敵(新潮文庫)
著者 筒井康隆
渡辺儀助、75歳。大学教授の職を辞し10年。愛妻にも先立たれ、余生を勘定しつつ、ひとり悠々自適の生活を営んでいる。料理にこだわり、晩酌を楽しみ、ときには酒場にも足を運ぶ。...
敵(新潮文庫)
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商品説明
渡辺儀助、75歳。大学教授の職を辞し10年。愛妻にも先立たれ、余生を勘定しつつ、ひとり悠々自適の生活を営んでいる。料理にこだわり、晩酌を楽しみ、ときには酒場にも足を運ぶ。ある日、パソコン通信の画面にメッセージが流れる。「敵です。皆が逃げはじめています―」。「敵」とは何者か。いつ、どのようにしてやってくるのか…。意識の深層を残酷なまでに描写する傑作長編小説。(解説・川本三郎)
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良い本です
2024/01/25 15:24
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:a - この投稿者のレビュー一覧を見る
75歳の儀助のあれこれの短編集です。フランス文学の教授をしていたこともあり、妻にも先立たれている、そんな儀助の私生活を事細かに描写している。夢や妄想が多いが、現実でないだけに愉快だ。ついのめり込んでしまいます。
敵
2001/06/04 23:46
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hiro - この投稿者のレビュー一覧を見る
大学の教職を引退した老人を主人公として、その生活の細部、衣食住を微に入り細に渡り描写いていく。作者の小説に、人生の末期を迎えた老人を主人公とした作品は、他にもあったような気がするが、このように徹底して老人の日常を追ったリアリズムの小説があったかどうか。それほど日常の些末な物事、毎朝の食事のメニューからタンスの引き出しの中身といったことまで、細々と綴られていく。この主人公のユニークなところは、預金の残高を死期の目印としているところだろう。収入は減ったが生活のレベルは落とさず、次第に減っていく預金残高を見て、何年、何ヶ月先の自決を覚悟する。これは言ってみれば、自分の人生の終わりを老いや病によって左右されるのではなく、あくまで自分の生活の仕方によって決しようとする、反骨精神なのだろう。このように矍鑠たる老人であっても、生活を預貯金に頼る身として昨今の低金利を嘆いたり、病に伏せった時に他人に迷惑がかかるのを恐れ、好きな韓国料理を刺激性の調味料故控えようとするなど、今日的な独居老人の直面する問題をも描いている。するとこの小説は、老年を迎えた著者自身の、かく生きようという意志表示なのか、あるいは現実告発なのか。そんなことも考えてしまいそうだが、そこはやはり筒井氏の小説。ただそれだけでは決して終わらない。主人公の回想や空想が、次第に老人の現実を侵食し始め、境界を曖昧にしていく。現実とフィクションとが互いに近づき混然となっていくという形式の小説は、著者の作品には他にもある。しかしこの「敵」においては、主人公を老人としたことにより、それが「老い」の問題としてクローズアップされるからより切実だ。ラストの主人公の後ろ姿は痛々しく悲しいし、不気味でさえあるのはそのためだろう。
死の影におびえる
2018/05/14 03:27
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
熟年期を迎えた男性の悩みが、赤裸々に伝わってきました。如何にして自分らしく人生の最期を過ごすことができるか考えさせられます。
淡々とした日常から○○へ
2001/02/28 05:33
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投稿者:コウちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
老人の一人暮らしの日常を事細かに綴っていく文章。元大学教授で、妻には死に別れ、蓄えが無くなったら自分も死ぬつもりでいる。そんな老人の日常に少しずつ少しずつ、読むものを同化させてしまうような、そんな文章だ。
下手な作家が、こんな文章を書けば、どこか現実味のないチグハグな感じになるのだが、そこはさすがの筒井先生である。中ほどまで読み進むと、不思議な違和感を感じてくる。どこが変なのかわからない。そのうちに現実から少しずつ離れていくのに気づく。
もう遅い。
現実なのかわからない…。どうやら老人と同化してしまったようである。気が付いたら読み終わっていた。現実に戻るには、少し時間が要りそうである。
微細な日常
2001/01/14 11:20
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投稿者:よんひゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
端正な文体である。読点は必要最小限しかないのだが、読みにくさは感じない。そして抑えたユーモア。この作者の作品で美しい文章というと『旅のラゴス』を思い出すが、『敵』もそれに遜色ないと思う。
退職した元大学教授の日常が事細かにつづられていく。なめるように、と言いたくなるほど、生活すべてが言葉にされる。しかし、それがおもしろいのである。一見平凡で単調な生活のようだが、ひとつひとつの行動を「なぜそうするのか」という部分まで掘り下げて記述していくと、変わった模様が見えてくる。もちろん、主人公の老人は、かなり偏屈者として描かれていて、その特異な考え方がおもしろい、という部分もあるが、だれの生活でも、このような観察眼で描いたら、日常雑記以上のものが見えてくるのではないかという気がする。
筒井康隆のことだから、もちろん日常の記述だけでは終わらない。だんだんに現実から異界へと、主人公の意識が滑り落ちていくさまも見事だ。
この作者が Asahi ネットで独自の活動をしていたことは有名だが、この作品にも、パソコン通信の描写がでてきて、それが主人公の意識の内奥を見せるキーともなっている。
電波系独居老人?
2001/01/04 23:51
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投稿者:rikito - この投稿者のレビュー一覧を見る
エッセイ形式で綴られた、大学を退官した独居老人の微に入り細に入り羅列された日々の生活。60くらいになったら再読すると面白いかもしれない。
仏演劇が専門の元大学教授は、手元に金がなくなったとき自決、と決めている。自分の預貯金と日々の支出を見比べ、時折あと何年の命かと年月日まで割り出して計算し「迫力と快感」を感じていたりする。
そんな彼の贅沢することもなく、かと云って吝嗇に走るわけでもない、平凡な変化のない日常。まるで雑誌「サライ」を地でいっているかのような生活。
時たま出てくる擬態語が暴走族なみのセンスによる漢字の当て字であり、自分のような若者にはそれがまたなんだか空恐ろしさ、不気味さを倍増される。
また、表題の「敵」がなんとも。
ネットのフォーラムにたまたま書きこまれた「敵が来る」の一言からはじまる彼の妄想。現実からの逃避だろうか?
まさに「落ちていない」状態で話は淡々と続いていき、とうとうしまいには彼があちら側にいってしまったかのような雰囲気になる。
なんとも不気味な話だった。不気味、と思うのは自分がまだ若いから、老いることへの恐怖感があるからだろうか…。