商品説明
先輩を失った元スチュワーデスが当時の警察・自衛隊・政府関係者、医師、遺族、目撃者らに取材を重ねた先に見えた新事実。墜落の真相解明に拘り続ける理由と事実を見つめる勇気を伝える。
日航機123便墜落事故原因に迫る新事実!
この事故は「事件」だったのか!?
1985年8月12日。日航ジャンボ機123便は、なぜ御巣鷹の尾根に墜落しなければならなかったのか──。
「この出来事を風化させてはならない。」三十三回忌を前に、その情熱が生んだ、真相究明に一石を投じる渾身のノンフィクション!
当時、生存者の一人である日航客室乗務員落合由美さんの同僚であった著者は、この「事故」に今なお疑問を抱き、数々の目撃者の証言をもとに真相に迫っていく。
前著からさらに探査の精度が深まり、頁をめくるごとに次々と新事実が明らかになっていく迫真の展開力で一気読み必至!
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日航機墜落の真相を究明した書です!
2018/10/21 12:36
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、1985年8月12日に起こった悲惨な事件である日航機123便の墜落についてその真相を徹底究明した書です。当時の生存者の一人であった乗務員の落合由美さんの同僚である著者は、この事件に疑問を抱き、その後も徹底的に検証を続けてきました。そこで、発見した新たな事実とは一体どういったものだったのでしょうか。本書は、私たちが知らなかった様々な事実が記載されています。
自衛隊のミサイル誤射である事は確実。
2024/01/07 01:27
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:pon - この投稿者のレビュー一覧を見る
国は原発事故でもそうであったように、平気で嘘をつきます。私は当時の事故報道を聞いていた人間ですが、明らかにおかしい点がいくつもあります。政府は翌朝に救助を開始。墜落現場は、あっちと言ったりこっちと言ったり、場所がとんでもなく移動して、捜索が錯乱しているような印象操作が行われていました。その後の多くの情報源から、米軍機がいち早く現場に到達していることがわかっており、それは自衛隊にも通報されているので、場所はすぐに特定されていました。更に自衛隊はわざわざ救助を断っていますが、理由がありません。放置した理由が全く説明になっていません。知っていたとしたら、なんとしてでも人命救助を最優先に動かなければならないはずです。更にジャンボジェットに自衛隊機のファントムが一緒に随行していたという目撃証言も複数あります。そもそもこの自衛隊機のパイロットが墜落現場を目撃しているはずです。恐らくはジャンボ機が墜落して、乗組員は全員死んだ事(実際は不都合にも生存者が4名も居た)を確認しているでしょう。これらの証拠から証拠隠滅以外に理由が見当たりません。この事から、自衛隊が隠蔽した事実というのが、ミサイルによる誤爆以外にはあり得ない事になります。この点だけでも、これが圧力隔壁の破損というでっち上げを否定する根拠になります。この点をまず追求すべきです。政府は説得力のある説明をできないでしょう。生存者4名については、その後、談話も一切出てきません。
それを理由に、次にフライトレコーダーの記録の改竄を暴くべきです。なぜところどころ消えているのか。それは説明に都合の悪い箇所があるからに他なりません。政府やJALは疑問に応えるべきです。それをやらないのは、この事件を隠蔽しようという力が働いているからです。自衛隊機が随行していた事から、消された部分は自衛隊機と機長の交信の部分と考えるのが妥当です。機長は自衛隊機に助けを求めたのでしょうが、それは退けられたのでしょう。この交信が明るみに出ると、自衛隊機の随行が明らかになってしまい、なぜ見捨てたのか、墜落現場を確認できなかったのか、の説明がつきません。だから証拠を消したのでしょう。
