紙の本
人間の狂気
2023/08/23 12:19
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
100年前の関東大震災で、デマによって多くの朝鮮人や中国人が虐殺されたと言う事実はある程度は知っていたが、地方出身の日本人も殺されていたということは最近になって知った。
本書は、その一つで被害者が被差別部落出身者と言うことで地元でも長く埋もれていた事件に光を当てたルポ。事件を掘り起こし調べ上げた著者が、10年前に出版したものの新装・復刊本。この出来事を映画化した森達也監督による寄稿も収められている。これがまたいい。
戦争や震災など何かが起きたとき、人間はいとも簡単に集団で狂気に陥る。その恐ろしさを知らせてくれる労作。
この事件も含め、関東大震災で起きた朝鮮人虐殺は、100年も前のおかしな人たちが起こした特殊な事件ではない。虐殺に至らなくても、集団的熱狂は現代でも、SNSなどで数多く起きている。
今に問う歴史的事実として心に刻みたい。
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関東大震災で何故、行商人が虐殺されたのであろうか、パニックでは済まされない
2023/11/14 22:53
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投稿者:雑多な本読み - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、1923年9月に発生した関東大震災において、香川県から行商に来ていた幼児、女性を含む一行が、千葉県の福田村において、朝鮮人と誤認され、虐殺された事件である。当時、数多くの朝鮮人や中国人が、震災を機に暴動した、井戸に毒を流した、ひどいものになると朝鮮人が地震を起こしたというデマで虐殺されたことは歴史的事実である。しかし、この福田事件でも、加害者は裁判にかけられたものの、一部の人だけで、社会を守る行動として軽微な罪で、村を上げて支援を受けている。その後、一体的に隠ぺいされていき、遺族が真実を求めてもなかなか明らかにされなかった。この事件だけでなく、数多くの虐殺された事件が隠ぺいされたのは明らかになっている。目次を見ると、
はじめに 増補改訂版刊行にあたって
第1章 マグニチュード7.9の巨大地震
第2章 天災につけ込んだ人災
特別寄稿 「A」「A2」から「福田村事件へ」 森達也
福田村事件関連資料
主な参考文献 となっている。
以上のように展開される。関東大震災に関わって、数多くの虐殺事件があったことは、困難ななかでも歴史的に明らかにされている。本書ではないが、震災当時は、当然であるが、植民地朝鮮や内地で、朝鮮人が独立運動を起こしており、ロシア革命、米騒動と日本政府は、体制を揺るがす事態に怯えており、自然災害でもエリートパニックを起こしていたという説もある。蔓延した差別意識があり、政府は朝鮮人は危険である旨の通知、戒厳令を出し、さらに差別を煽ったことは間違いない。震災対策を怠っていたこともマイナスであったであろう。不逞と思われる事実が出てこないのに何故と思う人は多い。歴史的事実から目を背けると、現在の事実も見えなくなる。
本書では、第1章で震災のことが触れられる。地震で亡くなった人より、火災で亡くなった人が圧倒的に多い。タイミングの悪さとともに、大火災で飛び火する家財の持ち出しの指摘は、江戸時代より後退した社会であったことを示す。第2章では、政府が積極的にデマを流し、警察や軍隊が虐殺に加担していたことも出てくる。しかし、警視庁や軍隊は暴動等の事実が存在しないことに気づき、虐殺を抑制する通知を出し、国際世論の批判を恐れ、隠ぺいに走る。しかし、虐殺は止まらずに進むのは何故だろうか。本書でも出てくるが、警察署長や警察官が虐殺を止めようとする。実際に、朝鮮人、中国人の命を救った例があるが、美談としていいのだろうか。止めようとした巡査が住民に暴行された例も事欠かない。今の時代では考えられないが、こん棒や竹やりだけでなく、日本刀や槍、銃まで持ち出される。自警団は警察傘下の消防団、徴兵制のもとで侵略戦争で人殺しの経験のある在郷軍人会等が出てくる。同じ人が被災者の救援を行っている。このギャップを理解することは難しい。社会背景を見ながら、私たちがもう一度考えてみるべき事件である。そのためにも一読してほしい本である。
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とことん怖い話
2023/11/02 10:19
