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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
朝廷の儀式に詳しい藤原実資の日記。長命なだけあってこの時代の道長やその政権に対する意見や出来事の記録など様々あり興味深く読めた。
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
古代貴族の日記は行事の記録参考するためものが記述する主な理由のようだ。なかには単なる記録的記事もあるようだが、そのためこんなに厚みがあるのに全文掲載ではない。解説も少しわかり難くなっており時の流れも把握しにくい。
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こんなに分厚くなるほど長い日記をつけて、それが現代に残されるのがすごい。平安時代は寿命が短いはずなのに道長が689/757ページあたりまでずっと存在を示していて62歳で長寿で亡くなったなと思ったら、著者の藤原実資は90歳で死去していてびっくり。確かに健康にも気を遣ってそうな生真面目な文体でした。
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朝廷実務の官僚として極めて優秀かつ長寿であった藤原実資(さねすけ)が遺した小右記。儀礼関連の記事や、事件、人間模様(藤原道長と三条天皇の不仲等)が詳らかにかかれた書籍。特に著名な「この世をば我が世と思う…」という望月の歌についてもこの本に明記されているが故に知られているものであり、平安時代の官僚を取り巻く実情が知れる興味深いものだった。
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日本の先例主義(前例主義)は平安時代にはもうはじまっていた。
前例主義にはデメリットばかりが浮かぶけれど、デメリットばかりならいくらなんでも1000年間続かないはず。
先例主義にはどんな利点があって、どんな欠点があるだろう?
一条天皇の母の栓子は、兼家の娘で道長を贔屓した。
栓子のお陰で道長は最高権力者になれたので、道長も栓子に対しては常に低姿勢だった。
この本で円融天皇が出てきて、一条天皇には父がいたはずだし、栓子には夫がいたはずということに思い当たった。
夫婦仲は悪かったみたい。実質的には離婚したも同然だったのかな?
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実資の日記を倉本一宏氏の解説付で読める。
もちろん膨大な日記のごく一部ではあるが、年を追って、実資がその出来事をどのように捉えていたかが伺えて本当に興味深い。
小説等にあるエピソードも元はここだったのかと言う気付きがあったり、今の公務員と同じように前例調べたりしてたんだなと、千年前を身近に感じる。
初めは本の分厚さに驚いたが、解説も軽妙で長さを感じなかった。
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大河ドラマ「光る君へ」で秋山竜次さん演じる藤原実資の記した「小右記」。平安の事務取扱要項(?)日記は家の財産とされ、膨大な日記を残した実資の有能ぶりが分かる。編者の倉本氏の解説が素晴らしい。大河が一層楽しくなりそうです。
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「御堂関白記」「権記」に続いて「小右記」もみてみた。藤原実資が記録した日記。ビギナーズ・クラシックスシリーズなので、日にち順に、現代語訳、読み下し文、原文、解説がのっている。現存5463条の記事の中から初心者にも面白いものを選んだとあるが、前2冊に比べると約2倍の厚さ。
どうしても大河「光る君へ」でロバート秋山が「う~む、けしからん!」と廊下を歩きながら言葉を吐く様を思い浮かべてしまうが、朝廷儀式や政務に精通し、道長にも一目おかれたとある。
道長に内覧宣旨があったこと、定子の二度目のお産の時、道長が宇治の別邸に人々を引き連れたため定子の里帰り儀式の責任者がいない状態だったこと、彰子のお産、「望月の歌」の宴、など有名な箇所はもちろん載っていた。
また取次の女房が紫式部らしいところもあった。
・長和2年(1013)2月25日
「・・縁后御気色不許歟者、取案内女房・・」
