紙の本
インドって?
2018/08/02 21:54
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投稿者:玉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ずいぶん昔、知人がインドへ行った。その時もらったインドのお札をずーっと授業で使っている。不思議な小さな穴が二つ開いている。なぜ?インドに関する有名な本もいくつか読んだ。インドで考えたこと、わしもインドで考えた、などなど。勝手に思い込んでいたインドの実像。それを今回くつがえされた。どこまで、ホントかわからない。でも、目の前にインドが見えた。こんななの?イメージを作らされた。巧みな文章だった。すごいぜ。
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
男に自分名義で借金され、その返済の為に南インドで日本語教師として働く女性が主人公。学期の終わりに数十年に一度の大洪水が起き、翌日町には百年にわたって川底に積もっていた大量の泥が残される。泥はかき集められ、町の人々はその中から自分の記憶に関する物や人を引きずり出し、「ありえたかもしれない現実」に浸る。そこから主人公の記憶にまつわるものも引きずり出され、主人公の過去も振り返られる。
「言葉」に関する主人公の子ども時代と家庭、クラスメート、そして日本語教師としての現代。主人公は南インドの現地の言葉が話せないのだが、大洪水の翌日はなぜか周囲の話が分かってしまう。これらの意味するところがまだ分かっていないが、ここから考えていくのが楽しみになる一冊。
紙の本
SFとリアルの融合
2019/02/28 23:36
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投稿者:千那 - この投稿者のレビュー一覧を見る
泥が全てを運んできて、そして全てを沈ませ隠す。ファンタジーとリアルを織り交ぜ
た作品。「私の母親が人魚だった」というのがなかなか気に入った。読み手を選ぶだ
ろうとは思う。
紙の本
2017年度芥川賞受賞作
2018/05/20 06:34
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
日常と非日常が違和感なく溶け込んでいるインドの風景が味わい深かったです。大地に沁み込んだ人間の記憶が解放されていくシーンが圧巻でした。
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インドのチェンナイは、ぐるぐると渦巻く混沌とした町だった。
2018/11/19 18:26
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投稿者:たけぞう - この投稿者のレビュー一覧を見る
芥川賞受賞時、インド在住というプロフィールの衝撃が強すぎて
外国人系の作家さんかと勝手に思ってしまいました。
ぜんぜん違っていて、インドで日本語教師をしている人と
いうだけでした。
大阪の生まれで、たまたま仕事でそこにいるだけなのに、
人間の意識とは恐ろしいものです。
勝手に特殊性と結びつけようとしてしまいました。
とはいえ、百年泥は著者が三年前に住み始めたチェンナイでの
生活に根ざしたデビュー作なので、日本人にとっては非日常的な
舞台ではあるのです。
著者自身も、42歳から三年間インドのヴァラナシに夫婦で
住んでいたり、47歳からネパールのカトマンズで
日本語教師をしていたりなど南アジアに明るい人のようです。
チェンナイ生活三カ月半で、百年に一度の洪水に見舞われた私。
アダイヤール川のよどみが橋の上でうず高く盛りあがり、
異臭を放ち始めています。洪水三日目、会社に向かうべく
アパートから踏み出すことにします。
泥まみれのごみの山を通り抜け、アダイヤール川にかかる
橋を渡ると会社です。
橋に向かうにつれ、子ども連れのサリーの女、杖をつく老人、
肩を組んだ三人組の男など次から次へと人が湧いてきます。
百年に一度の洪水を見ようと橋を目指す人たち。
洪水という大惨事なのに悲壮感はかけらもなく、野次馬根性で
ギトギトした雰囲気です。橋の下に見える泥水は、
清らかな川とはまるで違う、すべてを呑みこむ濁流です。
橋の上では泥を左右に寄せて車道を確保しています。
そして泥の中からは、何十年も行方不明だった人たちが
眠りから覚めたように救出されるのです。
不思議な光景を、すぽんと現実的に書くことで、