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
今年(2023年)は関東大震災から100年。行商団一行の話す方言(讃岐弁)が千葉県の人には聞き慣れず、ほとんど理解できなかった、朝鮮語に聞こえた、「どうもお前の言葉は変だ、朝鮮人と違うのか」、こんなことで人が虫けらのように殺される。怖いですまされない話
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2023年7月読了。
今年は関東大震災から100年。
何でもすぐに忘れてしまわないように一読した。
9月には映画も公開される。
「群集心理」みたいなものとなるべく距離を置き、冷たい視線を送りつつ、時に及んでは大声で反対しなければならないこともある。
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「『福田村事件』を観る前には、いや、9月1日が来るまでに読み切らなければ」と半ば義務的に読み始めたのだけど、一気に読んでしまった。当時の資料と証言を徹底的にかき集めた辻野さんによる執念の裏取り。まさしく魂の一冊だと思います。巻末に載っている資料「朝鮮人識別資料に関する件」の忌々しさと「藤田喜之助さん」による手記の生々しさ。
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関東大震災の混乱下で様々な差別的悲劇が起きていたことは知っていたが、部落問題が絡む虐殺があったことは恥ずかしながら初めて知った。世に溢れるフェイクニュースやヘイトスピーチ、同調圧力、国民に責任転嫁する行政…100年たって暮らしは豊かになっても、人間の根源的な部分は何も変わっていないと感じる。一度絶版になったこの本が復刊された意味はとても大きい。タブー視される事件の資料集めや関係者への取材は困難を極めたに違いない。地域に根差した執筆活動から〝なかったことにされた事件〟を掘り起こして出版にこぎつけた著者の執念に敬服。さらに映画化に踏み切った森達也監督もしかり。「善良な人が善良な人を殺す」のは何故かを問う巻末の寄稿が胸にズシンと響く。集団心理の怖さを改めて思い知らされた。
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映画視聴のための予習として読了。
いつどの時代に起こってもおかしくない出来事である。
人が集団になったとき、個人ではできないようなことを引き起こしてしまうという、すぐ隣にある怖さが十分に伝わった作品である。
また事件の背後にある民族差別、部落差別の問題も、これまで私たちの社会が見て見ぬふりをしてきたし、今なお苦しんでいる人たちもたくさんいる。
差別はいけない、そんなこと誰でもわかっているが、本当にそれを実践できているのか、改めて考え直すきっかけともなった。
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→「横浜でも・・・~関東大震災100年」
https://blog.goo.ne.jp/rekitabi/e/f942624e4ef39c25501bf1a08def1158
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群衆の恐怖。この日本で事実としてあった事件を、今まで知らずにいた事にも衝撃がありました。
日本は、震災時も助け合える国だと、誰かが言っていましたけど、それはあくまで、現在あの時点での事で、福田村のような恐ろしい事件がまた起こらないとは限らない。
それだけ、ただの普通の人が陥りやすい群衆心理の怖さを実感しました。
自分は、その時、ちゃんと人で在る事が出来るか。自我を保ち、生命を護れるか、決して忘れてはならない事だと思います。
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福田村事件の映画鑑賞をきっかけに読みました。
関東大震災の時に多くの悲惨な事件が実際に起きていたショックと、実際に自分がこの環境にいた時に抗えたのかと非常に考えさせられた。
集団ヒステリーの怖さ、恐怖心や思い込みによって人間はとても残酷な行為に走りうるということを実感した。
こういった悲劇がまた起こらないように、決して忘れてはいけない出来事。
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【はじめに】
