日本のサブカルチャー
2016/02/17 22:32
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投稿者:Freiheit - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本のアニメがフランスで広まった経緯が書かれています。最初はフランスの知識人からは下等なものとみなされていたものの、フランスの国営の2つのテレビ局でアメリカアニメに代わって放送され、しだいに受け止められていったようです。
フランス人からみた日本アニメ・マンガ
2015/11/21 16:42
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投稿者:ありんこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本のアニメ・マンガをフランス人の視点から論じています。経済や政治、移民問題など様々な面から書かれていたので、大学でBDについて研究している私には面白いと感じました。
フランスの子供たちも
2017/02/03 21:13
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投稿者:るう - この投稿者のレビュー一覧を見る
ああ、彼らも私たちと似たような幼少期をおくったのかと思うと一気に親近感がわいた。大好きなアニメが、異文化かゆえか、政治的な問題で奪われていく様は寂しいものがあった。
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タイトル見て、「ああ、水曜日のアニメね。自分もドラゴンボールは楽しみに見てた気がする。フランスでもそんな感じだったのかな」と思ったら違った。なんと昔のフランスの小学校は水曜日が休みだったようで、昼すぎに数時間アニメをやっていたらしい。何その、夏休みみたい編成(最近はそんなことなさそうだけど)。
著者は日本に来て踏切の音を聞いた時に懐かしい気分になったらしい。フランスでは踏切の音って違うのか(調べてみたら、確かに違った)。アニメでの踏切のシーンといえば自分は涼宮ハルヒの憂鬱を思い出す。どんな音だったかは覚えてないけど……。
そして、フランスでもオタク批判(というよりも、日本アニメのパッシング)の対象になったらしい宮崎勤の連続幼女誘拐殺人事件。自分はこの事件のことをほとんど知らないのだけど、どれだけ影響力があったのかよく分かる。
なお、ドラゴンボールでは戦闘シーンが大幅にカットされ、気をためているシーンを長い時間流すなんてこともあったんだとか。ある意味、ドラゴンボールらしい気がする。
それと、フランス人が日本風に描いたマンガのことを「マンフラ」というらしい。調べてみたら、舞台まで日本のマンガがあるらしい。ちょっと気になる。
北斗の拳の改変は、この本の紹介を見るかぎり面白そうと思った。内容もそうだけど、声優たちが改変するよう動いたというのが面白い。そういうこともあるんだなぁ。
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アニメが大好きなフランス人から見た日本論。ジャパンエキスポに批判的なのがオタクらしい。シャルリーエブド事件にまで言及しているのが驚きだった。
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フランス人から見た日本アニメ論ということで興味を持った。著者は「フランス人オタク第一世代」という日本史研究家であり、にして、フランス語版『北斗の拳』などマンガの翻訳も手がける人物。
「とにかく安かったから」という理由で、子ども向けプログラムが欲しかったフランスのテレビ局に買われた日本製アニメ。『UFOロボグレンダイザー』に子どもたちは夢中になった。悪役にも人間性があったり、アウトローが主人公であったりするストーリー性の深みは、アメリカ製子ども向けアニメにはないものだった。しかし、暴力的であるとの批判を受け、バッシングを受けるようになる。テレビアニメが下火になるとこんどはゲームやマンガといったカルチャーに人は流れ、しだいにファンが組織化され、ジャパンエキスポが台頭するといった流れが解説される。
おおまかな流れの説明のなかに、彼自身の経験や、フランス人と日本人との考え方違いなどが挟み込まれていく形で、たいへん読みやすい。著者は「日本マンガの未来は明るいとは限らない」として、『NARUTO』終了後にヒット作がなく、市場は停滞もしくは縮小傾向にあると指摘している。また「クールジャパン」に対しても〈「二歩の作品」であることをひとつのブランドのように押し出したり、それを自ら「クール」と言ってしまうようなその政府のやり方は、過去の「偶然」に基づく成功理恵を無批判に再生産しようとしているようにも見える〉と否定的だ。