(彰子が一種物という饗宴をやめさせたのは、)后の御意向が許さないものだろうか、(と資平が言うので)(実資は)案内を女房に取った・・ この女房は紫式部か、と解説にある。
しかし一番印象に残ったのは、実資の子供と妻の所だった。死産だったり妻も早く亡くなっているようだ。
・西暦4年(993)2月9日
「女人自今暁重煩悩、辰時産、但児夭了解、・・・仍申一点使石作忠節令棄置乾方、其処蓮台寺南辺云々、」
(妻が今朝から重く患い辰の刻にお産があった。ただし子供は死亡した。・・そこで申の時刻に、石作忠節(家人?)を使わして、乾の方角に捨て置かせた。そこは蓮台寺の南あたり、ということだ。)
実資37才。嬰児を「棄置」というのがとてもぎょっとしてしまう。ところが解説に前回の東山に懲りたのだろうかとあるので、元に戻ってページをめくってみると、
・正暦元年(990)7月11日にも女児を亡くしていた。
「申剋小女児入滅、悲嘆泣血・・不耐悲慟、通夜令加持」
(申の刻・午後3時から5時の頃、小女児・薬延は入滅した。悲嘆泣血した。・・悲慟に耐えず、夜通し加持を行わせた)解説には、寛和元年(985)4月28日に嫡妻の藤原惟正の女から生まれた女児(薬延)はこの日死んでしまった、とあった。5才までは生きたことになる。それでこの女児をめぐるその後の動きが取り上げられていた。
・7/12 女児の葬り方を陰陽道に造詣の深かった藤原陳泰に聞いた。7歳以下の葬送は厳重にしてはならず、遺体は穀織という薄織物を衣とし、手作布の袋に収めて桶に入れる。
・7/13 雑人2,3人に命じて遺体を東山の今八坂の東方の平山に置かせた。
・7/14 女児の事を思うと心神が不覚で悲恋に耐えられず、人を遣わして見させた。既にその形はなかったということで、いよいよ悲嘆を増した。・・解説では犬か鳥に喰われたのか、何かの薬(児干)の原料として持ち去られたのか、とある。
・8/12 長谷寺に僧を遣わし、新たな女児を乞う祈願をした。解説では、その甲斐あって正暦4年(993)2月に再び子供が誕生した。が上に書いたとおりすぐ死んだ。そしてこの子の母は一貫して「女人」と表記しているので良円を産んだ女性であろう、とある。
<実資の妻>
・源惟正の女が最初。だが寛和2年(986)に死去。
・正暦4年(993)に花山天皇の女御であった婉子女王と結婚したが、長徳4年(998)に27歳で死去。それ以後結婚することはなかった、とある。正式な妻ということ?
・長保元年(999)7月3日 禅林寺で故女御(婉子)の周忌法事をした。
・万寿3年(1026)9月13日 醍醐寺に参り、故女御(婉子)の母堂に対面し、一日中清談した。・・婉子が亡くなって28年になるが、その母(為平親王室、源高明の女)はいまだ存命だった。
小右記も「国際日本文化研究センター 摂関期古記録DB」に読み下し文が日にち順に載っている。
https://www.nichibun.ac.jp/ja/db/category/heian-diaries/
藤原実資:天徳元年(957)~永承元年(1046.2.26) 90歳没
政務に精通し道長にも一目置かれた。治安元年(1021)、ついに右大臣に上がり、以後大臣在任26年に及んだ。関白頼道の信任を受け、「賢人右府」と称された。
日記は、「野府記」とも称され、逸文を含めると、21歳の貞元2年(977・20才)から84歳の長久元年(1040)までの63年に及ぶ。「小右記」は実資の在任中にいったん日毎にばらばらに切られたと見られる。儀式毎にまとめた部類記を作るため。実資の死去でその計画は頓挫し、それをまた貼り継ぎしたものを書写したものが、古写本の基になっていると推測される。「小記目録」と呼ばれる目録も作成された。
解説:倉本一宏
2023.7.25初版 図書館
吉川弘文館からは同じ倉本一宏編で「現代語訳小右記全16巻」が出ている
https://www.yoshikawa-k.co.jp/news/n13142.html
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20240607 〜0619今大河で光る君を放送しているから、流行りにのって。やはり原典が一番。ただ、藤原実資がどうしてもロバート秋山で再生されるわあ。儀式や参議の並び順など事細かに記録。日記を書く事で先例が積み重なっていく。今現在の自分の仕事とも通じるものがあるなあ。サクサク読めた。きっと亡くなるまで現役だったのだろう。全部読んでみたい。
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オリンピック期間中に借りてきた本。
