映画もいいけど、原作はもっといい
2015/10/20 07:21
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
黒沢清監督の手で映画化され、第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門の「監督賞」を受賞した話題の映画の原作である。
単行本にして200頁あまりの作品をおよそ2時間の映画にするわけであるから、原作と映画の違いはある程度やむをえない。
原作にはないエピソードがあったり、原作にあるエピソードをカットしたり、それはそれで仕方がない。ただ原作がもっている、つまりは作者湯本香樹実(かずみ)の世界観と映画監督黒沢清の世界観がやや違うような気がする。
湯本の方が生きる側の視点にあるような気がするのだが、どうだろう。
夫・優介が失踪してから3年、ある日妻・瑞希のもとに優介が帰ってくる。しかし、彼はすでに死んでいるのだという。
つまり、優介は死者なのだ。
その彼が「でかける」という。訳のわからない瑞希は「どこへ」と訊ねる。それは優介が肉体を喪い、瑞希のもとにたどりついた道をさかのぼる旅の誘いである。
その旅で出会った人たちと町。そして、優介のこと。
優介がいなくなってから、瑞希はずっと優介をたずねる旅をしていたのかもしれない。
愛する人はただそばにいるだけではだめなのかもしれない。愛の名のもとに本当のその人を知ることを拒んでいる。知ってしまえば、愛は消え失せてしまう。
瑞希は優介がいなくなることで彼を知ることになる。
映画には描かれなかった挿話がある。
それは瑞希が子どもの頃に川に落されて溺れた体験をもっているという挿話だ。なんとか一命をとりとめて瑞希は若くして亡くなった父から「生き運がある」と言われたことがある。
映画化の際にどうしてこの挿話が割愛されたのかわからないが、水につならるものとして、この挿話は欠かせないような気がする。
特に作品名に捉われる訳ではないが、この作品には水の流れやせせらぎの音が欠かせないような気がする。
人の一生は河の流れに例えられることがあるが、人を愛するとか人を喪うことも、どこか川の流れに似てはいないか。
映画を観た人はぜひ原作を読んでもらいたいし、原作を読んだ人は映画を観てもらいたい。
そんな作品だ。
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投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る
とても好きな作家だが、この作家は寡作だから、私は、いつも新しい物語をじっと待っている。待っているが、この一冊以降新しい本は世に出ていない?
本作は映画化されてカンヌ国際映画祭「ある視点」部門の「監督賞」を受賞し話題になったことでも有名。
作家は、ずっと老人と子供のかかわりを描いてきたものが、本作は生きている妻とすでにこの世の者ではない夫の旅と設定されていて、それだけで胸がぐっと詰まる気がした。物語は、より不安で、悲しく、切なく...そっとひっそり息をつめるように読む。そして、やるせないエンディング。
一瞬、息ができなくなるほど苦しい。苦しいけれど、やはり優しい。
実は、映画はまだ見ていないまま、この本も再再読。今年は映画も見てみようかな。
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
生者と死者を対極に捉えることなく、寄り添うように見つめています。ふたりが巡る風景の数々と、人々との触れ合いも優しいです。
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う~ん。。。この本は。。。
評価が難しい。
裏表紙や帯のあらすじ的な所を読まずに本文に入るタイプなので、のっけから
「へ?蟹?」・・・・的な・・・
この話はなんなの?
この旦那さんはふざけちゃってるの?誤魔化してるの?
なんなの?この流れは・・・・
そして終始暗い・・・・
しかし、終盤になってようやく話が飲み込めてきた。
え、まさかそうなの?