また、日本特有の文化――たとえば部活動や先輩後輩といった学校文化をどう翻訳するか、といった問題への苦慮なども書かれていたりして、興味深い。
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日本のアニメ・マンガオタクのフランス人自称第一世代の著者が語る、フランスにおける日本アニメ・マンガ興隆史(ゲームも)とそこから発展した日仏比較文化論です。
1978年夏にフランスのテレビ番組『レクレ・ア・ドゥ』で放送された『UFOロボ グレンダイザー』が日本アニメ浸透の引き金になったとは意外な話でした。自分も小学生の頃に観ていた記憶があります。確か『マジンガーZ』シリーズなんですよね。しかし、ちょっとこれまでのマジンガーとは毛色が違っていて、兜甲児(声:石丸博也)も登場するのですが、これがまた脇役になっていてマジンガーZにも乗らないんですよね。子どもながらにこれには違和感があったことを憶えています。
どちらかというとマイナーなアニメだったと思うのですが、なぜかこれがフランス人の子どもにウケてしまった!『レクレ・ア・ドゥ』の当時の子ども視聴率は100%だと言われたそうで、場所も変わればわからないものですね。(笑)
日本のアニメがフランスの子どもたちにウケた著者の見解としては、様々な偶然や創造的誤解、フランスの社会や価値観とは異なる世界観への興味や親しみなどいろいろな要素があったとのことです。フランスにはないジャンルであったこと、翻訳などフランスっぽい編集がなされたことなどのほか、何よりも悪役にもそれなりの理由を見出す物語構成となっている日本アニメは、個の権利(自由)を優先させるフランスの価値観とは異なる他者への「共感」の世界観を挙げています。
そうして『レクレ・ア・ドゥ』そしてそれに続く『ドロテ・クラブ』で次々と放送される日本アニメのおかげで、フランスの子どもたち、特にエリート層とも移民層とも違うプチブル層の子どもたちに広く浸透したということです。また、このような「共感」の世界観は、これを題材に移民層の子どもたちとのより広いコミュニケーションにも発展できる可能性があったことを指摘しています。
そういえば自分の学生時代、研究室にはフランス人留学生がいましたが、『キャプテン翼』の話で盛り上がったことがあったっけ。(笑)
しかし、1980年代、フランスの価値観とは異なる日本アニメの世界観の故に、エリート層から巻き起こったパッシングの対象になったとのことです。誤解が逆向きになった時、異文化交流のマイナス面が強調されてしまうということでしょうかね。
その後、規制された日本アニメの放送に代わって、有志者は受動的に「アニメを観る」ことから能動的に「マンガを買う」スタイルとなっていたとのことですが、2000年代、フランス人オタクが集うエキスポに目を付けた日本の官・産が「クールジャポン」として進出することになったということでした。
個人的には「クールジャパン」など商売根性見え見えの上から目線のいかがわしさを感じるのですが(それに自分で「クール」と言うとは恥知らずなことよ)、その点は著者も同じでしたね。(笑)
著者の経験からして、ある文化やサブカルチャーの異文化への受容は、そのように「日本」であることを強調・洗練するように上から仕組まれることではなく、逆に偶然��創造的誤解により日常とは違う何かに巻き込まれた結果であり、冒険的なものであったからこそ魅力的であり、異文化の「間」に落ちる過程が面白かったということで、案外、何だかわからない変なものの方が人々の心、特に子どもの心には響いてくるのかもしれませんね。
著者はマンガ『北斗の拳』の翻訳も担当しているとのことで、そのうちフランス人と『北斗の拳』でも盛り上がる日がくると面白いな。
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2015.12.26市立図書館
お正月、初読了本。フランスでの日本アニメやマンガの受容史を中心にして、そのなかで育った海外オタク痔一世代の著者が考えるところの日本のサブカルの魅力を語る本。
フランスやイタリアを筆頭に、いまの日本語学習者にはアニメやマンガから入ってくるタイプが一定割合はいるし、そういうわけではなくても、日本のアニメやマンガの認知度はこちらが思う以上に高いと感じていたが、その秘密の一端がわかり、大人の思惑や都合もありつつ、フランスの子どもたちに思いのほか切実に受け入れられてもいたのだと知った。また、ごく最近のシャルリー・エブド事件にも言及して、フランス社会の抱える移民問題をはじめとした矛盾について論じているのもタイムリーでよかった。
日本発のアニメやマンガの魅力として「共感的な世界観」をかかげ、異文化が翻訳されたり規制を受けたりしながら届くことによる創造的な「間」やときに誤解をもよしとする分析は、直感的になるほどと納得できるものだった。著者自身は個人的な体験に基づくナイーブな本かもしれないと恐れつつも、作品をじゅうぶんに見ないままの放言のめだつフランスメディアの論調の一貫性のなさや、むやみと絶対視・美化してしまう一部オタクの存在、ジャパンエクスポへの違和感など、かなり客観的に分析していると感じた。