柔道体操陸上(女子槍投げ)レスリングに夢中になってたら返却日は今日。
外は雷雨。20時。終わった。
(明け方に無人返却口に行きます)
というわけで実はあんまり読んでません。
目次で気になるところを拾い読み。
また次回借りなおしますので感想前半ということで2つだけ。
1)「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたる事も無しと思へば」
常識人である皆様なら当たり前の知識なんでしょうけども、私はこれぞ傲慢の極みともいうべき道長のこの和歌が「御堂関白記」では和歌を詠んだとしか触れられておらず、藤原実資が珍しくこの宴に出席し、小右記に記し、そして散逸せずに広本として現代まで残っていたからこそ和歌が詠まれた背景も含めて我々が内容を知ることができるというのを今日まで知りませんでした。恥ずい。このエピソードを読むまでの拾い読みでは、なんだか通知表に書かれた教師からの一言アドバイスを寄せ集めたかのような「形式に拘った説教臭」を強く感じていたのですが、このエピソードを知り得ただけでも私にとってはラッキーでした。
2)弔い方
私は葬式や墓に関する拘りになんかちょっとアレだなーという気持ちがありまして(すぐ土の中に埋めて二度と見ないのに豪華な彫刻が施された、しかも木製の、棺桶を使うにしろ、火葬直後に骨だけ拾って壺に納めるにしろ)骨への執着と髪の毛、爪、肌、臓器への諦めの落差とか、葬式の様式や規模、墓石の値段と散骨(てか場所を選んだとて、ね)の落差とか。
身内を亡くされたばかりの方やそういった「常識人」としてのマナーを身につけてる方にいちいち「意味ないですよね」とは言わないものの、心の中では「天皇陛下(安徳)ですら海散骨みたいなもんなのに我々虫ケラのド平民が葬式とか墓ってアレじゃないのかな」とほんの少し思ったりしてました。
この本で初めて知ったのは平安時代の高貴な方々の簡素な弔い方(特に夭折)
そう。全ては生きてる間なのよ。葬式に500万かけるなら、親が好きだった花で式場を埋めるなら、生きてる間に親に300万あげた方が効率的じゃない?的な。
全然関係ないんですが改めて葬式や墓にこだわる理由はゼロ(てか趣味)と確信出来ました。
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平安時代の虎の巻。
大河ドラマ「光る君へ」でもお馴染みの藤原実資の日記。道長の『御堂関白記』に比べると、儀式など公に伝えるべきことの記録のように感じられる。几帳面な性格というより、自分が儀式関係の権威だという自負を感じるところも。
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大河ドラマ「光る君へ」でロバート秋山が演じた藤原実資の日記。朝廷儀式や政務に精通し、その博学と見識で一目置かれた実資。風格あり、胆力ありの人となりが伝わってくる。時々ハメを外したり、コワイコワイと恐れたり、人間らしさにもあふれていて微笑ましい。実資が見聞した内裏の内外のさまざまな出来事。中でもやはり望月の歌の日記は、ドラマのシーンと重ねて読んで、イメージが大きく膨らんだ。平安貴族は遊んでばかりいるわけではなく、深夜までの激務を続けていたと編者の言葉にあるように、具体的に彼らが何をしていたのか知ることで、苦悩や喜びにも触れられ親近感を持つことができた。一方、事細かに綴られた、さまざまな平安の世の様相も興味深い。人魂や怪異が出現する話、土葬してほしいと言い残した一条天皇が行き違いで火葬されてしまった話、犬の死など穢れに左右される話、7歳以下の葬送は厳重にしてはならないという話、老女に歯を抜かせそれを人に見せに行く話、馬の頭を尾に結びつけた牛が内裏に入った話、カエルに膿を吸わせる話…。分厚い本だが、原文・訓読文はパスして、現代語訳と編者の解説だけを追っていったが、とても楽しい古典体験となった。
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光る君へをきっかけに実資に興味を持った。
宮廷行事や出来事が細かく書かれていて、これを60年間も続けるとはよっぽどの筆マメだったのだろうと想像できる。その中から平安時代の貴族の生活も垣間見えて興味深く読めた。
有名な道長の句、この世をばーも出てくる。
淡々と日々の出来事を綴る中にぼそっとつぶやく皮肉や愚痴が今も昔も変わらないなぁと感じた。
今から1000年も昔なのに、日記の中に近代の人は自分の考えを先例としていると愚痴っているところがクスッと笑えた。