2023年9月1日の関東大震災からちょうど100年後のその日に森達也監督の『福田村事件』が全国で公開された。心揺さぶられるその映画を観たあと、歴史の底に沈んで永らく触れられることのなかった福田事件に光を当てる契機となったと言われるこの本を手に取った。
2013年に出版されたこの本は、出版社の廃業によって一度は絶版となったものの、映画化の話とともに増補改訂版として再出版された。
【福田村事件】
福田村事件とは、関東大震災後の混乱の中、千葉県福田村(現柏市)で香川から薬の行商団が地元の自警団に殺害された事件である。行商団15名のうち、2歳、4歳、6歳の子供、および妊婦を含む9名が亡くなった。6名が商業団の鑑札の識別を終えた警察署長の説得により助かった。6名の命が助かったにも関わらずそこから世間にこの話が伝わらなかったのは、彼らが被差別部落の出身であったからだとも言われている。100年を経てようやく知られることとなったのである。
この事件のことを記録し記憶に留めるのは、加害者を非難するためではもはやない。被害者の鎮魂のためでも、被害者の親族・知人への慰謝のためでもない。そんなことは可能ですらない。普通の人が、普通の人を自発的に殺害してしまうということが実際に起きえてしまうという事実を認めるためにこそ伝えられるべきものではないかと思う。
増補改訂版として、映画『福田村事件』公開後に出版された本書では、森達也監督によるあとがきが添えられている。彼は、福田村事件だけではない、過去何度も世界中で繰り返されてきた集団化による排他と暴力について「知らなくてはならない。その理由とメカニズムについて。スイッチの機序について。学んで記憶しなくてはならない。そんな事態を何度も起こさないために」と伝える。知ることと、記憶すること、それだけがまずできることなのかもしれない。
【映画『福田村事件』】
映画『福田村事件』は、かなり本書にも書かれている史実に沿って忠実に描きながらも、福田村のやや閉塞した空間における(フィクションとして創作された)人間関係を絡めて深みを加えた心に残る映画だった。関東大震災の際に、多くの韓国人が殺されたということは知っていたが、それがどのようにして起きたのかを描き、伝えようとする気持ちが、ずんと伝わってきた。そしてまた、森監督のマスメディアに対するおそらくは伝わることのない期待と絶望もにじみ出ていた。
映画の中で被害者となった香川の行商団が村人が囲まれ、その讃岐方言を怪しんで日本人かどうかを議論している村人に対して、「朝鮮人なら殺してええんか!」と叫ぶシーンがこの出来事だけでなく、その後、今も続く多くの事態に対しての叫びのように感じた。そして、その叫びを切っ掛けとするように虐殺は始まったのだ。
映画もぜひ見てもらいたい。
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『「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔』(森達也)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/B00GUBVS54
『A3 上』(森達也)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4087450155
『A3 下』(森達也)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4087450163
『増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊』(クリストファー・R・ブラウニング)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4480099204
『容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別 』(ジョン・ダワー)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4582764193
『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』(ハンナ・アーレント)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4622020092
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p194 おそらく吉田刑事は独りだったからこそ、人として何が正しいかを自分の力で考えることができた。対象的に自警団は、集団だった。集団立ったからこそ、独りなら決して考えも実行もしなかったであろう凶行に走ってしまったのだ。