その他、状況証拠はいくらでもあります。日航関係者が当時殺されると脅しに怯えるような発言をしていた事、一時自衛隊員が射殺されたという報道があって、誤報であるとすぐに揉み消された事。そこから浮かぶのは、自衛隊を守ろうとする政府が日航に脅しをかけていた事、救助妨害に反抗する自衛隊員を抹殺した事です。恐らく証拠隠滅のために自衛隊員はすぐに現場に急行させられ、ミサイル誤射の形跡を徹底的に取り除いたと考えられます。翌朝になって生存者がいないだろうと確信して、救助活動を開始したと見るのが妥当でしょう。生存者がいるとまずいので、時間を引き延ばしたのでしょう。中には人間として許せない行為であると反抗した心ある自衛隊員も居たに違いありません。軍隊とは冷徹な組織です。命令違反をすれば人も殺すくらいのことは平気でします。救助活動から軍隊を良心の組織と勘違いしている人が多いと思いますが、軍隊とは本来非道なものです。
この事件は、推測すればするほどデマであると反論されてしまうでしょう。不都合な事実を元に徹底した真相究明をすべきで、国や自衛隊がやっているであろうことはわかっていても、冷静に矛盾箇所を追及し、隠蔽の証拠を少しづつ掴む事です。青山さん1人だけではどうしようもなく、この事に疑問を持つ多くの人が声を上げないと、この事件は解決せずに永遠に闇に葬り去られる事になるでしょう。
「これは事故ではなく520名が亡くなるという事件であった可能性が非常に高い」 33回忌に「天空の星たち」に捧げられたこの書が、一人でも多くの方の手に取られますよう。
2022/11/06 10:05
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mitu - この投稿者のレビュー一覧を見る
1985年8月12日。
日本航空ジャンボ機123便が、東京羽田空港を離陸して大阪伊丹空港へ向かう途中、突発的非常事態に陥り、群馬県多野郡上野村の山中に墜落。
乗員乗客524名のうち生存者はわずか4名。
史上最大の航空機事故となってしまった。
この事故当時、私はまだ高校生。
その後、「沈まぬ太陽」(山崎豊子著)や「クライマーズ・ハイ」(横山秀夫著)を読んでの断片的知識はあった。
友人が感想を投稿し、また是非にとすすめられたこともあり手に取った。
そして、事の本質について何もわかっていなかったことを思い知った。
著者は日本航空の元客室乗務員。
この事故で、多くの同僚を失っていた。
「圧力隔壁修理ミス」が事故原因だと公式には発表されていたが、本当にそうなのだろうか。
陰謀論や憶測も渦巻く中、その原因にはつじつまの合わない部分が多い。
「私は当時を知る客室乗務員として、また、単独機として世界最大の航空機事故を起こした日本航空の関係者として、不明な点を明らかにしなければいけない、という責任感にかられた」
綿密な取材、わかりやすい記述、そして真相を明らかにしようという執念が、「隠されていた真実」に迫っていく。
突然の出来事に、無念の中で愛する家族への思いを綴った乗客。
自身が生命の危険にさらされる中、最後の最後までプロとしての職務をまっとうした乗務員。
地元の小中学生たちの事故を目撃した当日の文集。
その中で、明らかになる日航機を追尾していた2機のファントム機の存在。
機体の左腹部にみえた赤い物体。
その目撃者は機体から発せられた悲鳴にも近い「キャーン、キャーン」という高音が忘れられないと語る。
「助けてほしい」という心の声を聞いた気がする、と。
「これは事故ではなく520名が亡くなるという事件であった可能性が非常に高い」(巻末の「謝辞」より)
この「事件」の33回忌に「天空の星たち」に捧げられたこの書が、一人でも多くの方の手に取られますよう。
そして著者の、関係するすべての方々の努力が実り、真実が明らかになることを祈ります。
トンデモ系陰謀論の類の本ではない
2019/02/01 12:25
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:親譲りの無鉄砲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
1985年8月12日夕方におきた日航機墜落の直接原因として、「公式」事故報告にあるような圧力隔壁説は違うのではないか、というのが本書の主張である。公式見解に特に疑問も持たずに三十余年を過ごしてしまった迂闊な人間である評者は、それまで知らなかった「事実」を突き付けられ大いに動揺した。
