride には「高慢」という意味よりもどちらかと言えば「矜持、自尊心、誇り、傲慢、虚栄心、驕り、自惚れ」といった意味合いが強いと思うんですよね。
「あの人はプライドが高い」という言い方をすればどちらかというとあんまりいい感情をもっていない時(傲慢とか虚栄心とか驕りとか自惚れといったような否定的な意味)に使うような感じがしないではないけれど、「もっとプライドを持ちなさい!」というような時には自尊心とか誇りといったような、人間の核となる価値観みたいなものをあらわしていると思うんですよ。
でもこのプライド、とっても厄介なことに人が人として存在するうえでとっても大切な核でありつつも、時に人の眼を曇らせる薄闇にもなりうるわけで、そのあたりが実に見事に描かれている物語だよなぁ・・・・と思うわけです。 高校時代の KiKi は「高慢≒ダーシー」「偏見≒エリザベス」というような表面的かつシンプルな構造でこの物語を捕えていたんだけど、実は違っていてこの物語に登場するすべての人に「高慢と偏見」の両方がその人の持っている資質なりの形で備わっている(あのミセス・ベネットやウィリアム・コリンズであってさえも!)ことに気がついた時、初めてこの物語が名作と呼ばれる由縁がわかったような気がしました。
そして今回の読書の「訳者あとがき」の部分で、あの夏目漱石がこの物語を野上彌生子に紹介し、その野上彌生子の愛読書の1冊だったことを知りました。 「夏目漱石」「野上彌生子」といえば高校時代の KiKi のアイドルでしたから、何とも懐かしい思いをしたのと同時に、彼らをアイドルだと思っていた KiKi のあの感覚の底の浅さを思い知らされたような複雑な気分になりました。
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5月の7冊目。今年の61冊目。
『高慢と偏見』の下巻。いやー上下を読んで思ったことはすごい主人公の心の動きが詳細に描写されているなーと思いました。ほんとに見事なくらい自然に心の変化が読者にわかりやすく、しかも共感できる形で描かれていると思いました。また、この作品の大部分は著者が20歳くらいに書いたそうで・・・。うーん、すごい!
ただちょっと上下巻で600頁以上あるので、中だるみはするかも。
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”それぞれの登場人物がいきいきと描かれている”のがオースティンの特徴。
この(下)は、まさにその言葉どおり。
おそらく人気があるエリザベスだけでなく、ちょっと”面倒な妹”のリディアも、重要な役割。
それにしても、ダーシーさまの男らしいこと!
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≪内容覚書≫
19世紀イギリスの作品。
ユーモアと知性のある女性、エリザベス。
大人しく優しい、ジェイン。
お隣に越してきた、ミスタ・ビングリー。
その友人のミスタ・ダーシー。
すれ違う4人の恋模様を
イギリス特有の皮肉を交えて描いた作品。
高慢で偏見を持っているのは、誰なのか。
≪感想≫
あらすじをまとめようと思ったら、まさに王道な少女漫画。
第一印象は最悪!だったけど、相手を知る内に…、
というパターン。
これはもう、洋の東西を問わず、古今を問わず、
恋愛における珠玉のテーマなんだろうな、と思ってしまった。
書かれた時代が時代なので、
女性に対する扱いが多少低いな、と思わせられるし、
最終的に結婚してハッピーエンドは安易すぎる結末だけれど、
このよくあるパターンに、
イギリス特有のユーモアと皮肉の利いた表現が、
ほどよい刺激を与えてくれ、退屈することなく最後まで読める。
イギリス文学は、読んでいて、
ニヤリとさせられてしまうことが、本当に多い。
特に、この作品の女性の描き方は、
さすが女性作家、と思わせられる。
ああ、いるよね、こういう女…、と、
何度ニヤニヤしてしまったことか。
国境だけでなく、時代を越えても通じるものがあるのが、
不思議と言えば不思議。
古い文学作品は、確かに、読みにくい物もあるけれど、
これは、そういう、まさに「偏見」を捨てて、
手にとってみるといい作品だと思う。
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少女マンガに負けない、きゅんとくる恋の名作。
とにかくダーシーは少女マンガのヒーローですね。なにこの王子様。ちょっと頑固なところまで含めて完璧です。案外文化や時代が違っても、恋愛ものの王道は変わらないのかも。
リジーも言っていますが、ダーシーのほぼ意のままに操られているミスタ・ビングリーは大丈夫なのか(笑)
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高慢と偏見がもたらす人編関係の喜劇。
色眼鏡なく人と接することの困難さ。
相手を知るということが、いかに大切か。
そして、誤ちを認める素直な心。
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ふとこの登場人物たちの中での高慢度ランキングを考えてみた。レディ・キャサリンは、まあ、当然。お生まれ、お育ちのおかげ。だが、実はミスタ・ベネットがかなり高位になるのではないかな。
彼の心情はどうやら「馬鹿は嫌いだ」。妻の頭が空っぽだったと気付いた時(そんな女性をつかまえたのは自分なのだから責任は自分にあるのに)、彼は見事に妻を無視することにしたらしい。一方、娘、エリザベスが自分の知性に応えてくれると気付くと、彼女だけを対等に扱い、やはりほかは無視(まあ、ジェインはそうでもないようだけれど)。エリザベスのすぐ下の妹、メアリが本や音楽にかじりつき、結果空気読めないちゃんになってしまったのは、もしやそのためでは、とも思われる。彼女もそこそこ知性がありながら顔立ちが今ひとつ。母親の愚かさを知っているのに、尊敬する(?)父の愛情は姉に集中。としたら、学問で父親を振り向かせる以外にないじゃない!
さらにその下の娘たちにいたっては完全放任。
かくしてベネット氏の老後は、たとえ娘を訪問する楽しみができたとしても、いささか索漠としたものになったのではないだろうか。
以上ひねくれた読み方をしてみました。