いま「クールジャパン」で売り込み中の日本のサブカルの今後がどうなるのか、著者の思いに共感しながら見守っていこうと思う。
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実は、サブカルチャーに限定せず、フランス(の人々)の歴史と現状を教えてくれる良書。昔のフランスでの日本アニメ(安価な埋草)は、最近の日本でいうと韓国ドラマと考えれば近いのかと。”クールジャパン”には、わたしも違和感があります。創造力の無い官僚が、乗っかっただけとしか。海外(特に欧米)で人気が出ると、手のひらを返したように態度(評価)を変えるエリート層の存在も、フランスと大して変わらないものと思います。
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フランスで幼少期、次々放映される日本アニメを夢中になって観ていたフランス中流家庭の男児が、長じて日本で日本語で、当時の思い出とその流行について分析した本。未知の文化圏から入ってきた無国籍風なテレビアニメが、既存フランスの人種的、社会的なカテゴリーを越えて人々を結びつける有効なツールであった、という視点は新鮮だった。
それにしても、日本の子供がテレビを観ながら味わっていた楽しさとワクワク感を、時代と文化を越えてフランスの子供が同じように味わっていた事を思えば、当時のアニメ制作者方には感謝しかない。ありがとうございました。
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ああ~、どこの国でもオタク世代差における隔たりはあるものなのだなあ…一般化による特別感の薄れと、安易さへの危惧ってやつね…と思ってしまったのはやはり私が共感大好き日本人だからなのかもしれない。
日本アニメの受容方法の変化は、確かに最初から「外」のものとして受け取るよりはそりゃあ、そんなこと意識せず共感できた方が自分の体験として落とし込めるだろうなあ、と思うけども、インターネットに色んなものが溢れかえっているこのご時世では、たとえ子どもであっても「オリジナル」の情報を知らずにいるのは最早難しいことなのではないかなあ…と思ったりもした。
まあ、わからんけども。
しかしそれはそれとして、確かに「クールジャパン」はちょっと、と思う。思った。もう懐かしいワードのような気もする。
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フランスの漫画熱。この始まりはなにだったか。その当時日本の漫画のシャワーをたっぷり浴びたこどもじだいをすごした作家自身の言葉で綴られる。「北斗の拳」のフランス語訳も筆者。サブカルチャーまで広く知識は広がり,研究書といった感も。
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グレンダイザーというアニメを知っているか。マジンガーZ、グレートマジンガーの続編として放映されたもので、前2作に比べると日本では知名度が低い(僕はデュークバギーのポピニカ持ってたけど)。だがフランスでは怪物的な、最初にして最大のヒットアニメなのだ。
これは有名な話。
著者はフランス人で、フランスのオタク第一世代。グレンダイザーの話はもちろんだが、文献として興味深いのは、北斗の拳の翻訳をやっている人だ、ということだろう。
北斗の拳は、日本でも現在では一種のギャグのように取られているところがある。「ひでぶ」とか。でもそれはギャグとして作ろうとしたのではない。ところがフランス版の北斗の拳は、意図してギャグ、にしていたらしい。その翻訳に関わった著者はバッティングを受けたらしい。
と、日本とフランスのオタク文化の、単語を拾ってライトに楽しむならそこまでだが、終章では突如シャルリー・エブド襲撃事件に言及されている。著者も言うように、フランスは一様ではない。日本以上に、だと思う。
日本アニメに夢中になっていたフランス人は、ある意味イスラム過激派に心酔する若者と似ている、みたいな話が出てきた。そりゃそうかもしれないが、まさかこの本の展開から、そんなところが出てくるとは。
グレンダイザーは、スペースサンダーという必殺技を叫んで使う。アメリカ人じゃないと思うけど。フランスではこの技は、コルノフュルギュル(Cornofulgure)に置き換えられる。まあ、スペースサンダー、みたいな意味だ。こういうオタクが喜ぶ話が満載、だと思っていたが、現実からは逃れられないようだ。
「日本の作品「と「日本の文化」、という狭い(けれど、それでいいだろ)世界とは別の世界がある、ということを、でも同じ作品、という物差しで測ってくれる貴重な本だ。僕らは作品を味わうのに、あまりにもライトすぎるかな、という反省をした。文学(アニメも入れよう)こそが、ほんらい世相を色濃く写すはずだ。