その事実とは、場所のまったく異なる地点から複数の人間が、2機のF-4ファントムが事故機に貼りつくように追尾していた、という目撃証言をしていることである。そのなかには子供のものもあり、小学校の編んだ文集に掲載されている。真摯に史実に肉薄した歴史小説家吉村昭氏も「三陸大津波」等で子供の証言を重視しているように、これを決して軽視すべきではない。墜落現場付近の証言であることから、ファントムに貼りつかれていたような飛行機が当該事故機とは別、という可能性は低いとみてよいであろう。
また、事故機機長によるスコーク7700という軍関係向けの緊急事態宣言を傍受した米軍がいち早く輸送機を派遣、当日19時15分までに、墜落地点を確認して、ヘリによる救助体制まで整えていたにもかかわらず、日本側の救援体制も整っている、という理由による命令で引き返した、という元米軍人の証言について、現在に至るまでその証言を覆すような米軍側の公式的説明は現れていない。この証言に一定の信憑性を付与すると、墜落地点が翌日朝まで特定できなかったとする自衛隊や政府の発表には欺瞞が含まれていることになる。
さらに、垂直尾翼が損傷し油圧系統が不能になる原因となったと考える爆発的衝撃が起きた際(恐らくその直前)にある乗客が窓の外を写真に撮っていた。そこに映っていた小さな点状のものを専門家が画像解析で拡大するとオレンジ色の飛行物体で事故機に接近しているときのものでありそうだということが判った。当時の運輸相、故・山下徳雄氏に著者が後日インタビューした際その写真を見せたが、「オレンジ色の物体」の由来について既に何等かの情報を持っていたような反応を示したという。藤枝市で事故機を目撃したという女性が、機体後部左腹部にオレンジ色の楕円または円筒状のものが貼りついていたように見えたという目撃情報と絶妙な符合を見せている。その女性は、2機のファントムをやはり目撃している。藤枝から墜落現場の群馬県山中近くまで、ファントムが同行していたことになるが、その事実は一般に長らく知られず、或いは意図的な隠蔽がなされた上で報道されてきたことになる。
本書は純粋に科学技術的知見や推論で理詰めに真相に迫るという種類のものではない。圧力隔壁の疲労破損(7年前に伊丹空港で尻もち着陸し、その際修理ミスをしていたという前歴による)が垂直尾翼に深刻なダメージを与えたという公式見解に正面切った技術的反証はしていない点に評者はやや物足りなさを感じてはいるが、それは著者の守備範囲ではないから仕方ないだろう。評者は、圧力隔壁破損が垂直尾翼破損に至る規模のものであるならば、抱えている酸素ボンベの容量も常圧高々数十立米程度であるはずで、あっという間に客室の与圧部の空気は流出、エアコンによる早急な圧力回復は不可能であり、さらにボイスレコーダーにあるように、5分ものあいだ高度7000mクラスの過酷な低減圧状態に乗客が容易に耐えられたはずはないと直覚する。衝撃時に断熱膨張効果による結露の霧が一瞬かかったという生存者落合さんの証言があるが、すぐにその霧は晴れたわけで、機体の気密性は墜落時まで相当程度維持できていただろう。その一点で、公式事故報告書の「仮説」は却下してよいレベルのものである。
テロップが、
2021/08/12 18:26
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:マジェンタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
当時高校生。
この事故をNHKで報道中、速報テロップが入り、「救助に向かった自衛隊員2名が射殺された」と出た。瞬間、「は?何で射殺?」と余りにかけ離れた速報にポカンとしてたら誤報ですと後ほど訂正が。
当時は、誤報にしてもわけわからんなぁと思いつつそのまま忘れてしまってたが、後々事故ではない説等出て来た時すぐにこの事を思い出した。あの速報テロップ見た方たにいませんか?私の記憶違いなのか今もモヤモヤしています。
事故
2018/12/14 17:44
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
墜落し日が近くなるとニュースや特番などで放送されるので日本人なら知らない人はいないんじゃないかと思います。