インドの混沌とした空気感が伝わります。
なんでもありで、猥雑な中にある秩序めいた何かは、
人間世界のうねりそのものにも思えます。
こんな所でも人は生活しているのだという感覚で、
生命力のたくましさが伝わってきます。
南アジアのすえた臭いがかげる作品です。
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新潮新人賞&芥川賞受賞作『百年泥』を。ガルシア・マルケスが好きだと言う著者で、マジック・リアリズム的な小説だというので気になって読んでみた。新潮新人賞デビュー作家だと言われたら、なんかそんな気がするのは気のせいか、『新潮』に載る作品にある系譜みたいな、読み手に与える感じというのか。
川が反乱して現れた百年泥、その中から過去のものたちがインドに在住している日本語講師の主人公の前に現れてくる。日本での過去や生徒たちの話と百年泥から出てくるものたちが、どんどん語られていく。羽をつけて空を飛んで出社してくるエグゼクティブたちなんかも出てきたりする。なんか真面目にふざけてる感じもするし、この世界観は好きです。たぶん、芥川賞よりは三島賞よりな気はするが。
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インドで洪水を経験する。川の流れの泥から、様々なものが出てくる出てくる。最初はインドの文化、生活モノかなと思ったけれど、泥を通して様々な人の人生、思いの断片が語られていて。不思議な世界。泥のお話も、日本語教師のお話もなかなか面白く読めました。泥の中は繋がっているのね。摩訶不思議。インドだけにありうる感じ。
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(個人的な)芥川賞にありがちな初読ではパッと来ない感は薄いかもしれない。
南インドの描写が良い。主人公から主人公の母、生徒までそれぞれのキャラクターが個性的で、なおかつ上手く絡まり合ってて、すらすら読了した。
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芥川賞受賞作ということで手に取りました。
実に不思議な面白さでした。
インドで暮らしていた時に突然の洪水に遭遇。
そしてその洪水を見ながら自分の半生を思い起こしながら様々な事が綴られています。
この話の移り変わりが、特にこれといった言葉ではなく、
さらりとしてその事柄に移行していて見事です。
まるで洪水の中から泥が出てくるかのようにプカプカと。
別の例えでいうならば、大阪のおばちゃんが普段何気なく
道端で会話をしているかのように、
話題がどんどんと変わっていくので、
息をつく間もなく話にのめり込んでいって
あっという間に読んでしまいました。
インドに行ったことがないので分からないですが、
暮らしてみたらきっとこんな感じだろうなという雰囲気がありました。
今はインドは先進国なので日本語を学びたいという人達が
沢山いるかと思います。
けれどそんな中にも様々な環境で学んでいて、
日本人とはまた違った独特の文化、宗教を垣間見ることが出来ました。
まだインドでは昔ながらの古いしきたりに縛られてしまい、
女性に生まれたことで苦しんでいることや
カースト制度などの階級で貧しい環境で苦しんでいることなど
読んでいてとてもいたたまれない気持ちになりました。
主人公の幼少の頃が書かれていましたが、
これは他の部分とは違った温度感で淋しさ、切なさなどがひしひしと伝わります。
このように育った環境がその後の人生に関わったのか
どうかは人それぞれだと思いますが多少影響あったのかとも思えました。
けれど何はともあれ様々な人生経験をしたことで、
ひょんなことからインドにも暮らせて人とはまた違った人生を過ごせたことで良かったのではないかと思いました。
ストーリー展開が早く、情景、心理描写も細かく描かれているのでとても読みやすい作品だと思います。
一度とは言わずにまた再読しても面白い作品だと思いました。
石井さんの作品は他には読んだことがないので、
これをきっかけに読んでみたいと思います。
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テンポの良い文章で、心地よい。インドの洪水のあとに溜まった百年泥を前に、いろいろな人生の記憶が交錯して、この世は混沌としているとあらためて思いいたる。主人公の要領の悪い人生にも同情しつつ。
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第158回芥川賞受賞作