そうだったのか・・・
そしてラスト
・・・今までののらりくらりとしたストーリーがまるで自分の歩いてきた道の様に思いだされ涙が・・・出なかったけど出そうだった。(笑)
なんて話なんだろう
湯本さんの書くお話は好きだ。
でも、これはちょっと違うのかな。と思った。
でも、、、深い
もう一度読んだらもっといいかも知れない
そして・・・「しらたま」
しらたまの存在がいい。
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彼岸の岸辺を旅する夫婦の物語だった。
行方不明だった夫が突然妻のもとに帰ってきて、自分が既に死者であることを告げる。死者である夫と共に、生死(あの世とこの世)の境界の曖昧な世界を旅する、生者である妻。夫の死への過程を追体験し、夫の死を理解し、夫を見送る妻。
重いと言えば重い話だけれど、淡々として透明感のある文章で、とても読みやすかった。
じんと心の底に溜まるような本。またいつか読み返したい。
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3年前に失跡した夫がふらりと戻ってきて、でも実は我が身はもう海の底で蟹に食われたのだなんて言い出して、死して後の3年間の旅路を二人であてどなく遡っていく幽霊譚。夢か現かの道行、水の音、あぶく、といったイメージが繰り返されて、水底にいるようなしんとした雰囲気。たがいの三年間の空白を語り合い、共にいた日々、共にいながら共有しなかったできごと、であう前の歳月を回想しつつ、同じように長い旅をしている死者やそのまわりの人々と交流をかさねていく。潮時がくると、淡々とふらりと次の地へ向かう。私たちの「生」もそんな気まぐれな一期一会なのかもしれない。最後は二度目の別れとなるが、その別れも劇的なものはなく淡々とやってくる。が、主人公はそれまでの3年間にはなかった強さを得たようにみえる。
死んでいるのに、髪や髭が伸びたり、食欲旺盛だったり、ほんとのところ死者と生者の区別なんてあいまいなのかもしれない。自分が死んでいるのに気がつかない人もいるし、生きながら死んでいる人もいる。実際すれちがうひとの何%かは死者であってもふしぎじゃない気がしてくる。
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湯本さんの書くものが好きです。
この『岸辺の旅』もしらたまをはじめ、いろいろな食べ物が出てきたり、様々な地を旅して、その地の人に出会ったりとにぎやかなはずなのに、しんと静かだ。そして、透き通った時間が流れる。それが哀しいことなのか幸せなことなのか、まだまだ私には判断がつかない。それでも、このお話も好きだなと思う。
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思わず涙がこぼれるような悲しいではないけれど、物語の底には深い悲しみが常に流れています。
それは水の流れる音や、月の光、海からのひょーん、ひょーんという蟹の呼び声と共に悲しみは深く迫ってくる気がしました。
死者との旅を通して、大切な人の死を受け入れ
再会した夫が、いずれまたいなくなってしまうことをも受け入れ、未来を引き受けて歩き出す。
その最後の姿に、つかみどころのなかった主人公の強さを感じました。
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のっけから心臓をぎゅっとつかまれたようで、帰省の道すがら、いっきに読んだ。お盆だからかよけいに、今はもういない人に思いをはせて、気持ちが揺らぐ。ぐるぐる。
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のっけから、食べ物。命を繋ぐものとして、でもあり、ふたりを繋ぐもの、でもあり。そして全編を通して食べるという行為がなまなましく描かれる。
喪の儀式、と言えば語るに簡単に過ぎるだろう。けれど生と死とは、もしかしたらこれ程までに近しく存在することもあるのかもしれないと。
淡く淡く、蟹のあぶくのように。
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うーん…川上弘美っぽい…。
夏にこういうじとじとした純文学は私には合わない、かな。
冬に読み直したらまた違う感想かも。
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共感できる部分はあまりありませんでしたが、
身近な人の死に面したとき、自分はどうなるだろう、
と考えさせられました。
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大変なものを読んでしまった、という言葉が、最初からぐるぐるぐるぐる渦巻いて、
今も胸の中で響いている。
密やかで甘く冷たく、目を閉じながら指先でどこかさぐっているような、
そのうちにざっくりと傷つけてしまったような、物語。
たぶんこれからも、私は、何度も何度もこの小説を読むでしょう。
そういう予感がします。
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行かないで
そう言いたくてたまらないのに
胸の奥で言葉がつっかえてしまって
言えない感じ。
行かないでって言ってはいけないような気がするし
それでも強烈に言いたい気持ちが膨れ上がって
心の中が破裂しそうになる。
けれど
物事は
淡々と進んでいく。
人の死は
案外、淡々と進み
死んだあとの
残された人の人生もまた
淡々と進行していく。
けれど明らかに
残される前と、後では
ぱっとみて同じように見える淡々とした行動も
実は大きな違いを中に含んでいる。
そういう
すぐには見えないけれど中に含まれていることが
人間の、なんだかよくわからない深みみたいなものを
作っていくのかもしれない。
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彼岸と此岸、死者と生者、死ぬことと食べること。
それぞれ相反することではなくて、曖昧な境界線を挟んでつながっているのだと思う。
死んだ人のいない家はない。つまり、誰かを失ったことのない人はいない。それでもそこにあった時間は、記憶は、失われることはなくて、私たちはふたりぶんの荷物を持って、波の寄せる岸辺の旅を続ける。