p228 ここ数年、僕にとってのキーワードは集団化だ。人は集団になったときにそれまでとは違う動きをする。これもやっぱり、虐殺について考え続けて帰結のひとつだ。
p216 何度でも書く。凶悪で残虐な人たちが善良な人たちを殺すのではない。普通の人が普通の人を殺すのだ。世界はそんな歴史に溢れている。
p238 でも日本社会に対してならば、少なくともこれだけは言える。薄っぺらな正義の陶酔や安易な憎しみに浸るのではなく、加害する側の悲しみを知ってほしい。もちろん被害の側の絶望と恐怖も知ってほしい。どれほど悔やんでも元には戻せない。今さらなかったことにできないのだ。
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福田村事件は関東大震災直後の朝鮮人狩りが横行する中で起こった痛ましい事件。
利根川と鬼怒川が合流する千葉県東葛飾郡福田村で香川県から薬の行商に来ていた一行15名が朝鮮人との疑いをかけられ、地元の自警団に襲われた。ある者は鳶口で頭を割られ、ある者は手足を縛られ利根川に放り込まれるという残虐極まりないやり方で、9人(胎児を含めると10人)が命を奪われた。
襲われた集団は被差別部落の出身。農地が狭く小作率が全国一高い香川県で十分な耕作面積が得られないことから行商の道しか残されていない人たちだった。
厳しい被差別部落の実態、朝鮮人を人間扱いしなかった民族差別の実態、行商人への職業差別など様々な差別の悪相が重なったのが福田村事件であった。
当時、加害者には罪悪感がなく、それどころか国家にとって善いことをしたと胸を張り、地元民からは支援された。その後、地元では事件のおぞましさからか、長い間口を閉ざしてきた。 朝鮮人虐殺については、数々の証言があるにもかかわらず、きちっとした調査や謝罪がされていないのが現状。だが、1919年に朝鮮で起きた激しい独立運動、いわゆる三・一運動以後の民衆蜂起を恐れた日本政府が震災時のパニック状態での流言蜚語(デマ)を利用したという見方も根強くあるようだ。
著者は、これらの実態に目を背けてはいけないとの思いから、地元の抵抗を受けながらも、膨大な資料収集と関係者からの取材活動にエネルギーを注ぎ続けた。
読んでいるうちに、真摯な気持ちになり、忘れてはいけない日本の負の歴史として自分の頭に刻み込まなければと強く感じた。
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関東大震災の発生から100年目に公開された映画「福田村事件」のベースとなったノンフィクション。
福田村事件とは利根川沿いの三ツ堀(現在の千葉県野田市)で起きた香川県からの行商人集団10名(一名は胎児)が福田村と隣の田中村の村民によって殺害された事件のこと。
長らくタブーとしてその詳細が明らかにされてこなかった。
映画の中でも描かれているが、この事件が起きた背景にはもちろん、関東大震災において朝鮮人が火をつけて火事を起こしている、井戸に毒を入れたなどのデマが広まり、それに怯えた一般人が自警団等を構成し、朝鮮人と思われる人々を捕え、殺害したという事がある。
しかし、そこにはそれだけではない、もう少し重層的な背景も描かれる。
福田村事件では実際には日本人の行商人集団であった人たちが、朝鮮人と疑われて殺されたという事。
しかも、彼らを殺せと興奮する村民を村の駐在が止め、一度は鎮静化したにも関わらず、駐在が行商人集団の身元を確認するためにその場を離れた間に殺してしまったという集団心理。
行商人集団は香川県の被差別部落の出身者で構成されており、彼らは同じ日本人でありながら差別されてきた人々であった事。
不逞の朝鮮人が悪事をある働いているというデマは、韓国併合以降、韓国内で起きている独立を求める反日行動、多数の朝鮮人を日本人より安い賃金で雇い、働かせていたという日頃の行動から、何かあれば朝鮮人が日本人に復讐してくるのではないかという不安を抱いていた事、、、、
等々、単に「関東大震災」だけが事件の契機でないという点だ。
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関東大震災から100年。
あのとき、何があったのか。
香川から行商に来ていた一行が地元民に殺された。
彼らは被差別部落出身者たちだ。
みな、口を閉ざし報道もされず事件は葬り去られた。
辻野弥生さんの取材により
どうしてそのような行動に至ったのか
集団心理の怖さを思い知らされる。
朝鮮人と間違えて・・・
言葉が見つからない。
このことを伝え続けること。
それが大切だと思う。