大阪生まれインド発の作品、で著者も主人公も同じ経歴。私小説?と思いたくなるほどにリアルな作風でとても読みやすい。
はじめ主人公と同じでチェンマイの話かと思って読んでた。
--この世でいちばん長くのびるものは子宮であり、地の果て時間の終わりまでたたるのが子宮だ。子宮はどこまでも長くのびてつきまとい吸いつき、とことん人をがんじがらめにするP41-42
--ことばと無音の差がないp80
--私にとってはるかにだいじなのは話されなかったことばであり、あったかもしれないことばの方だp85
結構ぐっとくる。百年沼にはまってからの大阪万博のコインのくだり、供養。ぞわっとした。
これ以上の作品生まれないんじゃないかと勝手に心配になる処女作で芥川賞受賞作だった。よかった。
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私は、つきあっていた自称フリーライターの男に頼まれサラ金で借りた金を貸してしまい、多重債務者でした。困りはてた私は元夫に会ったところ、南インドのチェンナイでの日本語教師の仕事を紹介され、二週間後にはチェンナイにいました。そして、“チェンナイ生活三か月半にして、百年に一度の洪水(p3)”に遭います。
日本語クラスの生徒たちに困らされる日常の授業の風景があるかと思えば、飛翔する人々、洪水の泥の中から人や物が出てくるといった風景もある、不思議な世界でした。
泥の中から出てくる物とともに、人々の百年の記憶が蘇っていきます。
“かつて綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌。話されなかったことば、濡れなかった雨、ふれられなかった唇が、百年泥だ。あったかもしれない人生、実際は生きられることがなかった人生、あるいはあとから追伸を書き込むための付箋紙、それがこの百年泥の界隈(p118)”だったのです。
この世界観を楽しみながらも、その記憶たちを知って、少し切なくもなりました。
“こうなにもかも泥まみれでは、どれが私の記憶、どれが誰の記憶かなど知りようがないではないか?(p120)”
洪水の泥にまみれた、荒唐無稽で素敵な物語でした。
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第158回芥川賞
元夫からの借金の形で
インド・チェンナイのIT企業で日本語教師として
働く事になった主人公。
チェンナイ生活三ヵ月半にして、百年に一度の洪水に遭う。
アダイヤール川の百年泥の中から様々な人々の記憶がよみがえる。
それにしても、この街の富裕層は何故 翼を広げて飛ぶのだろう?
「毎月おれの口座あてに国際送金して貰って
そうだな だいたい五年くらいで完済できるんじゃない」
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いまひとつ状況が想像できず読みにくい。
映画化するならクラスの中心人物の男性は
なぜか斉藤工が思い浮かんだ。
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インド・チェンナイの大洪水の後に、百年前からずーっと「そうだったかもしれない」を蓄積した百年泥が見つかった。書いたけど出されなかった手紙、生まれたけど生きられなかった子ども、話されなかった言葉、そんなものたちを掘り当てる主人公と生徒とチェンナイの人々。聞こえてくる、声は、「話されるはずのなかった」言葉。主人公はあるきっかけで日本語教師としてチェンナイに派遣され、日々の業務を少し斜めな感じでこなす。(ある意味すごく人間臭い教師だけど、あんまり感情移入できず)
アイディアがとても面白く、創造的だったので、芥川賞受賞作2作目も読んでみた。ところどころはとても素晴らしい文章があったけど、最後まで私はさらわれず、百年泥に手を突っ込んでかき回してみたい気持ちにはならなかった。あくまでも、静観。しかもそのみている位置が遠まきになっていく。主人公の母親のエピソードは、ちょっとさらわれたかな。
面白いアイディアで、カオスなのだけど、一つのしっかりしたテーマにわかりやすくたくさんのエピソードがはめられている気がして、私自身のイマジネーションがあまり発揮できなかったのか、ちょっと私とは合わないみたい。日本語教師の先生のアシスタントとして二年間働いたからか、教育的なことからも少し雑音みたいなものをキャッチしてしまい、それはもう私のせいなのだけど、いまひとつ、入り込めなかった。